それは、とーとつにあたしの前に振ってきた。
ひゅるひゅるという妙な音を耳にして、あたしはふと空を見上げた。
所々に小さな雲を浮かべた、抜けるような青空。
辺りの木々の緑が、その青にくっきりと映える。
その妙に牧歌的な風景の中に、間抜けた音がひょろひょろと響いていた。
「ねえ、ガウリイ。今、何か………」
「ああ………?」
あたしが問いかけるより早く、ガウリイは辺りを見渡していた。
その動物なみの耳とカンで、音の発生源を捜しているらしい。
ガウリイはやがて、ある方向で動きを止めた。
あたしには見えない何かをじっと見る。
「なあ、リナ」
妙に抑揚の乏しい口調でガウリイが言った。
その背が、妙にこわばっているようにあたしには見えた。
「あれは、お前さんの知り合いか?」
「………知り合い………?」
ガウリイは無言である方向を指さした。
あたしは、ガウリイの指さした方を見る。
と。
なにやら妙な塊が見えた。
それは青い空を背景にどんどんどんどん大きくなって───。
「はい?」
あたしはまじまじと『それ』を見た。
ガウリイが『知り合い』扱いするからには、それは当然人間なんだろうと思ったが………。
まあ、『それ』が空を飛んでること自体はおかしくない。
魔道士であれば珍しいことじゃないし、かく言うあたしだってよく飛んでいる。
『それ』の形だって、見ようによっては人間に見えなくもない。
少なくとも外形は人間のように見える。
でも、きっぱりはっきり、それは絶対に人間じゃなかった。
ましてや、あたしの知り合いであるはずもない。
だってそれは───。
あたしたしが呆然と見守る中、そいつはぼよんっと、妙な音をたてて、あたし達の目の前に着地した。
ぽってりとした身体に、黒くつぶらな瞳。
愛嬌があると言えば言えなくもない。
ただ、それを普通にかわいいとは言えない理由があった。
何故なら───それの全身は、見事なくらいどハデな色をしていた。
それも、ショッキングピンクのような………。
「………っ………」
あたしは思わず言葉を失う。
………魔族………だろう。
………魔族………なんだろう………多分。
それ以外にあたしは理由を思いつかなかった。
人間が全身をピンクに染める理由なんて………頼むから考えついて欲しくなかった。
視界の端に、もの問いたげにあたしを見ているガウリイが映る。
答える余裕なんて、勿論ない。
魔族が精神攻撃を使う、というのはイヤになるくらい知ってはいたが………。
………でもこれは………。
ぐるぐるまわりそうな頭を、あたしは必死で両手で支えた。
これが魔族の精神攻撃だとしたら、今まで受けたダメージなんて比べものにならないくらい見事なクリティカルヒットだった。
あたし達が無言で見つめる中、黒いつぶらな瞳がきょろきょろと何かを捜して動く。
………イヤな予感………。
そして、世の中、イヤな予感ほど外れない。
やがて───。
それは勝ち誇ったようにあたしの方に視線を向けた。
くしゃりと、ピンクの塊の中の口らしき部分が笑みの形に歪む。
そして、妙に甲高い声が嬉しそうにあたしに告げた。
「ピンクのリナっ、勝負だっっ」
「………は………?」
あたしは今度こそ硬直した。
それは、忘れたはずの名前だった。
忘却の彼方に、埋め去ってしまったはずの名前だった。
姉ちゃんに指さして笑われたあの時から―――。
ガウリイがまじまじとあたしを見る。
そして、ぽんっとひとつ手を打った。
「そっか、やっぱりお前さんの知り合………」
最後まで言わせず拳を見舞う。
何故か身体の硬直は解けていた。
「どうしてそういう結論になるのよっっ」
よりにもよって、よりにもよって、よりにもよってっっ。
悪夢を呼び覚ますようなこんな名前で呼びかけるこいつを、あたしの知り合いだとっっ?
妙な物体はそこのけで、あたしたちは険悪ににらみ合う。
だけど、『そいつ』はあたしたちの内輪もめを全っ然気にしてはくれなかった。
ぴしっと、ちっこい指(らしきもの)があたしの方を指し示す。
そして、甲高い声が蕩々と口上を述べはじめた。
「いいか、よく聞け、そこの人間どもっっ。
そもそもピンクというのは高貴な色なのだっっ。
もともとピンクというのは、赤と白を混ぜた色。
赤こそは、我らが盟主の色。
そこに異界の魔王の色を含ませたものがピンクなのだ。
これは貴様達人間が存在する遙かに前からあった、この世界の真理のなのだっっ。
それをたかだか人間風情が、身に纏い、あまつさえその称号に使う?
そんな不条理が許されん。許されることなどあるはずもないっっ。
いいか、人間、そもそも色というのは………」
よくわからない口上は、止めようもなく延々と続いた。
「だああああっっ」
あたしは頭を押さえてしゃがみ込んむ。
「………ちょっと………一体、何なのよこれ………?」
「………ほんとうに、一体、なんなんでしょうねえ………」
妙に涼しげな声が背後から聞こえた。
あたしは振り向きもせずに、むんずとそれを捕まえる。
確かな手応え。
振り返ってあたしが目にしたのは───。
「いやですねえ………。リナさんったら昼間から大胆で………」
「出たわね、このすっとこ魔族っっ」
「ゼロス?」
びっくりしたようにガウリイが振り返る。
あたしは、問答無用で黒衣の神官を手にしたスリッパではり倒した。
「痛いじゃないですかっっ」
全然痛くもなさそうな抗議は勿論、最初から聞く気なんてない。
「ちょっとっっ。どうしてあんなモノ連れてくるのよっっ」
あたしはぴしっとゼロスを指さした。
「あれ? どうして僕の仕業だと?」
のほほんとゼロスが答えた。
「決まってるわっっ」
あたしはぴしっとゼロスを指さした。
「ンな暇なことができそうな、すーだら窓際管理職魔族なんて、あんたくらいしかいないからよっっ」
「あの………窓際魔族って………」
どこか悲しそうにゼロスがぼやく。
「事実じゃない」
あたしはきっぱり言い切った。
「まあ、確かに、リナさんの居場所をあの人にお教えしたのは僕なんですけどねえ………」
「やっぱりそうなんじゃないのっっ」
あたしはもう一発スリッパをゼロスにお見舞いした。
「あんたの嫌みな好意は判ったわ。判ったから、とっとと『あれ』持って帰りなさいよっっ」
「いや、それがですねえ」
「何よ、これ以上まだ何かがあるの?」
いやみなくらいにこやかな笑みを浮かべてゼロスが答えた。
「僕としてもお持ち帰りできない理由がありまして。。
そもそもあの方がどうしてあなたのその二つ名のことを知ったのかはわかりません。
ですが、毎朝毎朝カタートで『打倒ピンクのリナ』などど絶叫されても困るんですよ。
ちょっと町内会から文句が来ちゃいましてね」
………魔族の町内会って………
「あるんかい、ンなモンがっっ」
「迷惑してるんですよ、僕としても。
いちおう町内会の決定には従わなくちゃあなりませんし」
「ンなとこでだけ常識人になるんじゃないっっ」
あたしはがくがくととゼロスの首を締め上げ、揺さぶった。
ゼロスは、平然とした顔であたしを見る。
でも、よく見るとその顔に一筋二筋、汗が流れていたりする。
ゼロスはがしっとその両腕を伸ばし、あたしの肩を捕まえた。
「ははははは。。だめですよ。リナさん。一人で逃げようとなさったって。
僕たちは一蓮托生。死ぬときも生きるときも一緒だって、誓い合ったお仲間じゃないですか」
「誰が、いつンなこと誓ったかあああああっっ」
あたしの絶叫にゼロスは全く耳を貸さない。
「どうだっていいじゃないですか。
例えまだでも、これから誓ってもらう予定なんですから。
ま、それはともかく。
明らかにこれはリナさんのディグリーローブが原因なんですから。
ここは潔く男らしく、きっぱり責任とってもらいましょうか。
責任を。
いけませんよぉ、やり逃げは」
「ちょっと、なによその誤解を招く発言は」
あたしは深く息をってで怒鳴った。
「そもそも、一体、何の責任よおおおおおっっ」
言われたくない。
ンな台詞、このすーだら魔族にだけは言われたくない。
責任なんて、そんな台詞は。
あたしはさらに深く息を吸い込み───。
「なあ、リナ」
「うるさいわね。今忙しいんだから、後にしなさいよ」
つんつんと肩を叩くガウリイを怒鳴りつける。
「いや、放っておきたいのはやまやまなんだけど『あれ』が、さ………」
ガウリイはそう言って、あたし達を、意図的に無視しようとしていた現実に引き戻した。
しぶしぶながらそちらに顔を振り向ける。
それは、ピンクの顔を更に濃く染め、きりきりとその丸い目をつり上げてこっちを見ていた。
やがて、その目がにやりと笑う。
「ふ。そうか。私におそれをなして、ゼロス様に助けを求めるつもりだな」
「違うって」
あたしのささやかな突っ込みは無視された。
「だが、ゼロス様に頼っても無駄だぞ人間。
ゼロス様は、この件については、暖かく見守るとおっしゃってくださったからなっ。
心ゆくまでお前と勝負ができるというもの。
お前が例えゼロス様の旧知の相手であろうとも、手加減などは一切せんからそう思えっ」
あたしは体全体で溜息をついた。
そりゃあ、誰だってこんなのに関与したくはあるまい。
───例えそれがゼロスでも───。
『そいつ』は急にきょろきょろと辺りを見渡した。
「そうだ。そう言えば、お前、ローブはどうした?
分不相応きわまりないあのローブは?」
「ローブ?」
きょとんとガウリイが尋ね返す。
ゼロスが、いまにも吹き出しそうな表情であたしを見ている。
『そいつ』は生意気にもふっ、とニヒルな溜息などついた。
「そう。貴様も知らぬとは言わせんぞ。
この人間が分不相応にも身に纏うことになっているあのピンクのローブのことだっっ。
ピンクのリナと名乗ることすらおこがましいというのに、ピンクの服まで用意されているとはっっ。
しかも、部分的にその色を使うのならともかくも、全身ピンク。
あろうことか、それも胸元の大きくあいたフリル付きなのだっっ」
一瞬、奇妙な沈黙が落ちた。
「全身ピンクの………フリル付き………?」
ぐりっと首を回したガウリイが、何か───理解できないものを見るかのような目であたしを見た。
「ピンクはともかく………フリル………おまけに胸………?」
ぷちん。
その瞬間、あたしの中で何かが切れた。
「───ふっ───」
あたしは低く笑った。
さっとガウリイが青ざめる。
「ちょっと待て、リナ。
なんでこっちに来るんだっっ。
魔族はあっちだろ、あっちっっ」
ガウリイが引きつった声を上げる。
「判ってる───でもね───」
あたしは、一歩ガウリイに近づいた。
「その前に、まず、余計な記憶を持った人はきちんと『処理』しておかなくちゃね───」
「『処理』って、なんだよ、おいっっ」
ガウリイが一歩引き下がる。
そして、
「おい、そこの人間っっ。この私と話しているというのによくも───」
あたしとガウリイの会話に、あたしの大っ嫌いな色をした物体がいちゃもんをつけた。
ガウリイとあたしの間にそのぽよよんとした体躯を割り込ませる。
あたしは極上の笑みを浮かべて見せた。
───ちょうどいい───。
「───まとめて処分してやるわああああっっ───」
「………いやあ、のどかな光景ですねえ………」
いつのまにか完全に安全圏に避難したゼロスがぽややんと呟いた。
その後───。
何故かガウリイは、「ピンク」とか「ローブ」という言葉に、激しい拒絶反応を示すようになったらしい。
とりあえず、あたしの悪夢が呼び覚まされることはないだろう。
ま、一応、めでたしめでたしってことで───。
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