「ID&V美術館構想」  〜データとビジョンの重視による静岡県立美術館の研究 平成8年3月

             

第1章 背景と目的

 現在、美術館運営において、そのデータによって、効率性や採算性を高めることがより必要な課題となっている。静岡県立美術館は平成8年4月に10周年を迎え、平成7年度末までに70回の展覧会を開催し、分析に必要なデータが集まってきている。さらに、平成6年11月にスタートした「日計表システム」(日々の売り上げをチェックすると同時に、詳細なデータを端末のデータベースに保存するシステム)により、曜日別、天候別、身障者、小中高校生の団体等のデータから、より高度な分析が可能になった。

 一方、ここ数年、美術館の観覧者数が増加し、訪れる人々も多様になったと言われている。相変わらず婦人や高齢者の姿が多いが、若いカップルのデートコースにも多く使われているようである。そして、このように観覧者の層の幅が広がるに連れ、美術館に対するニーズが多様化してきた。このため、美術館のビジョン(将来の理想像)についても、新たに定めていく必要がある。

 本研究では、静岡県立美術館の詳細なデータを分析し、ビジョンを策定し、さらにそれらを照合して、それぞれ政策提案することを目的とする。

第2章 研究の方法

 まず初めに、基礎となるデータを集計し、テーマを絞ってデータを分析する(第3章データ分析)。基礎となるデータは以下のとおりである。

  (1) 開館(昭和61年度)〜平成6年度の展覧会観覧者数データ

  (2) 平成6年11月〜平成7年10月の日計表システムデータ

  (3) 平成7年度友の会会員名簿データ

  (4) 平成6年4月ロダン館オープンアンケート集計データ

  (5) 平成6年10月ロダン大理石彫刻展アンケート集計データ

 次に美術館のビジョンを定める。例えば、多様化したニーズを「県民アンケート」等により集約し、有識者による専門委員会等にて静岡県として目指すビジョンを策定すればいいのであるが、本研究においては時間と費用がかかりすぎる。そこで、現場に勤務する職員等によるアンケート及び聞き取り調査により、仮のビジョンを策定することにする。対象となる職員等については、総務課、学芸課だけでなく、できるだけ観覧者の意見を代弁できるように、最も身近な立場にあるミューズスタッフ(嘱託員)から集める。また、その際、現場により近い立場で働き、柔軟な発想が期待できるという意味から、勤務年数1〜6年の主任未満の者で、日頃「こうなったらいいなあ」と積極的に考えている人を対象とする。それから、ビジョンの目標時期については、ある程度現実にとらわれず、自由な発想が期待できるという意味から、「10年後」に設定することにする。(第4章ビジョンの策定)

 さらに、データ分析の結果と策定したビジョンを照合していきたいと考えている。(第5章データとビジョンの照合)

 第3章 データの分析

 第1節 基礎データの集計

(1) 開館(昭和61年度)〜平成6年度の展覧会観覧者数データ

 この間、65回、延べ2067日間にわたり展覧会を開催し、 190万人近くの人が観覧した。これを平均すると、開催日数は31.8日で、観覧者数は3万人弱となる(表1)。また、観覧者数が最も多かった展覧会は、平成6年度の「ロダン大理石彫刻展」で、1日平均観覧者数が最も多かった展覧会は、平成2年度の「ピカソ展」である。なお、最初と最後の日祭日の比較による日祭日伸び率が最も大きかった展覧会は、平成5年度の「フランス絵画 黄金の19世紀展」で、3.40倍である。但し、この展覧会は、夏休み前に開幕し、夏休み中に終了したことも要因になっていることを考慮しなければならない。

(2) 平成6年11月〜平成7年10月の日計表システムデータ

 このデータは1年分しかないが、曜日別、天候別、身障者、小中高校生の団体等について、企画展及び常設展の詳細なデータが揃っている。また、通常は、燻蒸により1年に1か月弱の休館日があるが、この期間内には長期の休館日はないため、通年のデータとして活用できる。

 この間、 301日開館し、計32万人近く、1日平均1060人が観覧した。なお、身障者は、計1562人、一日平均 5.2人であり、小中高校生の団体は計11,817人、一日平均39.3人であった。(表2)

(3) 平成7年度友の会会員名簿データ

 友の会の会員数は、 1,369人、男女比はほぼ同じだが平均年齢は男性の方が 3.3歳ほど高く、後述のアンケート集計データと比較すると男女とも20歳ほど高い。また、住所は「静岡市と清水市」で全体の2/3を占める。(表3、図2)

(4) 平成6年4月ロダン館オープンアンケート集計データ

 平成6年4月5日(火)から17日(日)の12日間、展示室の出口の机に用紙を置き、その場で回答してもらった。有効回答人数は、 328人、女性は男性の2倍であり、平均年齢は男性の方が 2.5歳ほど高い。また、住所は「静岡市と清水市」、人数は「2人で」、回数は「初めて又は2回目」がそれぞれ全体の1/2を占める(表3、図2〜4)。

(5) 平成6年10月ロダン大理石彫刻展アンケート集計データ

 平成6年10月19日(水)から31日(日)の11日間、展示室の出口の机に用紙を置き、その場で回答してもらった。有効回答人数は、 482人、女性は男性の2倍弱であり、平均年齢は男性の方が 3.3歳ほど高い。また、 (4)と比べ、住所は「静岡市又は清水市」が15%減り、「県外」が10%増えている。人数はほぼ同じ。回数は「初めて又は2回目」が10%増えている(表3、図2〜4)。

 このことは、門外不出と言われたパリのロダン美術館の大理石彫刻が日本で初めて公開されたことと特別に広報を拡大したことにより、全国から、また、これまで美術にあまり興味のなかった人々までが訪れたと考えられる。

 第2節 分析の軸の選定

 美術館運営にあたって、観覧者数をある程度確保するために効果的かつ効率的な広報活動が重要であることは言うまでもない。特に開会後すぐの時点で予定の観覧者数に満たない場合等は、ターゲットを絞った広報活動が効率的である。前節で集計した基礎データから観覧者の属性の特徴が把握できるので、これにより、ターゲットを絞った広報活動が可能であると考える。そこで、 (1)効果的かつ効率的な広報活動を分析の軸として選定する。

 また、観覧者の属性の中で、小・中・高校生の団体(20人以上)については、学校の年間予定との関係上、その時期や曜日によって特徴があることが考えられる。その特徴を把握できれば、監視員の効率的な配置計画等が可能であると考える。そこで、 (2)小・中・高校生の団体の時期や曜日による特徴を分析の軸として選定する。

 一方、天候については、観覧者数の増減に関連があると言われながらも、これまで詳細を把握しないままであった。そのため、観覧者が少ないと「雨が降ったので、外出を控えたのではないか。」と言ったり、「あまりにいい天気なので、屋外で遊べる場所へ行ってしまったのではないか。」と、都合のよい解釈がされている。そこで、 (3)天候による観覧者数の特徴を分析の軸として選定する。

 第3節 分析の結果

(1) 効果的かつ効率的な広報活動

 第1節において観覧者が多いことがわかった「静岡市又は清水市」の「女性」にターゲットを絞った広報活動が考えられる。また、前述の平成6年4月と10月のアンケートの中に、展覧会を知った広報媒体についての項目があり、集計結果は図5のとおりである。駅のポスター、テレビ(NHK)、新聞記事の順に多いことがわかるが、この中でターゲットを絞った広報活動による工夫の余地があるのは、街中のポスターである。これらのことから、「静岡市又は清水市」の「女性」が集まる場所、例えば美容院、スーパーや女性会館等にポスターを貼ったり、ちらしを置くことを提案する。但し、この方法は、あくまで短期的に観覧者数を増やすための方法であり、観覧者層を広げて中長期的に観覧者数を増やす方法ではない。

 また、広報活動の開始時期は、前売り券の販売時期とほぼ一致する。映画館では、前売り券購入者先着○○名にポスターを配布することがある。そこで、現在あまり売れ行きがいいとはいえない(表2)前売り券の売り上げを伸ばすためにも、効率的な広報活動のためにも前売り券購入者先着○○名にポスターを配布することを提案する。配布枚数等については、書店等での前売り券販売継続や拡大同様、今後、費用便益分析が必要であるが、「2人で」観覧する人が全体の1/2を占めることから、前売り券2枚購入者にポスターを1枚配布することが適当であると考える。

(2) 小・中・高校生の団体の時期や曜日による特徴

 図6のとおり、時期は、4、5月が最も多く、10、11月と1月も多い。曜日については特に差が認められなかったが、ゴールデンウィーク近くの平日である4月28日と5月2日に特に集中し、それぞれ、2122人、1197人が観覧した。この2日間で、小・中・高校生の団体の合計に対して、実に28%を占めたのである。

(3) 天候による観覧者数の特徴

 図7のとおり、企画展は「雨」の方が観覧者数がわずかに多かったが、常設展は「晴れ」の方が観覧者数が多かった。この結果から、単純に「雨が降ったので」とか「いい天気なので」といった都合のよい解釈が誤りであると考えられる。

 また、小・中・高校生の団体に限った場合、図8のようになり、「雨」の方が3倍ほど多かった。これは、雨の場合のみ美術館を見学するというコースを計画した団体分の差であると考えられる。

 第4節 観覧者数の予測

 展覧会の観覧者数は、予算計上の段階からその展覧会が終了する直前まで、学芸担当者や経理担当者だけでなく多くの関係者が注目している。なぜならば、採算性はもとより、観覧券、カタログやパンフレット等の増刷計画、マスコミ等関係機関からの照会への対応、○○万人達成記念セレモニーの準備等を効率的に行ったりするためであり、何よりその展覧会の評価にされているのが現状である。

 そして、これまでは、過去の経験等から直感的に観覧者数を予想していた。しかし、開館(昭和61年度)〜平成6年度の全65回展覧会観覧者数データのうち、観覧者数は、相関係数(注1)の大きさから、その開催時期、開催日数とやや関連があることがわかる。また、最初の日曜日の観覧者数とはかなり関連があることがわかる(表4)。さらに、開催時期、開催日数及び最初の日曜日の観覧者数による重相関係数(注2)は、 0.960であり、重回帰分析(注3)を用いることによって観覧者数の予測が可能になってきたと考えられる。実際に、平成6年度の6つの展覧会について予測値と実績値を比較してみると、近い数値が出ていることがわかる(表5)。また、全65回展覧会の予測人数と実績人数の関係をグラフ化すると図9のようになる。展覧会ごとの特殊事情はあるものの、そのことを考慮に入れさえすれば、この重回帰分析を用いた予測は充分に実施する価値のあるものであると考える。

 今後、展覧会のデータが増えれば重回帰分析の精度がさらに上がるはずであるので、この予測を政策に活用していくことを提案する。

 また、この重回帰分析による予測を使って、シミュレーションが可能になった。例えば、巡回展の場合等において、他の美術館と観覧者数を比較する際、時期によっても数が変わってくるため、比較すること自体できなかった。しかし、開催時期を変えて計算することにより、別の時期に開催していた場合の数字が出せるのである。参考までに、平成6年度の5つの展覧会(ロダン大理石彫刻展は開催日数が長いので除く)について、全てゴールデンウィークを含む期間に開催していた場合、表6のようになる。

第4章 ビジョンの策定

 第1節 策定の方法

 「10年後に静岡県立美術館が、『こうなったらいいなあ』と思うこと」をテーマに、総務課、学芸課及びミューズスタッフから3名ずつ計9名に協力してもらえることになった。参考までに、9名の平均勤務年数は 3.3年、平均年齢は28.8歳である。

 方法については、テーマが大きいため、かなり広範囲な意見をまとめ上げる必要があるので、KJ法(注5)を用いることにする。

 第2節 策定の結果

 KJ法第1ラウンドの結果、10年後に『こうなったらいいなあ』と思うこと(ビジョン)は次の2つの柱に収束された。

(1) 誰もが、より来やすい場となること。

(2) 観覧者の「学びたい」「教えたい」「楽しみたい」欲求に、より深く対応できる場となること。

(1)は、「より多くの人が来る」ことを重視していたであろうこれまでの考え方から、「身障者、幼児連れ等来たい人誰もが気安く楽しめる」ように方向転換を図るという意味である。主な具体的内容は以下のとおりである。

@彫刻作品の触察スタッフを充実させ、触察を全国にPRしたり、さらに一般にも解放し、子供が触って遊べるスカルプレイゾーン(彫刻+遊び場の造語)を設置する。

A託児室と子供が遊べる場所を設置し、さらに展示室から園地や裏山へその日のうちならば何度も自由に出入りできるようにして、多目的に1日中楽しめるようにする。

B駐車場を3倍に増やしたり、草薙駅前から県立大学正門前及び美術館の西脇を通って日本平山頂までのケーブルカーを設置して、既存のロープウェイを経由して久能山までをつなぐ等、交通アクセスを大胆に充実させる。

C山間部や遠くて来られない人のために、高精度のインターネットハイビジョンミュージアムバスを走らせ、集団検診車のように各地をまわるようにする。さらに集団検診車と同行できれば、待ち時間の有効活用にもなり、サービスの向上が図れるだろう。

(2)は、「観覧者に平等に楽しんでいただける」のではなく、「個人の学習の欲求レベルに応えていける」ようにするという意味である。主な具体的内容は以下のとおりである。

@ちょっとした疑問から、専門的研究の相談が受けられるよう研究室、図書室の充実及びスタッフの育成を図る。また、研究内容を文庫として出版して貸し出しができるようにして、その研究が他人により、さらに深められて活かされるようにする。

A創作活動の場や、創作の相談が受けられるような実技機能の充実及びスタッフの育成を図る。

B@、Aについて、本格的指導から、ちょっとしたことを教えたり、お手伝いを希望する方が、ボランティアとして活躍できるようになる等、生涯学習の基地となる。

C専門家にも刺激ある視点を呈示できるほど内容の濃い自主企画展を長期で行い、年間の企画展の開催数を現在の約6回から2回に減らす。

 なお、展開図は図10のとおりである。

第5章 データとビジョンの照合

 第4章の内容の中で、第3章のデータ分析による照合が可能であるものとして、「身障者が来やすい場所になっているか?」及び「企画展をもっと長期で開催した場合、観覧者数はどうなるか?」の2点について、検証してみることにする。

 まず、「身障者が来やすい場所になっているか?」であるが、これは、身障者のバリアフリー(注6)達成度と言い換えられる。平成6年11月〜平成7年10月に観覧した身障者は、1562人で、同期間の全観覧者数のうちの0.49%(表2)であり、身障者が1人以上観覧した日は 301日中 260日で、86%である。一方、平成7年3月末において、静岡県におけるの身体障害者手帳交付台帳搭載数は、93,145人(静岡県民生部障害福祉課)であり、県民全体の 2.5%であり、この数値が究極のバリアフリーと言えるだろう。このことから、身障者のバリアフリー達成度は、現在1/5程度とまだまだ低いことがわかる。しかし、身障者が1人も観覧しない日は、平均週1日以下であり、逆に「来にくい場所である」とも言えないと考えられる。

 次に、「企画展をもっと長期で開催した場合、観覧者数はどうなるか?」について、検証することにする。過去の展覧会の開催日数と観覧者数の関係を散布図に示したものが、図11である。この図からは、平均31.8日間であった開催日数を50日程度まで伸ばしたとしても、観覧者数が順調に伸びていくことが予想される。しかし、それ以上伸ばした場合については、データが不足しているため何とも言えない。

第6章 今後の課題

 今回、第3章データ分析において、日計表システムデータを月別、曜日別、天候別に分析する際、データ量不足のために、それぞれ別の影響を取り除いて分析することが困難で、特に曜日については分析が不可能であった。しかし、今後、データが増えていけば、さらに複雑なクロス集計が可能になり、政策提案に役立てられると思われる。むしろ数年後は、詳細なデータが膨大な量になり、その活用のための整理対策が必要になるだろう。

 一方、第4章ビジョンの策定については、今回、暫定的に若手職員及びミューズスタッフの意見を参考にして一つの考え方をまとめてみたが、正式なビジョンの策定が必要であることは言うまでもない。しかし、実際のところは日常業務に追われているのが実情であり、今後、ビジョン策定にむけた議論を深める場を設けていくことが重要である。そんな中、「『10年後にこうなったらいいなあ』と思うこと」をテーマに9名に協力してもらえることになったことを考えると、観覧者だけでなく、職員やミューズスタッフの個々の考えが出しやすく、反映されやすいシステムづくりが必要であると言えるだろう。また、観覧者アンケートとして、より多く観覧し、美術館への関心が高い人が多いと考えられる友の会会員を対象としたものを提案する。会報に同封すれば、費用の節約にもなるからである。それから、今後、無料開館日ができた時に、観覧者アンケートを行うことも併せて提案する。無料の日は、一般に、観覧者層が広がりやすいということ及びアンケートの回収率が高まるという理由からである。

 以上、これまでに得られた静岡県立美術館のデータと併せビジョンに沿った運営の必要性について述べてきたが、特にその手法については他の博物館、美術館やサービス機関にも参考になればと考えている。よって、御意見等をいただければありがたい。

注1 相関係数

 2つの変量又は現象の間に何らかの相関関係があると予想される時、その関係の強さを量的に表現する係数のことで、おおよそ 0.4以上でかなり関連があるといわれ、 0.7以上あればかなり強い関連があるといわれている。

注2 重相関係数

 重回帰分析によって定めた予測式との相関係数のことである。

注3 重回帰分析

 説明変数が複数の量的データである時、変数間の内部相関を考慮しながら最も効率的に予測できる重みを求め、予測式を定める多変量解析の一種である。

注4 数量化T類

 説明変数が質的データである時、質を量に変換して予測する多変量解析の一種である。

注5 KJ法

 新しい発想を得るために川喜田二郎氏が発案した手法の一種である。具体的には、まず、あるテーマに資すると思われるものを自由な発想で列挙していき、一つの情報ごとに一枚のカードに記入する。こうして得られた多くの枚数のカードのうち、互いに似た内容のカードをグループにまとめる。次にそれらの相互関係を図示して、その図式をもとに文章化する。これが、KJ法第1ラウンドの手順であり、これを繰り返し行うことを累積KJ法という。(川喜田二郎著『発想法』中公新書他)

注6 バリアフリー

 障害者が生活をする上で行動の妨げとなる障壁を取り去った空間のあり方だけでなく、社会参加する上で精神的にも障壁がない状態のことである。

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