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真田幸村年表
この年表では真田幸村(真田一族)に関する事柄、その周辺(武田家、上杉家など)の事柄、中央(京都、天皇、将軍、織田家など)の事柄を扱っています。 真田信繁は「幸村」の表記で統一。真田幸綱は「幸隆」の表記で統一。真田信幸は改名後「信之」。
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永禄10(1567)〜天正13年(1585)
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天正14年(1586)〜元和1年(1615)
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- 信繁(以後幸村と表記)、武藤喜兵衛昌幸(真田幸隆の三男)の次男として生まれる。幼名弁丸。のち名源次郎。母は山手殿。母の出自には諸説ある。主な説は次の4つである。@正親町氏で信玄の養女。A正親町実彦の姪で、菊亭氏の養女。B宇田下野守頼忠の女。C菊亭晴季の女。
8月
- 甲信諸士が武田信玄に起請文を提出する。
- 織田信長、斉藤龍興の稲葉山城(岐阜城)を攻略し、そこに移る。
11月
- 昌幸、伊那高遠城に武田勝頼の嫡子誕生祝いの使者として赴く。
2月
- 信玄が駿河蒲原城を陥れ、陣中から幸隆、信綱に戦況を報じる。
10月
- 昌幸、相模三増峠の戦いで使番を勤め、一番槍の功をたてる。
4月
- 武田信玄、香坂虎綱(高坂弾正)に、後事を真田信綱に任せて伊豆の武田軍に参陣を命じる。
3月
- 幸隆、計略で上野白井城を攻略する。信玄がそれを賞し、箕輪城に在城して高坂弾正の指示を受けるよう命じる。
12月22日
- 真田衆、三方ヶ原の戦いに参陣。武田信玄が徳川家康の居城・浜松城の近くで徳川軍および織田信長の援軍を破る。
3月
- 白井城が上杉軍に奪われる。幸隆、上野で上杉方と戦う。
4月12日
- 武田信玄、三河からの帰陣の途中、伊那駒場で病没する。信玄の四男・勝頼が家督を継ぐ。
5月19日
- 幸隆が没し、幸隆の嫡子・信綱が家督を継ぐ。
5月21日
- 武田勝頼が織田信長・徳川家康の連合軍と三河長篠で戦い、敗北する。信綱、昌輝が戦死し、昌幸が家督を継ぐ。
10月31日
- 昌幸、河原隆正に真田町屋敷年貢を宛がう。
3月
- 昌幸、上野榛名山に禁制を掲げる。また、高野山蓮華定院に宿坊に関する書状を発する。
- 昌幸、北条氏政の上野攻略を武田勝頼に報告する。勝頼が昌幸に北上野の防備を厳重にさせる。
8月
- 武田勝頼が昌幸の手紙に答えて織田信長の行動が活発なことを告げる。
3月19日
- 上杉謙信が病死。景勝・景虎両養子の間に争いがおこる。武田勝頼は景勝を応援する。
6月
- 甲越同盟が成立し、勝頼、昌幸に沼田城攻略と東上野の調略を命じる。
2月
- 武田勝頼が昌幸に上野石橋郷の内一軒分の諸役を免じる。
3月17日
- 昌幸、上野吾妻郡の地侍・海野幸光らに中山・尻高両城を奪取したと報じる。
9月
- 昌幸、矢沢頼綱(真田幸隆の弟)に沼田城を攻めさせる。矢沢頼綱ら小川・名胡桃城を攻略する。
2月
- 昌幸、僧某に上野倉内を手に入れたら所領を与えると約束する。
3月
- 昌幸、前例どおり高野山蓮華定院を真田郷民の宿坊と定める。
- この頃から安房守を称するようになる。
- 昌幸、再び矢沢頼綱に沼田城攻略を命じる。
4月
- 矢沢頼綱が沼田城を攻め、それを甲府出張中の昌幸に報告する。
- 武田勝頼、昌幸をすぐに帰城させることを知らせる。この後、昌幸は引き続き沼田城の攻略に従う。
5月23日
- 武田勝頼、沼田城代・海野幸光らに城内法度を与える。
8月
- 武田勝頼、東上野に出陣。昌幸、その先陣を務める。
9月
- 武田勝頼、金井外記に上野名胡桃50貫を宛がう。
6月7日
- 武田勝頼、14ヶ条のの軍役定書が示される。
3月11日
- 武田勝頼、甲斐国田野で一族とともに自殺し、武田家は滅亡する。
3月12日
- 鉢形城主・北条氏邦、昌幸に手紙を送り、北条氏直への臣属をすすめる。
4月8日
- 昌幸、信長に馬を贈り、本領を安堵され、滝川一益の旗下になる。
6月2日
- 京都本能寺で織田信長が明智光秀に襲われ死亡する。
7月12日
- 北条氏直、小県郡海野平に進攻。昌幸、北条氏に臣従する。
9月28日
- 昌幸、信尹(昌幸の弟)の斡旋により徳川家康に属する。
1月
- 昌幸、小県郡丸子城を落とす。出浦・長井氏らが帰属する。
3月
- 徳川家康、羽柴秀吉と尾張小牧・長久手で戦う。
5月
- 高井郡の須田信正、昌幸に誘われて上杉景勝に反す。
6月21日
- 昌幸、沼田城代・矢沢頼綱の子・頼幸に上田領内の足軽衆を付属させる。
7月15日
- 昌幸、越後上杉氏と同盟し、幸村(信繁)を人質に出す。同日、上杉景勝より九ヶ条の起請文を受ける。
8月
- 徳川家康、昌幸を攻めるために軍勢を小県郡に出す。
8月2日
- 昌幸・信幸父子、徳川軍を上田城外国分寺付近で迎え撃ち、敗走させる。徳川軍はついで支城である丸子城を攻めるが失敗する。
9月29日
- 北条勢が沼田城を攻めるが、失敗に終わる。
11月13日
- 徳川家の重臣・石川数正が秀吉のもとに走る。
- この頃、昌幸、秀吉に臣従する。幸村、秀吉に出仕する。
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天正14年(1586)〜元和1年(1615)→
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