真田氏の館 三代録 名門真田家三代(真田幸隆 真田昌幸 真田幸村)の記録
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■真田十勇士目次■

猿飛佐助

霧隠才蔵

海野六郎

穴山小助

由利鎌之助

根津甚八

望月六郎

筧十蔵

三好晴海入道

三好伊三入道



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真田十勇士


真田十勇士、彼らは人々の幸村への思いが作り上げた勇士達である

「真田十勇士」という呼び方は、立川文庫がはじめて使ったものらしい。立川文庫は大坂の立川文明堂から、大正初年、約十年間にわたって出版された文庫型の安価な小冊子で、青少年に愛読されたが、その四十編「猿飛佐助」が、ことに大ヒットであったという。そのほか、「霧隠才蔵」「真田十勇士」などもあった。真田十勇士は長い間にだんだんに創出されたものである。

真田十勇士の戸籍調べなどは、もともと架空の人物が大部分だから不可能に近いけれど、海野・根津(禰津)・望月はいわゆる滋野三家といわれた名族の姓である。真田の家臣といえばまっさきに思い出される苗字だから、十勇士の中にこれらの名を入れるのは当然であろう。いわば譜代の家臣である。穴山小助は武田の一族穴山氏ゆかりの者だという。小助は、幸村の影武者として、『真田三代記』などより一時代早いころから史料に出てくるもので、その誕生からいえば十勇士の古参というわけであろう。

由利鎌之助・三好兄弟はおそらく『真田三代記』が初出であろう。これによると、由利鎌之助は野田城主菅沼氏の家臣であったが、幸村が野田城を攻めた時、勇を誇って城外へ討って出、穴山小助に計られて落とし穴に落ち、その後幸村の家臣になったという。三好新左衛門入道晴海・三好新兵衛入道伊三は出羽亀田の領主とあるのみで、なぜ幸村の家来になったのか『真田三代記』では説明がないが、立川文庫以下では阿波三好の一族の破戒僧と説明されている。

さて、十勇士のうち人気では断然他の八人を圧倒している猿飛・霧隠の両人は、『真田三代記』では存在がはっきりしていない。大坂冬の陣の時、家康が淀城から奈良へ移るということを、幸村は「忍びの者霧隠鹿右衛門」という者を使って探り出すが、この男はおそらく霧隠才蔵の原型であろう。猿飛佐助は立川文庫の創作ではない。文政八年書写の大坂夏陣図には、茶臼山の前、天王寺の東に、真田大助・根津甚八・由利鎌之助らと並んで、猿飛佐助という名がみえてる。ただし、『真田三代記』にはその名が出ていないから、おそらく文化年間前後に、講演師の扇からたたき出された人物であろう。

筧十蔵というのは、おそらく十人の員数をそろえるためにひっぱって来たので、あまり重要な働きをしていない。

十勇士の個人プロフィールは本によってかなり違いがある。

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