JR補完計画完結編 〜まごころを、君に(true)〜

この原稿はもともと私の所属しているサークルの会誌に掲載されたものですが、掲載時は1部カットしてあり、本文中で「そのうちノーカットバージョンを書きます」と宣言してしまったためいつか書かなければならないのですが、ちょうどいいだろうということでWeb上で発表します。書き直しにあたって本文の一部変更や、元バージョン未収録の四国合宿編などもありますので、元バージョンを読んだ方でも新たな気分で読めるかと思います。(←なんだかラジオドラマのドラマCD化みたいなキャッチコピーだな)

列車番号、時刻、車両は旅行当時のものです。


<ぷろろーぐ>

 さてさて、私が生まれて初めて乗った旧国鉄線は何だったのだろうか。今となっては記憶違いかもしれないが、おそらく1歳半の時に上京したので東海道新幹線名古屋〜東京間であると思う。それから約20年、高校生のときに決めた「JR線全部乗る」という目標をようやく達成しようとしている。2万キロは正直言って長かった。しかし全部乗ることが出来たのは、学生生活の1つの区切りをつけたかったことがある。JR完乗なんて行為はハタから見ればバカそのものであると思う。まあ学生時代バカの1つもやってみようとすればできるものだ。

 ところで、97年11月4日時点(元の原稿が発表された日より1年前)での私の未乗線区は以下の通りであった。

 JR東日本
上越新幹線 浦佐〜新潟
長野(行)新幹線 高崎〜長野

 JR西日本
山陽本線 兵庫〜和田岬
赤穂線 相生〜東岡山
姫新線 姫路〜東津山
津山線 岡山〜津山
吉備線 岡山〜総社
宇野線 茶屋町〜宇野
伯備線 倉敷〜新見
福塩線 福山〜塩町
芸備線 三好〜広島
可部線 横川〜三段峡
宮島航路 宮島口〜宮島
山口線 小郡〜益田
宇部線 小郡〜宇部
小野田線 小野田〜居能
小野田線 雀田〜長門本山
山陰本線 仙崎〜幡生

 JR九州
指宿枕崎線 西鹿児島〜枕崎

 このうち、まず98年2月に指宿枕崎線を片付けた。この時に行き帰りを利用して山陽本線と赤穂線にも乗っている。私鉄では阪神、山陽、西鉄、福岡市交を完乗した。次いで5月にはウィークエンドフリーきっぷ(土日のみJR東日本の自由席に乗り放題の切符)を使ってJR東日本を完乗。長野新幹線は全駅に下車した。(このあたりの旅行記も書いていないのでそのうち書くかもしれません)

 こうして残ったのがJR西日本の姫新線から山陰本線までの線区だが、このうち「最後をどこにするか」で自分の中では結構揉めた。頭端駅であるのは必須条件なのだが、あんまりメジャーすぎる駅は当たり前すぎて嫌だし、かといってマイナーな駅でも先人達がすでに足跡を残していそうなので同じでは面白くない。こうして残ったのが宇野である。ちょうどサークルの合宿が四国に決まったこともあり、合宿前に宇野線を除いた線に乗車しておき、合宿後に宇野線に乗ることにした。誰か同行してくれるメンバーがいれば祝ってもらおうという魂胆である。

 

<1日目 98年8月30日 波乱に満ちた旅立ち>

1728東京−ひかり129号−京都2006  300(16)  325-9001   

 数日前から雨が降っている。那須では集中豪雨で凄いことになっているらしい。東海道線の夜行も28日出発分が運休した。しかし29日は雨も小康状態を保ち夜行列車も動いたようなので、30日も動くだろうと踏んでいた。

 と、こう書き始めたのは、実はこの日は「ムーンライトながら」に乗る予定だったのだ。昼頃に起きてテレビをつけると東海道本線小田原〜三島間が不通になっていた。しかも復旧の予定については全く触れない。このままでは今日の「ムーンライトながら」は動かない。これはまずいことになった。とにかく明日の昼には姫路にいないと旅行が計画通りに進まないので、今日中に関東脱出の方向でことを進める。まず京都在住の友人に電話し、手短に事情を話して最悪の場合泊めてもらう旨を伝え了承を得る。次に、今日の「サンライズ出雲」で出発するはずのK氏及びF氏に電話し、どうするのか聞いてみる。向こうも困惑しているようだ。午後2時になった時点で動くならば早いほうがいいと判断し、出発。ところが最寄り駅につくまでに豪雨に遭い、出発5分で下半身が濡れてしまう。

 東京駅につくと事態はさらに深刻になっていた。今日の東海道線の夜行は全て運休と書いてある。その旨を電話でK氏に連絡すると、2人は新幹線で大阪に行き、「だいせん」に乗って山陰を目指すことにしたらしい。当方も新幹線で京都に脱出するほか術はないので、一緒に行くことにする。再び京都の友人に電話し、泊めてもらう旨を伝える。しかし1年半ぶりに電話が来たと思ったら「今日泊めてくれ」では先方も面食らったであろう。

 K氏とF氏の2人が到着し、乗るはずだった指定券を払い戻す。2人は「サンライズ出雲」の特急及び寝台料金が1万円近く戻ってくるが、私は「ムーンライトながら」の指定券510円のみ。しかも明日から青春18きっぷを使用予定だったので、東京都区内→京都市内の運賃及び新幹線特急料金12710円を払う。全くもって割に合わない。学割の予備は必要だよなーといつも思うのだが、いつも忘れてしまう。

 そんなこんなでホームに上がったのは17時を過ぎていた。7分発のひかりは混んでいて座れそうにないので21分発に乗ろうとしたが、100系の21分発に対しK氏が300系に乗りたいとダダをこね、結局28分発に乗ることになった。その「ひかり129号」は300系の試作編成で少し嬉しくなる。試作編成はモーター音が少し違うそうで、K氏は大喜びである。この区間を新幹線で通るのは久しぶりなのだが、幼年時代に何度となく通った区間なので、大体の景色は憶えていた。名古屋を前にして景色は闇となり、「思考言語を名古屋弁に変更。『みゃ〜』」とかいった下らない話をしていた。

 京都で2人と別れ、友人が指定したバス停で降りると友人は迎えに来てくれていた。友人と書くのもなんなので後藤(仮)氏としよう。この後藤(仮)氏は私の高校時代の同期で鉄研部長でもあった。3年生の文化祭まで手伝いながら現役で京大に入ったというバケモン野郎である。久しぶりに会って昔の話に花が咲き、寝たのは3時を過ぎていた。まあ、「ムーンライトながら」でも寝るのはこんな時間だろうから、よしとしようか。

支出………13620円

この日で完乗した路線………なし

 

<2日目 98年8月31日 神戸高速鉄道完乗と本当の旅の始まり>

河原町−阪急特急−十三
十三−阪急特急−高速神戸
高速神戸−神戸高速鉄道−新開地
新開地−神戸高速鉄道−湊川
湊川−神戸高速鉄道−新開地
新開地−神戸高速鉄道−高速神戸
1054神戸−3301M−姫路1131  221(8)  サハ220-80
1155姫路−861D−佐用1319   47(2)   キハ47 1053
1320佐用−8827D−津山1414  120(1)  キハ120 359
1436津山−657D−岡山1605   120(3)  キハ120 328
1608岡山−759D−総社1642   47(2)   キハ47 99
1651総社−955M−新見1801   115(3)  クハ115-219
1827新見−958M−倉敷1937   115(3)  クハ115-219   

 夜更かしのせいか、午前8時の起床。後藤(仮)氏の勧めで阪急に乗車する。後藤(仮)氏の家は京阪出町柳のそばにあるので、JRの京都に行くよりも阪急河原町に行く方が近いのである。後藤(仮)氏はバス停まで見送りに来てくれた。突然の来訪にもかかわらず快く泊めてくれた後藤(仮)氏に感謝感謝大感謝。河原町につくと丁度特急が発車するところで、飛び乗った。久々に阪急の特急に乗ったのだが、やはり新快速に比べて遅いと感じてしまう。十三で神戸線特急に乗り換え、高速神戸へ。また1駅新開地へ移動し、神戸高速鉄道南北線に乗車。実はこの南北線のたった1駅間が神戸高速鉄道の完乗を妨げていたのだ。僅か400mで湊川に到着し、神戸高速鉄道完乗。ここからは神戸電鉄なのだが今日は乗らずに新開地に引き返す。高速神戸からJR神戸まで徒歩で移動。予定より20分ほど早くついたので1本前の新快速に乗る。新快速に乗るたびに「関東にこんな車両があったらなあ」と思う。

 姫路では20分ほどの待ち時間に昼食を購入。ここからが未乗区間なのである意味姫路からが本当の旅の始まりである。気を引き締めて姫新線に乗車。キハ47の数少ないボックスシートをゲット。幸先が良い。佐用で1分接続の乗り換え。1分では何も出来ず、ただ向かいのホームの気動車に移るしか出来なかった。どうも佐用が鉄道部の境目になっているらしく、今までは姫路鉄道部だが佐用からは津山鉄道部になる。キハ120の300番台はさらにボックスシートが少ないのだが、なんとかゲット。

 津山ではこの旅初のスタンプを押す。しかしあとで調べると、かつて押していたところだった。津山線もキハ120。この車両は嫌いなのだが仕方ない。3両だというのに下校の高校生でいっぱい。仕方なくロングシートに収まる。どこで大量下車するのだろうと思って注目していたら、結局岡山まで大きな移動はなかった。高校時代から列車で90分の通学など、したくない。

 3分で乗り換えた吉備線では当然ボックスシートは空いていなくておじさんと相席になったのだが、そのおじさんに話しかけられてしまう。なんでも昔岡山県立大学で教鞭をとっておられたそうで、吉備路の歴史を30分かけて授業される。こちらは明日行く予定の広島のガイドブックは用意していたものの吉備路の知識は皆無だったので、良い勉強になった。かつて羽柴秀吉が水攻めした備中高松城など、今度じっくり観光したいと思う。

 総社は駅舎が工事中だった。西側にホームが増設されようとしている。おそらく来年1月開業の井原鉄道だろう。伯備線は北側の新見〜伯耆大山間に乗っているので、今回は残りに乗車。備中高梁でかなり降りる。新見では1年半前にも立ち寄った大きな本屋で時間を潰す。帰りの伯備線は行きと同じ編成だったので、同じ車両の同じボックスシートに収まる。もはや真っ暗なのだがそれでも何気なく景色を見ていると昔のことが走馬灯のように思い出され、センチメンタルグラフティーな気分になる。やはり夜汽車はいい。この瞬間のために旅に出ているのかもしれない。

 倉敷では駅前にビジネスホテル(以下BH)を予約してある。倉敷にユースホステル(以下YH)はあるのだが、駅から離れすぎていて使えないのでBHを選択。このBH選択もいろいろ揉めた。ホテルガイドで1番安いホテルを予約したのだが、出発数日前になってホテル側から「その日は清掃の日なので宿泊を止めて欲しい」と連絡が来たのである。向こうから「他を紹介します」と言われたのだが、とんでもなく高いホテルだったら嫌なので断り、再びホテルガイドを参考に予約しなおした。私は、予約したホテルが当日あまりにも宿泊客が少ないため営業をやめたんじゃないかと疑っているが。そんな予約しなおしたホテルは駅前のステーションホテル。ホテル内にはレストラン等もあるのだが貧乏学生が入れるところではないので、チェックイン後ローソンで買い出し。さすがに2日連続で夜更かしするわけにはいかないので、早く寝る。

支出………11367円

この日で完乗した路線………神戸高速鉄道、姫新線、津山線、吉備線、伯備線

 

<3日目 98年9月1日 広島観光聖地巡礼>

834倉敷−1339M−広島1045   115(4)  モハ115-3502
広島駅前−広島電鉄−比治山下
本通−広島高速鉄道−古市
古市−広島高速鉄道−県庁前
紙屋町−広島電鉄−広島駅前
1549広島−777M−可部1627   105(2)  クモハ105-526   
1648可部−543D−加計1748   40(2)   キハ40 2046
1820加計−545D−三段峡1851  40(1)   キハ40 2118
1857三段峡−554D−加計1921  40(1)   キハ40 2118
2015加計−556D−可部2112   40(1)   キハ40 2046
2113可部−830M−横川2139   105(2)  クモハ105-11
2144横川−575M−宮島口2207  103(4)  モハ102-654

 アラームを7時にセットしておいたおかげで、余裕の出発。ところがチェックしていた南口のマクドが8時半にならないと開かないと知って、愕然。とぼとぼと北口(チボリ公園がある方)へ歩くとここにもマクドがあり、8時の開店直後だったので入る。なぜかここのマクドは朝のバリューセットがなかった。ホームに降りると反対側の上りホームは岡山への通勤客でごったがえしている。103系の8両がやってきて客を吸い込んでいった。そのとき気付いたのだが、列車の接近メロディーが「いい日旅立ちオルゴールバージョン」だった。なかなかいい趣味をしている。乗る列車である1339Mは運良く転換クロスの3000番台が当たる。福山、三原、西条などで客が入れ替わり、広島着。

 広島では観光という名の聖地巡礼を行う予定である。今回の標的は、
センチメンタルグラフティから、比治山公園、広島市現代美術館、平和記念公園、紙屋町、フタバ図書
お嬢様特急から、広島駅、中央通り、お好み村
である。ゲームが2つ重なると巡礼箇所も多くて大変だ(笑)。他の人の聖地巡礼がどんなものかは知らないが、私のそれは「ゲーム中に登場する映像と同じ写真を撮ってくる」というものである。ちゃんと出発前にテレビのブラウン管に向かってカメラを構え、その写真を持ってきているので準備もバッチリである(爆)。

 まずは広島駅。これは新幹線口のようであった。続いて広電5番系統に乗って比治山公園下で降りる。この辺りの地図もちゃんとガイドブックでチェック済みである。実は現代美術館比治山公園内にあり、1ヶ所を訪れるだけで写真が2枚撮れてしまう、お得な場所である。ここから1キロ以上、中央通り方面へ延々と歩く。中央通りというのはその名の通り道であるので場所の特定が困難であるが、歩いていて道路標識や周りの建物から判断できる。そのままお好み村へ。お好み村にきてお好み焼きを食べずにパチパチと写真を撮っている奴も珍しかろう。続いて平和記念公園へ。巡礼だけではなんなので、例の碑の前に立つ。思わず涙腺緩み、黙祷してしまう。原爆ドームもはじめて間近で見た。やはり広島はいい街だ。苛立った心を抑えてくれる。

 本通からアストラムラインに乗車。途中の古市で降りる。これから訪れるフタバ図書は知る人ぞ知るセンチのサポートショップである。サポートショップというのは、97年の1年間各都市にそういうものを置いてファンの間の交流を図ろう、というものだったらしい。私は97年の末にセンチにはまったので、全く知らないのだが。店にはノートとかが置いてあったらしい。もうサポートショップの期限は切れているのだが、何か残骸があるかも、と訪れた次第。残念ながらこのフタバ図書はゲームセンターやレンタルビデオも兼ね備えた総合メディアショップだったので、そんな残骸は残っていなかった。ここで小休憩し、またマクドで飯を食べる。アストラムラインに乗車し、最後の巡礼地紙屋町へ。紙屋町は市内でもかなりの繁華街。ようやく15時過ぎになって巡礼箇所は全て回った。

 スキャナがないため写真をお見せできないのが残念である。スキャナを購入次第アップする所存。

 広電に乗って広島駅に戻る。ここからの可部線は、前にも登場したK氏F氏と同一行動である、はずなのだが、発車時刻になっても2人が現れない。仕方なく1人で乗車するが、今日の宿が心配になる。というのも、今日の宿である宮島口YHはK氏が予約してあるのだ。合流出来なかったら宿っぱぐれになってしまう。彼らはどこで乗ってくるのであろうか。山陽本線との乗換駅である横川。乗って来ない。アストラムラインとの乗換駅である大町。ここでも乗って来ない。結局可部で合流することができた。こちらは結構冷や汗ものだったが、2人はそんなことはお構いなし。2人にコンビニの場所を教えてもらい、夕食を買ってキハ40に乗り込む。2両のワンマンの場合、後ろの車両の乗車するのは鉄則(1番前のドアしか開かないため、後ろは人の移動が少ない→空いている)。K氏がこのエンジンは強力型だと解説するが、音に疎い私にエンジン音の違いなど判るはずもない。駅名板を調べていったら、加計までの約半分の駅が広島市内だった。結構広島市って広いもんだなあ。

 その加計では駅前に出るが何もない。ここからが廃止の噂が立っている区間。やはり同業者らしき人物が1人いた。三段峡は暗くてよく分からなかったのだが、SLが展示されていた。帰りの列車は我々3人の他、その同業者のみ。ということは普段の乗客数はゼロということになる。また加計で一時間待つ。夕食を食べても暇なのでラジオをチューニングしていると、ハングル語の放送をゲットできた。さすが西日本。この後ラジオいじりは暇つぶしの中心になる。可部で乗り換え、長かった可部線の旅は終わった。ちなみに、帰宅後メディアワークスのお嬢様特急掲示板で「可部線非電化区間(可部〜三段峡)の2000年12月廃止を知った。地元民の投稿だったので間違いないと思うが、よく考えるともうすぐじゃねえか。どうなるんだろう。

 YHのある宮島口まで103系で移動。通勤客で混んでいたが廿日市などで空く。宮島口YHでは「もう遅いから」ということで3人で一部屋を割り当ててもらった。しかし風呂は個人用であり、いつまでたっても空かないので今日は風呂っぱぐれとする。2人は明日広島観光に行くそうで、広電の基礎知識を教えておく。いろいろ話し込んで、寝たのは24時くらいか。

支出………5229円

この日で完乗した路線………可部線

 

<4日目 98年9月2日 4年振りの萩津和野>

810宮島口−9便−宮島820   宮島航路    ななうら
910宮島−112便−宮島口920  宮島航路    みせん
934宮島口−637M−岩国954   103(4)    モハ102-654
1015岩国−1537M−小郡1218  115(4)    クハ115-199
1235小郡−543D−益田1526   40(3)→(1)  キハ20 2074
1617益田−853D−玉江1743   58(2)     キハ28 2324   

 朝飯も食わずにYHを出る。近くのセブンイレブンでおにぎりを購入。まずは航路に乗船。実は4年前の修学旅行で宮島に渡ったのだが、そのときは松大汽船だったので、渡り直しである。その宮島で注意を払うことといえば「地雷」であろう。地雷に注意しつつ厳島神社へ行く。ここまできたらということで神社も観光してしまう。再び船に乗って本土へ。ここで2人と別れる。2人は広電宮島へ、私はJR宮島口へ。予定していた列車より余裕があるので岩国まで先行。昨日の103系と同じ車両であった。岩国では駅そばを見つけ、きつねうどんを食す。そういえばこの旅初の駅うどんだった。宮島口で買ったおにぎりは昼飯にでもしよう。岩国からは人の少ないと思われる一番後ろに乗車し、小郡までボックスを独占。この2時間は本当に退屈で、何をしていたのか覚えがない。

 小郡からは初乗車となる山口線。キハ40の3両だが、後ろ2両は途中の山口で切り離しになる。ならば、と1番前にボックスを取る。斜め前に座った2人組が駅弁を食べ始めた。つられて私もおにぎりを食べる。切り離しになる山口と津和野でスタンプを押す。津和野は修学旅行で来たところで、なぜか入場券だけを持っている。交換する「おき」も撮影。

 益田では50分の猶予がある。ミニペットを求めてコンビニを探したが、なぜかコンビニが見つからない。なんとかスーパーを見つけたが、今度は私のお気に入りの銘柄がない。仕方なく別種のものにしたが、益田の印象は悪いものが残ってしまった。山陰線では最悪キハ120オールロングシート車も覚悟したのだが、運がいいのか急行型が来た。降りる2つ手前の東萩で下校列車となるが、玉江ではなんとか降りることができた。

 今日の宿は萩YH。歩いて15分ほどの距離である。駅から宿までは徒歩15分が限度であると思う。萩城址を目指して歩くとYHを発見。萩も4年前の修学旅行で来たところで、そのときにあらかた観光してしまった。だから今回は泊まるだけである。部屋は6人部屋で、外人さんが1人いた。私の上で寝る(2段ベッドである)人は明日始発列車に乗るとか。夕食後連泊している人と、ペアレントさんの「萩観光講座」を聞く。なんでもYHの周辺(つまり萩城址周辺)は「町並保存区域」に指定され、電柱はおろかコンビニもないという。市としても観光事業に力を入れていることが分かる。消灯が23時なのだが、中庭で大声で喋っている連中がいる。おいおいこっちは明日始発に乗る人もいるんだから、と思っていると、ペアレントさんの一喝で静かになった。やっと寝たのは24時過ぎ。

支出………5763円

この日で完乗した路線………宮島航路、山口線

 

<5日目 98年9月3日 録音ヴァージンの相手はクモハ42>

758玉江−563D−長門市831     47(2)   キハ47 1068
844長門市−723D−仙崎847     120(1)  キハ120 18
858仙崎−628D−長門市901     120(1)  キハ120 18
912長門市−841D−下関1107     47(2)   キハ47 99
1120下関−548M−小郡1231     115(4)  クハ115-320
1259小郡−945M−宇部1401     105(2)  クモハ105-12
1411宇部−2451M−小野田1415    115(4)  モハ114-2020
1422小野田−438M−宇部新川1451  105(2)  クモハ105-9
1558宇部新川−441M−雀田1611   105(2)  クハ104-10
1629雀田−631M−長門本山1634   42(1)   クモハ42001
1640長門本山−634M雀田1645    42(1)   クモハ42001
1700雀田−443M−小野田1715    105(2)  クモハ105-9
1731小野田−1596M−宮島口2005   115(4)  クハ115-2001   

 7時の朝食後すぐに出発。玉江は降りたときは無人だったが、ラッシュ対策か駅員が派遣されていた。それほど混まずに長門市着。駅の売店を覗くと、宮島口YHでF氏から聞いたとおり「わたしの旅スタンプ帳」が売っていた。買おうかと思ったが、財布具合を見てやめる。しかしこの後琴平で見つけ、買ってしまうのである。仙崎支線は車両が美祢線と共通運用であるので、120のロングシート車。仙崎は駅舎併設の資料館があったが、時間がなくて見学できない。長門市に戻るともう次の列車が待っていて、慌てて飛び乗る。ここから昨夜の睡眠不足がたたって一時間ほど寝る。起きると小串を過ぎており、乗客も立ち客が出るほど多くなっている。幡生到着時点で山陰本線完乗。幡生で降りる予定だったが、混雑が激しく下関まで乗ることにする。折り返しの山陽本線は駅の表示だと「トイレなし」になっていた。このあたりでトイレなしといえば103か105であろうが、なぜか115系がきたのでほっとする。臨時の変更があったものと解釈しておこう。小郡までの一時間もあまり良く覚えていない。寝ていたに違いない。

 小郡で駅そばを食べる。ここからは宇部線に乗車。105系なのがつまらぬが、そこは我慢我慢。車内は下校列車で、宇部新川でようやく空いた。宇部からは山陽本線で小野田へ1駅移動。小野田線に乗車。さっき通った宇部新川に着く。本山支線までは時間があるので、宇部新川で休憩。昨日買えなかったお気に入りのミニペットを買えて上気分である。雀田までは下校列車となる。雀田で降りる人もかなりいたが大半が消えていき、私のほかは同業者2名と女子高生2名が残った。

 さて、いよいよ今回の旅行のメインかもしれないクモハ42に乗車である。鶴見線からクモハ12が消えてしまった現在、定期列車として唯一動く旧型国電。当然釣り掛けモーターである。実は旅行前にヘッドフォンステレオを録音機能付きのものに買い換えた。「どうせクモハ42に乗るのだったら釣り掛け音を録音しよう」と思ったのである。最近ようやく音に対して敏感になりつつある私である。発車5分前になってドアが開く。乗客は私を含め5人。車両の端に行くと「クモハ42ノート」なるものを発見。管理しているのはJR西日本であるらしい。JRとしてもクモハ42に商品価値を見出していることになる。早速何か書こうと最近のページを開けると、「○○大学鉄道研究会会員2名参上!」の文字が。よく見ると、K氏とF氏だった。堂々と「○○大学」と書いちゃってあんたら恥ずかしくないのか?とか言いつつこちらは冒頭に「旅の記念 七瀬優」と書いてしまうのだが(爆)。冒頭だけ書いたところで出発するようなので、録音をセットする。私は1番後ろに座ったが、他の4人は前のほうに座ったので、話し声が入る心配はない。発車。心地よい釣り掛け音が車内に響く。あっという間に5分が過ぎ、長門本山到着。待合室と駅名板を撮って車内に戻り、ノートの続きを書く。帰りの列車は、女子高生2名のほか同業者の1人もどこかへ行ってしまったので、運転士と同業者と私の3人だけ(ワンマンである)。同じ位置で帰りも録音する。同業者はかぶりつきに来たが、黙っていてくれた。マナーのいい鉄道ファンである。総じていい雰囲気だったのだが、終点到着直前にATSが鳴るのはやめて欲しいと思った。雰囲気ぶち壊しだ。

 一旦小野田まで戻って山陽本線に乗車。小野田で夕食を買おうと思ったが、時間までにコンビニを見つけられず、宮島口まで食いっぱぐれ決定。だんだん暗くなってきたので景色が見えなくなり、せつない気分で宮島口まで過ごした。今日の宿は前にも登場した宮島口YH。ペアレントさんは覚えていてくれた。指定された部屋に行くと、こんな時間だというのに誰もいないのでビックリする。ペアレントさんに確認しに行くと、あの部屋は到着が遅い人用にしてあるとか。あと2人は9時と10時の到着だそうだ。風呂に入っていると1人が到着。10時過ぎにもう1人が到着し、3人で歓談。寝たのは24時を過ぎていた。

支出………3611円

この日で完乗した路線………山陰本線、宇部線、小野田線

 

<6日目 98年9月4日 またも広島>

810宮島口−9便−宮島820           ななうら
840宮島−110便−宮島口850          みせん
広電宮島口−広島電鉄−土橋
土橋−広島電鉄−江波
江波−広島電鉄−紙屋町
紙屋町−広島電鉄−宇品
宇品−広島電鉄−広島駅前   
1222広島−866D−三次1402   40(2)   キハ40 2119
1419三次−358D−塩町1428   120(1)  キハ120 325
1441塩町−732D−府中1603   120(1)  キハ120 326
1607府中−558M−福山1647   105(2)  クハ104-8
1704福山−1362M−笠岡1717   115(4)  クハ115-3015   

 6時半の起床。同室の1人が宮島へ行くというのでつきあう。今から広島に行こうとしてもラッシュで混雑しているからである。セブンイレブンで朝食を購入、船上で食べる。宮島では駅前をふらつき、鹿を撮影。こちらがカメラを向けるとポーズを取ってくれる、いい鹿であった。宮島口からは広電で広島に移動。聖地巡礼が中心だった3日前と違って、今日は広電の乗り潰しに精を出すつもりだ。なるべくたくさん乗るつもりなので、一日乗車券を購入。まずは土橋という電停で降り、江波(えば)に行く。この駅の駅名板を撮ったのだが、その写真を見せた私の友人のほとんどが笑ってくれる。そして、「(駅名板アルファベットの)BがVだったらね」と付け加えるのである。困った人達である。続いて宇品に行く。宇品は港が近く、松山行のフェリーなどが出ている。宇品から広島駅に戻ったところでタイムアップ。駅そばを食べて芸備線ホームに行く。

 急行ちどりの発車後並ぶ。2両だったので後ろに並んだが、車内は一杯になった。しかし2駅目で大量に降り、5駅目で車掌が降りてワンマン運転になってしまう。ワンマン運転の威力は絶大で、三次までガラガラであった。三次からは福塩線直通の列車に乗るつもりだが、その10分前に芸備線の備後落合行があったので、下車駅増殖とばかりに乗車。塩町はスタンプがあるかなと思い降りたが、結局なかった。府中行はさすがにボックスはあいていなくて、ロングシートに座る。上下でボックスが空いたようなのでそちらに移動。そのまま府中まで居座る。府中からの列車は下校列車となり、途中駅でも乗り降り多く、福山まで座れなかった。福山からはお馴染み115系。10分少しなので座らずにおく。

 今日の宿は笠岡屋YH。事前に予約を入れたところ食事提供はなしとのことだったので、途中のコンビニにて弁当を買う。YHガイドの地図を頼りに歩くが、すごくわかりにくい。やっとついたと思ったらここは不動産屋も経営しているのだった。YHは副業なのかもしれない。ペアレントさんに今日の宿泊人数を聞くと、なんと2人。しかももう1人は女の人だそうで、6畳の和室を1人占めとなった。早めに風呂に入って高校生クイズを見る。寝たのは23時過ぎ。いよいよ残るは宇野線のみになった。

支出………4992円

この日で完乗した路線………芸備線、福塩線

 

<7日目 98年9月5日 高松聖地巡礼>

811笠岡−324M−岡山854         115(8)   モハ114-1103
904岡山−マリンライナー13号−坂出944  213(6)   サハ213-6
坂出−普通−高松            121(2)   クモハ121-14   
高松築港−琴平電鉄−瓦町        1080(2)  
瓦町−琴平電鉄−琴電屋島        600(2)   621

 この日のデータは一部を消失してしまっているので、記憶を頼りに書くしかない。そこらへんご了承下さい。

 山陽本線で岡山に出る。マリンライナーに乗車。茶屋町通過時、宇野線に乗りたい気分になるが、我慢我慢。そのマリンライナーを坂出で捨てる。なぜ坂出で降りるのかというと、センチのサポートショップが坂出にあるのである。歩いて20分くらいのところにあるCD屋「おたまじゃくし」は開店直後で、客がいなくて入りにくかったが突入。アニメ系のCDが多い中で遂にノートを発見。嬉々としてノートに書き込む。その中で「このお店は○△大のHさんという方から知りました」というコメントを書いたところ、翌日センチのMLで「こんなコメントがありましたけど」というメールが流れたらしく、帰宅後Hさんから「なんてことをしてくれたんですか!!」と叱責されてしまった(笑)。

 高松に到着。今日から合宿で高松に集合なのだが、まだまだ時間があるので聖地巡礼を敢行。ターゲットとしては、
センチメンタルグラフティから、ライオン通り、玉藻公園
センチメンタルジャーニーから、琴電そごう、坪尻駅
である。このうち坪尻は翌6日に訪ねる予定。サポートショップはさっき訪ねたし、栗林公園は交通の便が悪く高松駅からも遠い。まずは駅前にある玉藻公園へ。城跡なのでなかなかかっこいい外観である。琴電に乗る金をけちって瓦町まで歩く。ここにあるデパートが琴電そごうである。センチメンタルジャーニー第四話で、真奈美の友達がここで小鳥の置き物をお土産に買ったとされる場所だ。おもちゃ屋中心に中を見て回ったが、さすがに「わて風邪引いてまんねん」とわめく小鳥の置き物はなかった(←当たり前だ)。最後にライオン通りへ。広島の中央通りと同じく道なので場所の特定がしにくい。しかも映像内の目立つ建物などがないため、かなり大変。それでもようやくもとの場所を見つけて上気分。戦果大なりで高松駅へ戻る。

 駅にはそろそろメンバーが集まっていた。そこで聞いた話では幹事長氏が法事のため遅れて参加になり、必然的に私が代表代行職に就くことになってしまった(3年生は幹事長氏と私とあと1人だけであり、その1人も宿の手配などで動いてもらっていたため)。新幹線を乗り過ごしたメンバーもいて遅れた集合になったが、全員揃ったところで今日の宿である屋島YHへ。夕食は近くの店でのさぬきうどん。こしがあってとてもおいしい。やっぱうどんは讃岐に限る。

 今日から始まった合宿だが、明日の朝から明後日の夕方に松山駅に集合するまでは完全なフリー行動。各人とも宿の手配から勝手に決めて良いことになっている。多くの人は高知方面に向かうようだが、私は今のところ「坪尻駅に降りる」以外決めていないので、そろそろ宿の選定をしなければならない。坪尻に1番近いYHは「琴平青年の家YH」なのでここに電話してみるが、なぜか電話に出ない。あとは「海岸寺YH」かここ「屋島YH」だが、なんだか面倒臭くなったので屋島連泊に決定。連泊の利点は、大きな荷物は預かってくれることだ。家に帰って調べてみたら、琴平青年の家YHは潰れていた(笑)。

支出………5557円

この日で完乗した線………なし

 

<8日目 98年9月6日 坪尻に降りる>

828屋島−うずしお3号−志度834     185(5)   キハ185-18   
846琴電志度−琴平電鉄−瓦町920     30(2)    27
933瓦町−琴平電鉄−琴電琴平1029     1080(2)  1089
1153琴平−249D−坪尻1231        54(2)    キハ54 1
1410坪尻−257D−阿波池田1426      58(2)    キハ65 27
1505阿波池田−しまんと10号−高松1601  2000(2)  2105
高松築港−琴平電鉄−瓦町        1080(4)  1088
瓦町−琴平電鉄−琴電屋島        600(2)   622

 この日のデータも一部がない。かって気ままに動き回っているためである。皆バラバラに出発していく中、遅めの出発。今日から3日間は四国フリー切符という特急自由席乗り放題のきっぷを使用。一旦JR線で志度に行く。今度は志度から琴電に乗って瓦町に行く。こうすると琴電の志度線が完乗できるのである。琴平線に乗り換え、琴電琴平へ。讃岐平野の真ん中で坂道もないくせに異常に遅い。元京急の1000形のはずなのだが、なぜか加速に時間がかかっている。1時間ほどで琴平到着。琴平ではかなり時間がある。詣でようかとも思ったのだが、なんだか面倒臭くなってやめる。売店を覗くと「わたしの旅スタンプ帳」が売っており、思わず買ってしまう。ちょうと今使っているスタンプ帳がもうすぐ一杯になるので、替えである。213系の運転シミュレータなどで時間を潰していると、琴平詣でに行っていたメンバーが帰ってきた。なんでも荷物を預けるのにとんでもない金を払わされたそうで、行かなくて良かったとほっとする。そのメンバーと一緒にキハ54に乗り込む。

 これから降りる坪尻はいろんな意味でとんでもない駅だ。まず、付近に人家がない。1日の平均乗降人員は2人だという。乗って降りて2人だから、実際は1人しか使っていないことになる。さらに、四国に2つしかないスイッチバックの駅である。そんなこともあって鉄道ファンからは人気がある駅なのだが、この春坪尻人気をさらに押し上げる出来事が起こった。TVアニメ「センチメンタルジャーニー」第3話において、ヒロインの1人七瀬優がこの駅から列車に乗った描写がされているのである。この事件で坪尻は一気に「聖地巡礼箇所」としてカウントされるに至った。私もこの事件前は「行けたら行きたいな」くらいにしか思っていなかったのだが、事件後は「ゼッタイ行きます!出来れば駅寝したい!」とまで思うようになった(当初の予定では坪尻で駅寝することになっていた)。

 車内は15人ほどだが、その中に旅姿なのだが鉄道ファンには見えない男3人組がいる。ああ、きっとセンチ関連だよなあ、坪尻目当てなんだろうなあ、と思っていたら案の定坪尻でその3人組が降りた。坪尻で降りたのは結局4人。平均利用者数のすでに4倍である。旅のノートを見たいところなのだが、3人組が占拠してしまっているので見るに見られず、駅前を散策することにした。といっても駅前からして舗装された道などない。山道が左右両側に伸びているだけだ。まず右側に行くが、山道が深くなっていくだけで何もない。続いて左側に行く。線路を渡って続いており、はるかな高みに国道が走っているのが見える。もし坪尻駅で何かあったらあそこまで昇って助けを求めるのだろうが、あんなところまで行く気はない。2分ほど歩くと家らしきものが見えて来た。近付いてみて愕然。廃屋だった。噂には聞いていたが凄い駅だ。駅に戻ろうとすると3人組がこっちにやってきたので、「廃屋以外何もないですよ」と教えてあげる。それがきっかけで会話が弾む。やはりセンチ関連の人だった。大阪から18きっぷを使って日帰りで訪ねてきたとのこと。なんでも「探偵ナイトスクープ」という関西では驚異的視聴率を誇る番組(関東ではなかなか放映してくれないんですよねー)でも坪尻が紹介されたとのことで、坪尻人気もなかなかのものである。1人はギターを持ってきており、坪尻で歌うことが夢だったとか。私に負けず劣らず変わった人達だ(こちらの予想通り鉄属性はないようだった)。彼らは私より早く上り列車で帰ってしまうようなので、ホームに立って見送る。待合室には「緊急連絡は阿波池田駅にお願いします」という張り紙が張ってあるが、事務室には鍵がかかっていて入れない。かといって近くに公衆電話もなく携帯の電波も届かない(先ほど3人組が確認済み)状況とあっては、緊急事態には鍵を壊してでも事務室に入るしかないのだろうか。1人になったところでようやく旅のノートを開く。書き込みを見ていくが、鉄が3割、センチ鉄が3割、センチが2割、ナイトスクープが2割といったところか。1冊目がまだ埋まっていないのにもう2冊目が置いてある。ぱっと開くと予想通り「旅の記念 七瀬優」と書いてあった。(ちなみにこの後ホームで特急を見送ったのだが、その姿をサークルのメンバーに見れたらしい。私が「坪尻に行く」と宣言していたから注意していたとのことだが、見つけるほうも見つけるほうである。)

 上気分で坪尻を後にする。次は今度こそ駅寝をしたい。阿波池田で少し特急を待ち、しまんとで坪尻を通過。そのまま高松へ。屋島YHに戻る。夕食はまたもや讃岐うどんになった。2日連続とはいえおいしいことに変わりはない。同室者と語らい、寝たのは0時前。

支出………7832円

この日で完乗した線………琴平電鉄志度線、琴平線

 

<9日目 98年9月7日 あいゆえに>

828屋島−うずしお3号−板野911      185(5)   キハ185-11
947板野−4329D−徳島1024         1000(1)  1001
1047徳島−あい1号−阿波池田1159     185(2)   キハ185-12   
1203阿波池田−南風8号−多度津1235    2000(4)  2121
1248多度津−135M−観音寺1319       121(2)   クハ120-2
1329観音寺−しおかぜ9号−伊予西条1411  8000(8)  8305
1423伊予西条−549M−今治1458       7000(2)  
1537今治−しおかぜ11号−松山1613     8000(8)  
松山駅前−伊予鉄道−道後温泉       

 今日もデータが抜けています。今日の夕方までに松山に集合すればいいので、時間はたっぷりある。2日間お世話になったYHに別れをつげ、JR高徳線屋島へ。ただ松山に行くだけではつまらないので、徳島〜阿波池田経由で行くことに決定。特急「うずしお」に乗車。今日の目標は、特急「あい」に乗ること。ゲーム「お嬢様特急」の登場キャラクター「松浦愛」と関係ないかといえば嘘になる(笑)。その「あい」までは時間があるので、途中の板野で特急を捨てて普通で徳島へ。徳島は2回目だが新しい駅舎で、かっこいい。工事中の高松もこのようになるのだろうか。

 特急「あい」に乗ってみたい理由はもう1つ。徳島線は一気に特急大増発されたのだが、そんなに需要があるのかということ。結論から言うと、大増発には疑問符がついたのだが。その「あい」に乗車。「I loveしまんと」の車両前面にかわうそがイラストされているのに対抗して、「あい」は狸のイラストが描かれている。なぜ狸なのかは私も知らない。側面には阿波踊りを踊っている人々が描かれている。2両編成で、前1両と後ろの1〜3番が自由席。後ろは禁煙車なので、その1〜3番に座る。徳島線は学駅に下りた時以来2回目。ほぼ全線を吉野川に沿って走り阿波池田着。乗客は……少なかった。大増発の意味はなかったように思う。

 「南風」でこの旅3回目の坪尻を通り抜ける。午後1時前に多度津に着いてしまったが、今から松山に直行しても松山で1時間ほど空きができる。松山の聖地巡礼箇所は知らない(笑)ので、途中下車しながら松山に向かうことに決定。ついでにスタンプでも押しておこう。まずは普通列車で観音寺へ。観音寺、伊予西条、今治と下車駅全てでスタンプをゲットする。どの駅にスタンプがあるかは全くの運任せなのだが、四国はスタンプが未だ多く残っているのかもしれない。今治のスタンプを押したところで、大学入学時に買った再生紙使用のスタンプ帳がいっぱいになる。余計な観光名所のスタンプも押してあるが、自然体でよくこれだけ(100枚近く?)押したものだ。次の松山からは、昨日買った「わたしの旅スタンプ帳」を使用することにする。

 松山到着。やがて集合時刻になり、法事で遅れていた幹事長氏も到着。揃ったところで道後温泉に向かう。道後温泉のはずれに今日の宿の松山YHがあるのである。評判通りのきれいな宿で、連泊した屋島とは大違いだ。10分くらい歩いたところに道後温泉があるので、YH側も風呂はそちらで入って下さいと言わんばかりにYHにはシャワーしか設備がない。温泉に入りにいく連中多数だが、こちらはなんだか面倒臭くなったのでシャワーですませる。今考えると、入っときゃよかった(笑)。温泉組が帰りにコンビニで買い出しをしてきたようで、宴会が始まる。明日のこともあるので適当に切り上げ、「お前らも早く寝ろよ」と後輩に言い残して布団に入った。明日は合宿終了、そしていよいよ宇野線に乗車である。

支出………6373円

この日で完乗した線………なし

 

<10日目 98年9月8日 最後の1線>

道後温泉−伊予鉄道−松山駅前            78
1220松山−しおかぜ14号−丸亀1422  8000(8)  8310
1433丸亀−152M−宇多津1435     121(2)   クハ120-16
1450宇多津−2540M−茶屋町1524    115(3)   クハ115-1072
1600茶屋町−663M−宇野1621     115(3)   クハ115-1068

 未明まで飲んでいた連中もいたらしく、慌しい出発。今日で合宿も終わり。4日間で合宿として何をやったんだと疑問を抱かれる方もおられようが、唯一の団体行動をこれから行うのである。松山運転所の見学である。これくらいしないと鉄道サークルである意味がない(笑)。伊予鉄道で松山駅に戻り、運転所へ。運転所は駅のホームから見える場所にあるのだが改札と反対側なため、なぜか15分くらいかかる。事務所で一通りの説明を受けたあと構内を見学。もはや数が少なくなったキハ58及び65、四国が誇るスーパートレイン8000形などなどを間近で見させてもらう。特に8000形は運転席にも乗せてもらい、ブレーキのかけ方を教わる。そこは「電車でGO!」で慣れているウチの部員のこと、すぐにコツを覚えたようだ。見て回ったところでまた事務所に戻り、質問タイム。終わるともう12時過ぎであり、20分の特急に間に合うか微妙な時間になった。特急は1時間毎なので、逃がしたら宇野到着が遅くなってしまう。間に合うか訊ねてみると、なんと職員用の駅までの通路を使わせてもらう事になり、大喜び。余裕で特急に間に合った。

 1本締めで合宿も終了し、「しおかぜ」に乗り込む。結局宇野行はF氏が同行してくれることになった。禁煙自由席に腰を下ろして出発。丸亀まではもう1人の部員も同行。この後近鉄経由で名古屋の実家に帰るそうだ。多度津から宇多津のどこで下りてもいいのだが、F氏の希望に合わせて丸亀と宇多津に下車。私の切符は四国フリー切符なので、これから乗る宇野線には通用しない。だから宇多津から宇野までの乗車券を買う。自動券売機で買おうとしたら料金地図に宇野が載っておらず、宇野までの切符は買えなかった。確かに普通の人なら高松からフェリーで宇野に向かうだろう。結局窓口で買う(ちなみにF氏はここから18きっぷ)。琴平からの普通列車に載りこむ。115系で瀬戸大橋を渡るのは初めてで、なかなか新鮮。車内はどっかの大学の探検部が1人1ボックスを占領していてロングシートに座る。途中乗降少なく茶屋町到着。

 いよいよ宇野線に乗車となった。今度来るのは岡山発。下手すると103系じゃないかと悪い予感が頭を掠めるが、115系でほっとする。そういえば今回の旅行は特に山陽本線で115系に乗ることが多かった。この旅行を象徴しているようで、なんだか嬉しくなる。車内は下校列車になったが、私の記念列車でもある事だし、今回は周りの目を気にせずかぶりつきを敢行。途中の駅はホームや構内が異常に長く、宇野線がかつて対四国輸送の大動脈であったことを物語っている。7駅ほどで列車は最終目的地、宇野に到着。F氏の「おめでとう」コール。どうせならもっと人数がいると(15人くらい+ペンギン(笑))嬉しかった。ともあれ乗客がみんな下りた頃を見計らってホームに降りる瞬間を記念写真。宇多津→宇野の切符は、駅員さんに「記念に下さい」と断って貰う。しばらく駅前を散策し、駅舎をバックに記念写真。その駅舎だが、残念なことにかつての重厚な駅舎は取り壊されてしまったようで、近代的な駅舎に変わってしまっていてちょっと残念。F氏が折り返しの列車で岡山に向かうので、見送る。見送った後、宇高フェリー乗り場へ歩く。道々、いろいろなことを考えていた。「…………補完されたんだよな、俺」

支出………3290円

この日で完乗した線………宇野線

 

<えぴろーぐ 98年9月8日(続き) それは、夢の終わり>

宇野−宇高フェリー−高松              おかやま号
高松−普通−栗林           47(2)    キハ47
栗林−特急−高松           185(3)   キハ185-25
高松−マリンライナー−坂出      213(6)   サハ213-6
坂出−マリンライナー−児島      213(6)   クモハ213-1
児島−マリンライナー−岡山      213(6)   サハ213-3
2228岡山−サンライズ瀬戸−東京728  285(14)  クハネ285-6

 宇野に来たからには、かつてのルートで四国入りしたいと思っていた。本来ならば岡山辺りで岡山電鉄の乗り潰しをしたいところだが、フェリーで高松に向かう。私は船酔いしやすいタチで、少し酔ってしまった。高松港と駅は1キロほどの距離。歩けなくはない。「サンライズ瀬戸」の出発まで時間があり、四国フリー切符がまだ有効なので、栗林、坂出、児島とスタンプを押しに走る。

 本来ならば高松から乗る予定だったが、岡山から「サンライズ瀬戸」に乗車。私の旅の恒例になった「旅の終わりは個室寝台車」に基づき、シングル(7350円)の部屋を押さえておいた。やがて岡山方面のスタンプを押しに回っていたF氏が到着。彼の部屋はソロ(6300円)とのことで、1050円の違いを見るべくソロの部屋を見せてもらう。広さ的にはそんなに変わらなかった。シングルの広さが思ったほどではなかったということだ。シングルの利点は、進行方向向きに寝られること、NHK−FMが入ること、くらいだろうか。FMをつけてみると、丁度音楽をやっていた。長かった、本当に長かった旅が終わろうとしている。電気を消しブラインドを全開にしてFMを聞きつつ、旅の思い出を肴に午後の紅茶の残りを飲み、月明かりに映る流れ行く景色をいつまでも眺め続けていた。(了)


鉄道のページへ

トップページへ