私なりの「買ってはいけない」論


この話はもうピークを過ぎているような気がするのですが、ようやく考えがまとまってきたので書きます。なお私が買った本は「買ってはいけない」のみ、その他の「買ってはいけない」批評本は全て立ち読みしたものです。ご了承ください
あと私は専門家ではないので、専門的な話は出来ません。

 

「買ってはいけない」は買うべきか

「買ってはいけない」を知らない日本国民はそろそろいなくなってきたかと思います。「週刊金曜日」という雑誌に連載された同名のコーナーを単行本化したものです。巻末には執筆者の座談会も掲載されています。定価1050円。買いたい人は本屋さんにどうぞ。ただしあくまでネタとして買うように。理由は後述

私がこの本を買った理由は、はっきり言って「ネタ」です。確かに「買ってはいけない」という本があってこれこれこういう内容らしい、ということを聞いたときはなかなか面白い本だと思ったのですが、買う前に読んでいるうちに疑問がいろいろと出てきました。だから「この本は真正面から読まずに斜め読みした方がよさそうだ」と考えを改めたわけです。

で、この本の文体ですが、実にすっきりした内容です。すなわち「疑わしき商品は買うな」。この本の本質が左文である事をつかんだ時、疑問が浮かびました。執筆者達は一体どういう生活をしているんだろう?

これについては巻末の座談会に回答があります。すごい内容です。市販のものは一切食べないとか無農薬農園を作っているとか車に乗らないとか鰹節を削って作るとかポテトチップを家で作るとかとにかく思いっきりブルジョワな生活しています。何がブルジョワか?つまりはそんなことをするだけの暇がある→仕事をしないのに金持ち、ということになります。

消費者運動の先端にいる彼らがブルジョワな生活をしているとは、共産主義を唱えた旧ソ連で一部の者がしっかりと富んでいたのと同じ事。全くもって滑稽です。試しに日本国民全員がこんな生活をしてみましょう。日本が崩壊します。車に乗るのを止めてみましょう。ラッシュ時の混雑率が400%を超えます。市販のものを買わないようにしましょう。多くの企業が倒産します。いかに彼らの生活がブルジョワであり、我々小市民が真似できないか、ということがよくわかります。

次に私が普段から使用している商品について読んでみました。なかなか滑稽な文に出会えました。例えば「桃の天然水」。「桃の天然水という言葉につられて水代わりに飲めば」こんな人いるんでしょうか?誰しも1回飲んだ時点で「これはジュースの一種」と判断できるはず。それを水代わりに1日1リットル近く飲むなんて「やれ」と言われたってやりたくありません。

そしてこれは全ての商品に言えることなのですが、ある商品の中で特定のメーカーを非難しているというのも気になりました。例えばマクドナルドのハンバーガーはアカンと書かれていますが、じゃあロッテリアのハンバーガーなら良いのか。同様にファミリーマートのサンドイッチ、セブンイレブンのおにぎりがダメだと言うなら、コンビニはローソンを使いましょうという論理になるのか。彼らの「疑わしきは買うな」論理に拠るならば答えは否でありましょう。ではなぜセブンイレブンが選ばれたのか。このあたりにも疑問を感じてしまいます。

また「たばこを買ってはいけない」という論文もあります。では、試しにたばこを廃止してみましょう。自治体が崩壊します。たばこの中身はほとんどが税。自治体は大事な税収が減ってしまいます。その結果住民サービスは悪くなりますよ。そこまで考えてモノを書いているのでしょうか。

 

「買ってはいけない」批評本は買うべきか

私は化学薬品や添加物については全くのド素人です。そういった知識が無くともこれだけの疑問が出てきてしまうのですから、専門家からすればまあそれは怒るでしょう。怒った専門家が書いた批判本が「『買ってはいけない』は嘘である」「『買ってはいけない』は買ってはいけない」です。

前者は確か文藝春秋に記事を書いた方の本だと思います。この人と「週刊金曜日」側の文藝春秋誌における応酬も見ていて滑稽でした。何が滑稽かと言うと、この人も「買ってはいけない」の論調で文を書いているのです。結局相手の土俵で戦ってしまうあたり、相手のペースに乗せられています。もう1つ滑稽だったのは、どちらも化学的専門用語をバカバカ出しまくって何言ってるんだかわからないこと。私のような素人にもわかるような論調で書けないものでしょうか。

この応酬も流し読みしていたのですが、「金曜日」側の反論文の最後のほうの「ジャーナリズムの第1の使命は、消費者の立場でモノを書く事である」という文に対しては反論します。ジャーナリズムの第1の使命は事実を書く事ではないですか?消費者の立場でモノを書くためならば嘘八百を書き並べても良いというのですか?そのようなコンセプトで書かれたのが「買ってはいけない」だとするならば、まずこの本を買ってはいけない事になります。だって彼らの主義「疑わしきは買うな」に沿えばそうなるじゃないですか。

後者の本も同様に専門家が書いた本であるため、専門用語がザックザク。前の本より面白くは感じましたが、やはり一方的な批判ばかりでどうもつまらなく感じました。

「買ってはいけない」関連では最近「『買ってはいけない』大論争」という本が出されました。これは批判本ではなく批評本です。つまり賛成、反対両方の主張を取り上げています。また一般読者が「買ってはいけない」を読んでどう思ったか等をホームページから転載してあります。一般読者の視点といえども少しは専門用語もありますが、かなり読みやすくなっています。特に「パロディ『買ってはいけない』」には笑わせてもらいました。確かに彼らの論調「疑わしきは買うな」によると、この世の全ての商品は買えなくなってしまうんですよね(理由:絶対的に信頼できる商品など無いから)。例えばシャープペンシルの芯。あれが目に入るかもしれない。そんなこと考えると買えませんよ(笑)。

というわけで批評本については「大論争」の一部は面白かった。それ以外は「専門用語が判る人ならば」てな感じですね。

 

「買ってはいけない」とされた商品は買うべきか

私は「買ってはいけない」を読んだ後もマクドナルドで平気でハンバーガーを食べています。ロッテリアではまず食べません。これはなぜかということを検証します。

確かにマクドナルドのハンバーガーは決しておいしいとは言えない。かつて雑誌に「ミミズの肉を使っている」とか載ったことがあるような気がします(この辺うろ覚え)。それでも私がマクドナルドでハンバーガーを食べる理由は、そういったマイナス要素を打ち消す「安いぜ!」というプラス要素があるからです。

人が行動を起こそうとする時、そこには何かしらプラス要素とマイナス要素が存在します。例えばコミケ。私がコミケに行きつづける理由は、「本が欲しい!」という欲望が「あの行列の中で押しつぶされて死にやしないだろうか」という危機意識を上回っているからです。今日は金曜日。私はファミ通を立ち読みしに行きます。この時も「ファミ通が読みたい!」という欲望が、「行く途中で交通事故に遭ったりしないだろうか」という危機意識を上回っています。

このように我々はいつもプラス要素とマイナス要素を比較衡量して行動を決定しています(これはあくまで私の説)。ところが「買ってはいけない」においてはこの比較衡量が全くされていません。たとえ0.1%でもマイナス要素がある場合、その商品は「買ってはいけない」とされます。これが「疑わしきは買うな」の論理です。つまり、我々の行動理論とはかなりかけ離れています。ですから、「買ってはいけない」の理論をそのまま受けとめるととんでもないことになります。

もちろん「買ってはいけない」の考え方も重要。ただ、「この商品にはこんな危険性がある」で止めておけば良かったものを「だから買うな」としてしまったところがそもそもの原因。「だからみんなよく考えて買おうね」としておけばここまでの批判本が出ることもなかったと思います。

私の考えは、「買ってはいけない」とされた商品は十分に比較衡量した上で買うか買わないか決めるべきですし、それは個人の判断だと思います。「買う」「買わない」の基準は人それぞれですから。その際の参考に「買ってはいけない」を使うべきかと思います。

 

まとまってないけどまとめ

「買ってはいけない」の内容をそのまんま信じるといけません。ただし100%間違っているとも言えませんので「へ〜、そうなんだ」くらいに思っておくのが1番いいんじゃないでしょうか。


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