高松塚古墳
天武持統天皇陵
 

☆高松塚古墳カビ問題
高松塚古墳は現在壁画のカビ問題に悩まされ,
だいぶ無惨な姿となっていました。
頂上付近にあった竹はすべてなくなっていて,
防水シートが被せられていました。
高松塚古墳壁画館にはS教授のお知り合いがいて,
途中から教授はお仕事の話に…。
耳をそばだてて聞いていると,
カビ問題の対策がだいぶ難しいのだということが
伝わってきました。
ちなみに,壁画を剥ぎ取って保存するという方法が
現在考えられる中ではベストだろうという見解でした。
この技術は非常に進んでいるので,十分可能なのだそうです。
過去のことをとやかく言っても仕方がありません。
その時にベストだと考えたことを実践するしかありません。

☆高松塚壁画館
ところで,壁画館には懐かしい模型が…。
歴博の企画展示「装飾古墳の世界」(1993年10月〜11月)で
展示されていた高松塚古墳の実物大模型があったのです!
内部を覗くこともできます。
高松塚古墳に行ったら,ぜひ壁画館へ立ち寄ることをお薦めします。

☆高松塚古墳の被葬者
高松塚古墳は円墳です。
造られた年代は出土した銀装の刀装具や副葬品からも,
720年前後であろうとS教授は推定しています。
さらに,壁画に描かれた人物群像の一人がもつ蓋(きぬがさ)の色が緑色であり,
これは変色しにくいものであることから,
「儀制令」の規定にある「一位は深き緑」とあわせて
被葬者を「720年前後に没し一位を贈られている人物」と考えたそうです。
その結果,浮かび上がったのは左大臣石上麻呂(物部麻呂)と右大臣藤原不比等でした。
不比等の墓は『延喜式』から多武峰にあることが明らかなので,
残った石上麻呂が被葬者であろうと推定しています。

☆キトラ古墳の被葬者
キトラ古墳も円墳です。
石槨の形式から,高松塚以前の700年前後に造られたと考えられるそうです。
S教授は703年没の右大臣阿倍御主人ではないかと考えています。
地名が阿倍山であることから,阿倍氏の墓の可能性が高いということです。
高松塚古墳へと続く道から撮った山。
葛城山でしょうか?
二上山は見えません…。
天武持統天皇合葬陵
こちら側から見ると形がわかりませんが,
これも八角形の陵墓です。
上の三段がとても高く作られています。
すぐ隣に民家があるのにはビックリ。

(04/07/31)

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