マヨルカの春

 娘夫婦をFrankfurtに訪ねるたびに小旅行を重ね,面白い体験をしてきました。九回目となる今回は短期間の滞在ですから,そのうちの5日を旅行に使うことにし,スペインを候補地に選びました。マドリッド・トレドの両都市だけを見ることにしようと計画を進め,友人の植物学者であるドイツ人に相談したところ,「マヨルカ島にいってらしゃいよ!この時季ならアーモンドの花がまだ咲いているはずよ。とても綺麗だから…」と言うのです。確かにツアーに乗ってしまえばマドリッドやトレドはこれからも行くチャンスはあります。ここは娘夫婦という案内人が一緒なら,マヨルカ島の方がいいかも知れません。と話がまとまり,娘は飛行機・ホテル(朝・夕食付き)・ホテルー空港間の送迎付きの格安ツアーを探し手配してくれました。
 聞くところによればマヨルカ島は「ドイツのハワイ」という位置付けとのこと。「スペイン語がわからなくても,ドイツ語で十分通じるわよ」と情報も入り,すっかり安心して鼻歌まじりに早朝の出発に備えて荷造りをしました。チャーター便が一日3便あるそうで,定期便と合わせるとかなりな便数がFrankfurtーマヨルカ島間を就航していることになります。
 
出発は4:10分。飛行場には2時半には着いていなければなりません。2時にアパートに迎えに来てくれるようタクシーに電話しました。たった5分でタクシーは到着。こんな時間でもちゃんとやって来てくれるのには驚いてしまいました。昨夜は友人の判事さんのお宅で,昨年の日本旅行のスライドを見せてもらい,遅くまで歓談していましたので仮眠の間もありません。ターミナルは未明という時間帯にもかかわらず,子ども連れの家族もいて,それなりの賑わいでした。特定の期間に休みが集中する,日本との休暇の取り方の違いを改めて比べてしまいました。
 
 ローカル空港と違いFrankfurt am Rein空港はヨーロッパ第二位の乗降客を誇る国際空港です。出発までの時間をようやくゆっくり椅子に腰掛けて休むことができました。外は深々と闇の中です。マヨルカ島までの飛行時間はおよそ2時間。窓外に目をやることもなくウトウト過ごすうちに,空がほの白く明るみ初め,町の灯りが島影を形作っていました。 オリーブの古木が風に枝を撓わせているパルマ・デ・マヨルカ空港に到着しました。入国審査もないまま長い長いコンコースをたどり,荷物を引き取りに行きました。日本人は私と娘だけ。聞こえてくるのはドイツ語ばかりです。トライアスロン競技のプロの団体も合宿にやってきているようでした。荷物引き取りに一時間。ホテルまでのバスの出発までさらに一時間。空はすっかり明け時計は8時を指していました。のんびり,ゆっくり,慌てる人など一人もいません。夫が一緒だったら「遅いなー」と何度もつぶやいたかも知れません。滞在先のホテルまでは私達が最後の乗客となってしまいました。時折雨が交じるものの吹く風はなま暖かく,気温4度のFrankfurtからやってくれば,ここは十分春の気配を感じさせてくれました。

 例の如くツインの部屋を2つとり,私の一部屋は滞在中の私の城です。シンプルながら広さに異存はなく,ベランダからは青い海を望めます。荷物は簡単に片付け,早速海岸に向かいました。観光客はさすがに少なく,浜を行く人影もまばらです。小一時間車を走らせれば九十九里浜に出てしまう千葉に住んでいる私には見慣れた海の景色ですが,Frankfurtに育ったAlexには格別の憧れの海のようでした。コバルトブルーの水と紺碧の空,クルージングのヨットの帆が沖合をすべるように行きます。 海岸に植えられた木々は椰子やサボテン,ブーゲンビリア,アロエなど南国の植物でいっぱいでした。建物の色が今まで訪れた国々とは少し違っているのも面白い発見でした。

  

  

 軽い昼食をとろうと開いていたトルコ人経営の店でケバブを注文。「これをママに使ってもらいなさい」とスプーン・フォークまで付けてくれ親切な小父さんマスターでした。外国に来ていい気分になれるのは,女性に優しいこんな人に出会った時です。美味しくいただいたのはいうまでもありません。「やっぱり車を借りて島巡りをしたい!!」と娘たちは言い,ホテルに戻ってレンタカーを頼みました。一日たったの20ユーロ。滞在中使っても100ユーロで済んでしまいます。運転上手のAlexにハンドルをまかせ,途中のスーパーで飲み物を買い込んで一番近い島の西にあるCamp de Mar へ。入り江に押し寄せる波に洗われた岩礁が並び立ち,沈み始めた陽の光を受けていました。近くの
Camp de Samala には有名なデザイナーの別荘があり,地中海を見下ろす高台にひときわ美しい姿で建っていました。一日目の旅の疲れも出てきたのでホテルへ戻り,夕食のテーブルに着きました。バイキング形式で手間いらず。ここぞとばかりに大盛りに料理を皿に盛りワインを空けました。

  

 

 7時15分からの朝食は私には少し遅すぎます。3時には目が覚めてしまい,入浴したり本を読んだり,ウトウトして過ごしていると,ようやく娘たちが起きてきてドアをノックします。やっと朝食と勇んで食堂に降りていきました。既に人がいっぱいで,美味しそうに卵が焼かれ,新鮮なオレンジが山と盛られて食欲をそそります。聞こえる会話はドイツ語ばかり。「ドイツのハワイ」をこんなところでも納得させられました。ゆっくり朝食を済ませ出発しました。マヨルカ島の地図を借りてきていましたのでルートを探すのはとても楽でした。初めは先住民の遺跡のあるCapocorb Vellへ。28戸の石の住居跡があり,遥かに地中海がひろがってかつての街の営みを想像させてくれました。

 

 内陸の遺跡をあとに一路海岸に向かいました。Dala-Piの地は水の色が深く濃く沈んだ青の色模様に彩られ,絶壁を背にした海岸線がとても美しいところでした。明るい茶色が買った煉瓦造りの建物が鮮やかで,アラブの文化が混在する島の歴史がうかがわれました。

  

 サン・トリア・デ・サンホノラートには山上に修道院がありました。1393年に建立されたもので,近くには天文台もあり,星を占うことも仕事の一つであったという修道院の別の一面を知ることができました。霰混じりの雪が降り,外の寒さに耐えきれず名物という軽食をいただいて天気の回復を待ちました。

  

 ポート・デ・ソラは入り江の先に小さな灯台を持ち,有名人が訪れることで知られる保養地だそうです。水は透きとおって美しく,風の強さを我慢できれば,ゆっくり散歩を楽しみたいところでした。

 

 早々に発ってショパンとジョジュル・サンドが逃避行をしたことで知られるヴァルデモーサの街に向かいました。落ち着いた色の建物が続く街をめぐって,この地で体調が戻らないままにいくつかの作品を残した ショパンを思いました。精力的にパリに向けて情報を発信し続けた ジョジュル・サンドとは大違いです。いつの時代も女性は強かったのかも知れません。

  

 雲行きが怪しくなってきた中,レストランでの魚のグリルでお腹を満たし,山上の二つの湖を見に出かけました。山道はすごいヘアピンカーブの連続です。山の斜面にはオリーブ畑が果てしなく続いています。古木の幹のくねる様がなんとも美しく,実やそのオイルは食べられない私ですが,姿の美しさに圧倒されてしまいました。一つ目の湖はエムバルゼ・デ・クーバー。雪も降ってきたため展望台から見下ろして次の湖に向かいました。羊が一匹この山上まで登ってきて,雪の中に消えてゆきました。

  

 二つ目はエムバルゼ・デ・ゴーグ・ブラウ。山道に沿って細長く水をたたえていました。車を停めて岸辺まで歩き,放牧されている牛の後を追いました。雪の舞う空から傾き始めた陽が時折差し込むという不思議な光景でした。

 

 登ってきた道を戻るのは雪に不安がありましたので,別のルートをとおり,サ・カラ・プラ橋を見てKaval Bernatへ。時間も17時を回っていたためレストランはみな閉まっていて,温かいコーヒーをいただくこともできませんでした。
 中世の街インカを通ってホテルに戻りました。途中の道はヘアピンカーブの連続で,ツアーのバスも小さな車両を使って観光客を運んでいたようでした。

  

 この島にはいくつかの鍾乳洞があり,小さなコンサートが開かれることもあるとガイドされていましたので,コベス・デルス・ハムスに車を走らせました。ここも思ったとおりドイツ人ツアー客が並んで入場を待っていました。説明はもちろんドイツ語です。ほんの少しは聞き取りができるのでそれなりに面白いものでした。娘の補足通訳のおかげでこうした場所で困ることはありません。
 やがてライトアップされた洞内に小さな舟が現れ,ショパンの曲他3曲を演奏して静かに去っていきました。ツアー客は拍手喝采でしたが,「これがコンサート?」と私達は拍子抜けしてしまい,物足りなさが残りました。
 撮影禁止のためパンフレットからのスキャンイメージで。

 その後は海岸線を南下。Cala Figuera は絶壁に囲まれた海,
Portcolm は入り江の美しい場所で,日暮れまで海岸線を歩き回りました。

 

 空港ターミナルでマヨルカ島のガイド新聞をもらっていました。Alexがしっかりよんでいてくれて「アーモンドの花がまだ咲いている地区があるようだ」と教えてくれました。のどかな農村風景の中を走るとありました!アーモンド畑です。桜・桃・梅をミックスさせたような花で,これの盛りは確かに美しいに違いないと納得しました。途中,パイナップルの畑などもあり,産業のの中心が農業であることを実感しました。

 ポートアリクリアは北の岬です。車を置いて高台に建つ別荘地の上まで小ハイキングをしました。地中海から吹き上げる風は既に春の匂いがします。高台まで登ると次の港までなだらかな下り道が続いていました。そこまで確認したところで引き返し,レストランの戸外の席に座り昼食をとりました。私の注文はスペイン風オムレツ。Alexは写真のものを注文しました。オリーブの実が添えられていて,これが後の体調不良の原因になるとは思いもよらず,すっかり平らげてしまいました。

  

 

 

 食後は岬の一番奥まで車を走らせました。天気が漸く安定期に入ったようで,今日は旅行中一番の快晴でした。シャツ一枚でも暑いくらいの気温です。細いうねうね道をスイスイと女性の運転する車ともすれ違い,気分良く灯台を目指しました。

  

 明日の出発時間を確かめ最後の夕食をとりました。私達のテーブルにはベルリンから一人でおいでになった年配の女性がいました。話のきっかけをつかみたかったようで,「どこへ行ってきたの?」と問われるままに話し始めるとあとはもう旧知の仲になり,お喋りは果てしなく続きます。車の運転で疲れているAlexは切り上げるタイミングを計りそこねて困っているようでした。
 迎えのバスの時間が早いため,朝食は一番に摂ろうとレストランに向かい,簡単に済ませました。Alexは気分が悪いと言って現れません。昨日の昼食に食べたオリーブの実が「変な味がした」そうなのです。それなら全部食べてしまわなければ良かったのにと思うものの後の祭りです。ようやくチェックアウトを済ませバスを待っているとフロントの係は「バスなら3分前にでましたよ」と言うではありませんか。3分前ならチェックアウトをしている最中です。ここの人の感覚はおかしいと思っても出て行ってしまったバスは戻るはずもありません。タクシーを呼んで空港に向かいました。20ユーロぐらいでしたのでたいして腹も立ちませんでしたが,お客を置いて行ってしまうバスもあることを知り,日本のサービスの優秀さを再認識することができました。
 無事に飛行機に乗り込んだのですがAlexの顔色が次第に青ざめてきました。気分が悪くて我慢できない様子です。そこはルフトハンザのスチュワーデス。すぐに気づいて適切な処置をしてくれました。とびきり美しい人で,特上のサービスに心をこめてお礼を言うと「当たり前のことですよ」とにこやかに応対してくれました。旅の締めくくりにダウンしてしまった彼には気の毒でしたが,実に爽やかな気分でFrankfurtに降り立ちました。