本日は、これから「ロマン・ロランとインド」というテーマでお話しさせていただきます。このテーマは、ロマン・ロランという多角的で総合的な巨大な人格のなかでも、音楽や社会・平和思想とともに、きわめて興味深いテーマの一角をしめております。
ところで、今日からいよいよ一九九九年も師走月に入りますが、年が改まれば二〇〇〇年ということで、今年の師走は毎年繰り返される年の瀬とは違った、一つの世紀の終わり(正確には、二十一世紀は二〇〇一年から数えるようですが)といった、なにか感慨深いものがございます。
そんな思いのなかで、あらためて私たちが生きてまいりました二十世紀をふりかえりますと、それはよく言われるように、科学技術の驚異的な進歩と戦争の世紀として特徴づけることができましょう。
科学技術も戦争も、もちろん今世紀に特有のものではありません。それは人類の歴史とともあったといえましょう。人間は狩猟や耕作を始めたときから、すでに道具を使っておりました。土を耕すのに手を使ったのでは指先が痛いし怪我をする。そこで手の代わりに木片や石を使う。烏や獣を捕るには、どうしても素手ではかなわない、そこで弓矢や槍を考え出す。あるいは自分の力ではどうしようもない重い岩や木材を運ぶのに、牛馬といった力の強い動物やてこを利用する。また、速く疲労せずに遠くの目的地に到達するために、馬やラクダを飼い馴らして足の代わりにしたり、丸木舟を利用する。こうして、人間は原始の時代から徐々に科学技術を発展させ、やがて、ピラミッドや万里の長城といった巨大なモニュメントを築きあげ、さらに近世に入ると、産業革命によって、直接手足を使わず、機械にその代用をさせるようになりました。
しかし二十世紀に入ると、そうした人類の何千何万年という長く営々とした進歩の歴史に、大きな質的な変化が起こりました。すなわち、第一に、これまで人間の手足や肉体の延長としての機械であったものに加えて、頭脳の代理としてのコンピューターが作り出されたこと。第二に、人類の長い夢であった大空へ、さらには宇宙への飛行を実現したこと。そして第三にこれまで神の創造の冒すべからざる領域として神聖視されてきた、生命の分野にまで科学がかかわりはじめたことです。
そして、人類はいま、自らが作り出した驚くべき科学の力に脅威を感じながら、人間の幸福にとって科学が両刃の刃であることに気づき、自然破壊や環境問題、生命の尊厳の問題などをあらためて真摯に問うようになりました。しかし本日は、この問題がテーマではありませんので、話をつぎに進めさせていただきます。
同じように、二十世紀は、戦争の世紀とも呼ばれておりますが、それは科学技術の進歩の歴史が、ここにきて質的な変化をとげたように、戦争もまた、以前の戦争とは大きく様変わりをしたということです。悲しいことですが、人頬の歴史は戦いの歴史であったと言っても過言ではありません。侵略や争いは、おそらく、私たちの知らない有史以前から続いてきたに違いありません。しかしそれらは、種族と種族、地方と地方、王国と王国、あるいは一国と一国、多くとも周辺の数か国が巻きこまれて戦うということでした。それが、今世紀に私たちが経験した二度の世界大戦や、また最近の湾岸戦争でも見られたように、戦場は一地方に限られていても、世界の多くの国々がなんらかの形でこれに参加するといった、世界的な規模のものに変貌してしまいました。また戦争そのものも、以前とはちがい、巨大な科学の力と結託して、空から、あるいは遠く見えないところから爆撃を加え、それも瞬時にして何千何万という、老人や子供、病人までをも含めた非戦闘員を平気で殺害するという、一世紀前までは鬼神すら考えなかったような恐ろしい殺人ゲームになってしまいました。
しかしいっぽう、いま人類は、この世紀を終えるにあたり、野放しの科学の進歩にブレーキをかけなければならないと考えはじめ、また恐るべき戦争の教訓から、平和・共存を心から切望するようになったことも事実です。人類が今日ほど、戦争と平和、民族や国境の問題を真剣に考えたことはなかったと思います。たしかに人間は、身を危険にさらしたり、心に痛手を負うまでは、目先の損得から目を離し、未来を考えることはできないようですが、二十世紀に二度も体験した戦争の悲劇から、イギリスの詩人コールリッジのいう「悲しい経験で賢くなった苦労人」として、戦争のない二十一世紀を願っています。もしほんとうにそのことに人類が目覚め、地上から戦争がなくなるとすれば、二度の大戦をはじめ、数々の紛争で奪われた犠牲者たちの死が、いくらかでも報われることになりましょう。
この平和共存にいちはやく目覚め、その実現に向けて立ち上がったのが、二度の大戦の中心舞台となったヨーロッパであったというのは、けだし自然なことだと思われます。ヨーロッパの国々は、これまでどおり互いに近隣国を信じず、憎悪をつのらせ、軍事力の増大にきゅうきゅうとしていたのでは、それこそ詩人タゴールの言ったように、古生代にマンモスが互いに相手より強くなろうとして、牙を巨大化し、自滅していったように、共倒れになるのではないか、それよりも話し合いによって、互いに理解を深め、信用し、協力し合ったほうが得策ではないだろうか、そう考えるようになりました。こうして、久しく相互に憎しみ合い、争ってきたヨーロッパの国々のあいだに経済や外交、安全保障などの面で国境なきゆるやかな共同体をつくろうという気運が高まりました。
ところが、こうした思想は第二次世界大戦後に初めて政治家や経済学者たちによって考え出されたものではありませんでした。その理想を実際の声にしたのはオーストリアのクーデンホーフ・カレルギー伯爵でした。カレルギーが第一次世界大戦の悲惨さを目のあたりにして、『パン・ヨーロッパ』という本を書き、ヨーロッパの統合を提唱したのは、第一次世界大戦後の一九二三年でした。(なお、この人のお母さんが青山光子という名の日本人女性であったことはあまりにも有名です。)このときのカレルギー伯の理想は、まず長いあいだ犬猿の仲であったフランスとドイツを和解させ、ヨーロッパの国々を連邦国家に参加させて、大陸に恒久平和を築くことでした。そこで一九二六年に彼はウィーンでパン・ヨーロッパ会議を開催しましたが、彼の夢はヒトラーの出現によって無残にも破られてしまいました。
しかし、いまにして考えてみますと、ヒトラーの猛々しい軍靴もカレルギーの撒いた夢の種をけっして踏みつぶすことはできなかったのです。種はじっと第二次大戦中の冬の季節を耐えしのび、一九六七年にヨーロッパ共同体の発足として新たな芽を出したのでした。その後その計画は、通貨統合、共通の外交・安全保障、国境なきヨーロッパを目指すヨーロッパ連合からEUへと発展していったことは周知のとおりです。思えば、EUがこのように戦争の産物であったというのは皮肉なことです。
ロランの話の前置きがEUにまでひろがってしまいましたが、それは、ひとつには世紀の締めくくりとして二十世紀の戦争と平和の歴史をふりかえってみたかったからですが、それと同時に、ロランの思想がこうした問題とけっして無縁でないことを思い出したかったからです。と申しますのは、ロランは本国フランスでも、またかつてはあれほど多くの読者に愛された日本でも、近頃は過去の作家として忘れられがちですが、ロランは今世紀初め、すでに今日のヨーロッパのあるべき姿を提言し、さらに人類の歩むべき方向を示唆していたことを思いますと、彼の作品はけっして過去の文学作品ではなく、二十一世紀へのメッセージとして、あらためて読みかえす必要があろうかと考えるからです。
クーデンホーフのパン・ヨーロッパ思想にロマン・ロランの作品が直接的な影響をおよぼしていたかどうかは、残念ながら私の勉強不足のため、いまは明確に申しあげられません。たぶんクーデンホーフもなんらかの形でロランの思想を知っていたとは思いますが、それは今後の課題にさせていただきます。いずれにしましても、汎ヨーロッパという理想は、けっしてクーデンホーフ独自の発想ではありません。それは早くから、ヨーロッパの良識ある知識人のあいだに醸成されてきた思想でした。たとえばドイツの哲学者カントも、彼の倫理的・政治的理想からヨーロッパの恒久平和を念願していましたし、共和主義者として知られるフランスの文豪ヴィクトル・ユゴー(ユゴーが若きロランに大きな影響を与えたことはご承知のとおりです)も、「ヨーロッパ合衆国」を提唱したのでした。このように思想というものはけっして一人の人間が思いつくものではなく、長い時代背景のなかで整理・収集されるものです。ロランの思想も、当時のヨーロッパの知識層のあいだでは、賛否両論はあったにしても、広く知られていたはずです。
さて、ロランのパン・ヨーロッパ思想は、彼の大河小説『ジャン・クリストフ』のなかにみごとに表現されております。一九〇三年から十年がかりで書かれたこの作品は、第一次世界大戦の二年前一九一二年に完成されておりますから、ロランは、パン・ヨーロッパの政治的提唱者たちが大戦によってその必要を痛感する以前に、すでにその理想を作品のなかに掲げていたのです。周知のとおり、『ジャン・クリストフ』の主人公クリストフは、ベートーヴェンをモデルにしたドイツ人の音楽家です。そのために、第一次世界大戦が勃発したとき、フランスでは、フランス人の作家がなぜ敵国民を主人公にした作品を書かなければならなかったのかと非難されたそうですが、この小説の大きな意味は、むしろそこにあったと申せましょう。
ジャン.クリストフ・クラフトのクラフトは、ドイツ語で「力」を意味します。もすろんここに言う「力」は権力の意味ではなく、生命力のことです。つぎにロランは、クリストフの友人にフランスの青年オリヴィエを登場させています。オリヴィエはフランス語でオリーヴの木、すなわち知性の象徴です。したがってクリストフとオリヴィエの出会いと友情は、ドイツ的創造力とフランス的知性との出会いと友情えお意味します。それぞれが互いに他方を補いつつ人間の完成を目指すのです。ロランはオリヴィエのなかに、幼年時代からの自分の性格を色濃く投影しているといいますが、ロランはオリヴィエのように夢みがちで、「神秘精神への傾向をもっていた」ようです。と同時に、大戦中に敵からも味方からも轟々と非難されながらも「戦いを超えて」、人間愛と平和を叫びつづけたあのしんの強さにおいて、彼はまたクリストフ的でもありました。 |