作品名 『十字架』〜クロス〜  作者 中3生


十字架
私たちは、二人で一つだった…。

死んだのは、私の親友の山中沙織だった。あの日、私たちは一緒に遊んでいた。用事があるからと言った沙織と別れた後、ひどく妙な胸騒ぎがした。
そして、沙織は死んだ。
事故…そう、事故だったんだ。不幸な事故。沙織は、十三歳中二にして、斉藤と哲が一緒にいたのに、バイクの無免許運転をした。真夜中。公園を飛び出して公道を走らせ、トラックに突っ込んで、接触。当然、即死。
沙織にそんなまねをさせたのは斉藤だと、本人が言った。斉藤と哲と私たち二人は、仲が良かった。なのにその日、どうして私だけが誘われなかったのか、どうして斉藤は沙織にそんなまねをさせたのか…。寒い冬の夜空の下を、そんなことを考えながら歩いていた。
絶望だった。
唯一の親友を失ってしまった私は、孤立した。誰もが私に気を遣って、近付こうとしない。実際、誰とも話す気にはなれなかったから、丁度いいと言えばそれまでだった。でも、ぎこちないのは嫌だった。ありがたいけど、そんなのって、両方が苦しいだけだ。
唯一、私に普段通りに接してきたのは、斉藤と哲。でも、それってひどいじゃない?あんまりだ。親友を殺した奴等と、どう仲良くしろって言うの?二人の…斉藤の笑顔を見ると、憎しみは募るばかりだった。私は二人を拒絶した。
こうして、私は独りになった。
今考えると、私には沙織が全てだった。いつも沙織がいた。離れることは無かった。沙織がいたから、私がいたから、私たちは私たちであれた。欠けることは許されない。いつも一緒と約束した。私たちは、二人で一つだった。
───だから、私は沙織に付いて行く。
沙織がいないと、私は私じゃなくなるから。

家から一キロ。あの公園の名前は何だったか。私の好きな星の名前だった気がする。
雪が、降る。止むことなく。雪が、積もる。溶けることなく。私は独り。沙織はいない。私のことを大切に想ってくれたみんな、ごめんね。私には、沙織しかいないんだよ…。
親友が死んだというだけで、全てを捨てる気になれた。沙織を失った私は、輝きを失ったただの石。道に転がっていても、誰にも拾ってもらえはしない。
車が何台も通り過ぎる。その中で、私を気にかけてくれた人は何人いただろう?いたとしても、すぐに忘れられる。他人の人生の中で、私の存在なんか、宝箱に埋もれた小さなビー玉のようなものだ。それって寂しい?
沙織が死んでから、私は毎晩のように泣いた。泣いても沙織は帰らない。無駄なことだと分かっていても、それより他、救われる道は無かった。たとえ、それが本当の救いではなかったとしても。
沙織が死んで悲しかった。辛くて、寂しくて、気が狂いそうだった。なのに、斉藤は笑っていた。沙織が死んだのに。落ち込みを見せたのは、葬式の時だけだった。涙も見せない。そんなこと、許されるはずもない。どうして、そんなにいい加減なの?どうして、人の気持ちを考えないの?憎んだって、恨んだってしょうがないじゃない。そうじゃなきゃ、救われないじゃない。
私は、他人との関わりを極端に拒んだ。
ある日の放課後。玄関には、斉藤が座っていた。これから部活に出ようという格好で、何か、遠くを見つめていた。悲しい目。こんな斉藤を見ていると、こっちまで悲しいような幻覚を見せられる。普段の斉藤からは、とても想像出来ない。
「よぉ、山川。」
振り向いた。ほら、また笑顔。私は斉藤が何を考えているか、全然分からない。
構わず、靴を履き替える。そんな私を見て、斉藤は言った。
「避けるなよ。最近、どうしたんだよ?お前らしくもない。」
言葉より、手が早かった。
斉藤は、心底驚いた顔をして、頬をおさえていた。
「ふざけないでよ!何言ってるの?私がどうしてあんたを避けるか、聞かなきゃ分からないの?そうやってヘラヘラ笑ってれば済むと思わないでよ!『私らしい』って何?悲しい時も笑ってなきゃいけないの?それが私らしいの?だからあんたは、いつも笑うの?」
何も言えないの、斉藤?何か言えば、何倍にもして返してやるのに。
「少しくらい気、遣ったらどうなの?無神経。」
あの悲しい目で私を見る。その目は苦手だ。私の心を不安にさせる。罪悪感に溺れそうだ。
帰ろうと足を踏み出した時、右手を鎖に捕らわれた。
「気、遣われるのが一番嫌だろう?両方が苦しいだけだから。」
顔が熱くなった。
「分かったようなこと言わないで!あんたに私の何が分かるの?何も知らないくせに!」
鎖を振り払って逃げた。背中に、声を聞いた。
「分かる分けないだろ!お前だって…!」
聞こえない。あんな奴の声なんか、聞こえるものか…!
何処をどうして家に着いたか分からない。部屋に行って鞄を投げ捨て、ベッドに倒れ込んだ。この涙を斉藤の前で流していたら、あいつはどんな顔をしていただろう?
次の日、学校には行かなかった。…行けなかった…。
こらえるほど流れる涙。沙織はもう、いない。

───公園に着いた。『水星公園』。ここから、沙織は飛び立った。
冷えきった体に、コートと帽子はもはや無意味だった。指先の感覚も無くなってきた。塾帰り。今はもう、夜の九時頃だと思う。私がここにいることは、誰も知らない。
最後に、胸元の十字架のネックレスを握り、沙織のことを思いだしていた。そのまま、真っ白い布団の上に倒れ込んだ。冷たい。辛い。私は沙織に付いて行くと決めた。寒い。雪が綺麗。この寒さなら、死ねる。感覚が無くなってきた。
私は、何よりも大切な親友を失い、その辛さに耐えきれずに、十四にして命を絶つ。胸元に光る十字架の裏には、親友の名前。お揃いの私の十字架を沙織の首にかけられれば、約束通り、私たちはずっと一緒なのに…。いつか別れる日に、交換しようと言った十字架。お互いのことを決して忘れないようにと…。
意識が無くなってきた時、あの時と同じ鎖が、私を捕らえた。
───意識が途絶えた…。

夢を見た。
暗闇に包まれた世界に、一本の白い道。そのスタート地点に立っている、白い私。何も考えなかった。体が勝手に動く。闇の中に不安定に浮かぶ光の帯の上を、危なっかしくゆっくりと進んだ。一歩踏み出すごとに、目の前に一つのシーンが現れる。何処かで見たような光景ばかりだった。途中何度か、ぼんやりと数本の分かれ道が現れた。足は、迷うことなく一本を選ぶ。また一歩。小さい頃の私。また一歩。今度は小さな沙織。
行けども行けども、白い道が続いている。終わりなんか無い気がする。来た道はどうなったのか、怖くて振り返ることは出来なかった。
 突然、目の前の道がはっきりと二つに分かれた。その時に現れたのは、沙織が死んだ時の光景だった。それなのに、私はたいして驚きもせず、迷わずに一方の道を選んだ。すると、またすぐに道が二つに分かれた。今度は少し戸惑ったが、立ち止まることは無く、一方を進んだ。視線を後ろへ向けると、道は一本しか無かった。選ばなかった道は、もうそこには無かった。
気が付くと、あと二十歩くらいで道が途切れていた。崖だ。落ちたら死ぬ。
振り返って戻ろうとした。でも、体が言うことを聞かない。立ち止まってはくれない。ゆっくりと、でも確実に、私をあの崖の底へと連れて行く。これは、途中で振り返ってしまった私への罰?
やだ!怖い!
叫んでも、音は聞こえなかった。闇に包まれた世界。私は確かにここにいるし、暗くても姿が見える。前に沙織が言った。命は輝いているんだって。私はまだ生きている。命はまだ光っている。なのに、もうすぐ死ぬ。光は闇に飲み込まれる。
いいじゃない。これが、私の選んだ道。沙織のいない世界で生きることを拒んで、全てを捨ててまで沙織に付いて行くと決めた。これでいいんだ。
目の前の幻覚は、現れては消え、また現れる。悲しい目、哲と笑っている人、私を捕らえた鎖…。誰のことだったっか。忘れたくて、憎くてしょうがなかった人。でも、とても大切な人だった気がする。
十字架を握り締めた最後の瞬間に見たのは、雪の中に倒れている私の姿だった。
光の帯が消えた。道は絶え、小さな光は闇に落ちた。

───底に着いた。
本当に、私は死んでしまったのだろうか?だって、私はまだ光っている…。
両手を見た。確かに光っている。
「……?」
右手の手首に、鎖が絡まっていた。十字架を握っていた右手。あの時つかまれた右手…。あれは誰だったか…。
「夏樹…。」
鎖は、足元まで垂れて、真っ直ぐ上にのびていた。鎖が巻き取られていく。ゆっくりと…。
この鎖に私は引き上げられて、助かってしまうのだろうか。死ねなかったのだろうか。死ぬ事への迷いを見せた、私への罰だろうか?
声が…した気がした。女の子の声が。振り返ると、そこには沙織がいた。うっすらと、幽霊のように光る沙織の命が。
呼んでも、音のない世界には無意味な行為だった。沙織は目を伏せて、ただ、そこに立っている。私から五歩も離れていない場所に。もっと早く気付いていれば、沙織に駆け寄ることも出来ただろう。でも、今はもう、鎖が短くて沙織には決して届かない。鎖を取ろうとしてみるが、無理だった。ただ、私の右手に絡みついているだけの鎖なのに。誰かが邪魔をする。私は沙織の所に行きたいのに。
足が底から離れた。沙織が遠くへ行ってしまう。もどかしい。こんなに近くにいるのに。鎖は私を解放してはくれない。沙織のいない、地獄のような生活へと連れ戻す。
遠ざかっていく沙織に手を差しのべた時、沙織の固く閉じたその瞳が開き、光るものが零れた。
ア・リ・ガ・ト・ウ・サ・ヨ・ナ・ラ
沙織が口を開いた瞬間、その命は硝子のように散った。

それから意識が戻るまで、哲が言ったことを思いだしていた。
「山中が死んだのは、斉藤のせいじゃないよ。斉藤は、バイクに乗ろうとした山中を止めたんだ。でも、山中が『どうしても死にたいから』って言って…。」
 最初は、哲が夏樹をかばっていると思った。でも、その後沙織のおばさんからもらった物を見て、それが事実だと確信してしまった。タロットカードの『死神』と、この十字架と、遺書。遺書には、自分が死ぬこと、夏樹を責めないで欲しいということ、悲しまないでということ、そして、「ごめんなさい」「ありがとう」と…。
自殺の理由は、はっきりとは書いていなかった。でも、私には分かった。沙織は、私なしでは沙織が沙織でいられなくなることと、自分なしでは私が私でいられなくなること、お互いの存在の為に、相手の人生をだめにしてしまうことを、一番恐れていた。それに気付かずに、私はそうなってしまっていた。沙織にとって、それはどんなに重荷だっただろう。それに耐えきれなくて、そして、私に同じ思いをさせまいとして、『終わり』を選んだ。沙織を追い詰めてしまったのは、私だった。そんなのって、あんまりだ。だから、私は死のうと思った。沙織に寄りかかっていた私は、少なからず、周りの人間にも迷惑をかけていただろう。それに、死の世界で、沙織を一人にするわけにはいかない。沙織だって、私がいないと寂しいだろうから。
全ての償いとして、私も『終わり』を選ぼうとした。
でも、出来なかった…。

目が覚めた。
温かい。ここは何処だろう?白い天井。薬のにおい。病院?横には、お母さんと夏樹と哲がいた。お母さんが、私の右手をずっと握っていてくれた。
偶然通りかかった夏樹が助けてくれたと、お母さんが涙声で言った。
温かいお湯の中にいるような、安心感。沙織に付いて行くことよりも、幸せな道があったのかも知れない。もしもあの時、崖への道を選んでいなかったら、私はどうなっていたのだろう?少なくとも、この人たちを悲しませずには済んだのかも知れない。
やっと分かった。私は『逃げる』という解決方法しか知らなかった。でも、それは本当の解決ではない。逃げることで、自分の弱さに追い詰められるばかりなのだから。逃げても幸せにはなれないと、あの時のぼんやりと輝く沙織を見て分かった。だから、鎖は取れなかったんだ。
夏樹に笑いかけてみた。今なら、夏樹を許せると思った。

私はまた、この世界で幸せに生きて行けるだろう。沙織がいなくても…。

私たちは 二人で一つだったけれど
それは完全ではなかった
私たちは 同じようでやっぱり違う
別々の人間だった
だから
一人でも生きていく力を持っている
そう思うしか
離れても幸せに生きていく術は
無い気がしたから


 アイビー