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ご紹介をいただきました柳父です。私も学生時代からロランの作品、とりわけベートーヴエンをめぐる諸論文や『ジャン・クリストフ』などを愛読し、人生に立ち向かう励ましをそこから与えられて参りました。しかし私はもちろんロランの研究者ではありませんし、そもそもフランス文学の研究者でさえありません。その意味ではこのようなところでお話させていただくのは全く場違いでして、大変恐縮いたしております。しかしロランと同時代の思想、とくに同時代のドイツ思想史との関係でロランに関連して何か報告するようにというご命令をいただきました。そこでやや苦しまぎれですがロランと全く同世代のマックス・ウェーバーとの関連で少しロランの精神について考えようと思います。
一 ロランの精神
タイトルを「ロマン・ロランと政治的魔術からの解放」とさせていただきました。ご承知のように、「魔術からの解放」(Entzauberung)は、M・ウェーバーが特に西欧近代の文化を特徴づけたコンセプトです。しかしここで「政治的魔術」と言いますのは二〇世紀の種々の政治的イデオロギーや政治的「神話」、とりわけ第一次大戦の際、ロランが対決し批判したあの狂信的な民族主義などをそう呼んでおこうというものです。その点、ウェーバーの用語法とは少し違います。ウェーバーについてはまた後でお話しょうと思います。さて、政治的イデオロギーは、ご承知のようにいつでも一定の政治的な目的に向かって人々を動員しょうとするものです。政治的効果の観点から人々を動員すること自体が大きな目的です。その意味でいわば人々に魔法をかけるのです。しかも困ったことに、人々を動員しょうと考えているリーダ占身もしばしば自分がロにするイデオロギーの持っている動員効果によって情緒的に動員されてしまうのです。また、一定の鋭い問題意識をもつイデオロギーをあえて使って現実を掴もうとする人に対しても、現実の世界の別の大切な側面を見えなくさせてしまうということもしばしばおこります。そうした種々の意味合いで、政治的思想・政治的想念は、まさに政治的な「魔術」というべき性質を持っていると言えそうです。よく考えた上ではっきりした政治的立場を持つというなら、そしてその意味であえてイデオロギーを持つというのなら、むしろ大切なことと思います。しかしいつしか政治的な魔術にかけられて、魔術の園(Zaubergarten)に閉じ込められてしまうのは大問題でしょう。
ロマン・ロランと「政治」といえば、人はまず、彼の第一次大戦下の反戦活動を思います。あの「戦いを超えて」などの勇敢な反戦批評活動です。それは、同時期の多くの知識人が、フランスでもドイツでもファナティックに戦争にコミットしてゆく中−実は冷徹なマックス・ウェーバーの場合も、一方ではいわゆるリベラル・インペリアリストと称されるような一面もあったのですが−で極めて例外的な、醒めた精神の証しでした。熱狂的なナショナリズムのイデオロギーや感情の魔術にかからなかったのです。それはなぜだったのか、なぜロランは政治の魔術にかからないで自己の反戦の志操をつきぬけたのか、これが問題です。ご承知のように、ロランは大戦の勃発をスイス滞在中に知ります。そして戦争中ずっとスイスにとどまり、人々が熱狂するこの戦争を、無残な殺し合いであり、またヨーロッパの文化の破壊であるとして歯に絹を着せずに批判し続けました。軍人や政治家だけでなく、それぞれの国の学者や芸術家、またキリスト教の聖職者までが、各々の国のナショナリズムを聖化し、戦争を正当化していることを厳しく批判しました。フランスについても容赦しませんでしたから、彼はフランスで大変な反発を買いました。念のため申しそえますともちろんロランはこの時以外にも政治的問題にかかわっており、とくにロシア革命に希望をもったことは知られています。ただし彼が支持したのはスターリンのソヴィエトではなかったことは重要だと思います(この時期のソヴィエトについては、ロランの場合、故国に家族がいた彼のロシア人の奥さんの問題もありました)。
さて、第一次大戦のときの反戦活動をはじめロランの政治批判は、何よりもロランの明晰な理性と激しいヒューマニズムに基づくものだったのは明らかです。ヒューマニズムといえばひとつには、ロランがフランスの文学者でありながら、ドイツの文学遺産から深く精神を養われてきた人だった、というような事情もありました。しかし、「理性」も「ヒューマニズム」も、他の人々にもそれなりにあったはずです。それがなぜロランのようには作動しなかったのか、が問題なのではないでしょうか。こうした視角で、いまあらためてロランの(個々の政治評論の論点はともかく)反戦ヒユーマーニズムを支え、貫徹させたものは何か、このことについて考えておきたいと思うのです。しかしそうしたおしつめた内面の消息は、当時彼の書いた政治評論にはそうストレートには出ていないように思われます。それについてはむしろロランの内省の記録・メモアールの類や文学作品の中に手がかりを求めたほうがよいかと思われます。そしてそれらを読んでいますと、私にはロランが政治的な魔術に容易に捉らわれなかったひとつの理由として、ロランの独特の宗教意識の特質があげられるのではないだろうか、と思えてなりません。あとでお話するウェーバーをめぐる一連の問題との関連で、今日はとくにこの観点にこだわってみたいと思っています。
ただしロランの宗教意識は、必ずしも伝統的な「宗教」にも「宗派」にもおさまるものではありえませんでした。むしろ伝統的なキリスト教の側からは「無神論」と誤解されうるところもありました。それは彼が少年時代−実に十六才の時から!−以来つとに根源的な共感を覚えたスピノザの場合と似ていたようです。ロランの思想と仕事におけるそうした宗教的精神の重要性については、早く、片山敏彦先生の『ロマン・ロラン−生涯と仕事・認識と叡智』」(みすず書房の著作集の第一巻)が立ち入って論じています。先年この会で講演されたデュシャトレー教授のご研究もそのことを指摘していました。
ロマン・ロランはいわゆるキリスト者ではありませんでした。ロランのメモワール『内面の旅路』(みすず書房のロマン・ロラン全集第十七巻)を読みますと、お母さんはきわめて熱心なカトリック信徒だったことが書かれています。しかしロランはすでに幼い頃からカトリック教会での教えの説き方に反発を覚えており、成長するとともにいよいよカトリックから、というよりハッキリと伝統的なキリスト教信仰からは離れていったようです。その際、ロラン少年、ロラン青年がもっとも反発したのがキリスト教における古代ユダヤ教的な要素だった、と書いていることは興味深いものがあります。ヨーロッパ精神史にはご存じのようにギリシア的な思想とヘブライ的な思想とが(ゲルマン的な伝統とともに)弁証法的な関連で織り込まれています。若きヘーゲルやニーチェはとみに古代ギリシャヘの志向が強く、反ヘブライズムでしたが、若きロランも反ヘブライ派だったようです。キリストの精神にはともかく、ヘブライ的な「主なる神」への恭順の意識には強い反発を覚えたと書いています。それは人間性を抑圧する恭順だと考えたようです。そして、むしろニーチェ風にアーリア的(ゴール的)な生の肯定、生命力の神格化の思想に傾いていったようです。幸いアーリア民族至上主義や、ニーチェの亜流に生じた野蛮なバイタリズムには陥りませんでしたが。
こうして若きロランはキリスト教から離れたようです。ロラン少年がたとえばキルケゴールを読んでいたら、という気もします。とはいえ、彼は根源的な宗教性までも失ってしまったわけではありませんでした。教会のとみに形骸化したカトリシズムから自らの精神の本当の解放を求めてしだいにキリスト教の外に歩み出していたこの少年は、しかし、十六才のときにスピノザの『エチカ』に接して決定的な開眼−むしろ自己のうちにつとにめざめつつあった一種の「哲学的信仰」への開眼−を経験したことを『内面の旅路』でロランは書いています。それ以後は、ロランのこの宗教的精神は基本的には一貫して変わることはなかったようです。もちろん後年インドの宗教思想の伝統に接し、研究を深めるに連れ、ロランの宗教思想、総じてロランの宗教的な生の哲学は一層鮮明なイメージを結ぶようになりましたが。興味深いのは、ロランが、インド思想については知識人的な仏教思想よりも、一層ミスティックなエネルギーにあふれるヒンズー教、わけてもシヴァ神の神話と信仰とに強く引きつけられたと記していることです。それはロランにおけるスピノザ的かつニーチェ的な精神を感じさせます。ちなみにニーチェについてもロランはスピノザ体験と関連させて「ツラトウストラの笑いよ! おんみを私が知るためには私はニーチェを待ちはしなかった」と書いています。これらのことはいずれも、宇宙的な生において虚無を無限に克服しつつある神との出合いに目覚める、ジャン・クリストフ十一章「燃え立つ茂み」のあの圧巻の見神体験に連なつているのではないでしょうか。
それはともかく、ロランの宗教性について、今日のテーマとの関係で重要なのは、さしあたり次の一点です。それはロランにはこのようにスピノザとのいわば必然的な「出会い」によっていっそう確実になつた独特の宗教性があり、それが容易には「政治的魔術」には乗せられない精神の基礎となつたのではないかということです。こう推測する所以を、もう少し説明させていただきます。すこし哲学的な話しになって恐縮ですが、大体以下のように考えられるか
と思います。
ロランは、スピノザを読んで、有限相対のこの世界の諸々の事象(それは、自然の諸事象も歴史の諸事象も含めて、また、人間から見て美しいことも醜悪なことも、善も悪も含めてということですが)が、すべて真なる「実在」(神)の無限の諸属性の諸々の「様態」なのだ、というスピノザの思想に共感したのです。この意識の覚醒はロランに、世界内のあらゆる事象の「相対性」と「有限性」とを、痛切に自覚させたのでしょう。さらには、自分のそうした認識やそれを認識する「自我」もまた、まさしくかの「実在」(もしくは「実体」)のモードのひとつの現れであるとの意識の覚醒をも促されたでしょう。「私は、スピノザの言葉そのものの中にスピノザをではなく、まだ知らなかった私自身を見いだした」とロランは書いています。もちろん最初からスピノザをどの程度深く理解できたかということはあるでしょうが、少なくとも根本的なところでこのスピノザ体験は決定的で、歳と共に理解は深まったのでしょう。そしてこうした精神の覚醒において万象を超越し、もちろん自分をも超越する絶対の「実在」の体験へと解放されるとき、人は、当然、政治の世界の「政治的魔術」たるイデオロギーや特殊な政治的「情念」をも超越し、相対化するはずです。もちろん宗教的経験とその意識は、個人の意識の深みの消息ですから安易に「理解」したつもりになるべきではありませんが、そしてロランの宗教意識についてあまりに粗雑な説明をしているのを恐れますが、あえて述べるなら、ロランのスピノザ体験とその後の思想経験は、このような精神の深化の過程だったと言えるのではないかと思います。
しばしばスピノザの思想は「汎神論」として紹介されています。しかしそれは誤解に導くように思われます。スピノザの思想は決して単純なアミニズム的な汎神論ではありません。究極の「真実在」(実体)の諸様態として宇宙をつかむ(「神即自然」)ことを、イメージとして伝えるために「汎神論的な」と言う言い方がされ、汎神論という言葉が使われます。しかし大切なのは、スピノザ的な精神の眼目は、すべての現実がそのまま「神」そのものだ、と見る呪術的アミニズム的意識とは異なり、はるかに高い精神の目覚めにおいて、すべての事象はいわば神のメタモルフォーゼ・現象であって、しかも「神そのものではない」という神の超越性(超越=内在というべきでしょうが)を悟らしめる、と言うことではないでしょうか(こうしたことは、むしろ本来の仏教に顕著な、しかしまたキリスト教にも伏在する「存在論」に深くつながるものでしょう)。そしてこの「峻別の意識」は、「国家」や「戦争」といった「現象」をみるときも、それらを変に「神格化」してしまわない意識・精神として働くはずです。その意味で、まさに「魔術からの解放」の作用を持つと考えられます。
ロランは、こうした深い宗教的覚醒によって、この世のさまざまな「魔術」あるいは「神々」を絶対化することをまぬかれ、自由な精神へと解放されつづけたのではないでしょうか。ロランはしばしば「ユニテ」について語っています。ロランの説く「ユニテ」の精神は、世界のさまざまな事象が、永遠の相の下では区別や対立が(真「実在」において)ユニテのハーモニーに成就されていること、を直感するとき生じます。地上ではあい対立するものも、永遠の相の下では「ユニテ」を成すことの洞察です。ロランの「ユニテ」の思想は、個別的な現象・事象の生命を尊重しながらも、「真実在」への眼差しにおいて、仮象的なもの、一時的なものの絶対化を克服する思想だったといえるのではないでしょうか。しかも重要なのは、ロランの場合この「ユニテ」は決してただの思弁ではなく、鮮烈な実感・直感として経験されていたことです。それについては、青年時代に列車事故でトンネルに閉じ込められた時の不思議な宇宙的な一体感の体験(『内面の旅路』の中で、「啓示」として書かれている経験です)や、あるいはジャン・クリストフの見神体験について語られていることなどで、皆様ご存じのところと思います。ロランにとって人の生は、地上的な生の充溢の場であるとともに、それをこえた超越とユニテが意識される場所でもありました。二七才のロランは、「神聖な、人間の「ユニテ」を、そのユニテをつつむ多様なあらゆる形のもとに、つねに示すこと。それは芸術の第一の目的である」と日記に書いています。
そうしたロランの眼には、第一次大戦と各国のファナチックなナショナリズムの自己絶対化は断固拒否すべき迷妄であり、大量殺人と文化破壊は愚行の極みだったはずです。そして、すべてを神の現れと見る「存在論的袖学」が、おのれの「思弁」に酔って神の「超越性」の面を見失うとき生じる危うい可能性、特に、「国家」を歴史における神的なものの顕現とみて崇拝し、戦争をももっぱら神の「理性の狡知」の現れと肯定的に評価するような、よく知られている観念論「論理学」の熱狂には、ロランの「ユニテ」の精神はさそい込まれませんでした。それは「思弁」に巻き込まれて過剰に政治的役割を演じるのを意に介さない政治的精神を持つ人々とは違って、ロランにおいては真正な宗教的精神が勝っていたことを示すものではないでしょうか。
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