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真田幸隆年表
この年表では真田幸村(真田一族)に関する事柄、その周辺(武田家、上杉家など)の事柄、中央(京都、天皇、将軍、織田家など)の事柄を扱っています。 真田信繁は「幸村」の表記で統一。真田幸綱は「幸隆」の表記で統一。真田信幸は改名後「信之」。
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| 永正10(1513)〜弘治2(1556)
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弘治3(1557)〜天正2(1574)
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- 幸綱(以後幸隆と表記)生まれる。
海野棟綱の子と言われているが、出自には諸説ある。主な説はこちら。
5月
- 武田信虎、村上義清・諏訪頼重を誘い、小県郡の海野棟綱らを攻める。幸隆ら、上野へ逃げ、箕輪城主長野業正の元に身を寄せる。禰津、望月、矢沢らは降伏。
6月
- 武田信虎、子の晴信に追われる。晴信、武田家の家督を継ぐ。
7月
- 関東管領・上杉憲政ら、海野棟綱の乞いにより村上義清を攻めるため佐久・小県に出兵。
7月
- 武田晴信、諏訪頼重を攻める。頼重、自害し諏訪氏は滅びる。
8月
- 晴信、佐久郡志賀城を落とす。
幸隆、武田方として参戦。
2月14日
- 晴信、上田原の戦いで村上義清に敗れる。
幸隆、武田方として参戦。
12月
- 長尾景虎(後の上杉謙信)、兄を隠居させ家督を継ぐ。
3月
- 晴信、佐久郡・望月源三郎に所領を与える。その際、幸隆がそれを取り継ぐ。
4月
- 春日城が落ち、望月・伴野の諸氏が武田家に降りる。
7月2日
- 晴信、幸隆に本意の上は小県郡諏訪形等千貫文の地を与えると約す。
9月
- 晴信、幸隆らと共に村上義清の戸石城を攻める。
10月1日
- 晴信、戸石城から退却する。(戸石崩れ)
7月
- 晴信、信濃に出陣することを飯富虎昌らに告げ、その旨を幸隆へ連絡させる。
1月
- 関東管領・上杉憲政、北条氏康に上野平井城を追われ、長尾景虎を頼る。
1月
- 小笠原長時、武田氏に信濃を追われ、長尾景虎を頼る。
4月9日
- 武田氏の攻撃により、村上義清の本城・葛尾城自落。
義清、越後に敗走し、長尾景虎に救援を求める。
4月22日
- 越後勢、村上氏救援のため、信濃に出陣。(川中島の合戦のはじまり)
- 武田軍後退し、義清は旧領を回復し、小県郡塩田城に拠る。
8月10日
- 真田昌幸、人質として甲府に在府。その引き換えに、晴信、幸隆に秋和(上田の近く)三百五十貫の地を与える。
9月
- 謙信、再び川中島に出兵。各地で武田軍と戦う。
10月5日
- 北条氏康、幸隆に吾妻郡在城を要請する。
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弘治3(1557)〜天正2(1574)>>
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