真田氏の館 三代録 名門真田家三代(真田幸隆 真田昌幸 真田幸村)の記録
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真田幸村年表

この年表では真田幸村(真田一族)に関する事柄、その周辺(武田家、上杉家など)の事柄、中央(京都、天皇、将軍、織田家など)の事柄を扱っています。
真田信繁は「幸村」の表記で統一。真田幸綱は「幸隆」の表記で統一。真田信幸は改名後「信之」。


永禄10(1567)〜天正13年(1585) 天正14年(1586)〜元和1年(1615)

天正14年 (1586)幸村20歳
      5月25日
    • 北条氏直、沼田城を攻撃するが敗退する。

      7月17日
    • 徳川家康、昌幸を討つために駿府まで出馬する。
      7月19日
    • 徳川家康、甲府まで出陣。

      8月3日
    • 昌幸、秀吉の奉行・増田長盛、石田三成より「表裏比興の者」と称される。
      8月7日
    • 徳川家康、秀吉の調停により真田攻めを延期する。

      9月25日
    • 豊臣秀吉、真田征伐の中止を上杉景勝に伝える。

      11月4日
    • 昌幸、秀吉の命により、家康の与力大名となる。
天正15年 (1587)幸村21歳
      3月18日
    • 昌幸、駿府で家康に謁見し、ついで上洛し秀吉に謁見する。
      3月
    • 豊臣秀吉、島津征伐のために九州に出陣する。
天正16年 (1588)幸村22歳
      4月26日
    • 昌幸、吾妻郡八幡山城の使番衆を定める。

      5月5日
    • 昌幸、矢沢頼綱を沼田から呼び戻し、替地として信濃小県郡内で知行を与える。
天正17年 (1589)幸村23歳
      2月13日
    • 真田信幸、家康に出仕する。ついで、本多忠勝の娘・小松姫を妻に迎える。

    • 秀吉、沼田領の裁定を行う。

      7月14日
    • 昌幸、秀吉の裁定に基づき、沼田領利根川以東を北条氏に明け渡し、代替地として信濃伊那郡箕輪領を与えられる。

      11月3日
    • 北条氏邦の家臣・猪股邦憲、名胡桃城(真田領)を攻める。この時、真田家臣・鈴木主水、自殺。
      11月24日
    • 秀吉、名胡桃城攻めを口実に、諸大名に対して北条征伐の宣戦布告状を送る。
天正18年 (1590)幸村24歳
      3月
    • 昌幸、信幸、幸村、前田利家、上杉景勝とともに小田原城攻めに参戦。

      4月19日
    • 昌幸、松井田城を攻略する。松井田城攻略が幸村の初陣となる。

      7月上旬
    • 昌幸、武蔵忍城を攻略する。
      7月5日
    • 北条氏降伏。小田原城開城。
      7月下旬
    • 昌幸、秀吉より沼田領を安堵され、信幸に支配を委ねる。

    • 昌幸、信幸、幸村、秀吉の奥州出陣に参加。
天正19年 (1591)幸村25歳
      9月
    • 秀吉、諸大名に朝鮮出兵を命じる。
文禄1年 (1592)幸村26歳
      2月上旬
    • 昌幸、信幸、幸村、朝鮮の役に参陣する。肥前名護屋に赴く。
文禄2年 (1593)幸村27歳
      6月
    • 秀吉、和議7ヶ条を明使に示す。

      8月
    • 昌幸、名護屋より大坂に帰り、ついで上田に帰る。

      12月
    • 信幸、伏見城普請を命じられる。
文禄3年 (1594)幸村28歳
      3月
    • 昌幸、伏見城の普請役に従事する。昌幸、信幸、幸村の三人分で役儀を1680人と定める。

      11月
    • 信幸が伊豆守、幸村が左衛門佐に任ぜられる。

      12月
    • 昌幸、信綱寺の所役を免除する。
慶長2年 (1597)幸村31歳
      1月
    • 秀吉、朝鮮再征のため出兵。
慶長3年 (1598)幸村32歳
      8月18日
    • 豊臣秀吉病死。

      11月
    • 朝鮮からの撤兵完了。
慶長4年 (1599)幸村33歳
      閏3月13日
    • 家康が伏見城に移る。

      9月
    • 家康、大坂に移る。
慶長5年 (1600)幸村34歳
      3月13日
    • 家康が大坂城に移り、昌幸も大阪に屋敷を求めようとしていることを信幸に伝える。

      7月
    • 昌幸、信幸、幸村、家康とともに会津の上杉景勝を討つため関東に向かう。
      7月17日
    • 豊臣家五奉行から、家康を討つべき旨の連署状が出される。
      7月21日
    • 昌幸らの下野犬伏の陣に石田三成の密使が到着する。昌幸、信幸、幸村の三人で真田家の去就を話し合う。昌幸、幸村は西軍につくことを決め、徳川の陣を離れ、上田に向かう。信幸は徳川方に残り、その旨を家康に報告する。
      7月24日
    • 信幸、家康からその忠節を賞せらる。
      7月27日
    • 信幸、家康から小県郡の昌幸領についての安堵の約束を得る。

      9月6日
    • 秀忠軍、昌幸、幸村の篭る上田城を攻めて敗れる。
      9月15日
    • 関ヶ原の合戦で西軍が敗れる。

      12月12日
    • 昌幸、幸村、高野山麓の九度山に配流される。信幸、沼田領に加え、小県郡の昌幸の旧領を安堵される。
慶長6年 (1601)幸村35歳
      閏11月
    • 信幸夫人・小松殿、昌幸に鮭などを送る。
慶長8年 (1603)幸村37歳
      2月
    • 徳川家康、征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開く。

      3月
    • 昌幸、信綱寺へ手紙を送り、本多正信の取り成しで赦免されるかもしれないと伝える。
慶長15年 (1610)幸村44歳
      11月
    • 高野山蓮華定院住持が本多忠勝の死を弔うため、信之室のもとへ下向する。

    • 昌幸、書を小山田茂誠に送る。
慶長16年 (1611)幸村45歳
      3月
    • 徳川家康、二条城で豊臣秀頼と会見する。

      6月4日
    • 昌幸、配流先の九度山で病死する。本領の真田長谷寺に葬られる。
慶長17年 (1612)幸村46歳
    • 九度山の昌幸の侍臣ら、昌幸の一周忌をすませ、本領の上田に帰る。
    • 幸村、入道して好白と号する。
慶長19年 (1614)幸村48歳
      10月1日
    • 家康、大坂追討を命令する。信之、病気のため、嫡子・信吉、次男・信政らを参陣させる。

      10月9日
    • 幸村、嫡子の大助らとともに大坂城に入城する。

    • 幸村、大坂城玉造口に真田丸を設けて守る。

      12月4日
    • 東軍、真田丸を攻めるが、敗退する。ついで、本多正純、幸村を招降する。幸村、応じず。
      12月20日
    • 東軍と大坂方の間に和議が成立する。
元和1年 (1615)幸村49歳
      1月24日
    • 幸村、大坂城中より上田にいる姉・村松殿に手紙を送る。

      2月10日
    • 幸村、石合十蔵に手紙を送り、決死の覚悟を述べる。

      3月10日
    • 幸村、姉婿・小山田壱岐に手紙を送り、秀頼の厚遇と城中気遣いのみ多いことなどを述べる。

      4月6日
    • 徳川家康、大坂再征を命令する。

      5月6日
    • 道明寺の戦いで、後藤又兵衛、薄田隼人ら討死。幸村、伊達隊と交戦する。
      5月7日
    • 幸村、大助を大坂城中に送り、人質とし、秀頼の出馬を乞う。幸村、家康の本陣へ突撃する。一時は家康を窮地へ追い込むが、討死する。
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