風の吹く場所 5 -風の道筋- 

 

 目覚めと共に夢は傷跡へと帰る。後に残ったのは苦い痛みだけだった。

 マリーナは起きたばかりの頭を軽く振って、膝にかけられた膝掛けに目を止めた。……誰がかけてくれたんだろう?
 まだ立ちあがる気になれず、マリーナはそのまま視線を宙に浮かせた。

 懐かしくて、痛い夢を見ていた気がする。心の傷跡をたどるようにしながら、彼女はゆっくりと記憶をたどっていった。そして、痛みに突き当たる。

(……なんで、あんな夢見たんだろ…………?)

 マリーナはそっと自分の顔を片手で包んだ。とっくの昔にふっきったはずだった思い。今更思い出したのは、パステルに自分の気持ちをさらけ出したせいなのだろうか? 
 ずっと忘れていた傷だった。消えたのだと思って、忘れてしまいたかった傷だった。けれど、それは消えていなかった。それが辛くて、それなのになぜだかほっとした。

 マリーナは軽く目を閉じた。

 再会した二人の間には一人の見知らぬ少女がいて、それがたまらなく哀しかったこともあった。

 けれど、彼らを取り巻く風は限りなくやさしくて、そしてその風はマリーナの傷までもやさしく包んでくれたから。だから、マリーナは傷を思い出さずにすんだのかもしれない。
 きっと、傷は永遠に消えることはないのだろう。癒されてもその跡は残ってしまう。それでも、その痛みを忘れていられる瞬間があるということがマリーナにはうれしかった。

(わたしは、二人を包む風になれなかったけれど)

 マリーナの顔にやすらぎが浮かぶ。

(それでも、ここに風の吹く場所がある。その場所を与えてあげられる)

 マリーナの、誇れる仲間達に。
 風はマリーナをもやさしく包んでくれる。あの春の雨のように。

 やわらかな空気を吸い込むと、ふわりと時が動いた。
 ゆっくりと、その道筋をたどって顔を動かす。

「ああ、マリーナ起きたのか」
 ドアの向こうに、いくつもの笑顔。

 風の道筋たどれば。
 あたたかな微笑みがマリーナを抱きしめた。

〜FIN〜

 

 この話、原型はもう少し違った形でした。
 メインテーマは「4」に出てくる「風はどこへ行くのだろう」「風はどこから来るのだろう」という問いだったのです。
 新5巻でマリーナと踊っていたクレイがパステルと話しに中庭に出てくるところがありますよね。そのときの残されたマリーナが昔を回想する……という話になる予定でした。
 ふわりと風が吹く。その先をマリーナがふと見るとクレイとパステルがいて、風はこの二人から来ているのかもしれない……って感じる。
 そういうイメージでした。
 いろいろいじくっているうちにこの形に落ち着いたのですが。
「風」が意味するものは、読んだ方がそれぞれ感じてくださればうれしいです。

 ものすごく綺麗な春の雨を見たことがあります。一粒の雨、という感じが全くしないのです。一筋の、雨。
 絹の糸のように綺麗な一筋。触れれば壊れてしまいそうなほど繊細な雨。
 けれど雨音はなぜか哀しく聞こえました。「1」〜「2」でのシーンのイメージはこのとき見た雨です。
 マリーナは、二人にただ置いて行かれたんじゃないと思っています。「大丈夫だよ」って言って……それでも心の中ではまだ整理仕切れない思いがあったりして。
 彼女にはそんなイメージがあります。いろんなものを抱え込んで笑顔でいられる強さのようなものを持つ人。けれどそれゆえにもろい人。
 なんとなく、彼女がそのもろさを最初に見抜かれてしまった相手はクレイなんじゃないかなって思います。だから惹かれてるんじゃないのかな、なんて。

 ときどき、忘れかけていた傷がうずくことがあります。そのたびに「あれ? まだあのときのことが引っかかってたのかな」なんて思ったりします。
 心の傷って見えない分、癒えたのかそれとも残ってしまったのか分からない部分がありませんか?
 傷跡ってなかなか消えないんですよね。だったら、その痛みを忘れていられることも幸せのしるしなんじゃないかな、なんて勝手なことを思ったり。

 「あなたたちといればいるほど孤独になってしまう」……
 パステルに向かってマリーナが言ったセリフですけれど。
 でもマリーナにとってパステル達が支えになっていることも事実だし、パステル達にとってマリーナが支えであることもまた事実だと思うのです。
 そういう言葉でマリーナが自分を縛ってしまうのはもったいないような気がします。
「風の吹く場所」はそういったマリーナのイメージです。マリーナってやっぱり、心地よい「風」を持つ人だって思いますから。

 この話、マリーナの強さや弱さを考えるのにすごく気を遣いました。マリーナって書くのがすごく難しいです。
 この話では完敗しました。またいつか、マリーナを魅力的に書いてみたいなあと思っています。

 

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