MAY
西の空に燃え上がる夕焼けがゆっくりと輝きを失い、深い紫へと色合いを変えて行く。
常緑樹の生い茂る、豊かな緑にあふれた山。
低潅木の枝と野草に覆われた斜面に、丁度隠されているように洞穴があった。
人間が立って歩ける程大きなそこに、レイヴは身を休めていた。
どうやら動物の巣穴だったようだが、もう長い間使われていないらしく、中はもう何がいたのかを知る痕跡すらない。
外した大剣を傍らに置き、茶色く乾いた土の壁によりかかっているレイヴは、酷く顔色が悪かった。
―――油断、したな‥‥。
レイヴの口元が、自嘲気味に歪む。
左腕に巻かれた布に、うっすらと血がにじんでいる。
この山に棲み着いたと言う魔物退治をラビエルに依頼され、麓の村にかなりの被害が出ていると聞いて受ける気になった。
ラビエルが依頼して来るだけあって、魔物の強さはかなりのものだった。レイヴの腕をもってしても、戦いは長引いた。
激しい戦いの末、魔物はとうとう力尽きた。しかし事切れる瞬間、魔物は全ての力を振り絞って反撃して来た。
強敵をやっと倒した、その安堵感が油断につながったのか、レイヴはとっさにかわし切れず、その鋭い牙で腕に傷を負った。
傷自体は大した事はなかった。しかし魔物の牙には相当強力な毒が含まれていたらしく、かすられただけでもそこから毒が入り込んでいた。
異常に気付き、常時携帯している毒消しを飲んだのだが、毒が消えるまでには時間がかかる。
戦いで疲労していた事もあり村に戻るまでの余力はとてもなく、何とか見付けたこの洞穴に身を寄せるのが精一杯だったのだ。
中和し切れない毒のためか、レイヴは激しい悪寒と発熱に襲われていた。
―――今、魔物にでも襲われたらひとたまりもないな。
ぼんやりとした頭で、そんな事を考える。
一晩経てば、多分ほとんど毒は消えるだろう。山を下りる程の体力も回復するはずだ。
こうして、傷付いて一人で朝を待つ事は初めてではなかった。
レイヴが騎士団長になる頃から、各地で魔物の跳梁が激しくなり始めた。
そのため、騎士団の通常業務の合間を見て、レイヴは良く一人で魔物退治に出掛けていた。
副隊長などは、騎士団長ともあろう者が一人で出掛けるのは無防備過ぎる、と怒るのだが、かと言ってレイヴにつける程腕の立つ騎士もいない。
結局、レイヴは暇を見て一人で出て行く事が多かったのだ。
自分は、騎士団と言う場所にいる人間としては異質な存在なのかも知れない、レイヴはそう思う事がある。
実際、戦いは自分一人の方が気楽だった。
他人は足手まといとまで言うつもりはない。勿論、部隊を率いる時は指揮官として手を抜いた事はない。
しかし、他人を指揮するよりも一人で戦いに出る方が自分の性に合っていると思うのだ。
腕の立つレイヴが不覚を取る事は滅多にない。傷を負ったとしても応急処置で事足りる程度で、一晩も休めば医者を煩わせる事もなく終わる。
そう、だからこんな風にたった一人で過ごす夜は珍しくなかった‥‥。
洞穴の外はすっかり真っ暗になっていた。狼か何かの遠吠えがどこか悲しく聞こえて来る。
小さなたき火の炎が淡い光を辺りに投げている。
背筋を這い上がって来る悪寒は消え、替わりに激しい発熱と目眩、そして軽い吐き気が襲って来る。
熱っぽい体を壁にもたせかけ、気怠さに身を任せてレイヴは目を閉じた。
独りでいるのが心細いと思った事はない。
しかしこんな風に夜を過ごす時はいつも、悪夢にも似た罪悪感に苛まれる。
戦いの中で倒して来た敵、そして失った味方の騎士達‥‥レイヴは多くの人間の死に関わって来た。
戦いを生業とする騎士である限り、そして国と国との争いがある限り、それは仕方のない事だった。
自分もいつかは、誰かの手にかかって命を落とすのだろう。
しかし‥‥。
「リーガル‥‥」
かつて、彼が見捨てた騎士。かけがえのない親友‥‥。
レイヴの脳裏には、最後に別れた時のリーガルの後ろ姿が焼き付いていた。
『必ず戻る、先に行け!』リーガルはそう言った、しかし彼は一週間経っても、一月経っても戻って来なかった。
あの時、自分はリーガルと別れるべきではなかった。自分だけでも引き返すべきだった‥‥その思いが、ずっとレイヴを苛んでいた。
リーガルが死んだあの戦いでレイヴは副隊長となり、そして今は騎士団長の地位にある。
今の地位は自分の力による物ではない。リーガルの犠牲がもたらした物なのだ。
自分に許された道は騎士団を支えて戦い続ける事だけ。生を楽しむ事も、心の平安を得る事も自分には許されない。
痛みを背負い、苦しみを心に刻んで生き続けなければならないのだ。
あの日からずっと、そう思って来た‥‥。
レイヴは、小さく肩を喘がせた。
魔物の毒はかなり強力だったらしい。おとなしくしていても目眩と吐き気は治まるどころか、益々酷くなって来るようだ。
しかも熱のせいなのかどうか、全身が頼りなく力を失い、宙に浮き上がって行くような奇妙な錯覚にとらわれる。
次第にレイヴは、自分が起きているのか、それとも半ば眠っているのか分からなくなって来る。
名誉を嫌い、楽しみを禁じ、人との交流を避ける‥‥レイヴのそんな生き方は天使ラビエルの出現によって揺らぎかけていた。
彼女は、こんな自分に『勇者』の資質があると言った。
魔物相手の危険な戦いの中に身を置く事はレイヴにとっても望む所だったため『勇者』を引き受けた。
その後は、魔物退治を依頼して来る時などに彼女と言葉を交わすようになった。
休みには何をしているのか、好きな食べ物は何か‥‥人間の事をあまり知らないらしいラビエルは、まるで小さい子供のような事を訊いて来る。
ラビエルはレイヴが思い描いていた神々しい『天使』のイメージとは全く掛け離れていた。
無邪気で純粋で、そして真っ正直な視線を向けて来る彼女は、背中の羽根がなければ人間の少女と言っても通じたろう。
しかしその純粋さは、レイヴには確かに『天使』の美しさとして眩しく映った。
そのせいだろうか、ラビエルを相手にすると、自分は奇妙な程緊張を解いてしまう。
気を許しているとでも言うのだろうか。
自分とリーガルの関わりや友人であるシーヴァスの昔の話や‥‥騎士団の者が聞いたらその饒舌さに驚くであろう程、レイヴはラビエルに色々な事を話していた。
しかも話し過ぎた事を、後悔していない自分が不思議だった。
そしてラビエルが去ると、自分の気持ちが安らいでいた事に気付かされる。
同時に感じるのが、罪悪感だった。
自分が一時でも痛みを忘れてしまう‥‥そんな安らぎを感じるのは、決して許されない事のように思えた。
だからこそ、自分の普段の態度はお世辞にも愛想がいい、とは言えないはずだった。
饒舌に本音を口にすると言っても普段のレイヴに比べればの話であって、他の人間と比べた場合には多分、自分の物言いはそっけないだろう。
しかしラビエルは全くそれを気にする事なく、いつも無邪気で飾り気のない笑顔を向けてくれていた。
そう言えば、この依頼をして来た時以来ラビエルに会っていない事を思い出す。
勇者を引き受けた直後は気を遣っていたのか、良く妖精やラビエル自身が戦いの援護について来た。
特に依頼して来た相手との戦いの時は必ずラビエルがついて援護をしてくれた。
が、天使としての努めがあるのか、ラビエルは最近ほとんど顔を見せなくなっていた。
話によると他にも勇者は何人かいると言う、彼等に関わっているのかも知れない。
『天使』のくせに人間相手に細かい程気を遣い、生真面目に律義に反応を返してくれる清楚な姿を思い出す。
―――会いたい‥‥。
朦朧とした意識の中でふと、浮かんだ気持ちに戸惑う。
そして猛烈な罪悪感に襲われる。
彼女の優しさに縋る事が自分に許されるのか?
天使の救いで安らぎを得る事が許されると思っているのか?
レイヴは、ほんの一瞬でも甘えようとする気持ちを持ってしまった自分自身が許せなかった。
何に頼る事も、縋る事も拒んで、ただ後悔の重荷を背負い続ける、それが自分の歩くべき道だ‥‥そう思った。
と‥‥その時。
薄暗い洞穴の中に、輝く光が舞い降りた気がした。
純白の光から生まれたかのような少女の姿が形を成す。
―――これは‥夢、なのか‥‥?
今の今まで考えていた少女の姿。
力の入らない全身が、これを夢だと思わせる。
「レイヴ!」
少女が、蒼白になって駆け寄って来る。
「ごめんなさい、あなたを独りで戦わせてしまって‥‥」
彼女の声が、遠い所から聞こえて来るような気がする。
これは夢なのだろうか。それとも、会いたいと思ったために高熱が見せた幻なのか?
レイヴはぼんやりと、そんな事を思った。
「あぁ何て事‥‥あの魔物に毒を受けたのですか?」
傷を癒そうとする手を、レイヴはむしろ邪険に振り払った。
「レイヴ‥‥?」
「‥‥構うな」
答えは声になっていたかどうか。
しかし少女の表情が強張った所を見ると、ちゃんと声になっていたらしい。
「俺には‥‥『天使』の救いなどいらない‥‥救って欲しくなどない‥‥っ!」
夢の中だと、そう思ったからか。或いは、高熱が彼から冷静さを奪っていたからか。
レイヴは、おそらく初めて、激情のままに言葉を紡いでいた。
「俺は、罪人だ‥‥そんな俺を、何故勇者にした?何故暖かい手を差し伸べる?‥‥放って置かれた方がいい‥‥俺は救われてはならないんだ‥‥!」
華奢な少女が、酷く辛そうな顔になる。
救われたい、しかしそんな甘えは許されない‥‥レイヴがずっと抱えていた心の中の二律背反。
彼女にそんな気持ちをぶつけるのは間違っている、しかし一旦口にしてしまうともう止まらなかった。
「救われる‥‥天使に触れられる資格など俺にはない。‥‥天使の好意を受けていいような人間じゃないんだ。‥‥どうせなら見捨てられた方がいい‥‥その方が‥‥ずっと、楽だ‥‥‥!」
まくしたてていたレイヴの上体がグラリと傾ぐ。猛毒による高熱に痛め付けられた体はもう限界だった。
夢か、現か‥‥純白の少女の哀しげな顔を最後に、レイヴの意識は途切れた。
小鳥の鳴き声がする。
真っ先にレイヴの意識に昇ったのはそれだった。
ゆっくりと目を開くと、そこには燃え尽きた焚き火の跡があった。
自分はいつの間に眠ってしまったのだろう。
思い出すのは暖かい腕と優しい声音。
不思議な程、心は満ち足りていた。
身を起こすと、昨夜の気怠さが嘘のように体は楽になっていた。
洞穴を見回すと、そこには何の気配も残っていなかった。
―――昨夜の事は‥‥やはり、夢だったのか?
魔物の毒によって高熱を出し、この洞穴で休んでいた。そこにラビエルが現れ、自分は不覚にも余計な事を口にしてしまった。
断片的に思い出されるあの記憶は、高熱が見せた夢だったのだろうか。
そう思った時。
「レイヴ、目が覚めたのですね?」
涼やかな声に、レイヴは硬直した。
洞穴の外から入って来た人影は、朝の光を背負って神々しいばかりに輝いて見えた。
「ラビエル‥‥」
レイヴは、かろうじて呟く。
「あなたを独りで戦わせてしまって、すみませんでした。本当にごめんなさい」
ラビエルは済まなそうに表情を曇らせる。
その表情を見ると、昨夜の事は夢だったかのようにも思える。
「ラビエル」
「はい?」
無邪気に首を傾げるラビエルの表情をわずかにも見逃すまいとしながら、レイヴは言葉を継ぐ。
「俺は昨夜‥‥君に何か言わなかったか?」
レイヴの言葉に、ラビエルは考え込む素振りを見せた。
「別に、何も‥‥私が来た時には、あなたは眠っていたので‥‥」
精一杯、何事もなかったように振る舞うラビエルに苦笑する。
―――まったく、嘘のつけん奴だ。
嘘の巧い天使、と言うのも問題な気はするが。
やはり昨夜の会話は現実にあった事だったのだ。
しかし、こうしてラビエルが気遣ってくれる以上、その好意を無にする事もないだろう。
「そうか‥‥手数をかけたようだな」
ゆっくりと立ち上がる、その体はラビエルが『癒し』をかけてくれたのか、驚く程楽になっていた。
「ごめんなさい‥‥あなたがもうあの魔物との戦いに入るとは思っていなかったものですから‥‥」
自分の不手際と思っているのだろう、しょんぼりと俯くラビエルに、レイヴは首を振った。
「俺の事なら気にしなくていい、騎士団の方に大した仕事がなかったから、すぐに動けただけだ。‥‥それに、己の未熟さを思い知るにはいい機会だった」
敵との戦いで油断を見せてしまった事、そして高熱に冒されていたとは言え、冷静さをあっさり失ってしまった事‥‥自分の修行がまだまだ足りない事を痛感する。
「俺なら、もう大丈夫だ。心配をかけたな、済まなかった」
剣を吊るし、もう山を下りる用意をしているレイヴに、ラビエルは口籠もる。
「あの‥‥」
何か言いたいが言い出せない、と明らかにわかる様子に、レイヴは眉を寄せた。
「どうした?」
真直に見据えられ、ラビエルはもじもじしながら言葉を継いだ。
「埋め合わせ、と言うのも変ですが‥‥また少しの間、一緒にいてもいいですか?」
あなたが嫌でなければ、ですが‥‥と、口の中でつぶやくラビエルに、レイヴは苦笑した。
やはり、昨夜のレイヴの言葉を気にしているのだろう。
彼女の暖かさに救われる事は許されない、その気持ちは変わっていない。
しかし、だからと言ってこの優しい天使を拒絶し、傷つける権利など誰にもないのだ。
「君が良ければ、俺は構わん。『天使』と旅をするなど、貴重な経験だからな。信心深い神父あたりが聞いたら卒倒するかも知れんが」
レイヴから出るにしては珍し過ぎる台詞に、ラビエルがあっけにとられる。
「行くぞ」
いつものそっけない様子に戻って、レイヴは洞穴を出る。
「‥‥はい!」
嬉しそうな顔になると、ラビエルはいそいそとレイヴの後を追った。
END
わはは、『かっこいい』レイヴを目指して、とか言っといてこれです。何か女々しくなってしまった。単に熱でよれよれになってるレイヴが書きたかっただけなんですが。でもレイヴが助けられた時とほとんど同じ会話交わしてますねぇ。バリエーションのなさを反省。