● 報告-1
東北・東日本大震災
被災地支援ボランティア
2011.4.20−4.24
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市議選終了後、選挙の整理とお礼をおこないながら県外支援を受け入れている被災地の石巻ボランティアセンター現地(石巻社協が運営)と直接連絡を取り、私も含め4名の仲間で4月20日〜24日までの間、被災地支援のボランティア活動に参加しました。
当初の目的は、まず被災地の現場に行き、どうなっているのか知ること、わずかでも現地で力を尽くすとの思いでの現地入りでした。
すでに新聞を除き民放テレビでは福島原発も含め震災については定時ニュースの一部での報道となっていますが、3日間というこの短い日数でも、今回の震災の被害の大きさと程遠い一人ひとりの市民の復興に向けた現実の重さは伝わっていないということを強く感じました。
また今回の支援活動から学ぶべきことを整理するにはもう少し時間が必要であり、レポートはボランティア活動を中心としたものとなりますが、少しでも現地の状況をお伝えすることが出来ればと思います。(5/2アップ)
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石巻市中心部

● レポート
4/20
午前9時に集合、10時に阪神高速の堺インターにのりKさんと運転を交替しながら北陸道を経て宮城県へ。石巻ボランティアセンターがある石巻専修大学のグランドに着いたのは午前0時前。車とテントが立ち並ぶ中、勝手がわからないまま大学キャンバスの一角になんとかテントを設営、シュラフを出してそのまま就寝。
4/21
朝6時頃に起きて、車に積みっぱなしの荷物を出しテント場を整理。Kさんが聞いてきたボランティアの集合場所に8時半に出向いて受付。9時に全員で受付に。大勢のボランティアが集まってくる中、ほぼ10名程度で1チームを編成、私たちも10名で地図と簡単な説明を受けて資材倉庫に向かう。 指示書の一輪車、スコップ、バール、土嚢袋500枚などを受け取って車2台で現地へ出発しようとするがナビが入らずご本人と連絡を取るもののすでに別のチームが入っており、センター受付に戻り築山地区のAさん宅へ場所の変更の指示を受ける。これもナビで場所が示されず住宅地図のコピーを頼りに出発。
交通は殆どの信号は灯っているものの直線で5km程度の依頼人のAさん宅まで約1時間がかかる渋滞(後に聞いたところでは、ボランティアと見物の車で朝夕の渋滞が起きているとのこと)。
道路の障害物や瓦礫は横に寄せられ車はどうにか通れるようになっているものの近くまで来て迷い住宅地図と表札を確認してようやくAさん宅へ、車を降りて驚いたのはもの凄い異臭でありどうやら海からのヘドロが塩っぽい異臭を放っていることでした。出迎えていただいたAさんによると昨日のボランティアチームで荷物、ごみ出しがされたとのこと。2人一組で残った室内の床一面の厚いヘドロをスコップを使って掻き出し土嚢袋につめ、庭に積み上げる作業や畳の外出し作業に。依頼者が探していた位牌が見つから無かったのが残念でした。
お昼休みには、2階の廊下まで水が来たことや、海岸までの間に工場のサイロがあり津波の直撃は避けられたこと、おばあさんをつれて2階に上がったこと。ご近所の方の亡くなられたことなどをお聞きしました。また初めてのチームのボランティアの人とも少しづつ会話が始まりました。初日ということで昼食にご飯をもって行きましたが、中にはカロリーメイトと栄養ゼリーで済ます人も。昼からはコンクリートの電信柱の倒壊で重機が入れないためにご自宅前道路のドロの掻き出しをおこなう。
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翌朝、4/21朝の石巻専修大学中庭のボランティアのテントサイト大学は高台にあるために殆ど無傷で桜が咲き始めている

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受付は朝8時半頃より始まる。10名程度で1チームに分かれて円陣を組み指示書により簡単な打ち合わせをおこなっているところ
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打ち合わせ後、巨大な作業用資材の倉庫前へ

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倉庫の中は様々な資材が整理されて収納されている

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ボランティアセンターから石巻市中心地へ向かう途中に見える広大な瓦礫、廃材等の集積地、中央ではユンボが稼動している
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中心街に近づくにつれて昨夜はわからなかった震災の状況を目にする、2台の車が確認できるが原形をとどめていない

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ヘドロの向こうに被災した住宅が見える
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Aさん宅の前、昨日ボランティアが搬出した家具やゴミが積み上げられて一杯に (休憩時に写す)

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道路の入り口部に倒壊した電信柱があるために重機が入らず、路面をぶ厚いヘドロが覆い異臭を放っている

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玄関前でヘドロの土嚢袋詰めの作業

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Aさん宅の向かいの家で

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作業はドロドロになるため作業着は雨具と長靴、ゴム手
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夜、テントにて

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4/22
朝から曇り空。昨日同様に8時半に受付前に、今日は9名のチームで昨日と同様一輪車、スコップ、バールなどを積み込み依頼の蛇田地区へ、今回も渋滞で1時間近くかかり現地へ。5名、4名の二手に分かれてBさん、Cさんの2件のお宅のお宅の荷物出しと泥掻きに、雨が降り始める中での作業。昨日もそうでしたが途中、依頼者の方のお茶の差し入れをいただく。お昼は過日より参加のUさんがガスコンロを持ち出して手際よくインスタントラーメンを次々とつくられる。お昼を挟み午後から家の前のヘドロをスコップで掻き取る。昨日よりもだいぶ片付いていたために早く終了し、道路渋滞に遭わずにスムーズにキャンプに帰還。雨により明日は中止とセンターに告げられていたものの3時頃より雨が上がり、明日のボランティア作業の判断は朝の8時と伝わり、翌朝に備える。
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お昼はパンでと朝レトルトのご飯とカレーで腹ごしらえ
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受付を終わったチームが出発準備で倉庫前に次々に集まってくる

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倉庫前の作業資材

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ずらりと並んだ一輪車

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受付のスタッフが資材準備を呼びかける

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一輪車、土嚢袋、スコップ、バールなど必要な資材をそろえたボランティアが倉庫から出てくる
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Bさん宅に到着、依頼の説明を受ける
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この地区は床上浸水にとどまったとのことだが殆どの家具が使えず処分に。Cさん宅の畳、たんす、カーペットなどを運び出す
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生活用具を運び出すAさん
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家の前のヘドロをスコップで集め土嚢袋へ

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重い、水分を含んだヘドロを2人掛かりで一輪車に

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校内に設置されている仮設トイレ
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4/23・24
3日目、朝よりの雨と注意報も出されていたことなどから、センターは中止を決定。センターと依頼現場の車の往復でのまちの被災状況はわかるものの全体像がつかめないため、帰阪の前にもう少し市内を回ろうと一昨日の築山地区を通過しさらに沿岸部をめざす。Aさんが行っていた隣の津波が直撃した地区にはいって、改めて家屋の全壊している状況を確認。さらに石巻港の沿岸部に入って瓦礫の山と化している状態を目の当たりにして一同強い衝撃を受け言葉を失いました。お昼過ぎに石巻を離れ途中短い仮眠をとって24日に帰阪、短かったとの思い、長かったとの思い参加者それぞれでしたが、私の場合は1年くらい別世界にいて現実に戻ってきたかのような感覚を覚えました。
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| 石巻市中心部・沿岸地域の状況 |
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瓦礫の中に残った小学校の校舎

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所々の空き地には持ち出された処分する家財、生活用具が積まれている

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石巻市内のコンビニ店内

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● ボランティアのいまとこれからの長期支援の継続について
帰ってきてからネットで確認したところ私たちが到着した4月20日当日の石巻ボランティアセンターの状況は、新規ボランティアの申込が530人、継続が480人の約1010名が稼動、依頼派遣の活動件数は126件であったとのこと。
ボランティアセンターの運営は石巻市社協が石巻専修大学より構内を借りて運営、依頼への派遣のシステムは組織的にされており、資材もありほぼスムーズに運営がされている。
ボランティアの活動は、一緒に活動した方から聞いたところ荷物だしやドロ掻きドロ出しが9割とのこと。工具類は現地センターにそろっているもののテント生活は自己完結型で水、食料は持参、ゴミも自前で持ち帰り。
東北・東日本全体の被害の状況は、死者、負傷者を合わせて2万8千人、2万戸を超える家屋が損壊しているとされているが、宮城県の被害状況も、まだ充分には把握できていない。石巻ボランティアセンターでの活動状況はこちらだが、現在までの派遣は2800件となっている。医療や介護、ケアなどの専門分野のボランティアを置いても人力が必要とされる家屋の荷物や、ドロ出しの必要性は膨大なものがあり支援活動は長期に渡るはずだ。
二日間を通じてだが、センターの駐車場の7〜8割程度が宮城ナンバーと見受けられる。ボランティア参加のメンバーはみな献身的であり重たい現場で作業をおこなっている。年齢層は若い人が7割程度と思われるがもちろん年配の参加者もいるし、一日目には一緒にスコップでドロの掻き出しをおこなった大分県からフェリーに乗り軽トラで駆けつけた二名の女性もいる。
ボランティア参加のみんなに共通しているのは何とかしなければとの思いであるが、驚いたのは、失業中、フリーターの若者が多く参加していることであり、食事、現地までの自家用車のガソリンなどすべてが自分持ちであることだ。もちろん「自己完結型」を承知しての参加であることはいうまでもないが、こうした若者に支えられてのボランティア活動が継続されていることを忘れてはならない。カロリーメイトと栄養ゼリーで昼食を摂っていたKさんに作業の合間に、話しを聞くと、「いまは失業して就活中でこちらに来たが、とにかく今は力の限りここでボランティアをしたい」との返事が返ってきた。もちろん現地で離職を余儀なくされた人も多数に上るはずだ。この話しを聞いて今のこの国の行政はなにか大きく間違っているのではないかと思わざるを得ない。
また、テント生活については大学構内でありキャンプ場ではないことは承知の上であるが、仮設トイレは設置されているものの、入浴は車で風呂屋にいけても、また炊事施設がなく、どこかでの外食をしないとなれば、殆どがレトルトと缶詰の食事にならざるを得ない。国の方では、被災地中心部ではなく離れた箇所に活動拠点を置くとの議論があると聞く、また必要な宿泊所を行政側が借り上げるのがベストだが、テント利用についても広域防災公園等に最低限の仮設のキャンプ設備を設置するだけでも、長期滞在の参加者の健康を維持した上でのボランティア活動が可能になるはずだ。
一方、石巻ボランティアセンターはこの連休中のボランティア参加を対応できずに受け入れをストップするという。逆に連休後にはボランティア参加の減少が言われている。
沿岸部の全壊の地区は重機の投入で速ければ数ヶ月で更地化されることになるだろうが、個別の住居復旧への支援ボランティアの必要性はまだまだ高いはずだ。
献身的なボランティアいること、そして国や行政側が本当に一日も速い復旧と長期の支援を求めようとするならその長期の支援活動を支える仕組みづくりや最低限の設備の設置はかかせないはずだ。
● 行政の課題・福島原発問題について
脱原発をはじめとする原子力・エネルギー政策や東日本の復興計画と財源問題については今後大きな議論が必要となりますし、例え全壊地区が重機で更地化されて復興が進んだかのように見えても、原発で手が付けられない放射能に汚染された地域の復興の見通しは全くたっていません。
今回震災で堺市は、職員の派遣や被災された方への180戸の市営住宅の提供を行っていますが、この大阪・堺でも南海・東南海や上町活断層の直下型地震の発生についてより現実的な課題の解明と対策が求められることになります。
また脱原発政策とともに福井原発の事故時の対応を始め、臨海コンビナート地帯の火災、広域防災公園の設備、食料や水の備蓄、高齢者や障がい者の方の安否確認まで、今までのまちの耐震化や防災計画、震災、被災時の対応など多様多岐にわたる見直しと再点検が必要です。これらについては具体的な課題を今後明らかにした議会での議論を進めたいと思う。
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石巻で作業用に使った雨具

ほっと心を和ませる専修大学構内の桜

※ なお今回活動では、4名の参加者とともにTさん後方情報支援、一部作業用具の借用、差し入れを頂きました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。
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