被災地を目の当たりに龍泉洞巡り。駆け抜けて支援列車編


10月1日。土曜日。朝7時半。
宮古駅前のビジネスホテルから出発です。

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今日は支援列車の撮影も乗車も予定してます。ここで困った事。見て判るとおり、一日4往復だけなのです。
小本駅を起点に午前中に1往復半。午後に2往復半。すでに宮古駅行きの列車は宮古に着いてしまってるので
折り返しの小本行きの列車の撮影をしようと隣の山口団地駅付近で狙い撃ち。
ここで列車を撮影した後は龍泉洞へ向かうべく、昨日も通った田老地区を走っていきます。
津波が押し寄せて街が流され、ニュースにも流れた宮古港と一階部分が壊れた宮古市役所を横目に車を走らせます。

田老地区を通過するとそこかしこに津波の爪跡があります。道路もそこらじゅうで復旧工事が行われています。
この右の写真で私が立ってる場所は駅に抜ける幹線道路の脇なのですが、震災後は奥に見える駅のほうまで瓦礫の山になっていました。
半年過ぎた今はガレキは撤去されたのですが雑草が生い茂ってきていました。田老地区を横に接待地区。小本地区を抜けていきます。

また小本地区の話は龍泉洞から戻ったら書くとしましょう。宮古から1時間半。龍泉洞に到着です。

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日本三大鍾乳洞にも数えられる龍泉洞。10数年、ずっと行きたいと思ってたけどやっと来れました(笑)
ここの地底湖は世界屈指の透明度を誇るというのでそれを期待し楽しみに行ってみると・・・。

「台風14号の降雨により地底湖が濁っていて見づらくなっております。」

な、な、、なんですとぉ〜!?
確かにここに来る3日前に日本全土を台風が縦断していったけど、まさかこんなトコで影響が出てるなんて想像もつかなかったじゃなイカ!!
まぁ、見えなくともせっかく来たんだから鍾乳洞の中を見学。その肝心の地底湖もごらんの有様で底が見づらい・・・。
でも、どこの鍾乳にも必ずというほど「洞内の水中にコインなどを投げ入れないで下さい」って看板があるんだよね(苦笑)
まぁ、入れたくなる気持ちは判らなくは無いけど、そういうお金は募金箱に入れてあげてください。お金を落とすなら売店でお土産を買うてあげてください。
駅長からのお願いです☆(キラッ)

龍泉洞を出て、お土産物屋さんでお土産を買い込んで今度は岩泉駅へ。実は近くなんです。



龍泉洞から車で10分ほど。岩泉駅に到着ですー。
ここには12年前にも来ました。ええ、旅行記にもある99年仙台編です(笑)しかもあの時も9月末だったんで丸々12年の月日が流れてまたここにやってきました(笑)
だがしかし。12年前の違うことが。
なんと今、岩泉線には列車がやってきていない事。実は去年の夏に発生した土砂崩れに列車が巻き込まれ、それ以降ずっと運休を続けているんです。
駅舎は今も商工会の手によってちゃんと整備清掃されてて開放されてるんですけども、もう窓口はずっと閉まったままになっていました。
ホームに出てみるともう1年以上、列車がやってきてないせいでレールは錆びきっていました。レールなんて3日もあればまたすぐに錆びてしまいますが、
列車がまたやってくることを願い、レールの錆び落としをしてきました。そして駅ノートも書いてきました。
驚いたことに12年前に私がコメントを残したノートが(コピーだけど)まだ駅にありました。こればかりには驚きましたね(笑)あの時と同じ3往復しかやってこないこの駅。
廃止になるかならないかの瀬戸際で踏ん張っていますが、また列車でやってきたいです。



岩泉駅を後にしてまだ小本発の列車まで時間があるので駅ごと流され被災した島越駅に行ってみようと途中まで車を走らせるけど、
途中の道は復旧工事の真最中で駅に続く道は閉鎖されてしまっていました・・・。そして岩泉駅から道一本で小本駅に抜けられるんです。
小本駅は海から1kmもないのですけど岩泉に向かう途中にあった河口から遙か10kmも上がったとこに掛かる吊り橋が左の画像。
なんと流木が引っ掛って吊り橋を破壊してるんです。ちなみにここに行き着くまで川は大きな蛇行を繰り返してます。あの津波はそんな奇形な川をも物ともせず
大きな威力を持ったまま10数kmを遡り続けたんです。
島越駅には行くことが出来なかったので小本駅前で営業されていたラーメン屋さんでお昼ご飯。小本地区ももちろん被害を受けてます。
駅から高台に上がった場所には仮設住宅があります。そしてこの小本駅は宮古へ向かうための列車の暫定出発地点。大切な生活路線の基点駅です。
いくつものバスが発着して、そして三陸鉄道に乗車するための観光バスもやってきてます。お昼ごはんを食べて列車の撮影をするために田老駅にまた戻ります。
田老駅の前を通過するとカーナビにはコンビニがあったと記された場所はすでに基礎だけが残り跡形も無くなってたり・・・。でも、ただ一軒。
ガソリンスタンドが営業をしていたんです。周りはもうどこも店も営業できる状況じゃないのに。私もデリカの燃料を入れてきました。

田老駅の近くで列車を狙っているとなんと宮古から団体客を乗せて来ていたらしく、2両でやってきました。朝に撮ったのがそのまま一両でくるものだと思ってたのでちょっとびっくり(笑)
でも構図どおりの写真を押えられました。さあ急いで小本駅に戻ります。乗り遅れると大変です(滝汗)>ちなみに車を飛ばせば20分で小本駅へなんとか着けます。




14時4分。小本駅。
なんとか滑り込みセーフで支援列車に間に合いました。

これから列車に乗り込んで宮古駅へ向かいます。


14:10。復興支援列車は10人ほどを乗せて宮古へ出発。
列車の車内には久慈駅で飾られていた色んな方々の支援イラストのコピーが貼られていました。
小本、接待と過ぎて列車が田老駅に到着。駅から望む海は本当におだやかでした。でも津波はあの距離、あの高さ、そしてスーパー堤防を乗り越えて、
この駅まで達してたと思うと本当に言葉も出ません。現地に来ないと判らないことが多いです。

15:52。宮古駅に到着です。折り返し小本行きは16:10。
1時間20分で宮古駅でグッズ買うたりいろいろ撮影です。ここから画像が多くなります。





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折り返しの時間の間、入場券を買ってホームや車内で撮影(笑)震災後、届けられた宙花こよりさんの色紙。
前回撮影する事ができなかったMATSUDA98センセイの色紙。他にもいっぱい支援のメッセージなどなど。
宮古駅で「きっと芽が出るせんべい」を始めとしたさんてつグッズをいっぱい買い込んで小本行きに乗り込みます。

小本-宮古間の信号は未だ復旧していないために手信号とスタフ閉塞による宮古-小本 1列車1閉塞運転。
列車が発車するときは手信号を三鉄の運転士さんが交代で現示しています。

16:10。宮古駅出発。小本駅に戻ります。
もうこの時間になると暗くなり始めるために殆ど撮影にならないのでまた宮古へ出発する列車の撮影をし、また19時に小本に戻る列車を撮ろうと、
駅の近くの鉄橋を絡めたバルブ撮影を試したら見事に失敗(苦笑)三鉄の撮影も終えて、また14時間掛かる帰り道を考慮し帰路に就くことに。

今回、強行して三陸鉄道を訪れました。あの震災以来、いてもたっても居られなかったのでこの地に来れた事は良かったと思ってます。
ただ、実際に現地に来て、逆に本当に何が出来るのかと思い知らさせた部分もありました。
震災から半年という時間が過ぎた今だから。遙か彼方のヨソ者ナンバーのついた車が走ってきたって暖かく迎え入れてくれました。
でも、心残りもいっぱいあります。やっぱり被災地に行くのだから出来る限り現地でご飯を食べたりお金を使いたいと。でも実際にはお昼ご飯食べたり、
お土産を買ってあげるくらいしか出来なかったこと。
小本駅の一階には小さなショップがあるんですけど近くで暮らす人々のスーパー換わりになってて、痛むものを無理に買うのも申し訳ないので(^^;;)

さぁ。またデリカD:5に乗り込んで今度は1日かけて名古屋へ向かって帰ります。
あっ。その前に。前回の8月にしっかり行くことの出来なかった土合駅と宝川温泉へ再度リベンジです(笑)
実は宝川温泉に向かうのも含んで計画したのでデリカD:5で三陸行きという事にしたんです。

19時半に小本駅を出発。22時に盛岡市内へ。
また行きと同じように休憩を繰り返して群馬県のほぼ新潟県境に向かってデリカD:5で走っていくのでした。明日へ続く!!


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