どこからか、バースディ・ソングが聞こえてきた。
「?」
なんとなく気になって、わたしは立ち止まりぐるりと辺りを見まわしてしまう。けれど、その歌がどこから聞こえてくるのかは分からなかった。「ソフィア?」
怪訝そうにギアがこっちを振り返る。アルメシアンも立ち止まってわたしを見た。
わたしはちょっとだけ笑って、小さく首を振ってみせた。
「ううん、なんでもない」
ここはコーベニア。エドニーから船に乗って、たった今到着したところだ。
そしてわたしは……もちろん、「ソフィア」という名前ではない。パステル・G・キング。キスキン国のミモザ王女(「ソフィア」というのは彼女の仮の名)と入れ替わって、キスキン国へと向かっている途中なんだ。
予定では森の街道を抜け、キスキン国へ向かうことになっている。そのために馬車を買いに行こうとしているというわけだ。
「そうか。ならいいけれど」
ギアは優しく微笑んで、それからまた歩き出した。アルメシアンとわたしも、それを追うようにして歩き出す。
その瞬間、ふわりと風が吹いた。
――Happy Birthday To You――
風に乗って、またかすかに聞こえたその優しい歌に、わたしは思わず足を止めてしまった。唇から、その歌の続きが零れ落ちる。
――Happy Birthday Dear……――
「お姉ちゃんも、誕生日?」
いきなり声をかけられて、わたしは驚いて振り向いた。アネモネの小さな花束を抱えた男の子が、にっこりと笑って立っている。
短い髪にくりっとした瞳。彼は小さく首を傾げて上目遣いにわたしの顔を見上げた。
「ねえ、誰かの誕生日?」
もう一度訊かれて、わたしは戸惑いながらも頷いた。すると男の子は顔中に無邪気な笑みを浮かべた。
「やっぱり。ハッピーバースディの歌を歌ってるから、そうじゃないかなって思ったんだ。僕もね、その歌を歌うんだよ」
一瞬、さっきバースディ・ソングを歌っていたのはこの男の子なんじゃないかなと思ったのだけれど。それは違うとすぐに気づいた。
『その歌を歌うんだよ』
これは、未来形だ。さっきまで歌っていたんなら、こういうふうには言わないから。
じゃあ、誰が歌っていたんだろう……?
「お姉ちゃんは、誰の誕生日なの?」
わたしがぼんやりと考えていると、男の子がまた訊ねた。その笑顔に、なんだか恥ずかしくなってしまう。
だって、わたしが歌っていたのは。自分の誕生日だから、なんだよね。
パーティを組むようになってから、初めてかもしれない。みんなと迎えるんじゃない誕生日っていうのは。
今、パーティのみんなは別行動中。今頃どこにいるんだろう?
ルーミィは何してるかな。クレイは? キットンも、ノルも、シロちゃんも。そして、トラップも……。
大丈夫だよね、きっと。ミモザ王女になにかあったりなんてしてないよね。
そんな風に心配してるだけの余裕も、わたしにはないんだけれど。でもついつい考えてしまって。
そんなとき。
風に乗ってバースディ・ソングが聞こえてきて、思わず口ずさんじゃったんだ。去年の誕生日を思い出してしまって。
「ハッピーバースディ、パステル!!」
みんながそう言いながら、両手いっぱいの花束をプレゼントしてくれた。
猪鹿亭で、いつもよりちょっとだけぜいたくな夕食。リタも、飲み物は飲み放題にしてくれて。
それから、みんなでハッピーバースディの歌を歌ったんだ。
――Happy Birthday To You――
何かすごいことがあったわけじゃないけれど、でもすごくうれしかった。
――Happy Birthday Dear……――
なんていうか……ほんとにほんとに、「ハッピー」バースディだなって思ったんだ。うまく言えないんだけれど。
「? お姉ちゃん?」
声をかけられて、はっとした。いけない、ついつい思い出にひたっちゃった。わたしは慌ててにっこりと微笑むと答えた。
「今日はね、わたしの誕生日なの」
う〜ん、やっぱりちょっと恥ずかしい。
男の子は目を丸くした。ちょっとだけ首傾げて、何か言おうとして。けれど彼は気が変わったようだった。何かを思いついたように、パッと顔を輝かせた。
「それじゃ、お姉ちゃん一人で歌ってても楽しくないでしょ? 僕もハッピーバースディの歌、歌ってあげるね!」
花束を片手に持ち替えて、空いた手でわたしの手をとった。わたしがちょっと面食らって目をぱちぱちさせていると、男の子がその手を振りまわすようにしながら歌い出した。
「ハッピーバースディ トゥー ユー♪」
まだあどけない声で、でもすごくうれしそうにして、その子は歌う。今出会ったばかりの、わたしのために。
ふわん、と、胸の辺りがあったかくなったように感じた。
今年は聞けないかもしれないな、と思っていた歌。まさか、こんなところで歌ってもらえるなんて思ってもみなかったから。
「ハッピーバースディ ディア……あれ? お姉ちゃんの名前って何だっけ?」
「パステル、よ」
にっこり笑って答える。男の子はこくんとひとつ、笑顔で頷いてもう一度歌い始めた。
「ハッピーバースディ ディア パステル♪」
わたしもそれに、小さく声を合わせる。
「「ハッピーバースディ トゥー ユー♪」」
男の子は目を丸くしてわたしを見上げた。わたしが笑いかけると、彼もつられたように微笑んだ。
「それじゃね、お姉ちゃん! ほんとに、お誕生日おめでとう!!」
男の子はそう言って、大きく手を振ってくれた。これからきっと、あの花束とバースディ・ソングを届けに行くんだろうな。
「ソフィア!!」
男の子を見送っていると、突然大きな声がした。ソフィアって人を探してるのかな……って、あれ?
「ソフィア! 探したよ」
ギアとアルメシアンが息を切らして走ってきた。
あ、あはは……そうそう、ソフィアってわたしのことじゃない。すっかり忘れちゃってた。
「驚きましたぞ。歩いていたら急にいなくなってしまうんですから」
「大丈夫か? 誰かに襲われたりしたわけじゃないんだな?」
二人が口々にそう言った。心配してくれたその口調に、わたしはちょっと申し訳なくなってしまった。
「ごめんなさい。ちょっとだけ、物思いにふけってたんだ」
ギアたちは顔を見合わせて、ちょっと困ったように笑った。う〜、ダメだなあ、わたし。もしこれでギアたちとはぐれちゃってたら……って思うとぞっとする。
ひたすらすまなさでいっぱいで、わたしは視線を地面に落とした。
と、その頭をぽんぽんっ、と叩かれた。
「いいんだよ、無事だったんだから。それに……今日は、『パステル』の誕生日だもんな」
「ほう、そうでしたか。それはめでたいですな。それじゃあ今日は、お祝いをしなくてはなりませんな」
わたしは二人を見上げた。ギアもアルメシアンも、にこにこと微笑んでくれている。
なんだか、あたたかいな。わたしもにっこりと笑って、でも首を横に振った。
「何を言っているのだ? わたしは『ソフィア』なんだぞ」
そう。ここで甘えてちゃいけないよね。キスキン国に着くまでは、わたしは「ソフィア」なんだから。
わたしがそう言うと、二人はちょっとだけ目を見開いて、でもふっと笑った。
「ああ、そうだったな」
ギアが優しくそう言って、わたしの手をとった。
「それじゃ、ソフィア。今度ははぐれるんじゃないぞ?」
口元に笑みを浮かべて、そう言われて。わたしは微笑んでこくりと頷いた。
その瞬間。
また、風に乗ってあの歌が聞こえた。
――Happy Birthday To You――
それはきっと。いつか、誰かに届く歌。
――Happy Birthday Dear……――
〜END〜
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