- Lina -
kyo
自分の声で、あたしは目を覚ました。
ぼんやりと見開いた目に映る周囲は暗い。
荒い息づかいだけが耳に響く。
あたしは重い頭を振って、ゆっくりと周囲を見渡した。
ベッドが一つだけの質素な部屋。
椅子にはあたしの服がきちんと畳まれて置いてある。
ゆっくりと自分の記憶を巻き戻す。
そうだ、これはあたし達が泊まっている宿の部屋だ。
「夢、か………」
あたしは物憂く呟いた。
そう、あれは夢だ。
───現実にはあり得なかった光景───。
でも、それは現実よりも生々しくあたしの夢に現れる。
あたしは身震いし、そっと自分の肩を抱いた。
暗闇が、重くまとわりついてくるような気がして、手で探り当てたランプに淡
い明かりをともす。
宿の小さな部屋が、ランプの明かりに柔らかく照らし出される。
ほっと小さな吐息をもらす。
喉がからからに乾いている気がして、無性に水が飲みたかった。
あたしはベッドを抜け出すと、するりとガウンに袖を通す。
ドアを開けようとしたところで、何か手応えを感じてあたしは首をひねった。
注意しながらそっとドアを開けてみる。
「よう」
ドアの脇に何故か金の髪の青年がが座り込んでいた。
半身を壁にもたれさせ、体に剣を抱いている。
「………何してるのよ、こんなところで」
あたしはガウンの前を手で押さえたまま問いかけた。
「何してるのって………」
ガウリイが困ったような表情でぽりぽりと頬をかく。
「………いや、なんだかな、ちょっとリナの様子が気になって」
あたしはぱちぱちと瞬きをした。
「夜這い?」
「をい」
ガウリイが苦笑した。
「いくらオレだって夜這いするのに、剣なんか持って来ないって」
証拠を見せるように、片手の剣を差し示す。
あたしを見つめる瞳は穏やかで、その台詞に偽りは感じられない。
「ま、どうってことはなかったんだけどな」
ガウリイが鞘に入ったままの剣を片手に立ち上がった。
「ここを通りかかったら、リナがうなされてたみたいだったから。
つい、気になって」
立ち上がったガウリイの目線があたしを見下ろす位置になる。
「………気になってって………それで、そんなところに座り込んでたの?」
それは………その………何というか………。
ガウリイがぽりぽりと自分の頬を掻いて、宙に視線を泳がせる。
「う…ん。どうしようかと思ったんだがなあ………。勝手に部屋に入る訳にも
いかんだろ?
リナだってほら、一応は女の子なんだし」
オレだって命は惜しいよ。
そういってガウリイが笑った。
「………でも、どうして剣まで持ってきたの?」
そう尋ねるとガウリイは、またちょっと困った顔になった。
「ま、何となく」
「………何となく………?」
「オレだって、剣で夢が切れないことくらい判ってるんだけどなあ」
そう言ってぽんぽんと鞘の上から剣を叩く。
………魔よけかなんかのつもりで持ってきたんだろうか? ひょっとして。
「………神殿の脇の彫像みたいね」
あたしはなんだか無性に笑い出したくなった。
「あのなあ、オレはガーゴイルじゃないぞ」
ガウリイがむくれる。
あたしが言ってるのはそっちじゃなくて、人間の形したほうなんだけど。
こらえきれずにあたしは吹き出した。
ガウリイはしばらく憮然とそんなあたしを見ていたが、
「よかった」
その顔にゆっくりと笑みが広がる。
暗闇に灯る明かりのように、静かな笑みが。
「何が?」
あたしは首を傾げる。
「リナか、やっと笑ったから」
そう言ったガウリイの表情があたしを捉えて放さない。
………こいつは………。
あたしは返す言葉に詰まる。
………こいつは、どうしてこういう顔をするのだろう………。
出会った最初の頃は、その余計な気遣いが鬱陶しかった。
すぐにでも置いていってしまおうと思っていた。
それでもついつい一緒に旅をしてしまったのは───こいつがこーゆー顔をす
る奴だからだ。
あたしとは違って、何の気負いも照れもなく、素直に人を気遣うことができ
る。
それも、意識するのではなく、ごく自然に………自分の利害なんてことは、
きっと考えずに。
だからあたしはガウリイの側にいるんだと思う。
だからこそあたしは───それを世界と引き替えることすらできたのだ。
ふと、先ほどまでの悪夢が蘇る。
あたしの見る悪夢は一つだけだ。
そして、それは、いつも黒髪の少年の姿をしている。
漆黒の闇。
無邪気な笑みを浮かべた少年が、虚空に浮いたクリスタルをすっと指さす。
───砕け散るクリスタルの欠片───。
あたしはそれを止めることができない。
いつも、いつもだ。
夢の数だけ、あたしはそれを失ってしまう。
当たり前のように傍らにあった存在を。
「リナ?」
ガウリイの表情がいぶかしげに曇る。
「なんでもない」
あたしは小さく言葉を綴る。
それ以上大きな声を出したら、きっとばれてしまう。
言葉が震えてしまうのを騙しとおす自信は今のあたしにはなかった。
ガウリイは黙ってあたしを見た。
ぽんっと大きな手があたしの頭に載せられる。
一瞬の、間。
それは、くしゃりとあたしの髪をかき混ぜた。
───暖かい───。
その温かさが胸に痛かった。
夢ではない、現実の温もり。
───もし、あの時───。
あたしは思う。
───もし、あの時、一つでも違う選択をしていたら───。
そしたら、今、ここにこうしていることなんてできなかった。
奇跡に近い偶然の重なりが、あたし達の今を作っている。
そう思うと、この温もりがただ愛おしかった。
あたしはそっとガウリイの手を頬に引き寄せ、瞳を閉じた。
ガウリイが、自由な方の手で、ゆっくりとあたしの背を撫でる。
何度も、落ち着かせるように大きな手が上下する。
心持ち体重をガウリイの方に寄せると、その手は、やがてゆったりとあたしの
背で動きを止めた。
緩やかな抱擁。
恋人の抱擁っていうのとは、きっと少し違うと思うけれど。
でも、この距離がすごく心地いいから………あたしは静かに瞳を閉ざす。
「ンな顔するなよ」
ささやきが耳に忍び込む。
「つけ込んでみたくなるだろう?」
こつんとガウリイがあたしの額に額をつけて覗き込む。
あたしは小さく笑みを浮かべた。
だからあんたはくらげだっていうのよ。
───馬鹿ガウリイ───。
つぶやきは声には出さない。
今ならきっとつけ込めるのに。
それを知ってるくせに、放棄するんだから。
───あたしを抱き寄せてる手がゆるめられることはないのに───。
あたしがそれを知らないと思ってる?
本当に?
あたしの沈黙を何と思ったのだろう。
ガウリイは軽くあたしの髪に口づけた。
あたしの体に回されていた手が、そっと静かに離される。
「さ、もう戻れよ」
明るい口調でガウリイが言う。
いつものあの飄々とした様子で。
「それともオレの部屋に来る?」
いつもの会話の続きのように。
だから、あたしはいつものとおりに返事をする。
「ガウリイといっしょだと、狭そうだから、やだ」
即答したあたしに、ガウリイは声を殺してくっくっと笑った。
おまけのようにぽんぽんとあたしの頭を軽く叩く。
「ま、また怖い夢を見そうになったら、オレを呼べよ、叩っ切ってやるから
な」
あたしはちょっと顔をしかめる。
「夢の中でも?」
「夢の中でも」
大まじめな顔でガウリイが答える。
あたしはくすっと笑ってしまった。
嘘つきガウリイ。
あんたにそんなこと、できるわけないのに。
だって、あたしの見る悪夢は、たった一つしかない。
そして、その夢の中にだけは───あんたは来られない。
───絶対に───。
それでも。
「じゃ、約束して」
片手をそっと伸ばしてみる。
優しくて残酷な嘘つきに向けて。
───叶うはずのない約束───。
でも、それを言ってくれたことが、とても嬉しかったから。
だから、今の嘘になら、騙されてあげる。
「じゃ、指切りな」
伸ばした指と指を絡め合わせ、子どもじみた約束を交わす。
くすぐったいような、うれしいような不思議な気分。
ガウリイがにこっと笑った。
この笑顔を失いたくない。
そのためになら………あたしはきっとどんなことだってできる。
この存在を失うこと───それ以外の恐怖なんて、今のあたしには、ない
───。