ロマン・ロランと「政治的魔術」からの解放
    −マックス・ウェーバーの二〇世紀観との関連で−
柳 父 圀 近



 ご紹介をいただきました柳父です。私も学生時代からロランの作品、とりわけベートーヴエンをめぐる諸論文や『ジャン・クリストフ』などを愛読し、人生に立ち向かう励ましをそこから与えられて参りました。しかし私はもちろんロランの研究者ではありませんし、そもそもフランス文学の研究者でさえありません。その意味ではこのようなところでお話させていただくのは全く場違いでして、大変恐縮いたしております。しかしロランと同時代の思想、とくに同時代のドイツ思想史との関係でロランに関連して何か報告するようにというご命令をいただきました。そこでやや苦しまぎれですがロランと全く同世代のマックス・ウェーバーとの関連で少しロランの精神について考えようと思います。

 一 ロランの精神
 タイトルを「ロマン・ロランと政治的魔術からの解放」とさせていただきました。ご承知のように、「魔術からの解放」(Entzauberung)は、M・ウェーバーが特に西欧近代の文化を特徴づけたコンセプトです。しかしここで「政治的魔術」と言いますのは二〇世紀の種々の政治的イデオロギーや政治的「神話」、とりわけ第一次大戦の際、ロランが対決し批判したあの狂信的な民族主義などをそう呼んでおこうというものです。その点、ウェーバーの用語法とは少し違います。ウェーバーについてはまた後でお話しょうと思います。さて、政治的イデオロギーは、ご承知のようにいつでも一定の政治的な目的に向かって人々を動員しょうとするものです。政治的効果の観点から人々を動員すること自体が大きな目的です。その意味でいわば人々に魔法をかけるのです。しかも困ったことに、人々を動員しょうと考えているリーダ占身もしばしば自分がロにするイデオロギーの持っている動員効果によって情緒的に動員されてしまうのです。また、一定の鋭い問題意識をもつイデオロギーをあえて使って現実を掴もうとする人に対しても、現実の世界の別の大切な側面を見えなくさせてしまうということもしばしばおこります。そうした種々の意味合いで、政治的思想・政治的想念は、まさに政治的な「魔術」というべき性質を持っていると言えそうです。よく考えた上ではっきりした政治的立場を持つというなら、そしてその意味であえてイデオロギーを持つというのなら、むしろ大切なことと思います。しかしいつしか政治的な魔術にかけられて、魔術の園(Zaubergarten)に閉じ込められてしまうのは大問題でしょう。
 ロマン・ロランと「政治」といえば、人はまず、彼の第一次大戦下の反戦活動を思います。あの「戦いを超えて」などの勇敢な反戦批評活動です。それは、同時期の多くの知識人が、フランスでもドイツでもファナティックに戦争にコミットしてゆく中−実は冷徹なマックス・ウェーバーの場合も、一方ではいわゆるリベラル・インペリアリストと称されるような一面もあったのですが−で極めて例外的な、醒めた精神の証しでした。熱狂的なナショナリズムのイデオロギーや感情の魔術にかからなかったのです。それはなぜだったのか、なぜロランは政治の魔術にかからないで自己の反戦の志操をつきぬけたのか、これが問題です。ご承知のように、ロランは大戦の勃発をスイス滞在中に知ります。そして戦争中ずっとスイスにとどまり、人々が熱狂するこの戦争を、無残な殺し合いであり、またヨーロッパの文化の破壊であるとして歯に絹を着せずに批判し続けました。軍人や政治家だけでなく、それぞれの国の学者や芸術家、またキリスト教の聖職者までが、各々の国のナショナリズムを聖化し、戦争を正当化していることを厳しく批判しました。フランスについても容赦しませんでしたから、彼はフランスで大変な反発を買いました。念のため申しそえますともちろんロランはこの時以外にも政治的問題にかかわっており、とくにロシア革命に希望をもったことは知られています。ただし彼が支持したのはスターリンのソヴィエトではなかったことは重要だと思います(この時期のソヴィエトについては、ロランの場合、故国に家族がいた彼のロシア人の奥さんの問題もありました)。
 さて、第一次大戦のときの反戦活動をはじめロランの政治批判は、何よりもロランの明晰な理性と激しいヒューマニズムに基づくものだったのは明らかです。ヒューマニズムといえばひとつには、ロランがフランスの文学者でありながら、ドイツの文学遺産から深く精神を養われてきた人だった、というような事情もありました。しかし、「理性」も「ヒューマニズム」も、他の人々にもそれなりにあったはずです。それがなぜロランのようには作動しなかったのか、が問題なのではないでしょうか。こうした視角で、いまあらためてロランの(個々の政治評論の論点はともかく)反戦ヒユーマーニズムを支え、貫徹させたものは何か、このことについて考えておきたいと思うのです。しかしそうしたおしつめた内面の消息は、当時彼の書いた政治評論にはそうストレートには出ていないように思われます。それについてはむしろロランの内省の記録・メモアールの類や文学作品の中に手がかりを求めたほうがよいかと思われます。そしてそれらを読んでいますと、私にはロランが政治的な魔術に容易に捉らわれなかったひとつの理由として、ロランの独特の宗教意識の特質があげられるのではないだろうか、と思えてなりません。あとでお話するウェーバーをめぐる一連の問題との関連で、今日はとくにこの観点にこだわってみたいと思っています。
 ただしロランの宗教意識は、必ずしも伝統的な「宗教」にも「宗派」にもおさまるものではありえませんでした。むしろ伝統的なキリスト教の側からは「無神論」と誤解されうるところもありました。それは彼が少年時代−実に十六才の時から!−以来つとに根源的な共感を覚えたスピノザの場合と似ていたようです。ロランの思想と仕事におけるそうした宗教的精神の重要性については、早く、片山敏彦先生の『ロマン・ロラン−生涯と仕事・認識と叡智』」(みすず書房の著作集の第一巻)が立ち入って論じています。先年この会で講演されたデュシャトレー教授のご研究もそのことを指摘していました。
ロマン・ロランはいわゆるキリスト者ではありませんでした。ロランのメモワール『内面の旅路』(みすず書房のロマン・ロラン全集第十七巻)を読みますと、お母さんはきわめて熱心なカトリック信徒だったことが書かれています。しかしロランはすでに幼い頃からカトリック教会での教えの説き方に反発を覚えており、成長するとともにいよいよカトリックから、というよりハッキリと伝統的なキリスト教信仰からは離れていったようです。その際、ロラン少年、ロラン青年がもっとも反発したのがキリスト教における古代ユダヤ教的な要素だった、と書いていることは興味深いものがあります。ヨーロッパ精神史にはご存じのようにギリシア的な思想とヘブライ的な思想とが(ゲルマン的な伝統とともに)弁証法的な関連で織り込まれています。若きヘーゲルやニーチェはとみに古代ギリシャヘの志向が強く、反ヘブライズムでしたが、若きロランも反ヘブライ派だったようです。キリストの精神にはともかく、ヘブライ的な「主なる神」への恭順の意識には強い反発を覚えたと書いています。それは人間性を抑圧する恭順だと考えたようです。そして、むしろニーチェ風にアーリア的(ゴール的)な生の肯定、生命力の神格化の思想に傾いていったようです。幸いアーリア民族至上主義や、ニーチェの亜流に生じた野蛮なバイタリズムには陥りませんでしたが。
こうして若きロランはキリスト教から離れたようです。ロラン少年がたとえばキルケゴールを読んでいたら、という気もします。とはいえ、彼は根源的な宗教性までも失ってしまったわけではありませんでした。教会のとみに形骸化したカトリシズムから自らの精神の本当の解放を求めてしだいにキリスト教の外に歩み出していたこの少年は、しかし、十六才のときにスピノザの『エチカ』に接して決定的な開眼−むしろ自己のうちにつとにめざめつつあった一種の「哲学的信仰」への開眼−を経験したことを『内面の旅路』でロランは書いています。それ以後は、ロランのこの宗教的精神は基本的には一貫して変わることはなかったようです。もちろん後年インドの宗教思想の伝統に接し、研究を深めるに連れ、ロランの宗教思想、総じてロランの宗教的な生の哲学は一層鮮明なイメージを結ぶようになりましたが。興味深いのは、ロランが、インド思想については知識人的な仏教思想よりも、一層ミスティックなエネルギーにあふれるヒンズー教、わけてもシヴァ神の神話と信仰とに強く引きつけられたと記していることです。それはロランにおけるスピノザ的かつニーチェ的な精神を感じさせます。ちなみにニーチェについてもロランはスピノザ体験と関連させて「ツラトウストラの笑いよ! おんみを私が知るためには私はニーチェを待ちはしなかった」と書いています。これらのことはいずれも、宇宙的な生において虚無を無限に克服しつつある神との出合いに目覚める、ジャン・クリストフ十一章「燃え立つ茂み」のあの圧巻の見神体験に連なつているのではないでしょうか。
 それはともかく、ロランの宗教性について、今日のテーマとの関係で重要なのは、さしあたり次の一点です。それはロランにはこのようにスピノザとのいわば必然的な「出会い」によっていっそう確実になつた独特の宗教性があり、それが容易には「政治的魔術」には乗せられない精神の基礎となつたのではないかということです。こう推測する所以を、もう少し説明させていただきます。すこし哲学的な話しになって恐縮ですが、大体以下のように考えられるか
と思います。
 ロランは、スピノザを読んで、有限相対のこの世界の諸々の事象(それは、自然の諸事象も歴史の諸事象も含めて、また、人間から見て美しいことも醜悪なことも、善も悪も含めてということですが)が、すべて真なる「実在」(神)の無限の諸属性の諸々の「様態」なのだ、というスピノザの思想に共感したのです。この意識の覚醒はロランに、世界内のあらゆる事象の「相対性」と「有限性」とを、痛切に自覚させたのでしょう。さらには、自分のそうした認識やそれを認識する「自我」もまた、まさしくかの「実在」(もしくは「実体」)のモードのひとつの現れであるとの意識の覚醒をも促されたでしょう。「私は、スピノザの言葉そのものの中にスピノザをではなく、まだ知らなかった私自身を見いだした」とロランは書いています。もちろん最初からスピノザをどの程度深く理解できたかということはあるでしょうが、少なくとも根本的なところでこのスピノザ体験は決定的で、歳と共に理解は深まったのでしょう。そしてこうした精神の覚醒において万象を超越し、もちろん自分をも超越する絶対の「実在」の体験へと解放されるとき、人は、当然、政治の世界の「政治的魔術」たるイデオロギーや特殊な政治的「情念」をも超越し、相対化するはずです。もちろん宗教的経験とその意識は、個人の意識の深みの消息ですから安易に「理解」したつもりになるべきではありませんが、そしてロランの宗教意識についてあまりに粗雑な説明をしているのを恐れますが、あえて述べるなら、ロランのスピノザ体験とその後の思想経験は、このような精神の深化の過程だったと言えるのではないかと思います。
 しばしばスピノザの思想は「汎神論」として紹介されています。しかしそれは誤解に導くように思われます。スピノザの思想は決して単純なアミニズム的な汎神論ではありません。究極の「真実在」(実体)の諸様態として宇宙をつかむ(「神即自然」)ことを、イメージとして伝えるために「汎神論的な」と言う言い方がされ、汎神論という言葉が使われます。しかし大切なのは、スピノザ的な精神の眼目は、すべての現実がそのまま「神」そのものだ、と見る呪術的アミニズム的意識とは異なり、はるかに高い精神の目覚めにおいて、すべての事象はいわば神のメタモルフォーゼ・現象であって、しかも「神そのものではない」という神の超越性(超越=内在というべきでしょうが)を悟らしめる、と言うことではないでしょうか(こうしたことは、むしろ本来の仏教に顕著な、しかしまたキリスト教にも伏在する「存在論」に深くつながるものでしょう)。そしてこの「峻別の意識」は、「国家」や「戦争」といった「現象」をみるときも、それらを変に「神格化」してしまわない意識・精神として働くはずです。その意味で、まさに「魔術からの解放」の作用を持つと考えられます。
 ロランは、こうした深い宗教的覚醒によって、この世のさまざまな「魔術」あるいは「神々」を絶対化することをまぬかれ、自由な精神へと解放されつづけたのではないでしょうか。ロランはしばしば「ユニテ」について語っています。ロランの説く「ユニテ」の精神は、世界のさまざまな事象が、永遠の相の下では区別や対立が(真「実在」において)ユニテのハーモニーに成就されていること、を直感するとき生じます。地上ではあい対立するものも、永遠の相の下では「ユニテ」を成すことの洞察です。ロランの「ユニテ」の思想は、個別的な現象・事象の生命を尊重しながらも、「真実在」への眼差しにおいて、仮象的なもの、一時的なものの絶対化を克服する思想だったといえるのではないでしょうか。しかも重要なのは、ロランの場合この「ユニテ」は決してただの思弁ではなく、鮮烈な実感・直感として経験されていたことです。それについては、青年時代に列車事故でトンネルに閉じ込められた時の不思議な宇宙的な一体感の体験(『内面の旅路』の中で、「啓示」として書かれている経験です)や、あるいはジャン・クリストフの見神体験について語られていることなどで、皆様ご存じのところと思います。ロランにとって人の生は、地上的な生の充溢の場であるとともに、それをこえた超越とユニテが意識される場所でもありました。二七才のロランは、「神聖な、人間の「ユニテ」を、そのユニテをつつむ多様なあらゆる形のもとに、つねに示すこと。それは芸術の第一の目的である」と日記に書いています。
そうしたロランの眼には、第一次大戦と各国のファナチックなナショナリズムの自己絶対化は断固拒否すべき迷妄であり、大量殺人と文化破壊は愚行の極みだったはずです。そして、すべてを神の現れと見る「存在論的袖学」が、おのれの「思弁」に酔って神の「超越性」の面を見失うとき生じる危うい可能性、特に、「国家」を歴史における神的なものの顕現とみて崇拝し、戦争をももっぱら神の「理性の狡知」の現れと肯定的に評価するような、よく知られている観念論「論理学」の熱狂には、ロランの「ユニテ」の精神はさそい込まれませんでした。それは「思弁」に巻き込まれて過剰に政治的役割を演じるのを意に介さない政治的精神を持つ人々とは違って、ロランにおいては真正な宗教的精神が勝っていたことを示すものではないでしょうか。

 二 「神々の闘争」
ここでしばらくロランを離れ、マックス・ウェーバーのことを話させていただきます。マックス・ウェーバーは、一八六四年生まれで一九二〇年に五六才で亡くなりました。一八六六年生まれのロランとはわずか二つ違いです。そのウェーバーが、二〇世紀の精神状況をどう見ていたか、どういう洞察と、どういう問題を残して逝ったか、を考えてみます。それは、とりわけ、第一次大戦以来、さまざまな政治的魔術が猛威をふるつた二〇世紀を考える上で大変必要な作業ではないかと思います。この作業をひとわたり試みた後に、再びロランの思想にたちもどつてみたいと思います。
 マックス・ウェーバーは優れた社会科学者でしたが、同時に卓越した政治評論家でもあり、また直接に政治的行動にもしばしばコミットしています。第一次大戦中にもいろいろ政治論文を書き、戦争遂行の方針や戦後の体制の準備(民主化)などにリベラルの立場から見識を開陳しました。戦後はワイマル憲法の作成委員会の有力なメンバーとして、人民投票による大統領制や議会の調査権の確立などをこの憲法に盛りこんだことは有名です。そうした行動についても大変興味深い存在であり、種々研究があります。書簡も収めるウェーバーの全集は未完ですが、ロマン・ロランとマックス・ウェーバーは面識もなく、書簡も相互の言及もないようです。ジャンルが違い過ぎていたのでしょう。
 ともあれ、ウェーバーは二〇世紀前半のヨーロッパの文化、社会を者える上で重要な分析を種々残しました。今日はウェーバーの「魔術からの解放」(「脱呪術化」とも訳されます)というコトバと、「神々の闘争」というコトバとをとりあげて、ロランが戦った「政治的魔術」の問題との関連を考えてみます。
 人類はどこにあっても昔は呪術的意識の下で暮らしていました。しかし、ウェーバーによると一定の諸条件の組み合わせが生じた場合には、そこからの解放が生じました。魔術からの解放ないし「脱呪術化」です。ウェーバーはそうした事例をとくに近代西欧文化について指摘しました。しかし非西欧文化の場合についてもいくつか興味深い指摘をしています。中国の儒教文化のもつ現世的合理主義の分析(ただし、ここでは、道教的な呪術がもうひとつのカルチャーとして強い影響力を持ち続けたのですが)や、日本についてもとくに浄土真宗における脱呪術化などに鋭く注目しています。ロランの精神に似た面のあるインド知識人についても立ち入って論じています。しかし彼によれば何と言っても十六−十七世紀のピユーリタニズムの文化は、そうした典型例でした。そうして、二〇世紀は、すでに西欧近代の「魔術からの解放」が、完成したあとの世界のはずでした。しかしその二〇世紀にまさしく、今日の話のテーマである「政治的魔術」が猛威をふるうようになったのです。これは痛烈なバラドックスです。二〇世紀の「政治的魔術」は昔の原始的な呪術とは違う、「魔術」というのは比喩として言うのだ、と一応は言えますが、いわば二〇世紀における「再魔術化」が起こつたのです。それに、第三節で宗教哲学者ティリッヒの議論を借りて少しお話しますが、全体に必ずしも「比喩」とも言えない面もありました。また、「ゲルマン神話」や「日本神話」などの古い呪術的な意識や文化が、実際に息を吹き返した場合もありました。なぜそういうことが生じたのでしょうか。こう考えるときに、ウェーバーのもうひとつの用語である「神々の闘争」が、問題を考えるヒントを与えてくれるように思われるのです。
 まず、「魔術からの解放」について、ウェーバーの考えをいま少し説明しておきます。こうです。人類は始め地球上のどこでも、さまざまの精霊や魔力の支配している世界に生きていました。種々のスーパーナチュラルなカが自然や社会を支配していると考えられ、人々はそのタタリを恐れましたが、またその力を利用しようともしました。このごろは近代的な合理主義こそが自然破壊や人間疎外を生んだ張本人だ、という主張が広まり、そうした「物の怪」的世界と、その「ロマン」が懐かしがられる傾向があります。しかし、考えてみれば呪術の世界は、迷信がはびこり、呪術的な理由に由来する種々の社会的タプーが人間の差別を固定化してしまう世界でもあります。そこでは自然科学の発展や社会倫理の合理化は呪術的メンタリティによって阻止されていました。そう暮らしやすくはなかったはずです。
 ウェーバーは、「脱呪術化」のいくつかの条件をあげています。たとえば、契約的な社会関係の発展とか、とくに合理的な思考に馴染むような職業人ロ(都市の手工業者層など)の増大などもそのひとつです。しかし最も重要なのは、神観念の合理化だ、と分析しています。神や仏についての思惟の合理化です。その点でウェーバーの分析で有名なのは、旧約聖書の「預言者」の思想に端を発し、キリスト教に継承され、やがて十六−十七世紀のピューリタン文化に流れ込む脱呪術化の神学の場合です。とりわけ神の超越性を強調し、「被造物の神格化の拒否」の精神を説いたピューリタンの下で、「被造物」としての自然を研究する自然科学が発展し、また伝統社会の呪術的エートスを克服する民主的な政治思想も形成されました。ニュートンや、J・ロックが、ピューリタン文化の子だったことはよく知られているところです。この意味では、十七世紀の「魔術からの解放」の文化は、迷信からの脱却と社会の民主化の文化だったと言ってよいかと思います。ただしウェーバーはドイツでは、こうした「魔術からの解放」が十分には進まなかった、ルターの思想に含まれている独特の神秘主義の要素がラディカルな脱呪術化を抑制した、といっています。詳しくお話しませんが、このためドイツではとくに社会関係の近代化、合理化が遅れ、半封建的、権威主義的な関係が残っている、とウェーバーは分析しました。ナチの権威主義が勝利しえたひとつの遠因でしょう。
 さて、二〇世紀の問題についてはどうなるのでしょうか。まずウェーバーは、あるいみでは二〇世紀を、いっそう進んだ「魔術からの解放」の時代と見ます。
 ウェーバーは晩年に「職業としての学問」という独自の文化哲学的な講演を行い、後に公刊しました。そこでは、二〇世紀は、原始的な呪術の克服は完了していて、いまや高度の宗教、とくにキリスト教からも、人々が離れて行く(とくに知識層)傾向がある、と見ています。その意味で比喩的に(脱宗教化が進むということを指して比喩的に)、第二の「魔術からの解放」が進む、と言っています。
一九世紀後半には、マルクスの唯物史観やニーチェのニヒリズム、またいわゆる「歴史主義」によるすべての思想の歴史的相対化の主張、さらにはフロイトの精神分析などが影響力をふるいました。それらはいずれも宗教、とくにキリスト教を批判しましたし、二〇世紀の精神はキリスト教から離れてゆく、とウェーバーは観察しています。もっとも、彼自身がキリスト教を積極的に否定したわけではありません。また二〇世紀は、ウェーバーの死後、むしろカール・バルトやパウル・ティリッヒのような有力なキリスト教思想家が登場しました。しかしウェーバーは、二〇世紀は大掴みにはキリスト教は人々にとって疎遠なものになると見、今やあらわになってきたのは、むしろ「神々の闘争」というべき事態である、というのです。
 次に「神々の闘争」についてですが、「神々」というのはもちろん比喩です。人々が奉るさまざまの「価値観」を「神々」とウェーバーが呼んだのです。二千年のあいだヨーロッパの倫理を支えてきたのはキリスト教の価値体系・倫理でした。それが力を失い、いまや非キリスト教的な価値も対等の価値である、諸々の価値観が「神々の永遠の闘争」を繰り広げるようになる。それはキリスト教以前の古代の多神教の世界に似ている、と言うのです。人々はもはやキリスト教にもとずいて生きるのが当然と考えない。むしろ各々自分の生を賭ける価値理念を主体的に選択し−念のために言えば、ウェーバーはあらためて人がキリスト教を選びこれによって生きることも自由だ、とも言うのですが−自分にとっての「神」と「悪魔」を自分の意思で設定して生きよ、というのです。たとえば、「ドイツ民族の栄光」を「神」とすれば、これを危うくするものは「悪魔」なのです。芸術的な実の追求を「神」とすれば、芸術を政治的宣伝に利用することなどは悪魔の業でしょう。学問やエロティークの追求を神とする立場もありましょう。そうした諸価値の対立・闘争はある意味で無限にありえます。この「神々の闘争」の思想は、ニーチェのニヒリズムと決断主義に近い立場とも言えます。しかしそのニーチェの「イズム」をも相対化する立場です。むしろ後年のサルトルの実存主義の「君は自由だ、君自身を創造せよ」という立場などに非常に近い思想だと思います。キリスト教から離れるとしても、何らかの普遍的価値を「客観的」に説くことが可能だという立場にウェーバーは立ちませんでした。ヨーロッパを支配して来た宗教的アプリオリとしてのキリスト教的「意味」の世界が放棄された後は、アプリオリな生の「意味」は語れない。それゆえ、各自で自分の「神」(価値)を主体的に見つけて人生に自ら意味あらしめよ、というのです。
 こうして二〇世紀という「魔術からの解放」の極点において「神々の永遠の闘争」が始まる、という歴史的な逆説をウェーバーは鋭く提示し人々に突きつけました。
 この脱キリスト教化の時代という思想は、伝統的キリスト教倫理からの解放感をともない明るい思想だ、という見方もあり得ますが、ウェーバー自身は、むしろあの『職業としての政治』 の終わりのところで述べているように、二〇世紀を昼の明るさの世界ではなく、明けそうもない夜の暗さの世界ととらえています。彼がなぜそう思ったのかはともかく、今日の話にとっての問題は、二〇世紀の人類が種々の「政治的魔術」の作用の下におかれ、人々はそれに動員されてまさに「神」と「悪魔」を選ばされてしまった、という現実の方です。ナチの代表的イデオローグのA・ローゼンベルクのテキストが『二〇世紀の神話』と題されていたことなどはあまりにも直接的でやりきれないものがありますが、しかしもちろん、「政治的魔術」はナチズムの専売特許ではありませんでした。
 ちなみに「神々の闘争」についてはウェーバー自身が、敗戦後に、「ドイツの復興のためなら悪魔とでも手を結ぶ」と言った話は象徴的です。ドイツ民族の栄光という「神」を立てて、しかも、その復興のためなら悪魔と手を結んでもいい、という「プラグマティズム」を述べたのです。もちろん、こういう比喩的表現にいちいちめくじらを立てるのはどうかとも思いますし、ウェーバーはナチとは結び得ない人だつたと思いますけれど、こうした発言の中にはウ
ェーバーの強烈なまでのナショナリズムと、またそれが伏在させているある危うさを感じさせるものはありましょう。少なくともこの発言については、キリスト教的な普遍主義的倫理意識やロランの精神との違いは指摘できるところで。しょぅ。そのコンテキストではまた、ウェーバーがドイツの復興のために「カリスマ的リーダー」ないし「人民投票的指導者民主々義」の実現を新生ドイツに期待したこと、そしてそうしたリーダーを国民投票によって任期七年の大統領に選び、しかもきわめて強大な権限を大統領に与える条項を憲法作成委員会でワイマル憲法に加えたことは、私たちに複雑な感慨を与えます。ヒンデンブルグ大統領の決定により、大統領権限を介してナチに権力への道が開かれたことにウェーバーの「ドイツの復興」への思い入れがある種の寄与をしてしまったのではないか、という印象が残るからです。


 三 デモニーからの解放
 さて、ここで議論の展開を図りたく思います。ウェーバーやロランより一世代若い宗教哲学者で、政治思想の領域でもなかなか貴重な仕事をしたパウル・ティリッヒは−ナチに反村したためにアメリカへ亡命を余儀なくされ、アメリカでの活動によってかえつて有名にもなりまし−「宗教」について新しい定義をしたことでも知られています。ティリッヒは、「神」とか「仏」を語るかどうかではなく、むしろ、人が何ごとかに(つまり何らかの価値に)「究極的に関わっていること」がその人の「宗教」なのである、というのです。そういう意味で、宗教とは、人のUltimate Concernのことである、というのです。何者かに、「無制約的」に関わっていること、もしくは無制約的に関心をもって追い求めていること、それがUltimate Concernとしての宗教だというのです。もちろん、キリスト教の神や仏教の神や仏への究極的関わりもありえますが、たとえば私がおしつめると地位あるいは権力、あるいは恋人に無制約的(Unbedingt)にコミットしているとすると、それが私の「宗教」なのだ、ということなのです。人の「究極的関心」としては何よりも「死」の問題が思い浮かびましょう。何によって死を克服しようとするか、その答えはまさに究極的関心と呼べるでしょう。また何であれ命掛けで関わっていることや、たとえばそれ無しでは人生のいみが大きく失われるものも、程度差はあれ「宗教性」ないし疑似宗教性を持つ、と言うわけです。
 マックス・ウェーバーが、「おのがじし、自分の神と悪魔を選べ」といったことが思い合わされないでしょうか。かつてキリスト教や仏教のような、いわゆる「宗教」(普遍宗教)がよかれあしかれ圧倒的な影響力をもっていたところでは、人々は何かにコミットするとしても、そうした宗教が教えてくれる「客観的」な価値観との関係でものを考えました。しかしいまや「脱宗教」の時代になって、人々は主観的な価値選択を行い、それにフル・コミットメントすることを求められている。これがウェーバーの示唆でした。彼は主体性と自己責任の意識を求めたのです。しかしウェーバーの意図はともかく、そうした主観的信念へのコミットメントが、時に非常に危ういデモーニッシユな行動へと人を駆り立てることはないでしょうか。現にこうした「神々の闘争」状況の中で、比喩をこえて、疑似宗教的な「神がかり」的な政治運動も出現しました。まさにティリッヒの宗教論のテーマと重なつて来るのではないでしょうか。こうした問題についてティリッヒはさらに大変鋭いことを言っているのです。「デモーニッシユなもの」つまり「魔神的なるもの」についてのユニークな洞察です。
 ティリッヒによりますと、真の絶対者(神)とは、無限に相対的な限定を超えたものであるはずです。神はあらゆる有限性、相対性を無限に超越しつつ、それら相対者の存在を支える無限性である。すべての存在はこの「存在の根底」(Seinsgrund)である神において生じもし減っしもする(先ほどのスピノザの「神」についての思想との近さを想起してください)のです。ところが、もし絶対者ではなく単なる有限、相対的なものが絶対化され神格化されたときには、その絶対性をおびた相対者はたちまち一個の「魔神的なもの」と化す。「魔神的なもの」はその一見絶対的なパワーによって人々をひきつけ、かつ一時は大いなる創造性を発揮するかに見える。しかしついには自分と自分に従うものすべてを破滅させる。それは他の存在すべてを圧迫し、宇宙の存在論的な弁証法を損いつつ、なお神を演じようとする、笑止なしかし人を魅するデーモンとなる。こうティリッヒは論じています。
ひとことお断りしておきますと、「デモーニッシユなもの」とか「デモーニッシユな構想カ」といった思想はゲーテやニーチェやロランにおいても重要な意味をもっています。しかしこの人達の場合は、デモーニッシユなカとは、凝固し、死重と化した旧文化を打破し、みずみずしい生の根源へと立ち戻る創造的な力を意味していました。ティリッヒの用語法では、ゲーテ的な「デモーニッシユな生命」は、むしろ「神的」な生としてとらえているものに当るかと思います。もっとも「魔神」的なもののなかにも「神」的な生命の簒奪があるかぎり、一時は極めて「創造的」に見えるので、そこが危ないとティリッヒは述べています。そうした「デモーニッシユな力」の顕現として彼はナチの台頭を見ていたのです。ティリッヒは、あえて「神的」と「庵神的」とを峻別する思想を立て、彼の時代のデモニーに対決したのだと思います。まさにヒトラーと「二〇世紀の神話」が、時代のデモニーとしてその黒々とした翼を広げた二〇年代末期でした。特殊者(ゲルマン民族etc)がそれ自身無制約的なものとなろうとするとき、そこに魔神的なものが出現するのです。ティリッヒは戦後になつて、かつてナチの確信的帰依者たちの表情が彼に与えた「存在論的な衝撃」について語っています。
こうしたデモニー論をも頭においてウェーバーの議論を振り返るとき、あの「神々の闘争」の説と、「各々が神と悪魔を選べ」という闘争的な生へのいざないとは、どのように見えるでしょうか。あえて皮肉な言い方をすれば、「各々が神を選べ」ということは、場合によってはティリッヒのいう「デモーニッシユなもの」を選んでもそれとともに生きよ、というすすめをすることにもなつてしまうのではないでしょうか。
とは言いましても、マックス・ウェーバーその人においては、本当に「デモーニッシユなもの」に自分の人格を投げ出すことはありえなかったと思います。と申しますのは、ウェーバーにおいては一方では「神と悪魔を選ぶ」といった「決断主義」への志向のラディカリズムも激しいのですが、他方では多元的ないろいろな価値観への恐ろしく深い内在的理解やバランス感覚が研ぎ澄まされてもいたからです(学問的にこのセンスを方法化すると、ウェーバーのいう「価値自由」Wertfreiheitの論理になります)。その限り、あらゆる「独断」と価値的断定とを相対化し、無限に批判的理性を運動させようとする精神がウェーバーにはありました。そうした点で、彼は本当はむしろティリッヒの言う精神の自由、デモニーへの抵抗の思想に立っていた、と言うべきでしょう。ウェーバーに私淑したヤスパースが彼の内に自由の精神と本当の哲学者、「当代の唯一の哲学者」を感じとった所以です。−しかし、ウェーバーが説いた「神と悪魔」の選択のすすめは、時代の不幸な運命に重なっていたという一面があったのも確かではないでしょうか。現に「二〇世紀の魔術からの解放」の下で、しかし主体的な思索には耐えられない人々、主体的な自由という重荷に耐えられなかった人々が、「自由からの逃走」に走り、権威主義的な思想と政治運動に自ら身を委ねた経緯をE・フロムが実に手厳しく分析したことはよく知られているところです。
 このことに関連しますが、ウェーバーは現代西欧人の「神々」の世界は、かつての「古代」の素朴な「多神教」の世界とはちょっと違っている、と言っています。「古代」の多神教の下では「生き方」の絶対性というものは求められなかった。しかしわれわれはキリスト教の下で絶対的な生き方(彼の用語を使えば、いわゆる「価値合理性」ですが)を身につけた。いまやキリスト教を離れたとしても、その生き方はなくなりはしない。この一貫した生き方が「ヨーロッパ的人格」というものなのだ、と述べています。それだけに、おかしな神と悪魔の選択をして、「一貫」して生きる人があれば、その人は古代にはなかったデモーニッシユな人格となりましょう。ティリッヒが「存在論的衝撃」をうけたのはそうした人々だったのでしょう。そしてそうした人々は、ナチ体制のように官僚制的に組織化されることによって、強力となり、またその体制は長持ちもしました。しかも体制化され、権力を持つとそうした「神々」は反対者への弾圧の力をつけます。政治的デモニーは「恐怖」をともなって、一段と「魔法」の力をふるうのです。「神々の闘争」という雰囲気の中で「魔神」にみいられた人は多かったのです。
ウェーバーが二〇世紀を生き続けていたら、「神々の闘争」という「コピー」について少し寝覚めが悪かったかもしれません。いま今世紀を振り返って私達が学んだのは、われわれは何らかの「価値」と出会って自分の人生に「意味」を与えなければならないが、しかしその価値とそれに関わる人生とをティリッヒのいう意味での「デモーニッシュなもの」に化けさせてはなるまいということではないでしょうか。むしろこの意味での「魔術からの解放」は今でも大いに意味がありそうです。

 四 むすび
 マックス・ウェーバーの二つのカテゴリーを使って二〇世紀の精神状況を考えました。それをもう一度ロランの精神との関連で検討してみましょう。
 「魔術から解放」されたはずの二〇世紀に、再度、政治的な「魔術の園」が出現したのでした。ロランはその政治的魔術から自由であろうとし、反戦論を説きました。はじめに検討しましたように、ロランが自由でありえたのは、ひとつには、独自の宗教意識にもとずき、眼前のデモニーを相対化し、距離をとることができたからだ、と考えられます。もちろんロランは、さまざまな生の形姿(相対的なもの)を大切にしましたし、また相対者ビうしの葛藤や「弁証法」を直視しました。総じて生を肯定すると言うことは、そういう含みを持つはずです。諸々の生の究極のユニテを洞察するということは、あい対立する生の諸相にそのリアリティや必然性のあることを認めればこその洞察でしょう。その上で一見対立しているものの、永遠の相の下でのユニテを望見するということでしょう。ですから重要なのは大いなる生の諸形象に感動しつつも、そのいずれをもティリッヒのいう「魔神」へと絶対化はしない、というロランの精神です。つまり、「相対化」の精神なのです。われわれは容易に相対者の絶対化に溺れ込みます。「相対者の相対化」の精神を堅持することは、無限なもの、相対性をこえた「不易」なものを確信することによってのみ可能となるのではないでしょうか。単なるシニシズムは相対者の絶対化と裏腹でしかありません。ニヒリストは容易にデーモンヘの帰依者となります。相対者の相対性を語り得るためには、「語りえざる無制約者」へと魂が解放される必要がありそうです。ロランの宗教意識がロランにおいて持った意味はまさにここにあった、といえそうです。そしてそのことは、とりわけ「政治のデモニー」とその「魔術」に対してこれを「相対化」する上で重要ではないでしょうか。
 ティリッヒは「人間」を定義して“endliche Freiheit”つまり、「自由と無限性へと解放されているとともに有限性のもとにある存在」だ、と言いました。人間の精神の「自由」は精神が「無制約者」(神)へと向かうことだ、とも論じました。「自由」は無制約者への関わりに由来するというのです。ロランの場合あのスピノザ的信仰−言い得べくんばその「哲学的信仰」−は、まさにそうした自由を彼に与えるものだったのではないでしょうか。ロランはいわゆる「ピューリタニズム」に対しては時に皮肉も述べており、また「呪術的」な世界−ゴールやインドの呪術的世界−にも感動しています。しかしそれはどこまでも、ロランの不易なるユニテの世界への眼差しに包攝されていました(もっとも、ロランの好んだ「シヴァ神」をティリッヒが「デモーニッシユなもの」の原イメージと捉えているのは面白いのですが)。中年に至り、生の最後の挫折に沈んだジャン・クリストフは、嵐のような神(ティリッヒ風に言えば「無制約者」)に出会い、からくも再生します。それは全宇宙の歴史の生の全体において永遠に虚無と戦い続ける神との、クリストフの出会いであり、またその神の、クリストフの精神における顕現でもあったと言えるのでしょう。
 ところでウェーバーは「職業としての学問」と「職業としての政治」についてすばらしい講演をしました。この場合の「職業」(ベルーフ)とは、人がそれに情熱を感じ、自分の人生をそれにおいて生き抜かせるものでした。つまり「献身」の対象としての「使命」という意味を持った「ベルーフ」でした。人はなにかに「献身」することで生き抜くカを与えられるのだ、ということをウェーバーは語ったのです。永遠なもの、相対者を越えた無制約者(神)を思うことの意味についてはさきに考えてみました。しかし他方において、私達はやはり何かに限定したテーマを持つことで自分の人生に「志」を与えねばなりません。その意味でやはり自分の「神」(ウェーバーは『職業としての学問』の終わりのところでは、たぶんソクラテスのことを思い浮かべつつ、「各自の生を操るデーモンを」と言っていますが)を見い出さねばならないわけです。「志」がなければ始まりません。しかし、同時に「志」のデモニー化を克服し、なおよき「志」を保つにはどうすればよいのか。デモニーの意味も知らずにいることも出来ないと思います。               

(東北大学法学部教授・社会思想史)