※これは2011/9/6と10/22〜23にfacebookのノートへ投稿した文章の転載です。少子高齢化、医療費膨張、財政破綻等について考察を行ったものです。

アステカと進化論の接点(2011/9/6)

 9/12からの旅行に備えて「マヤ・アステカ不可思議大全」(芝崎みゆき著)で勉強している中で、アステカの死後世界への考え方と進化論に合理的な接点があるように思われてきた。
 マヤ・アステカでは生け贄の風習があり目的は太陽の寿命を伸ばすためとされていた。これ自体には科学的根拠はない。但しスペインなど西欧文明の側から生け贄行為を野蛮だと非難することはできないだろう。なぜならマヤ・アステカの地を侵略した上に、キリスト教への改宗を拒んだ大量の現地人に対して異端審問の名の元に恐ろしい拷問を行い死に追いやるという野蛮行為を働いたのだから。
 アステカの死後世界は生前の行いではなく死に方で決まるとされていた。生け贄、戦争、お産で死んだものは天国へ。普通に死んだものは地獄へ。更に、事故、病気で死んだ者、障害のあるものは天国の少し下の楽園に行けるとされていた。

 さて、進化論によれば突然変異により変化を起こした中で生存に適さないものが淘汰され競争力のあるものが生き残っていく。突然変異の原因としては放射線の被爆などがあるが、突然変異の大半は進化ではなく病気の発症など退化の方向に作用するので、進化以前に退化防止のためにも淘汰は必須である。これらは科学的事実であり自然の摂理である。
 現代の文明国においては人命が尊重され理由を問わず死ぬことは良くないとされている。病弱であろうと障害があろうと医療技術で助けてしまうので淘汰の仕組みが機能しない。これはこれで大問題なのだが、生存に適さない病人や高齢者の延命に膨大な予算が投入されるので財政破綻を招くといった問題も健在化しつつある(この件はいずれまた)。

 そこで本題だが、アステカの死後感は進化論の淘汰の仕組みを実に合理的に取り入れたものであると思われる。生物が進化していくためには生き残る側と淘汰される側の両方が必要で、いずれもが重要な役割を担っている。戦闘能力が劣っていて戦争で死ぬ(あるいは捕虜になり生け贄にされる)、病気で死ぬ、障害があり長生きできない、といった人達は淘汰される側なのだが、アステカ人は淘汰される側の重要な役割を認識していて最大限の敬意を払って天国へと送り出したように思われる。
 マヤ・アステカは王朝の変遷はあるものの限られた地域で約3千年に渡って同質で継続的な文明を営むことができた。人命尊重に偏重するあまり自然の摂理に逆らい破綻しつつある現代文明にとって学ぶべき点が多いと思う。


医療費膨張と財政破綻(2011/10/22)

1.はじめに
 現在、ヨーロッパ、アメリカ、日本の各国とも財政破綻と景気低迷の板挟みで身動きがとれず危機的状態に陥っている。各国で要因が異なるので共通に議論することはできないが、日本に限って言えば医療費の膨張が主要因であることは明らかだろう。
 日本では、絶対的な人命尊重思想のもと、少子高齢化の急速な進行、高額な高度医療技術の発展と普及により、高齢者医療を中心に医療費は毎年1兆円以上の膨張を続けている。このままでは財政破綻は免れず、やがて弱者の大量死という最悪の事態を招くであろう。しかしながら、強固な既得権の主張(例えば後期高齢者医療制度への猛烈な反発)や民主主義の限界(高齢化が進むと多数決原理で高齢者の意見のみで政治が動く)から解決は困難を極める。
 とは言え手をこまねいているわけにもいかない。少なくとも本来あるべき姿を考えておくことは破綻後の新制度確立時には役立つだろうし、色々な人同士で意見交換を行うことで有効な解決策を見出せる可能性も皆無ではない。
 今回は主に科学的立場から、現在の人命尊重思想や医療倫理といったものの見直しまで踏み込んで、医療のあるべき姿を考えてみたい。

2.生命としての人間
 生命には生と死が必ずあり、生存が困難になった時点で死ぬのが最も自然な成り行きである。不老不死を求めるべきではないと思う。歴史的には秦の始皇帝を始めとして強大な権力者はみな不老不死を求めたが、成功した例は無いしむしろ国家衰退を招くことも多かった。現在の日本は平均寿命世界トップクラスを誇り、死亡診断書に死因として記載されるすべての病気を克服しようとしている。国民一丸となって不老不死を求めているとも言える。しかし成功しているのだろうか?。高齢者医療費が膨張していると言うことは病気で苦しんでいる高齢者が増えていることに他ならない。長寿大国になった見返りに闘病大国になってしまったとも言える。私は加齢とともに発症率が増加する病気の多く(例えば癌)は老化・老衰であって、それにより死亡するのは天寿の到来として受け入れるべきだと思う。
 次に進化論の立場で考えると、生命とは突然変異により個体の多様性が生じ生存に適するものが長く生き残って子孫を残し、適さないものは早く命を終えて消えていくものである。現在の医療福祉政策は弱者救済に特に力が入れられているが、生存に適さないものの延命に力を注ぐことは生命進化という自然の摂理には反することになる。突然変異はランダムなので確率的には機能劣化や病気発症の方向に向かうと考えられ、人間だけ進化のメカニズムが機能しないようにすることは大変危険である。また、生き残るものとそうでないものの両方が存在して始めて進化が機能することを考えると、早く命を終えるものへ最大限の敬意を払いつつ進化のメカニズムが保たれる医療体制にすべきと思う。

3.医療のあるべき姿
 生命としての人間を考えたとき、医療は治癒医療、機能回復医療に限定すべきと考える。例えば、初期段階の癌を切除し10年以上転移が起こらないと想定される場合、片足を失った者に義足を作り歩行機能を回復させる場合などだ。延命だけを目的とした医療はすべきでないと考える。植物人間状態の延命はもっての外だが、不治の病での生命維持装置の利用は行うべきでないし、人工透析やインスリンの継続投与等も延命治療の一種であり少なくとも公的補助は行うべきではないだろう。治癒・機能回復の見込みの無い重度の身体障害や要介護状態も同じだ。
 しかしながら、こうした制度に移行したら病気で苦しみながら治療できずに苦しむ人が続出するだろう。そこで選択死制度を設ける。不治の病、重度の障害、それ以外でも自費での医療費支出が困難な場合には、所定の審査を経て選択死を認める。そして安楽死処置費用と最小限の葬儀費用(火葬から共同墓地への埋葬まで)は公的補助で行う。スイスやアメリカのいくつかの州では、不治の病の人に対して安楽死が認められている。私としては人生の終わり方は自分で選択できるべきと考えており、一定年齢以上に範囲を拡大するなどより柔軟な選択死制度を求めたい。

4.保険制度のあるべき姿
 医療のあるべき姿としては上記のように考えるが、人生の終わり方を自ら選択するという意味では保険制度自体も選択できるべきだろう。現在の日本は国民皆保険制度になっていて、必要としなくても同じ保険料を徴収され病気になっても死ぬ事は一律に悪とされている。この結果、全員がもれなく人生の終わりに苦しい闘病生活という生き地獄に落とされるわけだ。健康には自信があり仮に病気になったらすぐに死にたい考える人もいるだろうし、逆に植物人間になっても医学の進歩による復活を信じて生き続けたいと願う人もいるだろう。保険制度は各個人の考え方により選択できるべきだ。どのような考え方が適者生存にかなっているか事前には分からない面もあり一通りに固定しない方が良いと思う。
 具体的には、治癒医療と機能回復医療のみを希望する人、延命治療も希望する人に応じて掛け金を設定し、治療時には全額支給されるものとする(実際には1回の手術費用上限や利用可能治療方法の範囲などの指定も必要)。運営は国でも民間の保険会社でもどちらでも良いが、公的補助ではなく通常の保険制度になるということである。掛け金は相当に増えるだろうが今まで公的補助として使われていた分の納税は無くなる。最低限の要件として最後に選択死を選んだ場合の安楽死処置費用と最小限の葬儀費用が支給されることは言うまでもない。

5.終わりに
 老後の心配というのは、いつ死ぬかということではないと思う。いつまで生きるかわからないので、それまでの生活費をうするのか、病気になったら医療費をどう工面するのか、死んだ後の墓はどうなるのかといった心配だろう。こういう心配があるから高齢者は多額の貯蓄があっても抱え込んで使おうとしない。それが景気低迷の原因となっていると思う。選択死制度が導入されれば、あと何年生きて何をして人生を終わりにするという計画を立てることができ、老後の心配から解放される。蓄えた財産を使い切ったり子孫に残したりして人生を終える人が増えれば、医療費の抑制とともに景気浮揚の効果も高いであろう。
 人命尊重思想や医療倫理を否定する今回のような主張には批判もあるだろうが、財政破綻が起きて公的補助が急にストップすればそれらに頼って延命してきた弱者(高齢者、身体障害者、不治の病人)の短期間大量死、それも苦痛死という事態を招く。弱者大量苦痛死という事態に直面することで、初めて人命尊重思想や今までの医療倫理が必ずしも正しくなかったことが証明されるのだろう。私は原則無宗教だが宗教的な言い方をすれば「不老不死という神の領域に踏み込もうとした人間が神の怒りに触れ天罰を食らう」ということだと思う。また人命尊重というのは今生きている人間の命の尊重であり言わば既得権の主張である。高齢者の既得権主張により若年層に負担がかかり、それが少子化の原因となっているとすれば、これから生まれてくるはずの人間の命を奪う殺人行為とも言えるのではないだろうか?。
 次回は、財政破綻による大量死を始めとする起こりうる事態の予測と対処方法、日本の人口減の行き着く先について考えてみたい。


財政破綻で起きること(2011/10/23)

1.はじめに
 前回は財政破綻の主要因である医療費のあるべき姿について考えてみた。しかし現実には医療費の圧縮は強固な既得権の主張と民主主義の限界により事実上不可能である。医療費膨張の原因のひとつである少子化も、高齢者医療費の膨張と若年層への負荷増大とともにますます進行し、人口減が加速度的に進んで行くであろう。
 今回は財政破綻が起きたときに具体的に何が起こるのか、また人口がどんどん減っていったときにどのようになっていくのかを考えてみたい。但し未来の予想は誰にもできないので、現時点で考え得ることを列挙するのにとどまらざるを得ない。なおテーマが広範に渡るので今回は財政破綻にとどめ人口減に付いては次回に回すこととする。

2.財政破綻は起きるのか?
 大雑把に言うと、1400兆円の個人金融資産のうち1000兆円が銀行などを通して国債購入に充てられている。日本国債は大半(95%)が国内で消化されているから破綻しないと言う人もいるが、国民の貯蓄の多くが国により既に使われてしまった状態というのは大いに問題ではないか?。いずれにせよ、個人金融資産が底をつけば新たな国債発行ができなくなり財政破綻に至る。税収の奇跡的回復など望むべくもないし、海外からの日本国債購入も破綻の瀬戸際に至っては期待できない。
 税収と通常の国債発行以外の歳入手段として、日本銀行による国債の直接引き受けと政府の通貨発行特権があり破綻回避策になるかも知れない。国債の直接引き受けは所詮は国債であっていずれ償還しなければならないので抜本的な解決にはならない。一方の政府の通貨発行特権は償還の必要が無い言わば打ち出の小槌だ。例えば通貨発行特権により1400兆円分の紙幣を印刷すれば国債の償還ができることになる。
 通貨発行特権の行使は円安とインフレを招くからダメだという反対意見が根強いが、円高とデフレに苦しんでいる状況でも全く使えないのは理解できないところだ。但し、一度これを使い出すと多くの人がこれをあてにした予算要求を繰り返し、歳出膨張に歯止めがかからなくなり結局はインフレを招いてしまうのだろう。また通貨発行特権が禁じ手になっている本当の理由は、円安で日本の輸出産業だけが有利になることに対しアメリカ(事実上日本を占領統治している?)のお許しが出ないためではないかと推測している。

3.財政破綻で起きること
 財政破綻が起きると国債は償還できなくなる。その時点で発行残高が1400兆円に達していると、国民の金融資産のほぼ全て失われることになる。ペイオフにより一人1000万まで預金保険機構が保証するとされているが、預金保険機構で1400兆円の保証など出来るはずもなく結局は税金による補填が必要になる。しかし国債を新規発行できなければ補填に使える税金は無いので結局全てが失われる。
 現実には破綻状態進行とともに、やむを得ず日銀による国債引き受けや政府による通貨発行を行うと予想されインフレが起きるだろう。実際にどのような課程を経るかは予想できない。第2次大戦終了時のインフレと同等(終戦時の国債発行残高は現在と同じGDPの2倍!)だとすると100倍程度のインフレが起こるのではないか?。これにより国の負債は実質100分の1に圧縮されるので償還不能といった形での完全破綻は回避される。ペイオフによる1000万の保証も有効だが国民の金融資産も価値が100分の1になるので実質的に失われることに変わりはない。これは実質的破綻と見るべきである。但し、大半の金融資産が一部の高齢者が使わずに抱え込んでいたものだとすれば、失われたところで大きな問題にはならない。大きな問題はインフレの過程での社会的混乱と、その後しばらく新規の国債発行ができなくなることだ。
 完全破綻、実質的破綻のいずれの場合であっても、国民の金融資産の全てが失われ新規国債の引き受け手がなくなるわけで国家予算は大幅に削減せざるを得なくなる。現在行われている社会保証への公的補助がストップすれば、これに依存していた弱者(高齢者、身体障害者、不治の病人)の短期間大量苦痛死は避けられない。これに伴い医療業界も顧客を失い壊滅的打撃を受ける。農業など色々な分野への各種補助金もカットされるので、補助金依存の産業も大きな打撃を受ける。
 これに対し財産を持たず補助金にも依存しない産業に従事していた大多数の勤労者は、物価上昇と賃金上昇のタイムラグによる損失を被る恐れはあるものの影響は比較的軽微に留まるのではないか?。

4.財政破綻の効果
 財政破綻の大混乱の中で弱者の多くは死亡し、生き残るのは比較的若くて健康な勤労者に限定されるだろう。この結果、少子高齢化は一気に解消される。また新規国債の発行はできなくなり、国家の運営は税収の範囲内で行わざるを得なくなり、財政面でも強制的に健全化が計られる。
 本来は継続的な改革によるソフトランディングを目指すのが望ましいが、それができずハードランディングとなってしまっても結果としては帳尻が合って健全な状態から再スタートを切れると言うことかも知れない。気をつけなければならないのは財政破綻の混乱期に、軍事的または経済的に他国の侵略に屈してしまうことだ。

5.財政破綻に備える
 財政破綻に備えるにはどうすれば良いか。当然ながら、個人レベルでは何と言っても健康で強靱な体を作ることだ。病院通いをしなければ生きていけないようでは財政破綻時に真っ先に命を落とす。一時的に雇用情勢が極度に悪化するので、生活必需産業に従事していた方が安全そうだ。産業レベルでは一刻も早く補助金依存体質を脱却しておくことだが、これができないから財政破綻が起きるのであって言うだけムダかも知れない。
 資産防衛の点では円の現金資産は紙くずとなり消失するので円資産は全てダメである。インフレが進み出すと預金金利も上昇するが、ここで喜んで国内銀行に預金するのは以ての外である。事前に外貨に換えておくという手もあるが、現状では円よりユーロやドルの方が先に紙くずになりそうな情勢だし、日本ほどの国が財政破綻すれば世界に影響を及ぼし多くの国が連鎖破綻を起こす恐れもあるので危険であることに変わりはない。
 やはり最後は金や土地ではないだろうか。土地については経済規模が縮小した段階でも必須とされる場所に限定される。食料も一時的に自給自足に回帰する可能性があり優良な農地も価値が高まるかも知れない。

6. おわりに
 いろいろと考えてみたものの本当に財政破綻が起きるのかどうか、起きたらどうなるのかは起きてみなければわからない面もある。過去の国家破綻例について詳しい経緯を調べてみるべきと思うし、今まさに破綻しつつあるギリシャの動静、特にリストラされた多くの公務員の運命がどうなるのかは大いに参考になるので注目して行きたい。
 財政破綻により起きるであろうことを推測し、それでは非常に困ると思えば事前に回避策を講じるべきである。しかしながら、私としては事前の回避策は極めて難しいと感じているし、仮に財政破綻が起きてしまっても一気に問題点が是正されるのであれば最悪の事態とも言えないのではないかと思い始めている。赤字を気にせずもっと歳出を増やせと叫んでいる政治家なども、始めから破綻による状況打開を狙っているのかも知れない。
 次回は日本の人口減の行き着く先について考えてみたい。

※補足(2011/11/13)
 日本で当面財政破綻が起きないかも知れない理由が分かったので補足を。
 国債を発行して借金をしても国内で使用するので国内に金をばらまくことになる。この金は回り回って結局国民の貯蓄を積み上げることになる。一部は原油、工業原料、食料、飼料の購入のため海外に流れていくが、貿易収支がプラスであれば流出より流入の方が大きいはず。新たに積み上がった貯蓄は再び国債購入に充てられる。かくして国民の貯蓄と国債発行残高は際限なく増えていく事ができる。
 これが成り立つのは貿易収支がややプラスであり続けることと、国内貯蓄を取り崩して外貨預金や金購入に向かわせないため緩やかに円高が進行することと、利払いが大きくならないため低金利が続くことが必要である。これらの条件が崩れると一気に円安、インフレ、財政破綻へと走り出してしまうので綱渡り状態が続くことに変わりはないが・・・。


人口減の行き着く先

1.人口減の原因
 日本では少子高齢化が進み総人口が減少する段階に入っている。少子化の原因としては、

・結婚しない、子供を産まないといったライフスタイル選択の自由の広がり。
・経済的困窮や子育て環境の不備により子供を育てられない。

といったことが指摘されている。経済・環境については、もっと貧しい国あるいは日本でももっと貧しい時代に人口増加が起きていることから、根本的な原因ではないのではないか?。
 起きている現象をマクロ的に捉えて解釈するなら、

・文明の発展に伴い地域の適正人口が減少し、超過分を減らすべく自己調整力が働いている。
・民族としての生命力を失いつつある。

といったところだろう。人口が減っているのに就職難が続いているのは、もうこれ以上人間はいらないと言うことなので適正人口減少の証拠かも知れない。また日本は島国で2千年近くほぼ単一民族で婚姻を繰り返してきたため、遺伝子的に劣化し民族としての寿命を迎えていると言えるのかも知れない。
 少子高齢化は財政破綻の一因であり人口減は国力低下を招くという点で悪とされるが、こうした自然の成り行きの結果であるとするならば善悪の判断をせず受け入れなければならないとも考えられる。

2.人口減対策  自国内つまり日本人の減少を食い止め強制的に適正な年齢構成に戻そうとするなら、子育て優遇策を強力に推し進めれば良いだけのことだ。税制面や補助金で子育て世代を厚く優遇し逆に単身世帯には懲罰的課税を行うなど。民主党の子ども手当は少子化対策としては全く正しく、有権者が高齢者に偏っている中で打ち出した政策としては画期的だったと言える。失敗したのは財源の手当ができなかったことだ。少子高齢化を是正するのであれば高齢者の社会保障費を削って少子化対策に回すべきだったが、それではさすがに有権者(=高齢者)の同意が得られないということだろう。
 自国内での人口増が望めないなら後は移民受け入れしかない。これも賛否両論あるが移民も受け入れず人口減が続けば国力が衰えやがて他民族に国土を奪われるであろう。

3.人口減の行き着く先
 私の直感的判断では人口減の行き着く先とその確率は以下のように感じている。

(1)人口減が際限なく進行し、やがて日本列島は無人列島になる・・・0%
(2)適正な人口になった時点で人口減が止まり安定状態になる・・・10%
(3)移民を受け入れ民族構成が次第に変化していく。旧日本人が指導的立場(支配階級)を占める・・・60%
(4)移民を受け入れず人口減で国力が衰退した末に侵略を受ける。民族構成が劇変し旧日本人は被支配階級となる・・・30%

 確率的には(3)または(4)に進み、民族構成が変化し(民族置換または民族融合と言っても良い)新日本人が構成されていくことだろう。民族置換は歴史的にも頻繁に起きてきたことである。ヨーロッパではゲルマン民族の大移動があったし、中国では中央王朝が周辺異民族に征服されまた新たな王朝が成立するといったことを繰り返し数千年の間に民族置換が何度となく繰り返されてきた。日本においても縄文人が暮らしていたところに、中国大陸あるいは朝鮮半島から稲作技術を持った弥生人が入ってきて民族置換が起きたと考えられる。
 最近の日本では中国や朝鮮半島の人たちを嫌う傾向が見られるが、我々の祖先はかつてこの地から渡ってきたことも忘れてはならない。移民を自主的に受け入れるということなら人口増大地域の中から受け入れ国を選択することも可能だろう。例えばインドとかアフリカとか。混血に際しての遺伝的立場からは、優性形質を発現させ劣勢形質を抑えるため、なるべく遺伝子的に遠い民族との融合が望ましい。

4.まとめ
 人口減の真の原因は結局のところよく分からないのだが、日本という国を日本人が運営してきた結果として起きている現象であり、結果として国土を他民族に明け渡すことになったとしても日本人が自ら選択したことと言えるだろう。選択と言っても個々人のライフスタイル選択の総合的な効果として人口減が起きているわけだが、そういった社会風潮を容認していったのもまた日本人社会である。
 これにより日本は滅亡するのか?。そうではないと思う。他民族が入ってきても残っていた旧日本人との混血が進み、旧日本人の遺伝子も受け継ぎつつより強力な新民族となっていくのだ。かつて南米などに移民として渡った日本人によっても、日系2世3世といった形で日本人の遺伝子は受け継がれている。民族の移動、置換、融合、そして国家の興亡は、かつて来た道であり、これからも進んで行く道なのだと思う。

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