.....ある夜の地下鉄のホームで.............1980年9月1日
 私は、絶望に満ちた虚脱感の中で、冷たく光る2本のレールを、ぼんやりと眺めてい
た。あの線路に首を乗せたら、確実に死ねるなあ、と言う考えが脳裏をかすめる。やが
て、不気味な暗黒のトンネルの奥に、電車が姿をあらわした。鼓動の高まりを感じる。
しかし、まだ早い、今飛び込んだら、電車はここまで来る前に止まってしまうだろう。
まだだ・・・まだ・・まだ・・よし、もういい、いまだ! 体の奥から衝動が沸き起こ
る、が足が動かない。まだ間に合う・・・まだ間に合う・・・過去の記憶が幻のように
現われては消える。しかし、依然として足が言うことを聞かない。・・・ああもう間に
合わない! ・・・電車は、無情にも走り抜け、そして止まった。私は乗り込んだ。全
身から力が抜けて行くのを感じる。やれやれ、また確率1/2のふるいを通過して生き
延びてしまった。もう、こんなことを10年も続けているなあ、すると現在の生存確率
は、            365.25x10            -1100
       (1/2)         = 3x10       。
あれっ、おかしいなあ、どっか計算間違えたかなあ・・・。

.....ところ変わって、ある日の三鷹村(実話)......1980年9月1日
 生協食堂で大変に美味しい(これはウソ)昼食を賞味して、北館に入ろうとすると、
狭い入口で、M助教授とばったりぶつかった。
私  「先生、お先にどうぞ」
M先生「いや、君こそお先に」
私  「いや・・・」
M先生「いや・・・」
ここでM先生、突然身構えると、
   「じゃん けん ぽん !」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

III.知性の本性                     1980年9月1〜4日
 この世に不思議なことは数多くありますが、その中でも解明の難しいものの1つに、
知性の存在があると思います。人間の他の機能、つまり筋肉の動きや食物の消化、呼吸
などは、ほとんど化学反応で説明できるでしょうし、遺伝のメカニズムや1個の細胞か
ら複雑な成体への発生のプロセスも、生化学によって解明されることでしょう。またな
ぜこのように巧妙で複雑な生物が存在しうるかという疑問には、生物進化に費やした数
十億年の「時間」が答えてくれるものと思います。例えば人間の脳が1μm3の構成要素
(脳細胞自体はもっと大きいが)でできているとすると、その数は10の15乗程度で
すが、これは五千万年で2倍というゆっくりした進化速度で、25億年あれば実現され
るものです。これに対し、人間がなぜ意識を持ち、論理的思考をし、更には自由意志を
も行使できるのかというのは、少し性質の違う問題であるように思います。そこで今回
は、この「知性」について、解明を試みようと思います。
 さて、人間の脳が一種の電子回路であることは、疑いのない事実だと思います。です
から、問題は、どのような構造の回路ならば、知性を持ちうるかという事になります。
そして、結論から先に言ってしまうと、意識とは大記憶容量に支えられた、絶え間ない
データ転送とその記録であり、思考はデータ転送の秩序正しい連続、そして自由意志は
量子論的不確定性に基づく、回路の不完全さの現われという事になります。
 それでは、まず意識について考えてみましょう。意識があるとは、どういう状態でし
ょうか。意識がある、つまり起きている時には、常に何かが見えるか聞こえるか、ある
いは臭いや味や何かに触った感触を感じています。また、静かなところで目をつぶって
も、すでに記憶されている、このような5種類の感じが次々に思い出されます。そして
それらは、絶え間なく続きます。それが中断する時、それは眠りに落ちる時です。従っ
て意識があるとは、外界からの情報、または過去に取り込まれて記憶されている情報が
次々に、脳の回路のある特定の部分を通過している状態であると言えます。これだけな
ら、コンピュータとそれほど変わりませんが、更に意識には、他人から聞かれるにして
も、自分で問いかけるにしても、今、何を考えていたかを答えられるという特徴があり
ます。従って、データ転送の過程が全て記録されているわけです。この事によって、意
識の連続感が感じられるのです。このために、膨大な記憶容量が必要とする事は言うま
でもありません。但し、この場合の記録は、必ずしも永久に残るものではなく、たいて
いは次第に減衰する性格のものです。だから、時間がたつにつれて記憶があいまいにな
るのです。この記録は、脳の中での残像効果のようなものかも知れません。
 意識については、これで全てが説明されているのですが、まだ釈然としない方のため
に、少し発想を変えた考察をしてみましょう。今、述べたような機能を持った電子回路
を組んで人工頭脳を作ったとします。これには、後で述べる不確定性に対応して、所々
に乱数発生回路も組み込みます。これに、耳と口をつけると、この人工頭脳は、周りの
音から学習して、言葉をしゃべるようになるでしょう。そして、何かを問いかければ答
えるでしょうし、今何を考えていたかを聞いても、答えられるでしょう。それでは、こ
の人工頭脳は、我々と同じような「意識」を持っているのでしょうか?。答えは、もち
ろんyesです。次に、もう一つの発想をしてみましょう。人間に意識があると言って
も、その具体例は、常に自分一人だけです。他の人間にも、同じように意識があるだろ
うというのは、単なる類推にすぎません。この類推は、自分の心の動きと外部への行動
との関係を、他の人間の外界への反応に当てはめて得たものです。そして、この外界へ
の反応という点からは、他の人間も先程の人工頭脳も全く区別ができないわけです(1)。
従ってこれらは、いずれも意識を持っているか、あるいはいずれも意識を持っていない
かのどちらかなのです。
 意識の正体が分かってしまえば、後の2つは比較的簡単に理解できるでしょう(2)。
人間が思考をする時、まず問題の素材をそろえて、それらの関係を明らかにし、ある結
論に達します。この一連の過程で、素材や関連のイメージが、次々に秩序正しく、頭脳
回路のある部分を通過して行くわけです。従って、思考にとって必要な事は、ある事柄
のイメージが頭に浮かんだ時、次にこれに関連したイメージが、膨大なデータ群の中か
ら、すぐに連想されて出てくる事です。そして実際に、人間の記憶領域は、膨大なデー
タ群が相互に関連付られて格納されている、高度な情報検索システムになっているわけ
です。
 純粋に論理的思考をする場合は、これでだけで十分ですが、人間の思考には、もう一
つの重要な特性があります。それは自由意志の存在、言い換えると「ひらめき」現象で
す。これは、あるイメージが頭に浮かんだ直後に、これと全く関係のない事柄のイメー
ジが現われる現象で、全く偶然性のものです。先程の連想を、次のイメージが一つに確
定しているという意味で、確定連想と言うならば、この「ひらめき」現象は、偶然連想
あるいは不確定連想と呼ぶべきものです。この連想は、言わば頭脳回路の不完全さによ
るものなので、コンピューターではあってはならない現象ですが、人間にとっては、人
間性にもつながる非常に本質的なものであり、これによって新しい概念が生み出され、
文明を創造して来たと言えるものなのです。
 それでは、この不確定連想がどのようにして起こるのかを、考えてみましょう。今、
確定連想と不確定連想の2つに別けて考えたわけですが、実はこれらは同時に起こる確
率現象です。つまり、あるイメージを描いた後には、これと最も関連のある、あるイメ
ージへ移行する確率が最も高く、これが起これば確定連想であり、それ以外へ移行すれ
ば不確定連想になります。そして、不確定連想の中にも色々なレベルがあり、多少関連
のあるイメージへ移行する場合から、全く関連のないイメージへ移行する場合まで、さ
まざまです。それらの移行確率は、もちろん関連するものほど高くなっています。そし
て、この確率現象は、頭脳回路の中に存在する電子の量子論的不確定性によって、次の
ように、その本質は理解することができます。つまり、最も簡単な場合を考えて、頭脳
回路の中に、電流が太さの異なるいくつかの分岐へ枝別れする部分があり、ともかくど
れか1本に電流が流れ始めれば、他の回路は閉じてしまうとします。このような回路は
十分に考えられるものでしょう。ここで、実際にどの分岐に電流が流れるかは、ある瞬
間にちょうど分岐点にいる1個の電子が、次の瞬間どちらへ動くかによるわけです。そ
して、このように微視的な場合、その電子の位置や運動量は確定していないので、どの
分岐へ動くかも、不確定な確率現象となるのです。
 ここで、意志の自由について考えてみましょう。今、述べて来たように、知性の存在
は、現在の科学で十分に理解できる自然現象です。こう言うと、人間には意志の自由な
どないように聞こえるかも知れませんが、むしろ人間には不確定連想の機能があり、そ
の根底に量子論的不確定性がある事によって、意志の自由が完全に保証されたと言える
のです。このため、人間が次の瞬間、何を考えどのように行動するかは、他人はもちろ
ん当の本人ですらも本質的に予測のできない事であり、これこそが自由意志、そして人
間性の本質と言えるものなのです。
 それでは最後に、現実の世界に目を向けてみましょう。不確定連想は、人間が秩序正
しく思考をしたり、単純な繰り返し作業をしている時には起こりにくく、一瞬、空虚な
気持ちになった時に起こりやすいものです。しかし、これにも個人差があり、この不確
定連想の起こる確率と記憶領域の情報検索システムの構造によって、人間の性格や能力
のかなりの部分が決まっていると思われます。例えば、不確定連想の確率が低く、情報
検索システムがしっかりしている人間は、行動の安定した人格者となり得るでしょう。
但し、場合によっては、融通のきかない人間、頑固者になる場合もありえます。また、
この場合、一般的に創造力は乏しい事が多いと思われます。一方、不確定連想の確率が
高い場合は、情報検索システムの構造によってかなり様子が変わります。つまり、単に
でたらめな連想が出るだけなら精神分裂ですが、出て来た不確定連想を判断選択し、こ
れを正しく処理できる場合には、素晴しい独創力を発揮するわけです。これが天才現象
であり(3)、不確定連想による「ひらめき」と、その後の確定連想による「構築」の見
事な調和がそこにあるのです。それから、人間に良く起こりがちな「迷い」(4)の現象
がありますが、これは確定連想が「無限ループ」を形成してしまった場合です。この場
合は、情報検索システムがよくできていれば、ループに落ち込んだ事を感知した瞬間に
抜け出してしまうでしょうし、不確定連想によっても抜け出すことが可能です。それで
も、またすぐにループに逆戻りしてしまう場合があります。このような場合、何かを選
択する問題だが判断できないという事ならば、サイコロでも転がして決めてしまうのが
最も適切であると思われます。このような場合、どちらに転んでも、それなりに未来が
発展していくものであり、決定権を大脳の電子から小脳の電子へ移すだけで、本質的に
は何ら変わらないのです(5)。そして、何よりも貴重な「時間」を節約できるというメ
リットがあります。
 次回は、現在の人間の能力についてもう少し詳しく考察し、問題点を探ってみたいと
思います。
                                                          銀河連合よりの使者

註  (1) この事により、・・・の機能が意識の全てである事が証明されたわけである。
   (2) それは、ソフトウェア的なものだから。
    (3) ここでは、1つ1つの現象の事を言っているのであり、人間の事を言っている
    のではない。但し、この現象を非常にしばしば起こす人間の事を「天才」とい
    うのは、誤りではないだろう。
  (4) 「悩む」も同種の現象であろう。
  (5) 但し、乱用は危険で、ある程度は分岐の価値判断をして、ウェイトをかけた上
    でルーレットを回す、などの配慮も必要である。

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