かさっと落ち葉を踏む足音をさせて、真夜中の森をリナが進んでいく。
オレは注意深くその後を追っていた。
満月に近い月は既に中天にかかっていて、辺りを見渡すのに不自由はない。
オレはリナの姿を見失わないような距離を置いて、リナの踏みしめた道を進む。
起伏に富んだ道は決して歩きやすいとは言えないが、リナは躊躇いもなく道を進んでいく。
それは、リナがこの道を辿るのに慣れている、ということなんだろう。
「………何やってるんだろうな………オレ………」
オレは心の中でこっそりと溜息をついた。
この町に滞在しようと言い出したのは、リナの方だった。
たまには静かなところでゆっくりしたい、というリナに、勿論、異存があるはずもない。
リナの性格か、それともそーゆー巡り合わせなのか、オレ達の旅は、控えめに言っても、波乱に満ちていた。
食堂で喧嘩に巻き込まれたり───うち半分以上はリナが原因だったりするが───、盗賊達にからまれたり───ほとんど確実にリナの方が喧嘩を売っているが───、そーゆーことが日常のほほえましい出来事になってしまうくらい、いろいろなことに巻き込まれる。
だから、ゆっくりできる時間は、本当に貴重だった。
ゆっくりできる時にはとことんゆっくりする。
はっきりと口に出したことはないが、それがオレ達の間の「お約束」だった。
とりあえず、懐具合は豊かだとリナが保証するので、しばらくの滞在を決める。
いつものように、仕事を探す必要もない。
だけど、こんな小さな山間の町で、リナはどうするつもりなんだろう。
特に名物があるわけでも、娯楽があるわけでもない。
リナの好きそうな盗賊団ですら近くにいる気配もない平和な町だ。
まあ、そういうところだからこそゆっくりできるのかも知れないが………。
考えるのはオレの仕事じゃないし、まあ、リナが決めたことだから。
オレは黙ってリナの決定に頷いた。
「ゆっくりとする」という宣言の割に、リナはなにやら忙しかった。
どうやら、魔道士協会に行って、調べものをしているらしい。
らしい、というのは、オレがいつもリナにおいてきぼりを喰らうからだ。
実際、そこまで確認しているわけじゃない。
ついて行く、と言っても、隣で居眠りをされるのが邪魔だからと言って断られるし………。
まあ、過去にそーゆー実績がイヤになるほどあるらしいオレとしては、そうそう反論もできはしない。
が………なんとなく、面白くなかった。
ゆっくりするはずだったのに、あまりかまってもらえないし。
実際、オレがリナと話をすることのできる時間は多くはない。
せいぜい食事の時に話をするくらいで………夕食を取った後は、リナは眠いといってすぐに部屋に戻ってしまう。
なんだか釈然としなかった。
そして、四日目の朝───。
「なあ………お前さん、なんか疲れてないか?」
オレは朝食の席でリナに尋ねた。
いつもなら、目を見張るほどの食べっぷりを見せるはずのリナが、皿を空にするスピードが妙に遅い。
まあ、それでも周囲の人たちよりは遙かに量を食べてはいるのだが。
オレの見るところ、どうも顔色も良くなかった。
「え? 別になんでもないわよ」
さり気なくリナが答える。
でも、その後すぐに、リナが小さくくしゃみをした。
「おい、大丈夫か?………」
オレは試しに熱を測ろうとリナの額へと手を伸ばした。
すっと素早い動きでリナが逃れる。
ただ、オレの伸ばした手が、リナの髪をわずかにかすめた。
ひんやりとした感触。
その感触がオレから次の言葉を奪う。
オレは思わず自分の手を見る。
触れた髪は、水分を含んでしっとりと重かった。
「大丈夫、ホント、何でもないから………ね?」
リナは素早くオレの手の届くところから逃げ出した。
オレがリナの行動に本気で疑問を感じはじめたのは───それからだった。
リナのことだから、盗賊いぢめに水の呪文でも使ったのかもしれないが………。
その次の日も、次の次の日も、注意してみると、リナの髪は、毎日湿っているように見えた。
まるで、どこかで水浴でもしていたかのように。
………水浴び?
どこで? どうして?
さすがにそれが、3日も続くと気に掛かった。
この辺では、特に盗賊団もいない。
平和な村だと思っていたのだが………。
なんとなく胸の中がもやもやとする。
オレは、リナの行動を自分の目で確かめてみることにした。
明るい月の光の中、オレはリナを追いかけていた。
リナは、オレがつけていることに気がついてはいない。
無造作に、林の中へと道を辿っていく。
その足取りに全くためらいはなかった。
今夜はもう満月に近いとはいえ、木々の生い茂る森の中の道は、決して歩きやすいものではない。
だが、リナは魔法の明かりすらつけずに、危なげなく道を辿っていく。
かなり通い慣れた道らしい。
小柄な体は、ほとんど音もたてずにとけ込むように森の中に入っていく。
何やってるんだろうな、オレ………。
オレは自分に問いかける。
今までリナが外に出かけるのは、盗賊いぢめが目的だった。
でも、今リナがとっている行動は、それが目的だとは───思えない。
───もし───。
オレの足取りは、ともすると重くなってしまう。
───もし、誰かとリナが待ち合わせでもしているのなら───。
その考えは、とても───心臓に痛かった。
もし、オレが考えているとおりなら、オレのこの行動は、間抜けというより他はない。
オレは、先ほど月明かりに垣間見たリナの表情を思い出していた。
どこか思い詰めたようなその表情は───悔しいくらい綺麗だった。
普段はあまり見ることのできないその表情こそが、人の目を惹きつけて離さない。
こんなことをして………オレは、どうするつもりなんだろう。
例えば、リナが誰かと会っている現場を見てしまったら。
止める?
どうやって?
その場から慌てて逃げ出す以外、できることなんてあるはずがないのに。
でも………それでも、オレは、リナの後ろ姿に追いすがる。
確認せずにはいられなかった。
それが馬鹿な行動だと判ってはいても───。
ふと気付くと、オレはリナの姿を見失っていた。
考え事をしていたのが災いしたらしい。
気配には敏感なオレらしくない失態だった。
オレは小さく舌打ちをして、辺りを見渡す。
幸い、月はかなり明るい。
リナの微かな足跡でも、追跡するのにそう問題はないだろう。
そ、その時。
ぱしゃっと、水音が聞こえたような気がした。
オレは反射的に水音のした方へと歩みを進める。
森の木々を掻き分けて行くと、唐突に視界が開けて、湖が広がる。
空の闇を映して黒々とした湖面に───月に朧に照らされて、ほの白い肢体が浮き上がっていた。
華奢な───まだ少女の面影を残した体つき。
でも、それは月の光を浴びて、まるで妖精かなにかのように見えた。
そのくらい現実から浮遊した光景に見えた。
呼吸さえも忘れてそれに見入る。
「誰?」
鋭い問いかけ。
自分が、間抜けのようにぽかんと突っ立っていることに気付いたのは、その時だった。
妖精のような少女を見つめたまま、オレは動きを止めていた。
多分、その時のオレは相当間抜けな顔をしていただろう。
しばらくまじまじとリナの方を見つめてしまった。
それがどういう結果を引き起こすか、なんてことは、全然頭に浮かばなかった。
そのくらい、それはオレにとって意外な光景だった。
リナの顔に、さっと朱の色がのぼる。
「見たわね」
リナの声は、夜の空気より、遙かに冷たかった。
「いや、あの、その………」
オレははっと我に返った。
しどろもどろに言い訳をはじめる。
視線を逸らすべきだとは思っても、何故か視線を逸らすことができなかった。
胸を隠そうとているリナの仕草が、妙に女らしくオレの目に映る。
リナは、頬を赤く染めたまま、ぶつぶつと何事かを呟いていた。
それが呪文だと気付いた時には───オレは水の中に思いっきりひっくり返されていた。
「願掛け?」
オレは鼻をぐすぐす言わせながらリナに尋ねた。
「そうよ」
いつもの服装に着替えたリナはひたすらじと目でオレを見ていた。
「7日7晩水浴びすれば願いを叶える湖があるっていうから、あたしがせっかく文献調べて場所突き止めて、毎晩毎晩地道な努力をしてたっていうのに。綺麗に全部ぶち壊してくれちゃって」
オレはいぶかしげにリナを見た。
「ンなもん、もう一回やったらいいんじゃないのか?」
尋ねるオレに、
「あのねえ………ガウリイ」
何故かリナはさっきより怒りの度合いを深くしたようだった。
「ああいうのは、一度だめになっちゃったらね、2度目なんてないのよ。終わりなの」
そう言ってふいっと横を向く。
オレは急に不安になった。
オレは一体、リナの何を邪魔してしまったんだろう。
恐る恐るリナに問いかける。
「なあ………その願掛けって、一体………?」
うっ、と一瞬リナが詰まった。
「な、なんでもいいじゃないっっ」
そう言うリナの手がさり気なく自分の胸の辺りを庇ったようにオレには見えた。
………って、あれ?
「………ふーん………」
オレは呟いた。
リナの手の辺りをじっと見る。
「───何よ───」
リナが真っ赤な顔でオレを見た。
図星か。
リナが努力するなんて、珍しいことだと思ったが………。
「なんだ、そっか。そのことか」
オレはなんだか急に笑い出したくなった。
「何だじゃないわ。この始末、どうしてくれるのよ、ガウリイ───」
真っ赤な顔のままでリナが詰め寄る。
話しかけてくるリナの声が低ような気がしたが、すっかり安心したオレは、ぽんぽんとリナの肩を叩いた。
腕を回してリナの頭を抱え込む。
「ま、いいじゃないか。そんなに悲観しなくても。小さな胸が好きだっていう物好きだってきっと───」
台詞の途中で、ちらりとリナがオレを見た。
「そう………よく判ったわ。あんたが何を言いたいのか………」
「って………え?」
リナの手が見慣れた印を組む。
そして───。
「そーゆー物好きだって、ここにいるかもしれないって、言おうとしたのいなあ………」
リナの呪文に吹き飛ばされたオレの声を聞いてくれたものは、どこにもいなかった。
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