MAY
『勇者』としてラビエルの依頼を受けるようになってから、レイヴはかなり野宿が増えたような気がする。
暖かな光の降り注ぐ天界――。
「ガブリエル様!どうにかして下さい!」
万物の母なる大天使、ガブリエルは、飛び込んで来た妖精に視線を移した。
慌てた様子で飛び回っているのはシェリーである。
ラツィエルがラビエルに間違った薬を渡してしまった事に嫌な予感を覚えた彼女は、たまたま仕事がなかったのを幸い、地上界に様子を見に行ったのだ。
すると案の定――ラビエルは正体不明の小動物になって魔法も使えないし、レイヴはそのラビエルのおかげで落ち着かない日々を過ごしているらしい。
「こんな状態じゃ、地上界を守るどころじゃありません!ガブリエル様なら『試練の水』の効果を消せるんですよね?」
しかし、ガブリエルは柔らかく、暖かい慈愛に満ちた微笑を浮かべた。
「シェリー。地上界を守護する天使とその勇者――それらが深い絆で結ばれていなければ地上界は救えないのですよ。ラビエル達が『試練の水』を飲んでしまったのもきっと運命なのです。私は‥‥彼女ならばきっとこの試練を乗り越えてくれると信じています」
「‥ガブリエル様‥‥‥」
面白がってません?と喉まで出かかった言葉を飲み込んだシェリーは賢明だった。
「あの水の効果は彼女達が充分に試練を受ければ消えます。我々は、彼女達が試練を乗り越えるのを見守りましょう」
穏やかな笑みを浮かべるガブリエルに勝てる者などありはしない。
シェリーは、心の中でため息をついてその場から退出するしかなかった。
ラビエルがやけに可愛らしい小動物になってしまってから、もう二週間が過ぎようとしていた。
相変わらずラビエルに変化はないし、魔法も使えない。
ラビエルに関する噂がとてつもなく広がっているらしかったが、もうそれを否定する気力もなかった。
そんなある日。
騎士団の詰め所に、珍しくもシーヴァスが訪ねて来た。
「‥‥何の用だ」
やけに上機嫌なシーヴァスに憮然とした顔を向けるレイヴを誰が責められるだろう。
「いや、お前が柄にもなく動物など飼い始めたと聞いたのでな」
案の定、高見の見物に来たらしい。
シーヴァスは、早速レイヴの肩に乗っているラビエルに目を留める。
「ほぅ、それが噂の‥‥」
どんな噂だっ、と怒鳴りたいのを辛うじてこらえる。
「しかし見た事のない動物だな。モンスターにも見えないが‥‥」
「動物、じゃない。ラビエルだ」
レイヴの言葉に一瞬驚いた顔をしたシーヴァスは、すぐに深いため息をついた。
「おい‥‥いくらラビエルと一緒にいたいからと言って、勝手に名前を使うのはまずいだろう?彼女が気を悪くするのではないか」
お前がそんなに暗い奴だったとはなあ、と肩を竦めるシーヴァスに、殺意の親戚のようなものが湧く。
「ラビエル本人だ!‥‥何故かは知らんが、こんな姿になってしまったんだ」
本気で怒っているレイヴに、シーヴァスはようやく真顔になった。
「本当の話なのか?」
信じ難い顔をしているシーヴァスを、ラビエルが見上げた。
「みー、ににー?(シーヴァス、判らないんですか?)」
悲しそうに見上げて来る大きな目は、確かに彼女のそれと同じだった。
「本当に‥‥ラビエルか?」
抱え上げ、目の高さに持ち上げて覗き込むシーヴァスに、ラビエルはこくりと頷いた。
しばし、固まってしまったシーヴァスだが、さすがにレイヴより順応は早かった。
「‥‥まあ、これはこれでいいかもしれんな」
こともなげに言うと、シーヴァスはラビエルを愛しそうに抱き締めた。
「み??!み、みみ!(シーヴァス?!あっ、あのっ!)」
じたばたと暴れるラビエルに構わず、シーヴァスはわざとらしく頬擦りして見せたりする。
「天使様に触れるのはまずいだろうが、こう言う動物ならば別に構わんだろう♪」
いかにもプレイボーイのシーヴァスの言葉には呆れるしかない。
「み?‥‥(レイヴ‥‥)」
助けを求めるようなラビエルの視線だが、レイヴにはもうシーヴァスに対抗する気力がない。
「‥‥丁度いい。シーヴァス、俺が仕事に行っている間ラビエルの相手を頼む」
疲れたように言って、レイヴは立ち上がった。
「あぁ、任せておけ」
にやにやと笑うシーヴァスに見送られ、レイヴは後ろ髪を引かれながらも詰め所を後にした。
ラビエルを一人で放って置くのとはまた別の心配で仕事に身が入らなかったレイヴは、早々に詰め所に戻った。
「‥‥何だ、早かったな?」
部屋の中で飽きもせずじゃれあっていたらしいシーヴァスが、上機嫌で振り返る。
「に、みみーみー!(レイヴ、お帰りなさい!)」
楽しそうなラビエルを見ると、心配していた自分が馬鹿のようだ。
しっかりラビエルを抱き締めているシーヴァスに、何故か面白くないものを感じる。
「どうした?機嫌が悪いようだが」
レイヴのそんな内心まで見抜いているようなシーヴァスが、楽しげに笑いながら言う。
「‥‥別に、そんな事はない」
憮然としたまま答えるレイヴに、シーヴァスは更に楽しげな表情になる。
「お前も騎士団長の仕事が忙しいだろう。何なら、私が引き取ってもいいぞ?」
何しろ四六時中一緒にいてやれるからなー、とラビエルを抱き上げるシーヴァスの言葉に、レイヴの顔が引きつる。
「シーヴァス。‥‥そんなに暇なのか」
まるでレイヴを怒らせるのを楽しんでいるようなシーヴァスを、ラビエルが困ったように見上げる。
「人聞きが悪いな。私は親切で言っているんだが」
楽しげに笑いながら、シーヴァスはラビエルをレイヴの肩に返す。
「みー?(シーヴァス?)」
レイヴの肩で首を傾げるラビエルに、シーヴァスは蕩けるような笑顔を向けた。
「そんな姿の君も可愛いけれど、やはり女性の姿の方がいいな。次に会う時は、あの美しい姿に戻っている事を願うよ」
自分の存在を完全に無視しての言葉に、レイヴが渋い顔になる。
照れたように俯くラビエルにもう一度笑いかけ、シーヴァスは扉に手をかけた。
「あ‥‥と。そう言えば、レイヴ」
出口で、シーヴァスが振り返った。
「ラビエルを戻す方法、試したか?」
「そんな方法があるのか?」
生真面目な表情で聞き返すレイヴに、シーヴァスは少々意地悪い笑みを浮かべる。
「知らんのか?動物になった相手を元に戻す古代からの魔法と言えば『騎士殿のキス』だろう」
「‥‥っ!」
途端、耳まで真っ赤になってしまったレイヴである。
その肩に乗っていたラビエルも同様だ。
「そ、そう言う事はお前の方が得意だろう!」
話をそらすつもりだったのだが、シーヴァスはあっさり肩を竦める。
「私ならもう試したぞ。結局駄目だったが」
「なにーっ!」
反射的に帯剣の柄に手が伸びる。
しかしそれより早く、シーヴァスはレイヴの手が届かない場所にまで下がってしまう。
「冗談だ。しかし、試す価値はあるかも知れないぞ」
「シーヴァスっ!」
レイヴの反応が余程面白かったのか、シーヴァスは楽しげに笑いながら姿を消してしまった。
「‥‥‥‥」
レイヴは思いっ切り脱力してしまい、分厚いドアに手をついた。
「何をしに来たんだ、あいつは‥‥」
深いため息をついて、レイヴはドアを閉める。
困ったように肩でもぞもぞしているラビエルをつまみ上げ、レイヴはその大きな瞳を覗き込む。
「そもそも、いつまで経っても元に戻らないのが悪いんだぞ?」
ため息と共に言われ、ラビエルは下を向く。
そんなラビエルを見詰めたレイヴに、ふと、さっきのシーヴァスの言葉が蘇る。
確かに、小さい頃聞かされた御伽噺で、魔法で獣にされた少女を元に戻したのは彼女を救おうとした騎士のキスだった。
しかしあれは物語の中の話だし、第一ラビエルは呪いをかけられた訳でもなんでもない。
「み?(レイヴ?)」
あどけない瞳で見上げて来るラビエル。
彼女自身はそう気にしている様子はないが、実際不自由なはずだった。しかも、この状況がレイヴに何か関係があるらしい事も薄々判っていた。
今のラビエルは魔法が使えないし、妖精の助けも望めない。
しかしもし‥‥そんな事でラビエルが元に戻るのならば、安いものではないか?
「にに??(どうかしたんですか?)」
真剣な表情で見詰めるレイヴに、ラビエルは小首を傾げた。
「ラビエル。目を閉じていてくれないか」
レイヴの言葉に、ラビエルは素直に目を閉じた。
純白の長い毛に包まれた、小さな体を両手で抱え上げる。
ほのかに温もりの感じられるラビエルの小さな体は、とても軽かった。
レイヴは、その小さな口にそっと唇を触れ合わせた。
――しばしの、間。
何事も、起こらない。
「み、みー!?(レ、レイヴ!?)」
自分に触れたものの正体に気付いたラビエルがじたばたとうろたえ始めた。
「‥‥頼む、何も言わないでくれ‥‥」
地を這うようなレイヴの声に、ラビエルは動きを止めた。
ラビエルの体を抱えたまま、レイヴは猛烈な自己嫌悪に陥っていた。
キスをする相手がカエルだろうが猛獣だろうが、それで元に戻るから格好がつくのだ。
何も起こらなかった場合、はっきり言ってただの間抜けにしか見えない。
シーヴァスの軽口にしっかり乗せられてしまった自分に情けなくも腹が立つ。
落ち込んだ、と言う言葉さえ生ぬるいレイヴの様子に、ラビエルは何も言えない。
レイヴの柄にもない振る舞いが自分のためとなれば尚の事だ。
「‥‥‥‥」
レイヴは深い、深いため息をついた。
『試練』はまだ終わりそうにない。
取り敢えず、終わる。
何だか、レイヴがどんどん情けなくなって行くぞ。‥‥まいっか、これはこれで幸せそうだし。続くかどうかは未定です。<まだ何かやるつもりなのか?