真田氏の館 三代録 名門真田家三代(真田幸隆 真田昌幸 真田幸村)の記録
真田関連書籍なら
戦国歴史Book Store

■幸村の生涯目次■

幼少時代

人質時代

初陣

秀吉の死

家康東下

犬伏の別れ

昌幸・幸村上田へ

関ヶ原の合戦

九度山時代

九度山脱出

大坂冬の陣

大坂夏の陣


サイトマップ

ホーム > 真田三代の部屋 > 真田幸村 > 真田幸村の生涯 >
九度山時代(高野山配流)
  • 高野山配流
    信幸の命乞いにより罪一等減
    九度山真田庵 真田昌幸・幸村父子は中山道を関ヶ原に向かう徳川秀忠(家康の三男・二代将軍)軍・3万8千を上田城に引き止めることに成功する。巧みな昌幸の戦略に若い秀忠はことごとくはめられる。結局、老臣の意見を聞いて関ヶ原に急ぐが、すでに合戦には決着がついていたのであった。父・家康の怒りは計り知れないものがあった。真田昌幸・幸村親子の関ヶ原の合戦への貢献は大きかった。しかし、それは西軍にとってである。つまり、東軍にとってはとてつもない痛手であった。

    自分の面子を潰された秀忠は真田父子を生かしておくことなど耐えられない事であった。家康にしても真田昌幸には一度ならず、二度までも痛い目にあわされている。真田父子はどう考えても死罪を免れない状況であった。

    真田信幸は自分の恩賞と引き換えに父と弟の命を助けてもらえるように懇願した。家康は真田親子には何度も苦杯を飲まされているのでなかなか首を縦に振らない。しかし、自分の命と引き換えにと懇願する信幸を見て、さすがの家康も命だけは助けることにする。おそらく、信幸の正室・小松姫の父・本多忠勝(徳川四天王の一人)の口添えもあったものと思われる。

    信幸の命乞いにより罪一等を減じられた真田父子は高野山に配流と決まった。真田父子に同行した家来は相当数であったものと思われる。(昌幸には16人の家来が随行、幸村は妻子も同行)

    九度山での生活
    真田父子の九度山での生活は、自身に収入がないために他からの援助に頼るほかはなかった。紀伊藩からの年50石の合力、国元(上田)からの仕送りで何とか生活をしていたが、金は不足しがちで、かなり苦しい生活であったようである。

    昌幸が臨時の合力として国元へ40両を要請している。その半額20両を昌親(昌幸の三男)が届けている。昌幸は書状の中で「こちらは借金が多く困っている。残りの20両を一日も早く届けて欲しい。出来ないなら5枚でも10枚でもよいから」と送金の催促をしている。

    幸村礼状また、幸村の書状からも蟄居中の淋しい暮らしぶりが偲ばれる。
    右は幸村のお歳暮に鮭を送ってもらったことに対する礼状である。内容は以下の通りである。

    九度山での生活は相変わらずだが、当冬は万不自由でひとしおうそざぶくこんな状態なので今後ともよろしく一度会って色々と話したい。
    極月晦日 信繁花押

    生活は苦しかったが、比較的自由で、監視はされていただろうが、外出などは自由だったらしい。
    伝説では、昌幸らが真田紐を編んで生活の足しにしていたといわれている。真田紐を行商しながら諸国の情勢を探らせていたとも言われているが、これは信憑性がうすい。
    昌幸は来るべき日に備え、武技を練り、再起に備えたといわれるが、これも信憑性がうすい。昌幸はひたすら赦免される日を待ち望んでいたようである。上田合戦の頃からは想像がつかないくらい、しおれてしまっていたようである。

    昌幸の死
    九度山蟄居の図 家康に赦免してもらう日を強く期待していた昌幸であったが、寄る年波と病気から、その望みも消え、慶長16年(1611)についに九度山真田庵(右上部の写真)で没した。「公儀御はばかりの仁」として正式の葬儀は行われなかった。昌幸の一周忌がすむと、上田から昌幸に随行した家臣の大部分は帰国し、信之に帰参してしまう。
    多くの家臣がいなくなった九度山真田屋敷はますます淋しくなる。残った家臣は高梨内記ら2、3人であったと言われている。

    ところで、幸村の妻も九度山に同行しており、ここで長男大助、次男大八、女子3人が生まれた。

    昌幸没後の幸村の生活は史料が乏しく不明の点が多い。
    「真武内伝追加」に「幸村は常に野人老僧に交わり、或いは寺院に入って囲碁双六に日を暮らし、宿所にては夜深更に及ぶまで兵書等に目をさらし・・・暫くも武備を忘れず」とあり、日ごろから来るべき日に備え、武技を練っていたことが分かる。これが大坂の陣での活躍につながったのであろう。右上は九度山蟄居の図である。

←関ヶ原の合戦(第二次上田合戦)     九度山脱出(大坂入城)→


注)幸村書状、九度山蟄居の図(真田歴史学会横沢蘭嶽氏蔵)は許可を得て掲載しております。
転載はご遠慮ください。
真田幸隆 - 真田昌幸 - 真田幸村 - 真田一族 - 史跡めぐり - 用語辞典 - その他 - サイトマップ
(C) Copyright 1999-2009 真田氏の館