「今週の『異議あり!』」に異議あり


我が家がとっている新聞は、大手3社の中でもシェアが最も少ないM新聞社である。3年前引っ越したことを機にA社から代えた。私はA社の方が好きだったのだが、親の「夕刊が面白い」との理由でいまだM社になっている。

その夕刊には月曜〜金曜の2,3面に「ワイド特集」と称して連載されている多くの記事がある。今回話題にするのは木曜日3面に連載されている「今週の『異議あり!』」という記事である。どんな記事かというと、様々な有名人が日頃不満に思っていることを記者にぶつけて記者が記事にするのだが、その内容がなんとも当たり前すぎるか突飛すぎるかのどちらかで賛同できぬこと甚だしい。さらに自分なりの解決案も出しているのだが、これまた馬鹿馬鹿しいものばかりである。

こう抽象的なことを書いても仕方ないので事例を挙げよう。昨年の盆暮れのどちらかの時期に、こんな記事が載った(以下要旨)

言われるところの繁忙期と呼ばれる時期には鉄道料金ホテル料金が値上がるのに、席がない従業員が足りないなどサービスは悪くなる。これはおかしい。鉄道会社及びホテル会社はこの制度を見直し、繁忙期には普段より値下げをすべきである。

これを読んで思ったこと。バカかお前は。鉄道会社もホテル会社も民間企業。わざわざ儲けることが出来る時期に値下げして、割に合わない商売をする会社がどこにある?それに鉄道料金が値上がると書いてあるが、いくらか知っているのか?200円だぞ、たったの200円。しかも指定席だけ。それだけに目くじら立てるほどあんたはビンボーか?
結論もまったくもって馬鹿馬鹿しい。ガキでも考えそうな結論だ。料金体系に突っ込むのなら「そもそもの運賃が高いから見直してはどうか」くらいのことも言えないというのか。あんたは川島令三(注:突飛なことしか考えない鉄道アナリスト)以下。

皆さんはどう思ったかはわからないが、私はこの記事を「ガキレベルの記事」と断定する。毎週こういったレベルの記事が出てくるのは全くもって情けない。

異議は「異なる議論」と書く。異議というからにはそれなりの自分のビジョンを持ち、解決案も利用者企業共に納得いくようなものであるべきである。ところがこの記事は利用者側の一方的な不満を述べるだけであり、これは「異議」ではなくただの「文句」である。文句であるからこそ解決案も単純明快。利用者側から見て有利な結論しか書いていない。企業側の論理も考えてやり、ある程度のところで折衷案を出すというのが真の解決案というべきものではないだろうか。それが「異議」というものではないだろうか。

上の記事はあくまで一例に過ぎないが、記事の傾向を見ると「誰もが思っていることを代表して言ったもの」「自分の専門的な分野の不満を述べて悦にひたるもの」の2パターンに大別できる。特に前者はタチが悪い。サッチー騒動を例に取ればよくわかるが、マスコミから一般国民の間にまで「あの人なんか傲慢だよなー」という気風があったことは周知の事実である(実際私もそう思ってたし)。浅香光代は猫の首に鈴をつけたに過ぎない。それだけで神の如き扱いを受け、英雄気取りになる。確かに勇気は認めよう。でも、ただそれだけ。実際最初の不満なんて現在の騒動からすればガキレベルのものだろうし。

閑話休題。「異議あり!」の記事を読んで「そうそう、俺も思ってたんだよこれ」という人は多いと思う。それは当たり前のことだ。なにしろ誰もが思っている不満を記事にしただけなのだ。著者はそういう機会が与えられたから書いているだけなのだ。そして一部の人から支持を受け、いい気分になる。だが勘違いしていないか?ここは文句たらたらのコーナーではない。「異議」のコーナーだ。文句たらたら述べて「あーすっきりした」では済まされない。

最近の記事を見ても、
ノストラダムスを信じるな  日本全国民のうち一体どれだけが信じているの?
麻原は20年裁判になるぞ  裁判はもともと時間のかかるもの。それに我々が請願したところで早くなるのか?
日本人はもっとディベートしよう  すでに異議でも文句でもなく提案だよそれは
といった感じで最早ネタ切れの感がある。さっさと「今週の『ザケんなコラア!』」とでも改題したらどうだろうか。

では理想の異議とはどのようなものか。上手くは書きにくいが、「一見するとよくわからないが、よくよく考えてみると実は理にかなっているのではないか」と考えさせられるようなものであると思う。

私が高く評価している記事があるので載せることにしよう。「スポーツグラフィック・ナンバー」88年11月20日号の中の「『近鉄の悲劇』に一言あり!」という記事である。この年のプロ野球は西武が3年連続日本一になった年だが、リーグ優勝を決める際に大いにもめた。近鉄が残り2試合ロッテとのダブルヘッダーに連勝すれば優勝という事態だった。第一試合を梨田のサヨナラヒットで勝ったものの、「ダブルヘッダー第2試合は延長戦なし」とのルールにより第2試合を引き分け、優勝が西武に転がりこんだというパリーグ史上まれに見る戦いであった(長い前置きだ)。この措置に関して石川泰司という人が「異議」を述べているので簡単に紹介したいと思う。

まず氏は「引き分けを勝率計算から外すのはおかしい」と論じる。引き分けを0.5勝と計算するなら勝率が同じになり、プレーオフを戦うべきだという論に変わっていく。「129勝1敗より1勝129分のほうが優勝とは滑稽だ」という論はいささか飛躍しているが(引き分けが勝率計算から外れるので後者の勝率は10割になる)、次にサッカー勝ち点方式を持ち出し、88年当時のサッカー方式(勝ち3、引き分け1)に当てはめると近鉄が優勝になることを証明した。その上でパリーグに対し引き分けを極力なくすよう要請している。
ここで特筆すべきは、氏が西武ファンであるということだ。あくまで私情に左右されず論理的に進めていることは高く評価されると思う。

そしてこの要請は、セリーグにおいて実現した。延長を15回まで認め引き分けは0.5勝と計算されるようになった。この論によってかどうかはわからないが、球界を動かしたことになる。

私も西武ファン時代は「なんじゃこの説は」などと嫌悪ムキだしだったのだが、西武熱が冷めた今読み返すと論理的に文章を進め自説が正しいことを様々な角度から証明しようとしている。自分としてはこの記事が真の異議であると思う。

話を戻す。もちろん毎週連載のものだからたまには(爆)なものもあるかもしれないが、現在の「今週の『異議あり!』」はヒット率が低すぎる。少なくとも資料を調べ、それに基づく明快な解決案(勿論対立する両者が納得するような)を出して欲しいものだ。

まあこんなことを言うんだったら今私が書いている文章だって半分文句のようなものだが、向こうはそれなりの博学な方が書いているわけだから、もうちょっとモノを考えて書いて欲しいと思います


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