魂の対話 − ロマン・ロランの実験的精神 濱 田     陽


一   時間の三重奏 ― 「魅せられたる魂」
          「母と子 第二部」を読む ―

   外国文学を翻訳で読む場合、少なくとも四つの重層的時間を意識できる。すなわち、作中時間、原作者の執筆時間、翻訳者の翻訳時間\そして、それを読む私たち自身の生きる時間である。このうち、まず、前者三つの時間について考えたい。
   ロマン・ロランが作中で設定した「母と子 第二部」の時間は、一九一五年十月初旬から一六年十月。このとき、主要登場人物アンネット (Annette) とシルヴィ(Sylvie)姉妹はおよそ三十五歳から四十歳、アンネットの息子マルク(Marc)は十五歳前後である。第一部から第五部にエピローグを加えた「母と子」全体は、第一次世界大戦の勃発から終戦まで(すなわち一九一四年七月から一八年十一月)が舞台となっているので、大戦前半期に位置づけられる一年である。
   では、ロランがこの「第二部」を執筆した時期はいつだったのだろうか。
   「母と子」については、一九二五年十月二十四日から二六年五月二十日というロラン自身の記録がある。『魅せられたる魂』執筆が一九二一年六月から三三年九月までと十二年にわたっていることを思えば、「母と子」は全作品の中でも七ケ月くらいの間に集中的に執筆されたことがわかる。そして、おそらく「第二部」は、一九二五年の終わり、もしくは一九二六年のはじめ頃に書かれたのだろう。
   これはロラン (当時六十歳)が、インドで進行しっつある世界史的事件と一層深い交流に入りはじめた時期である。インド洋艦隊を指揮するイギリス提督の娘マドレーヌ・スレイド(同約三十歳)をガンディー(同五十七歳)に紹介し、「母と子」執筆の筆が軌道に乗りはじめた一九二五年十二月の日記には、「私の妹にあてた彼女の手紙は、将来宗教史のおどろくべき文献をなすであろう。マハトマと彼女との対話、彼女が崇敬の念をもってそれを聞き、こころにとめる有様は、一つの新福音書を思わしめる。明らかにガンヂーは慈愛と神聖さにおいてキリストに劣るものではない」とある。
 「母と子」というタイトルからもわかる(明らかにそれは聖母マリアと幼子キリストのイメージを想起させる)ように、少なくともここでのロランには、同時代のキリスト教が救いえない社会的現実を救済しうる犠牲的存在を、自身の属する最良の精神伝統が滴毒してきたメタファーによってつかみとろうとする苦闘がみられる。第一次大戦が突きつけたいくつもの未解決の難問を、実験的に解き明さねばならないという切迫した想いが、胸中にあったにちがいない。そして、彼は創作においても生活においても、自らの精神を実験台に献じていくのである。 なお、興味深い符合であるが、ロランが「母と子」を脱稿した当日(一九二六年五月二十日) には、ネルー(当時三十六歳)と娘インディラ(同七歳)がスイス、ザイルヌープにあるレマン湖畔のロラン宅を訪問している。インディラが後に独立インドの首相として暗殺テロの犠牲となったことは周知の事実である。
   では、翻訳者宮本正清の仕事はいつなされたのだろうか。『魅せられたる魂』全巻は、一九三一年から四〇年に翻訳され、岩波文庫から刊行されたのが一九四〇年十月〜四十二年八月である。これは三十四歳から四十三歳にかけての訳業だった。
   このことから、次のことがわかる。「母と子」 における主人公アンネットの作中想定年齢と訳者の当時の実年齢がほぼ重なっている。そのため、翻訳作業でアンネットとつきあった訳者は、彼女の精神の成長に自らの成長を(あるいは己が理想とする女性像の成長を)重ね合わせるように、原文フランス語に対応する日本語を探し出し、時には創造て、コンテキストの中に族め込んでいったと思われるのである。注目すべきことに、この仕事は、ロランが全作品を完成する前から始められている。宮本は評価が定まった作品ではなく、実験を続けるロランの人間に賭けたのである。その姿勢は、実は、以前から継続されてきたものである。一九二九年に彼はすでにロランから次のような手紙を受け取っている。「あなたの私のためにお持ち下さる愛情に感謝します。その愛情は、あなたがあえて私に示そうとなさらずに、八年ものあいだ、お心に秘めておかれただけに、いっそう私の心をふかく打つのです」。よくいわれるように、この訳業は、世界的恐慌の傷跡から全体主義、太平洋戦争へと至る流れの中でなされたものだ。しかし私は、当時まだ三十代であった新進の仏文学者が、未完状態にある作品に人生の賭けを行ったという事実にも同じだけの関心をはらいたい。
   「母と子」。「魅せられたる魂L。原作者六十代。訳者三十代。時代を生きる鼓動が聞こえてこよう。



二   アンネットの爆発

   「母と子 第二部」の中で、生活の資を稼がねばならないアンネットは、男子中学校(コレージュ)の教師として、パリを離れ、亡き父の出身地であるフランス中東部ブルゴーニュの古い町に行く。相手にする生徒は十二人〜二十人。コレージュの教室には、皮なめしの臭気がただよってくる。
   ところが、「受け容れるのに彼女にとってもっと苦痛だったのは、魂の臭い(l'odeur des âmes)だった。/それはもはや情熱のために ― 関争、憎悪、苦悩のために熱病にかかった「魂」(l'Âme) ではなかった。/彼女はここでは無関心(l'indifférence)を発見した。」                                        (宮本正清訳 以下同じく引用する)
   中学校は古い町の象徴、生徒たちは大人の反映である。 「土地は美味であり、食欲は満たされ、野心は限られている。/古い地方の麻痺したこの平和−ブドウ畑の丘々と野の円に閉じ込められ、フランスの中部にしっかりと模のように入ったこの地、戦争の大砲がかすかにしか聞こえてこない/こうした平和は、中学校の教室の匂いがした。」「彼らは得々として自分自身の判断(それも雑然たるものだが/)を放棄して卸売りの思想に、つまり学校とか、アカデミーとか、教会とか、国家とか、祖国、種族などという大衆の世論に雷同して欣然としている。」
   アンネットはここで不安を感じる。田舎町の住民は本性によって存在するが、彼女は自分自身を見い出せない。パリを離れ、側に息子マルクがいないこともあいまって、欠乏感をもちつづける。息子は、夜ごとパリの全寮制中学校を脱走し、軍需工場で働くアナーキスト少年、家出した少女、陶器職人の労働運動家等と知り合い、退学処分を受けて、ちょうど大戦で夫を失ったばかりのシルゲィに引取られる。この間、マルクとの問には、終始ぎこちないやり取りだけがなされる。(実は、マルクは徐々にアンネットを発見する過程にあり、「母と子」 の終盤で両者の精神が向き合うことになるのであるが。)
   「彼女の場所はもうなかった。息子の心の中にもなく、世界の中にもない。/しかも、彼女は欲していた。/精力は彼女には満ちていた。/この力、この活動慾、この戦闘慾、この愛したい欲求/人々の愛するものを愛するのか? 否/ 彼らが憎むものを憎むのか? 断じて/」 古い町に赴任してちょうど一年が過ぎている。ある十月の雨の夕暮れ、休暇先のパリから戻ったアンネットは停車場から押し出されたドイツ人捕虜の群れに出会う。彼女はすでに、一年前の赴任の日、列車で一つの駅を通る際に、ドイツ兵捕虜が工作場の囲いに閉じ込められ、町の住民が見物に殺到する様を目撃していた。
   「行列の出現が、遠方から、怒号によって告げられた。/護衛は不十分だ。群舞は、拳固を振りあげ、女どもは爪を磨ぎすまして、彼らに向ってどっと殺到した/彼らは虐殺されるのだとおもった。石が投げられた。群集は杖や傘をふりかざした。殺っつけろ/ という叫び声、口笛。いちばんよく狙われたのは、もちろん、例の士官だった。拳固で突き飛ばされた、一人の手が伸びて彼の軍帽をひったくって投げすてた。一人の女は唱え立てながら彼の顔に唾をひっかけた。男は、撲られて、よろめいた……」
   ここで、ドイツ兵捕虜たちを見た一年前の出来事、田舎町の住民と生徒への違和感、マルクへの母性愛の葛藤と渇きが、深層心理における爆発の動機となった。
   「アンネットは跳り出た……彼女はそこにいたのだった。群集の三列のうしろに。彼女は驚惜し、眺めていたのだった。彼女は何も予想してはいなかった、どうする気もなかった。自分の心中に何が起りつつあるかを弁別する余裕さえ篭かった……彼女は頑を下げて彼女の前に大通りを塞いでいる、憤激した人々の中に突入し、押しのけて、自分で通路をつくった。人々はリザィエールという女の腕の力を知らされた/ また、彼女の抱える声も/「卑怯者/ それでもあなた方はフランス人ですか?(Etes-vous des Fransais?)」 この二声の叫びは鞭を二度揮ったはどの効果をあらわした。彼女は続け、一息にいった。「あなた方は人間ですか? (Etes-vous des hommes?) 負傷者はみんな神聖です。苦しみ悩むものは皆兄弟です。」彼女は声と腕とで群集せ制えつけた。彼女の時の凄さに、人々は顔を反けた。」
   住民たちの迫害にさらされるドイツ兵を、彼女は我をわすれて弁護し、一行とともに病院に着く。そこで、ある負傷した青年を介護し、その死を看取る。
   その時、フランス人のアンネットは、死に逝く若者に、彼の母国の言葉、ドイツ語で語りかけることによって、民族や国家とちがった魂の場所にふれる。アンネットは魂の中に隠されていた「母性」と向き合うのである。



三   母性の出現

   「彼女は、彼の耳に、憐れみに充ちたドイツ語の言葉を囁いた。/「息子や!/ あたしの坊や!/ あたしの可哀そうな、いとしい坊や!/……(Sönchen ! Knäbelein ! Mein armer lieber Kleiner ! /仏訳 Mon fil ! Mon petit garçon ! Mon pauvre pauvre cher petit !)」/彼女は彼を抱きしめた。彼女は彼が解放され逝ってしまったのを見届けるまでは、断末魔の指から自分の手を離さなかった。」
   「彼女は帰途についた。もう夜の三時だった。凍った霧。消えた空。空虚な街。部屋には火の気もない。彼女は床にも入らなかった、朝まで。世界の怖ろしさが彼女の中にあった。彼女の心は苦悩でいっぱいだった。−しかも、彼女の心は軽くなっていた。それは人類の悲劇の中にその持場をふたたび見つけたのだった。」
   「彼女の上にのしかかっていた一切が落ちた。肩をぐっと振って、彼女はそれを払いのけた。それを自分の足元に見て、今さらのように、自分を圧しっぶしていた重量をさとった……/彼女は、宿命的な戦争と祖国を受動的に認容していた。/否認されていた、猿轡を族められていた自分自身の性質、裏切られていた、満たされないでいた彼女の性質が、野蛮な自然に対抗して、突如として、立ち上った。」
   アンネットは内心の声を発する。あるいは、内心の声を聴く。
   「彼女は自分の権利を、自分の綻を、自分の悦びをーまた自分の苦しみも、しかし彼女自身の苦しみー母性を要求する。
   すべての母性を。単に息子に対する母性ではない/…… お前らはみんなわたしの息子です。幸福な息子たち、不幸な息子たち、お前らは互いに身を裂き合っています。けれどわたしはお前らをみんな抱きしめます。お前らの最初の眠り、お前らの最後の眠りを、わたしは自分の腕の中で揺すります。眠りなさい/ わたしは世界の「母」です……」

   これは、「母と子 第二部」のクライマックスのパラグラフであり、新たな訳を試みる。
   原文では、母性も「母」も大文字で表現される。それは、権利、ルール、歓喜、苦悩の一切を所有する存在としてたちあらわれる。マルクやドイツの少年兵だけが彼女の息子ではない。ロランの文章は、そのような母性と母を直視しながら、子供たちを抱く全なる母の腕の動きのように、リズムをもって揺れている。
 
 「Elle réclame son droit,sa loi,sa joie,−et sa souffrance aussi,mais sa souffrance sienne−la Maternité.
   Toute la Maternité.Pas seulement celle du fils!… Vous êtes tous mes fils.Fils heureux,malheureux,vous vous dechirez.Mais je vous étreins tous.Votre premier sommeil,votre dernier sommeil,je le berce en mes bras.Dormez!Je suis la Mère universelle…」

   「彼女は彼女の権利、ルール、歓喜を求める。そして苦悩を。だが彼女自身の苦悩をも。―  母性だ。
   すべての母性。単にその息子のものではない/……あなた達はみな、わたしの息子達。幸せな、不幸な息子達。あなた達はあなた達をひき裂く。でもわたしはあなた達をみんな抱きしめるの。あなた達のはじめの眠り、あなた達のさいごの眠り、わたしはそれを両腕の中で揺するのよ。眠りなさい/ わたしは全世界のなのです……」(試訳)



四   積極的平和


   こうして、「母と子 第二部」 のしめくくりでアンネットが見出したのは、何だったのか。
 「昼がきたときに、彼女はもう一人の母−彼女が最期の眼を閉じてやった死者の母親に手紙を書いた。/それから、彼女は教科書とノートブックを再び取りあげた。
そして休みもせずに再び勤労の一日の生活をはじめた一新しい力をもって、そして心の中に平和をもって。」 「母と子」冒頭に掲げられたスピノザの言葉、 『何となれば、平和とは戟いの無きことならず。そは魂の力より生まるる美徳なればなり』
(Car la paix n’est point l’absence de guerre.C'est la vertu qui nait de la vigueur de l’âme.)
   これを、スピノザ『政治論』第五章四部のコンテキストに入れて読みな扮してみると、次のようになる。
   「その国民が恐怖に脅かされて武器をとらない国家は、平和状態にあるというより、戟争のない状態にあるとむしろ言われるべきである。というのも、平和は戦争の欠性にはあらずして、精神の強さから生ずる徳であるからである。……他にも、国民がただ隷従することしか知らず、あたかも家畜のように導かれ、平和がそうした無気力に拠っている国家は、国家と称されるよりも、荒野と称されて然るべきである。」(河井徳治訳)
   つまり、アンネットが見出したのは、ロラン自らがスピノザから学び、血肉とした積極的平和の精神である。



五   アンネットの分身

   ここに、部分的にアンネットを体現していたと思われる傑出した女性の、第一次大戦の生きた証言を二つだけ挙げておきたい。

   ヘレン・ケラー一八八〇年生まれ 当時三十六歳 「世界大戦が始まってからというものは、前のように講演旅行をしてまわることもできなくなりました。/私はそれまでについぞ感じたこともないほどの精神的寂ばくさを味わっていたのであります。/愛国心に名をかりた憎悪の一塊がしだいにふくれあがり、大きくなり、驚くべき野蛮性を具えてゆくありさまを日々読みながら、なおかつ、自分の信仰をもちつづけてゆくということは、非常に困難なことでありました。/それで一九一六年の夏、私たちは軍備反対の講演旅行をして歩きました。/私が自分の仕事を、社会事業と盲人事業とに限っている間は、それこそ新聞はこぞって、わたしのことを/「現代の奇跡」だのといってほめそやすのであります。ところが、いったん私の話が現代の社会問題または政治問題に触れると/あたかも私が不穏分子のかいらいででもあるかのように書きたてるのです。幸か不幸か私はいつも自分の心に思っていることをそのまま発表するように生まれついているので、当時自分の胸を強く打って鬱積している思想にはけ口を与えずにはおられなかったのであります。/私だって自分自身の精神というものをもった一個の女性であるということを認めてさえもらえれば、どんな苛酷な批評でも甘んじて受けるつもりでおります。」(『わたしの生涯』)

   モンゴメリ一八七四年生まれ 当時三十九歳一九一四年十月十六日付友人宛書簡
   「前回手紙を差し上げてから、百年が過ぎたような気がします。/八月十三日、わが家に息子が生まれました− 死産でした!/なんだか心の一部がこわれてしまったような気がします。何もかも変わってしまったように思われるのです。きっと、今度の恐ろしい戦争がおどろおどろしい影を投げかけていることもなって、こんな気持ちになっているのかもしれません。/あたかも雷雲か何かのように、あっという問に戦争が世界中を覆ってしまうかと思われました。何が起こったのか気づかないうちに、ヨーロッパが端から端まで炎に包まれてしまったのですもの。/わたしがこの話を、気持ちは良いものの鈍感な田舎の人たちにしますと、無知と想像力の欠如がいっしょになって戦争というものを実感できずにいるらしいその人たちは/声をあげて笑うのです。/現在、『アン』シリーズの新作に取りかかっています/この作品が面白くてたまらないと思ったことは一度もありません。/今となっては、さまざまな国民が死闘に明け暮れているというのに、落ち着き払って腰をおろし、女生徒たちのために、女生徒たちのささいなふるまいについて書くなんて、ほとんど不可能と思われます。」(『書簡』)

これらを合わせ読めば、アンネットというロランの創造したモデルが、きわめて稀でありながらも、すでに実在の同時代的分身を有していたことが、観て取れる。しかし、このモデルそのものは、ロランという語り手によって、しばしば実在の人物以上に、未知の読者の精神的クローンニングに効果を発揮した。



六   私たちの魂の実験

   冒頭で、外国文学の作品を読む場合、四つの重層的時間を意識することができると述べた。終わりに、四つ目の時間、作品を読む私たち自身の生きる時間について述べてみたい。
   スイスのゲィルヌープの自宅で、ベッドに横たわり "L'Âme enchantée" を執筆するロランの姿、『魅せられたる魂』の訳業を進めたアンネットと歳近き学者の姿が心に浮かぶ。躍動するロランの原文、苦闘する訳者の祈りの込められた日本語。そこからは自由が放射している。では、私たちは、これをどう受け取ればいいのだろうか。
   第一次大戦、第二次大戟、冷戦と時代は烈しく流転してきた。そして、冷戦後の紛争、インド・パキスタンの核実験、NATOによるユーゴ空爆、国内における精神の閉塞状況。これらを考えるための急拵えの道具立ては、すぐさまロラン=『魅せられたる魂』に、見つからなくて当然であろう。しかし、幾つかのありうべき思想や生き方の、震撼すべき実験を、それは見せてくれる。
   私たちが学べるとしたら、ロランの実験的精神そのものであり、魂の対話である。
   現在も、歴史は動き、私たちの魂も、動いている。この曖昧さ、躊緒の奥に、私たちは私たちの位置を観、吟味しなければならないだろう。「小説の死」 が語られて久しい現在、人々は、それぞれ自身の魂の登場人物、主人公となり、生き、試すことができるのである。それは、私たちにとって、私たちの時間、今である。                                                                 (了)


(京都大学人間・環境学研究科博士課程)


  *本稿は、ロマン・ロラン研究所に於いて一九九九年五月二十二日に行われた第一九七回読書会例会での発表にもとづく。