真田氏の館 三代録 名門真田家三代(真田幸隆 真田昌幸 真田幸村)の記録
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■幸村の生涯目次■

幼少時代

人質時代

初陣

秀吉の死

家康東下

犬伏の別れ

昌幸・幸村上田へ

関ヶ原の合戦

九度山時代

九度山脱出

大坂冬の陣

大坂夏の陣


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昌幸・幸村上田へ
  • 犬伏から上田へ
    犬伏の別れから第二次上田合戦までの流れ
    第二次上田合戦進軍図

    昌幸・幸村は急いで、犬伏を離れ上田に向かった。そして、信幸は小山の徳川秀忠の本陣へ駆けつけ、父・昌幸の離反と自分に異心のないことを告げたのである。家康は7月24日に小山に着き、即日で信幸に、昌幸のように離反しなかったことを賞する書状を与え、昌幸の領地を信幸に安堵している。
    犬伏で昌幸・幸村、信幸が東西に分れてから第二次上田合戦までの、真田、徳川両軍の動きは右(上)の図の通りである。
    昌幸、7月21日に石田三成の挙兵を知る(犬伏)。昌幸・幸村、7月23日に沼田城に着く。小松殿、昌幸らの入城を拒否。昌幸・幸村、7月23日に上田城に着く。徳川秀忠(真田信幸も従軍)、8月24日に榊原康正を先鋒に中仙道を関ヶ原に向けて出発(宇都宮城)。徳川秀忠、9月2日に小諸城に着く。徳川秀忠、9月5日から9月8日まで上田城を攻める。徳川秀忠、9月9日上田城攻略を諦め、関ヶ原に向かう。

    真田一族の逸話 小松殿、昌幸・幸村の入城を拒否
    真田昌幸は上田に引き返す途中、沼田により孫の顔を見てから上田に帰ろうと思い、夜になって信幸の居城・沼田城に使者を出し、入城を申し入れた。しかし、応対した小松殿(信幸の正室)は、
    「今、家康公を見捨てて、なぜ帰陣されるのですか。」
    と使者に尋ねた。
    「理由はわかりませんが、上田に帰ることになりました。」
    と使者が答えると、
    「伊豆守殿(信幸)も一緒ですか。」
    と尋ねた。使者が
    「伊豆守殿は家康公に従軍しました。」
    と答えると、安堵の表情を浮かべ、
    「女といえどこの城を預かり、留守を守っている以上、舅といえども、理由なく城に入れることは出来ません。どうか市中に宿を借りて休息してください。」
    と言った。使者がこのことを昌幸に伝えると、
    「さすがは本多の娘だ。」
    と感嘆し、
    「昌幸は城を取ろうとしているのではない。孫に会いたいと思っただけである。心を労することの無いように。」
    と使者に伝えさせた。これに対しても耳を貸さず、城下の敵に備えて戦闘の準備を指示したという。これではかなり冷たい女性のように感じるが、実は沼田城下の正覚寺に孫を連れて昌幸に会いに行っている。また、昌幸・幸村が九度山に流されてからは仕送りをして生活を助けている。本当は心のやさしい女性なのである。
    このとき、幸村は怒り、城下に放火をしようとしたが、昌幸に制されている。柔和な幸村らしくない話であるが、このときは興奮していたのであろう。

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