山田寺跡
石舞台古墳
 

この頃のお寺にはいろいろな伽藍配置が見られます。
それを見比べるのもおもしろいかもしれません。

持統天皇の祖父にあたる蘇我倉山田石川麻呂が発願した山田寺。
そこにあった丈六仏の頭部は現在興福寺にあります。
乙巳の変の4年後,石川麻呂は讒言で兵を差し向けられ,
無実の罪によって自害しています。
その後,嫌疑が晴れ,山田寺は建設を再開されました。
山田寺跡
乙巳の変(大化改新)で,葛城皇子(中大兄皇子)・
中臣鎌足(藤原鎌足)らと蘇我本宗家を滅ぼした
蘇我倉山田石川麻呂が建設を始めた寺。
中門・塔・金堂・講堂が一直線に並んでいる四天王寺式に
近い形の伽藍になっています。
現在は広い野原となっています。
田んぼの中から落ちた回廊が発見され,
すぐそばにある飛鳥資料館で再現されています。
また,金堂跡のすぐ南側には灯篭の跡があり,
金堂前で自害した石川麻呂はこの上で亡くなったのかも…。
石舞台古墳
こんな大きな石をどうやって運んだのかと
不思議に思う古墳。
一段目を造ったあと,そこを埋めて上の段を重ねたのでは
ないかと言われています。
1辺が50mの方墳だそうです。
中には排水溝がしっかりと造られています。

S教授と奥様と一緒に記念撮影。

(04/07/31)

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