真田氏の館 三代録 名門真田家三代(真田幸隆 真田昌幸 真田幸村)の記録
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昌幸の逸話




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真田昌幸の逸話


  • 真田昌幸、敵兵を城内に通す

    慶長5年、関ヶ原の合戦の時、徳川秀忠は東山道を通って西上しようとしたが、途中、西軍についた真田昌幸の篭る上田城に前進を阻まれていた。その時の事である。
    秀忠は冠が岳にいる先陣の石川玄蕃、日根野徳太郎に連絡する事があり、島田兵四郎という者を使いに出した。しかし、使いに出た兵四郎は地理不案内のうえ、敵側の上田城を避けて通っていったのでは時間がかかりすぎると思った。そこで、兵四郎は真っ直ぐに敵城に向かって馬を走らせ、上田城の大手門前に乗り付けると、城の番兵に向かって大声で叫んだ。

    「私は江戸中納言の家来の島田兵四郎という者です。君命を帯びて、我が先陣の冠が岳まで連絡にいくところです。急ぎますので、どうか城内をお通し下さい。」

    番兵達はびっくりしたが、城主の真田昌幸に事の次第を報告した。昌幸も驚き、

    「なんと肝っ玉の太い武士だろう。その、勇猛さには感服する。もし、道を貸さなければ、こちらの料簡の狭さとなろう。門を開いてかしてやれ。」

    昌幸のこの一言で大手門は開けられ、兵四郎は城内を馬で駆け抜け、裏門まで来た。ここで、兵四郎は、また叫んだ。

    「どうか、帰りにも、お通し下され。」

    その言葉通り、先陣への連絡を終えた兵四郎は再び裏門に馬を乗り付け、また門番に頼んだ。昌幸はますます感服し、

    「その武士と会ってみたい。」

    と言い出して兵四郎を引見し、

    「そなたは城内を通過したので、我が城内の要害を目に収めたことであろう。それは城攻めに役立つように見えるが、要害という物は城の本当の固めではない。真の要害は、城の大将の心の中にあるのだ。」

    と言って、昌幸は兵四郎を案内して城内を詳しく見せた。城内を一覧した兵四郎は礼を述べ、大手門を出て味方の陣に戻り、秀忠に復命した。道を借りる武士も武士なら、貸した大将も大将である。

  • 真田昌幸、下駄で家臣の歯を折る

    秀吉の死後、五大老の筆頭として徳川家康が力を伸ばしていた。そんな時に会津120万石の大名で五大老の一人である上杉景勝に謀反の疑いありとして家康は兵を挙げた。真田昌幸、信幸、幸村は家康の三男秀忠に従って関東へ従軍していた。下野国犬伏に到着した時、石田三成から昌幸に密書が届いた。内容は家康に対して兵を挙げるということである。この時、昌幸は家康と三成のどちらにつくか親子三人で話し合っている。 その時のエピソードである。
    昌幸父子は宿営していた民家の近くの離れで人払いをして何か相談していたが、なかなか出てこない。そこで部将の河原綱家が心配して様子を見に行くと、昌幸は

    「誰も来るなと命じておいたのに、何しに来たのだ。」

    と怒鳴って、履いていた下駄を投げつけた。それが顔にあたって綱家は前歯が欠けてしまい、その後一生歯抜けのままだったという。智将昌幸としてはいささかはしたない行為だが、戦場でイライラしてくると、誰でも粗暴の振る舞いをしがちになるのであろう。それにしても、下駄を履いていたというのは面白い。


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