最後の勤務日
 

ああ、ついにこの日がきてしまったんだな・・・と、僕は通いなれたこのドアの前で立ちすくんでいた。
この扉を開ければ、いつものあの笑顔が迎えてくれるだろう。でも・・でも・・それは今日限り・・・・・・。
もう2度と、あの笑顔を見ることは出来ないかもしれない。最後の思い出に、彼女の笑顔を刻みつけること、そんなのは耐えられない。やはり、やはり自分の思いを伝えよう・・でも・・・・・彼女の思いは・・・・・・・。
ドアの前で激しく葛藤しながら、僕の意識はいつしか3日前に飛んでいた。

「え?!あと3日??!!」
「ああ。なんだ、聞いていなかったのかい?」
ショックだった。その後、どうやって家路についたのかさえも記憶にない。そのくらい僕の頭は混乱していた。
この喫茶店に初めて来た日はいつだったか覚えてはいない。ただ、あの笑顔に出会った時の衝撃だけは鮮明に脳裏に残っている。
「いらっしゃいませ〜。ご注文が決まりましたらお呼びください!」
メニューを持ってにっこりと微笑む彼女、完全に一目ぼれって奴?以来、足しげく喫茶店に通うようになった。
さすがにマスターも察しているわけで、彼女の休暇日に行った日には
「おお!残念!今日は君のお目当てのメニューはお休みしてるんだよ」
などと言う始末である。

恥ずかしいやら、悔しいやらではあるが、それでも、ナゼだかマスターは僕を気に入ってくれているらしく、長時間いてもそれほどとがめるような目をしない。もっとも、その代償として、なんやかやでただ働きをさせられているようには感じているのだが・・・・・。
ただ、マスターの配慮、のせいなのか、僕は比較的彼女と打ち解けられやすかった。多分、他の客にも彼女目当てのものもいたであろう。その羨望と嫉妬の混じった視線を背中に、横顔にひしひしと感じることも多かったが・・・・・彼女と面と向かって話ができる頃には、多少の優越感を持つようになったものである。それは、「成田その子」という、彼女の名前を聞き出した日から膨らんでいったのかもしれない。

バッタン!!
突然開かれたドアの音と、人が目の前に立つ気配で、僕は我に帰った。
目の前には・・・・・・・
「ど、どうしたの??!!あ、ご、ごめんなさい。びっくりしたでしょ。いらっしゃいませ〜。」
いつもと変わらない笑顔。左眼の下のほくろが愛くるしく映え、そして肩まで届くソバージュの髪の毛。
いつもなら、ほっとするその笑顔も、今日はなにか虚しく覚えた。
「う・・うん・・・・いつもの・・・よろしく・・・」
結局、僕は喫茶店に足を踏み入れた。

今日は客足がほとんどなかった。事実、今は僕一人。その子ちゃんは、手持ち無沙汰らしく・・・・僕の席の前に座って、マスターが煎れてくれたアイスコーヒーを飲んでいる。
「今日は暗いよ〜〜なにか、悩み事かな〜〜」
(そうだよ・・・・・)
僕は心の中でそう思いながら、それを口に出せず、コーヒー(3杯目)をすすった。ちょっとつまらなそうに上目遣いに僕を見るその子ちゃん。
「なんでだよ・・・・・・・」
僕は口の中でそうつぶやきながら、また、過去への反すうをしていた・・・・・・。

−−−2週間前−−−

「あははは、今度はあっちに乗ろうよ」
「ちょ、ちょっとまっておくれよぉ・・・・」
まさか、こんな事がホントに起るとは・・・・・・。僕の隣にその子ちゃんがいる。そして・・・・・僕らは夜の遊園地に来ているのだった。
『いや〜〜!このチケット、今日までなんだけどね・・・娘が熱を出してしまって・・・・どうだい、その子君が良ければ、今夜2人で行ってみては?もちろん、今日の分のバイト代はサービスするよ。』
マスターの声が天の声に聞こえた。
『え?わ、私は嬉しいですけど・・・・・いいんですか?』
『ああ、そこの彼には異存はないだろうからね♪』
『え・・・・・・あ・・・・・・』
そんなこんなで、こうしてそのこちゃんとの夢のような一時を過ごしている・・・・。しかし、それも一瞬、夜がふけていくほど、時が止まって欲しいとの思いが強く・・・・・。
「やっぱり観覧車だよね」
その子ちゃんの誘いに肯く。話したいことがいっぱいあるのに話せない自分がもどかしかった。店ではもっと親しく話せるのに・・・・・。
「私ね、芸能学校に通っていたの。」
観覧車がゆっくり登り始めた頃、その子ちゃんが急に切り出した。
「え?」
「でも、結局デビューできなくって・・・・・その後でね、ウエイトレスの仕事ばかりしてたの。」
「そう・・・・なんだ・・・・。」
道理で・・・こんなにかわいいんだもんなぁ・・・・・。それに・・・・受け答えとか、ハキハキして・・・・・
「色々なところへ行ったよ。そうそう、中でもね、超豪華列車の食堂車でも働いたんだ。ほら、あのね・・・・日本を縦断する列車。」
「へえ・・・?」
その列車のことは、どこかで耳にしたような気がする。期間限定で日本を縦断する列車。それにこの娘が乗っていたんだなぁ・・・
「その列車の中でね、ちょうど私と同じくらいの人かな。終点まで乗ってたんだけどね、その人に教えてもらったの。新しい夢に向かって進むことを・・・・」
そう言ったその子ちゃんは懐かしそうな目をしていた。あ・・・ひょっとしたら・・・・・その子ちゃんはその人のこと・・・・・・・。
「それからね・・・何かやろう何かやろうって・・・結構いろいろやってみたけど・・・なんだかウエイトレスが一番板に合ってるみたい。なんだか、あの列車から降りちゃったのもったいなかったかな。」
そう言ってチロッとカワイイ舌を出す。そして・・・・・
「・・・ごめんね。こんな話つまんなかったかな・・・・・。」
ちょっとトーンを落とした声で、その子ちゃんがつぶやいた。
顔を上げてみると、ちょっと伏し目がちになっている。非常にヤバイ!
「そ、そんなことないよ・・・・・。貴重な体験したんだねぇ・・・・・」
あわてて言葉を探し出す。
「そ、それに・・・・・うん、いい話じゃない。新しい夢が見つかる、見つからないは別にしても、見つけようとして努力して、その中で笑っていられる・・・そんなその子ちゃんが、眩しいと思うな。あ・・お、俺何言ってるんだろう・・・・。」
喋りすぎた・・・・。焦る僕。
その子ちゃんはそんな僕を見て、くすくすと笑い出した。そして・・・・・
「不思議ね・・・・・。なんだか、あの時みたい・・・・。あなたってホント不思議。なんでかな・・・・自分のこと話したのって、あんまりないのにね。」
それからは、いつも以上に話題がはずんだような気がする。でも、その夢のような時間もあわただしく過ぎて・・・・シンデレラは12時を前にして去っていった・・・・・。

−−−−−−−−−−−

(あの時には・・・もう決まっていたのじゃないのかな?なんで、言ってくれなかったんだろう・・やっぱり・・・僕では・・・・)
かなりショックだった。そりゃ、確かにたまたま遊園地に行ったということだけなのかもしれない。でも・・・・。
「あのね・・・・・・・・」
目をちょっと上目使いにしたまま、その子ちゃんが切り出して来た。
「私、今日で、このお店終わりなの。」
がが〜〜ん!ついに言われてしまった。それも、今日と言う日に。直前に。
う・・・・で、でも・・・・確かに、その子ちゃんの心に他の人がいようと・・・僕は僕の気持ちを伝えなきゃ・・伝えなきゃ・・・・・・。で、でも言葉が・・。
「びっくりした?でもね・・・・・・・前から決めてたことなの・・・・・。今度ね・・・・・私が前のバイトでお世話になった人が喫茶店を開くことになって・・・・・・だから・・・・・・。」
あ、やっぱり・・・。そっか・・・でも、でも、きっと言わなきゃ後悔するっ!
「だから・・・・・・・お願い。貴方に、最初のお客さんとして来て欲しいの。」

・・・・・・・え?
後で聞いたところによると、僕はかなり呆気に取られていた顔をしていたらしい。相当なマヌケ面だったのだろう。
「え?え?・・・・・・・」
「ここから、近くだし・・・・。それに・・・・私も貴方ともっとお話したいから・・・・・・。」
その子ちゃんはそういうとちょっとだけ、顔を赤らめたように思う。
「・・・・・だめ?」
その子ちゃんが心配そうに聞いてくる。
「そ・・・そんなことない・・・・・。是非是非・・・・・・。」
そういうと僕は思わずその子ちゃんの手を取っていたらしい。
その子ちゃんは、さらに頬を紅潮させながらも、
「ホント!うれしいな。これからもよろしくね。」
と、言ってくれた。この笑顔を・・・もっと近い存在として・・・・・・・・。

「ウオッホン!でも、うちとしてはお客が減るんだよなぁ〜〜」
不意にマスターの声がした。というより、すっかり存在を忘れていた。
と、同時に・・・・・・
「あ、あ・・・・ご、ごめ、ごめ・・・ごめん。」
僕はやっと、その子ちゃんの手を取っていたことに気付いた。慌てて手を放す。そうすると、お互いに顔を合わせられなくなってもじもじしてしまった。
「まあ・・・・・そうだな。デートにはうちの店をひいきにしてくれよ。」
マスターは明るく、そう声をかけてくれた。
「デート・・・・・・・・」
僕らはお互いにまた赤くなったけど・・・・・・でも、「ハイ」という返事だけはきちんと出来たと思う。

空もいつしか、僕らの紅潮した頬を隠すようにオレンジ色の光を放っていた・・・・・。

(完)