浄夜 
〜Angel side〜
 

MAY


 

 インフォスの『時の歪み』を正す役目を命じられたラビエルは、多忙な日々を送っていた。
 天界と地上界では時の流れが違う。
 その上、時を歪めている何者かの仕業らしくインフォスの至る所で魔物達の動きが活発になっていた。
 地上で戦ってくれる勇者達への依頼、その援護、武器防具の調達‥‥ラビエルは文字通り、休む暇も無かった。
 だから、見落としていたのだ。
 先に魔物との戦いを依頼していたレイヴが、もうその場所に到着する頃だった事を。
 気付いた時には、レイヴはもう魔物との戦いを終わらせていた。
 いつもなら、最低でも依頼した魔物との戦いの時には自分が援護につく。それなのに今回は妖精すらつけなかったのだ。
 申し訳ない気持ちで一杯になりながら、ラビエルは時間を作って地上に降りた。
 妖精が知らせてくれたレイヴの居所は、魔物が住み着いていた山の中にある小さな洞穴だった。
 地上ではもう日が落ちていた。戦いはとうに終わったと言うのにレイヴはまだ山を下りていない。いや、下りられないのだろうか?
 ラビエルの中に、どんどん悪い予感が広がって来る。
 レイヴのいる洞穴の中に、ラビエルは直接姿を現した。
 薄暗い洞穴の中を小さな焚き火の光が照らし出していた。
 そして‥‥剣を外し、壁に寄りかかっているレイヴは、酷く苦しそうだった。
 額に汗を浮かべ、荒い息に肩を上下させて‥‥レイヴは、ぼんやりとした視線をラビエルに向けて来た。
「レイヴ!」
 レイヴの視線が微妙に焦点が合っていない事に、ラビエルは真っ青になる。
「ごめんなさい、あなたを独りで戦わせてしまって‥‥」
 不安に駆られながらも、反応を見せないレイヴの側に屈み込んで見る。と、その体が猛毒に侵されている事に気付く。
 解毒薬は飲んだらしいが、発熱などでかなり辛そうに見えた。
「あぁ何て事‥‥あの魔物に毒を受けたのですか?」
 毒を消すために手をかざした時、レイヴがそれを乱暴に振り払った。
「レイヴ‥‥?」
「‥‥構うな」
 酷く掠れた、小さな声。
 しかしそれは、ラビエルにははっきりと聞き取れた。
「俺には‥‥『天使』の救いなどいらない‥‥救って欲しくなどない‥‥っ!」
 レイヴの声が、ラビエルには血を吐くような叫びに聞こえた。
「俺は、罪人だ‥‥そんな俺を、何故勇者にした?何故暖かい手を差し伸べる?‥‥放って置かれた方がいい‥‥俺は救われてはならないんだ‥‥!」
 初めて、だった。
 レイヴがこんなにも激しい口調で言葉を綴ったのは。
 それだけにラビエルは、レイヴの抱え続けて来た『痛み』に初めて触れた気がした。
「救われる‥‥天使に触れられる資格など俺にはない。‥‥天使の好意を受けていいような人間じゃないんだ。‥‥どうせなら見捨てられた方がいい‥‥その方が‥‥ずっと、楽だ‥‥‥!」
 自分自身を傷付けて、その傷を更に自分の手で抉って、血を流して‥‥まるでそんな風に聞こえる言葉だった。
 感情のままに言葉をつないでいたレイヴの体が、頼りなく傾いだ。
「レイヴ?!」
 倒れかかる体を慌てて支えようとしたが、体格の良い、しかも鎧を身につけている男性を女の細腕で支えられる訳がない。
「きゃ‥‥!」
 レイヴの体を支え切れず、ラビエルは一緒に倒れ込んでしまう。
「大丈夫ですか!」
 言って見たものの、レイヴは既に意識を失ってしまっていた。
 ラビエルは相当苦労してレイヴの体を楽な姿勢に横たえ、毛布を掛けてやる。
 そして、その体の上にそっと手をかざす。
 淡い緑の光の粒子が舞い降りて、レイヴの体に残っていた毒を完全に消し去る。
 今までの疲れも溜まっていたのか、レイヴは目を覚ます気配もなく深い眠りに落ちている。
 思えば、レイヴの寝顔を見るのは初めてのような気がする。
 今まで共に旅をした時も、レイヴはラビエルの気配にすぐ気付いて目を覚ましてしまっていた。
 いくら疲れているとは言え、レイヴがラビエルに対してあまり警戒心を抱いていない事が、少しだけ嬉しかった。
 こんな時に、そんな事を考えてしまった自分がおかしくて、ラビエルは苦笑しようとした。
 が‥‥笑みの代わりに零れたのは大粒の涙だった。
 涙は後から後から溢れて来ると頬をつたって流れ落ち、レイヴの鎧を濡らした。
 どうして、この人はこんなにも自分を責め続けるのだろう。
「レイヴ‥‥」
 そっと、起こさないように小さく呼んで見る。
 もっとも、疲れ切って眠っているらしいレイヴはそう簡単に起きそうには見えなかったけれど。
 好意を向けられる事、ましてや称賛される事を極度に嫌うレイヴを不思議に思いながらも、ラビエルは何も訊けずにいた。
 あまり立ち入った事を口にするとレイヴに完全に拒絶されてしまいそうで、怖かった。
 だからラビエルがその理由を知ったのは、ついこの間‥‥偶然、レイヴの傷を目にしたのがきっかけだった。
 目を伏せ、呟くような小さな声で、それでもレイヴは辛い過去の事を話してくれた。
 酷く苦しげな、後悔のにじむ横顔を見た時、ラビエルは自分まで苦しくなるような気がした。
 この人の役に立ちたい、少しでもその苦しみを軽くしてあげたい‥‥ラビエルは心の底からそう思った。
 しかし‥‥ラビエルはあまりにも無力だった。
 時折、自分自身を痛め付けているとしか思えないような無理な修行をしているのを見る事があった。
 しかしラビエルはレイヴにかける言葉も思いつかず、まして彼女の翼は人を優しく包み込める程大きくはなく‥‥ただ黙って見守っている事しか出来なかったのだ。
『俺には‥‥『天使』の救いなどいらない‥‥救って欲しくなどない‥‥っ!』
 さっきの、レイヴの言葉が甦る。
 自分が近くにいる事が、天使の勇者である事が、かえってレイヴを苦しめているのだろうか。
 胸が痛かった。とても苦しかった。
 自分がレイヴの負担になっているかも知れない、その考えは深くラビエルの心を刺した。
 しかし、ラビエルはレイヴから離れたくなかった。
 天使としての職務?いや、それよりもラビエル自身がレイヴの近くにいたかった。
 自分の気持ちが、既に『天使』が『勇者』に対して抱く物とは違ってしまっている事に、ラビエルは気付いていた。
 許されないのかも知れない、しかし一旦生まれた気持ちはなかった事には出来なかった。
「レイヴ‥‥」
 ラビエルは、レイヴの体にそっと手を触れた。起こさないように、本当にそっと。
「せめて‥‥側にいる事は許してくれますか?」
 つぶやく程の小さな声で、ラビエルは言った。
「何の役にも立たないけれど‥‥あなたの助けにならないかも知れないけれど‥‥でも、邪魔にならないようにしていますから‥‥側に、いさせてください」
 これが一方的な我が儘である事は十分承知していた。
 天使と人間は住む世界が違う。だから天使が地上界の人間に深く関わる事は許されていない。
 インフォスが救われれば、ラビエルも天界に戻らなければならないのだ。
 でも、それでもラビエルは少しでも長く、レイヴの側にいたかった。
「レイヴ‥‥」
 ラビエルは、そっとレイヴに寄り添った。
 レイヴの温もりを感じる。
 レイヴの確かな鼓動を、息遣いを感じて安らいだ気持ちになる。
 こんなにも間近に触れる事は、レイヴが起きている時には不可能だろう。
 夜明けまでの短い刻。
 多分、最初で最後の満たされた時間だった。

                                                            END
 
 
 

 『浄夜』を書いた時、京に「もっと女の子をからませればいちゃいちゃになるのに」と言われたので、調子に乗ってみましたが。やるんじゃなかった‥‥。最後逃げてるし(でも載せる)。
 
 




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