「彼女は、彼の耳に、憐れみに充ちたドイツ語の言葉を囁いた。/「息子や!/ あたしの坊や!/ あたしの可哀そうな、いとしい坊や!/……(Sönchen ! Knäbelein ! Mein armer lieber Kleiner ! /仏訳
Mon fil ! Mon petit garçon ! Mon pauvre pauvre cher petit !)」/彼女は彼を抱きしめた。彼女は彼が解放され逝ってしまったのを見届けるまでは、断末魔の指から自分の手を離さなかった。」
「彼女は帰途についた。もう夜の三時だった。凍った霧。消えた空。空虚な街。部屋には火の気もない。彼女は床にも入らなかった、朝まで。世界の怖ろしさが彼女の中にあった。彼女の心は苦悩でいっぱいだった。−しかも、彼女の心は軽くなっていた。それは人類の悲劇の中にその持場をふたたび見つけたのだった。」
「彼女の上にのしかかっていた一切が落ちた。肩をぐっと振って、彼女はそれを払いのけた。それを自分の足元に見て、今さらのように、自分を圧しっぶしていた重量をさとった……/彼女は、宿命的な戦争と祖国を受動的に認容していた。/否認されていた、猿轡を族められていた自分自身の性質、裏切られていた、満たされないでいた彼女の性質が、野蛮な自然に対抗して、突如として、立ち上った。」
アンネットは内心の声を発する。あるいは、内心の声を聴く。
「彼女は自分の権利を、自分の綻を、自分の悦びをーまた自分の苦しみも、しかし彼女自身の苦しみー母性を要求する。
すべての母性を。単に息子に対する母性ではない/…… お前らはみんなわたしの息子です。幸福な息子たち、不幸な息子たち、お前らは互いに身を裂き合っています。けれどわたしはお前らをみんな抱きしめます。お前らの最初の眠り、お前らの最後の眠りを、わたしは自分の腕の中で揺すります。眠りなさい/ わたしは世界の「母」です……」
これは、「母と子 第二部」のクライマックスのパラグラフであり、新たな訳を試みる。
原文では、母性も「母」も大文字で表現される。それは、権利、ルール、歓喜、苦悩の一切を所有する存在としてたちあらわれる。マルクやドイツの少年兵だけが彼女の息子ではない。ロランの文章は、そのような母性と母を直視しながら、子供たちを抱く全なる母の腕の動きのように、リズムをもって揺れている。
「Elle réclame son droit,sa loi,sa joie,−et sa souffrance
aussi,mais sa souffrance sienne−la Maternité.
Toute la Maternité.Pas seulement celle du fils!… Vous
êtes tous mes fils.Fils heureux,malheureux,vous vous dechirez.Mais
je vous étreins tous.Votre premier sommeil,votre dernier sommeil,je
le berce en mes bras.Dormez!Je suis la Mère universelle…」
「彼女は彼女の権利、ルール、歓喜を求める。そして苦悩を。だが彼女自身の苦悩をも。― 母性だ。
すべての母性。単にその息子のものではない/……あなた達はみな、わたしの息子達。幸せな、不幸な息子達。あなた達はあなた達をひき裂く。でもわたしはあなた達をみんな抱きしめるの。あなた達のはじめの眠り、あなた達のさいごの眠り、わたしはそれを両腕の中で揺するのよ。眠りなさい/ わたしは全世界の母なのです……」(試訳)
こうして、「母と子 第二部」 のしめくくりでアンネットが見出したのは、何だったのか。
「昼がきたときに、彼女はもう一人の母−彼女が最期の眼を閉じてやった死者の母親に手紙を書いた。/それから、彼女は教科書とノートブックを再び取りあげた。
そして休みもせずに再び勤労の一日の生活をはじめた一新しい力をもって、そして心の中に平和をもって。」 「母と子」冒頭に掲げられたスピノザの言葉、 『何となれば、平和とは戟いの無きことならず。そは魂の力より生まるる美徳なればなり』
(Car la paix n’est point l’absence de guerre.C'est la vertu qui nait
de la vigueur de l’âme.)
これを、スピノザ『政治論』第五章四部のコンテキストに入れて読みな扮してみると、次のようになる。
「その国民が恐怖に脅かされて武器をとらない国家は、平和状態にあるというより、戟争のない状態にあるとむしろ言われるべきである。というのも、平和は戦争の欠性にはあらずして、精神の強さから生ずる徳であるからである。……他にも、国民がただ隷従することしか知らず、あたかも家畜のように導かれ、平和がそうした無気力に拠っている国家は、国家と称されるよりも、荒野と称されて然るべきである。」(河井徳治訳)
つまり、アンネットが見出したのは、ロラン自らがスピノザから学び、血肉とした積極的平和の精神である。
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