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十代の終わり頃、西洋の文学のかなりを読みあさりました。このことは疑いもなく、その後の科学者としてのどちらかというと無味乾燥な日々の、よい栄養分として残りました。かなり専門的な話をするのにも、この数年間、『ゲーテから遺伝子まで』という題を、しばしば私の講演の演題に使ってきました。これなど、栄養が多少は肉体の一部になった例です。というわけで、文学少年だった自分と、生物学をやってきた私との間には、主体的には矛盾はなかったのです。そのような中で「私」の生物学も存在してきたわけです。
本日は、ロマン・ロランという偉大な名前に甘えまして、私の一つの回想を語ることにいたします。
まず、プロフェショナルとしての科学者が、現在生きている彼らの周辺の概況をお話ししたいと思います。科学者本人が、どこに住んで、地球上のどのような知性的環境や民族的な育ち方をしてきたかとは全く無関係に、科学の研究の営みは本来、国境のない普遍そのものです。 ロマン・ロランの世界は、国境を越えた人間愛であり、科学も国境を越えた行為ではありますが、どうも当今の科学はアクセクしていて、人間性より競争性が上に出ております。当今のオリンピックと一緒で、「参加することに意義がある」どころか「金メダルを取ってこなければ、金を出さぬ」の時代です。
さて、私の近著『学問の周辺(まあいわば私の貧しい一代記であります)』の中で、ロマン・ロランについて四行書いております。ゲーテには七ページをさいております。それに私は音楽に耽溺しておりますので、それをきょうの話題に加えたいのですが、マーラーには、十七ページをさいております。申し訳ないことに、ロマン・ロランにはたった四行ではありますが、自分の生い立ちを考えますと、実に意味がある四行です。
ロランを読んだ頃といいますと、当時は旧制高等学校の時代です。この時代は日本の歴史の中で二度と帰らないものでありまして、全国で二十ぐらいしかない旧制高校を卒業しますと、学科の選り好みさえしなければ、当時の帝国大学へ殆んど試験なしに進むことができました。 ただ、例えば当時の東京帝国大学工学部航空学科といったところは、かなりの難関でした。文学部とか、理学部でも私が進みました動物学とか植物学は、定員六人のところへ一人が受験するといった具合でした。
旧制高校時代は、当時の体制の中でのエリートの学校で、帝国主義的なところだったと言えます。入学試験がないせいか稚拙な教養主義とか衒(てらい)が生まれ、文科の生徒の中に数学の達人がいたり、理科の生徒が退屈な有機化学の授業の中で、どれだけ『ジャン・クリストフ』(もちろん翻訳)を読み進めるかを競ったものでした。
ロランは訳本ですが、忘れられない本の一つです。ゲーテはしぶい。『ファウスト』などよく判らないのに、旧制高校の頃、ドイツ語教育が行われていたので、部分的には原書でチャレンジしたものです。私の高校ではフランス語の教科がなかったのですが、友人が買ってきた英訳本の『ジャン・クリストフ』を読みました。
当時、『ジャン・クリストフ』や『魅せられたる魂』の訳本は何冊にもわたっていたのに、英訳本がかなりの厚さとはいえ一冊というのが不思議でした。印象的な想い出です。翻訳についてですが、日本語は「しかしながら」とか「すなわち」がなければ、文章が続かないこともあります。このことが訳文をスペース的に長くしていると思います。
ロランの話に戻りますが、愛とか平和とかになると、実は科学者にとって口に出して語るのが、いささかテレくさいのです。「愛」とか「平和」とかの絶対的な価値についてとやかくいっているのでは全くないのです。にも拘わらず、科学研究という客観的かつかなりの現実的な行為に日常を送っていると、わざわざ、それらを口に出すのが恥かしくなります。しかし、ロランの愛について書いたシーンの記憶は、自らの日常の客観性への免罪符の如くに、時にふれて現われてくるのです。例えば、ジャン・クリストフが、パリの夜会で成人したグラチアと出逢うところなど男女の精神的な愛は、淡々と描かれていて、今も私を若い時代の感傷に誘います。
話はそれますが、ロランを読み耽っていた頃、戦時下の事というのに音楽に溺れ始めました。それは今も続きます。実は、音楽を通じてロランにふれることは、かなりの体験になりました。ロランには音楽に関した著作はもちろん沢山ある。その中で堪えられないほど下手な訳で読み、しかも鮮明に記憶しているものに、ロランのヨーロッパ国際音楽祭
─ 第一次世界大戦以前の話で、こういう催しは当時はめったになかった ─ についての報告と批評があります。 この催しは、独仏紛争の歴史的なタネであるストラスブルグで開かれたものですが、面白いのは、ロランがすこぶる愛国的に記述をしていることです。ロランは、かなり怒っています。フランスの音楽が、ドイツ系に比べて、実に貧弱な内容が選ばれたことについてです。
ドイツやオーストリアからは凄い内容で、マーラーが来て自作の『第五交響曲』を自ら振ったり、ベートーヴェンの『第九交響曲』を指揮したりしています。フランス側といえば、フランスの作曲家の代表として、シャルパンティーエ『イタリアの印象』だけが演奏されたそうです。
皆さんは、この曲をご存知ですか。実に美しいが軽い曲で、一時は通俗名曲という類のものでしたが今では忘れられているようです。ロランは「フランスは、なぜベルリオーズの音楽を代表としなかったのか」と怒っているのです。これを読んで私は、ロランを通してベルリオーズを、ぜひよく聴いてみたいと思いました。何しろ当時は、ベルリオーズといえば『幻想交響曲』と『ハンガリー・マーチ』だけが聴けたものです(面白いことに、この状勢は日本では今もあまり変わっていない)。
マーラーを好み、サイエンスの本を書くBGMにマーラーを聴いている、と私のある著書の著者紹介に書かれた私ですが、マーラーと共にベルリオーズを深く愛しています。日本では、ベートーヴェンの『第九シンフォニー』は「忠臣蔵」なみに好まれますが、「おお同胞(はらから)よ!」と大いに観念的に愛、平和、道徳を押し付けてくる。これに対してベルリオーズは明らかに客観的です。しかもペダル(響き)の少ない誠に透明な響きで、愛と真と善を訴えていると思います。とりわけて、ロランは『ロメオとジュリエット』を愛していたそうです。これを聴きますと、私は日常いささかてれくさく口にしたことのない平和とか愛への共感を共有できることを確認できるのです。
日本でよく知られているベルリオーズといいますと、極端にいうと『幻想交響曲』の《断頭台の行進》に象徴されているようで恥かしいようなことです。ぜひほかのベルリオーズも聴いて下さい。例えば、オペラ『トロイ人』第四幕の《愛の場面》は、『トリスタンとイゾルデ』に匹敵(再び『第九』と『ロメオとジュリエット』の対比の如く)するものです。まるで、ロランではなく、ベルリオーズを語っているようになりましたが、ベルリオーズへの接近は、私にとって一重にロランによるものでした。
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