コンコン。 柔らかで、長すぎもせず短すぎもしないノックが鳴り、わたしは「はーい」と声を上げて扉を開けようとした。
これは男性陣ではないな、と、思ったから。
カチャリ。
けれどわたしが開けるより少し早く、ノックの調子と同じように上品で、けれど気さくな音を立ててその扉は開いたのだった。
「うわっ、パステルすっごく似合う!」
開けるやいなやそう言って、パンッと手を叩いて喜んでくれたのは、マリーナ。
だけどわたしの方も、マリーナを見てほうと息を吐きたくなるくらいしばしマリーナに釘付けになった。
「ふわあ……」
なんだかちょっと照れくさくって顔が赤くなってしまうのを感じながら、マリーナを中に通しながら、わたしは間抜けにもそんな声を上げた。それはマリーナへの感嘆の声だったのだけれど。けれどマリーナの方は、そんなわたしの声なんて気付かないかのように笑ったまま。
「うん、やっぱりこれ、パステルにすごくお似合いね。見立てた甲斐があったわ」
頭の先から爪先まで、満足げにずーっと眺めて。最後にわたしの視線の先で止まった瞳がちょっといたずらっぽく輝いてそう言う。
「そんな……、マリーナだってすっごく綺麗じゃない!! わたしなんかよりずーっと似合ってるよ」
「ふふ、ありがと」
マリーナは小さく微笑んで、ちょっとだけわたしの肩を抱いてその部屋にある一番大きな姿見に二人の姿を映した。
「でもパステル、すごく綺麗よ。本当」
鏡に向かってウインクをしながらマリーナは言う。
「あ、ありがと」
鏡の中のわたしは、やっぱり少しだけ赤くなっていた。
姿見に映るのは。
わたしと、マリーナの。
純白のウェディングドレス姿――。
そもそものきっかけは、マリーナの手紙だった。
「お祭のお手伝い?」
「おてつあい〜?」
クレイの元に届いたそれを持って、クレイがわたしたちに提案したのは2週間ほど前の夕食のこと。
「うん。エベリンでお祭があるらしい。中身はなんだかよくわからないんだけどさ、おれたちに手伝って欲しいんだって。どうかな、今のところ目ぼしいクエストもないし、行ってみたいなって思ってるんだけれど」
「いいんじゃないですか?」
「うん、わたしも行ってみたい。面白そう!」
「ルーミィも、おまつりしゅきだお!」
皆が乗り気の中で、マリーナからの手紙を見ていたトラップだけはなんだかちょっと納得いかないって顔。
「どうしたの?」
「いや、ちょっとな……エベリンにこんな時期に祭なんてあったか?
あいつがその内容を言わないのも、なんか気になんだよなー」
確かに、それは聞いたことのない話ではあったのだけれど。マリーナが何かまずい話を持ちかけてくるっていうのも、想像しがたいことだし考えすぎじゃないのかなって思った。
でも。
「ちょっと恥ずかしいかもしれない、っていうのは、気になるよね。なんだかどきどきする」
わたしもちょっと、気になってたんだよね。その辺りは。どういうことなんだろう。何をすることになるんだろう?
そう思ったわたしに、トラップはにやりと笑った。
「おめぇの場合は心配しなくてもいっつもそんなもんだろうがよ」
「何がよ」
トラップは、ぽんぽんっとマリーナの手紙を指差してみせる。
「?」
覗きこむと、その指が差しているのは『恥ずかしいかも』って書いてある箇所。
「……トラップ、どういうことよ!?」
「どーもこーも、いっつも恥ずかしいことしてんだろって……」
みなまで言わないうちにわたしの拳がトラップを捉えようとやっきになったのは、言うまでもない。
そんなこんなはありながらも、すぐに話はまとまって。わたしたちはエベリンに出発することになった。
出かけるほんの少し前から、クレイはなんだか物思いにふけったり、かと思えばそわそわし出したりしていて。どうしたのって聞いてみたけれど「何でもないよ」って笑うだけだし、どうしたんだろうって思っていたんだけれど。
エベリンに着いて、マリーナに手放しで歓迎されて。
時間がないからという理由で詳しい話を後にして、いきなり準備にてんてこ舞いに。ノルは大道具の準備の方へ、キットンは小道具の準備の方へ。ルーミィとシロちゃんは子どもたちの班に入ることになったし、それでわたしとマリーナ、そしてクレイとトラップは……。
「聞いてないよ、こんなの」
「だって、言ってないもの」
澄ました顔で、マリーナは答えるのだった。
「急にね、二人必要になって。そうすると男性陣も二人要るじゃない? そうしたら、パステルたちに頼むのが一番面白いかなって思っちゃったのね」
「お、面白いって……」
「あはは、ごめんごめん」
マリーナが笑って謝ると、その息でちょっとくすぐったい。マリーナに、今わたしは化粧を施されているところだったりする。彼女自身はもう既に自分でそれを済ませていて、だからただでさえ大人っぽいマリーナの顔がいつも以上に大人びて綺麗に見える。
「この間、仕事で依頼を受けた方にね、是非にってこの役を頼まれちゃって。その方のお孫さんが、今回の主役なんだって。それが決まってしばらくしてから、今回は主役が二人いるってことになって。だからこの役も急に二人になっちゃったわけなんだけど」
マリーナが言うには、こうだ。
砂漠の街エベリンには、雨が極端に少ない。おまけに乾燥しているから、風の強い季節なんか砂でひどいことになる。
そんなエベリンが唯一、雨に恵まれるのがこの季節。この時期の雨は「恵みの雨」として皆に喜ばれ、エベリンに住む人々の拠り所になっている。
そして、いつの頃からか。
この時期の雨にあやかって、「恵みの雨に祝福されて結婚するカップルは幸せになる」というジンクスめいたものまで言い伝えられるようになった。
そのジンクスは、いつの間にか風習になる。この時期の結婚式はお祭として、エベリンを挙げてのお祝いごとになるのである。
そして、その結婚式という名のお祭では、主役の一組の他にもう一組、次代の花嫁・花婿として、年頃の男女を立てて一緒に誓いを立てるのが慣わしとなっているのだという。
「誓いを強固なものにするため、っていう話なんだけど」
と、マリーナは付け足しながらわたしの頬に紅を薄くはたく。
「まあ、どちらかというとお祝いごとを華やかににぎやかにしたいっていうことなんでしょうね。次代の花嫁・花婿ってしてるけど、別に本当にその二人が結婚しなきゃいけなくなるとか、その二人がカップルじゃなきゃいけないとか、そういうことはないし」
慣習では、本来の花嫁・花婿の親戚関係などから適当な男女を見繕って立てるらしいのだけれど。今回の二組の花嫁・花婿の親戚縁者には丁度年頃の男女がいなかったということなのだそうだ。
それで、わたしたちに声がかかったというわけ。
「でも、エベリン全体を見れば、もっと適任の人がいたんじゃない?」
「まあまあ。結局はお祭なんだから、この役も厳密にどうこうしなきゃいけないわけじゃないし、エベリンの人じゃなきゃいけないわけでもない。
一人はわたしが頼まれてたでしょ? もう一人あてが無いか、って聞かれちゃったんだもの。わたしが考えたら、適任なのはパステルたちしかいなかったの。そんな理由じゃだめ?」
マリーナにそんな風に見つめられると困ってしまう。うー、でも。
今更じたばたしても言っても仕方ないって解ってはいても、気が引けてしまうのは否めない。
「どうして最初に全部言っておいてくれなかったの?」
わたしがせめてもの抵抗とそんな風に恨みがましいことを言うと。
マリーナはにっこりと微笑んでこう言ったのである。
「だって、最初から説明しちゃってたらパステルたち、来てくれないかもしれないじゃない?」
「ふわぁー」
部屋から出てきたわたしたちに、口をぱっくり開けてそう言ったのはルーミィだ。クレイは軽く目をみはってから照れくさそうな調子で微笑み、トラップは何を思ってるんだか飄々とした顔。
「ぱぁーる、きえいだお!」
そう言ってぴたっと抱きついてくる。あーもう、可愛いなあこの子は。彼女自身も白くて裾がふんわりとしたドレスを着ている。髪飾りと、服の袖の端っこにうっすらとピンクが入っているのがポイントだ。
「パステルおねぇしゃんたち、本当に綺麗デシ」
そのルーミィにくっついてそう言ったのはシロちゃん。首のところの蝶ネクタイがとっても可愛らしい。
ルーミィとシロちゃんは、本当の花嫁さんと花婿さんにお花をかける係になっている。
「本当、見違えたよ」
にこにこ笑いながら、クレイが言う。白いタキシードを着たクレイとトラップは、次代の花婿さん役だ。クレイがマリーナの、トラップがわたしの。クレイがマリーナの、というのはともかく、トラップがわたしの、というのは結構不本意、かもしれない。
次代の花嫁さん役のわたしたちは、もちろんウエディングドレス。マリーナのドレスには、胸のところに白く刺繍でバラの模様が入っていて、これがとっても綺麗だった。抜群のプロポーションの彼女のスタイルが引き立つように、全体にシンプルでスリムな形なのに、マリーナが着ると上品にキュートだから不思議だ。髪は一つにまとめて上げている。留めているのは銀の花飾り。
わたしはボリュームのあるふんわりした素材を使ったドレス。あちこちに入ったレースは、すごく可愛いんだけれどそれでいて甘くはなりすぎない程度におさまってる。見事に、でこぼこのない体型をカバーしてくれるような形をしていて……いやいや。そういう風に考えるのはちょっと悲しいのでやめておこう。
「ありがとう」
とにかく、一人勝手に落ち込む前に綺麗だって言ってもらえたその言葉をありがたく受け取る。
「クレイも、こうやって見るとホントに見違えそうよ」
マリーナはにっこり笑って、そう加えた。
二人の話がやり取りした手紙の内容だとかに入っていったので、わたしはルーミィたちとちょっと離れて髪を整えたりしていた。
と。
そんな様子を離れてみていたトラップと、バチッと目が合ってしまった。
トラップはにやっと笑って、こっちに近づいてくる。
「何よ。どうせまた、馬子にも衣装だとか言いたいんでしょ」
先にそう先制しておく。
「自分で言ってりゃ世話ないな」
「世話されなくて結構!」
ふんっとそっぽを向いてやると、トラップを笑いを堪えたようなこもった声で「おめぇ、知ってるか?」と言うのだ。
「何を?」
「結婚前にウエディングドレスを着る女は、婚期を逃すって言うぜ?」
「ええっ!」
不覚にも驚いてトラップを見ると、彼はにやにやと笑ったまま。
なっ、そんなこと知りたくなかったんですけど!
「どうしたの、パステル?」
式場に向かう馬車の中で、はあ、とため息をついてしまったわたしにマリーナがそう訊ねた。
そりゃね、自分の結婚とか、全然ピンと来ないままですけど。でも、それでもまーったく結婚願望が無いっていうわけじゃあないから。トラップの言葉を思い出してしまうたびに、なんだかため息が漏れたりしてしまうのだ。
折角のお祭に、こんな役までもらっておきながら。それにため息つくなんて失礼だ、と思いはするんだけれど。
「実はね……」
マリーナに、トラップが言ったことを話してみる。マリーナは呆れたように
「あいつ、そんなこと言ったの!?」
と言い、はあっと息を吐いた。
「大丈夫よ、そんなの迷信。大体、そんなこと言ってたらこのお祭自体が成り立たないでしょ?」
そうやって笑ってみせる。確かにそうだ。
馬車は、エベリン一番の広場へ向かっている。街をあげてのお祭だから、教会だとかそういうところでやるわけでなく、街中の人たちが集まれるようなところで行われるのだという。
こんなに、街中の人たちがお祝いしてくれる結婚式なのだから。そんなつまらないことに気をとられてるなんていけないよね。
「マリーナは、婚期を逃すとか、気にならない?」
そう訊くと、マリーナはちょっと目をぱちくりとさせて視線を揺らした。
「そうね……期を逃すだけなら、別にいいかな」
「え?」
「だって、結婚出来ないというのと、期を逃すというのとじゃ、ちょっと意味が変わってくるでしょ?」
ちょっと笑って、そんなことを言う。
ひょっとしたら。
マリーナは、すごくすごく色々なことを考えて、それでも自分の相手役として、クレイを選んだのかもしれない。ものすごい覚悟をした上で。
けれど、馬車はもう目的地に着いてしまったから。だから、わたしはマリーナにそれを訊いてみたりすることは出来なかった。
馬車を降りるとマリーナとは分かれて、わたしの付く花嫁さんと花婿さんの元へと向かった。クレイとトラップを乗せた馬車はまだ着いていなくて、だからまだわたしは一人だ。
「あら、可愛い花嫁さんね」
わたしを見てそう言ってくれたのが、今日の花嫁さんのスティアさん。スティアさんは被っていたヴェールをそっと持ち上げて、にっこりと微笑んだ。
「何年か前のわたしを見てるみたい。ねえ、ケイン?」
そうやって見上げられたのが今日の花婿さんの方で、彼はちょっと肩をすくめて「そんな昔のことは忘れちゃったよ」と言った。わたしの方を見て軽く頭を下げて、「今日はよろしく」とだけ言うと向こうの方へ行ってしまう。
「照れてるのよ。ごめんなさいね」
スティアさんがそう言ってケインさんのことについて謝るのが、なんだか愛に溢れて見えた。こっちが照れくさくなってしまう。
「どうかしたの?」
スティアさんが顔を寄せてそう訊いたので、わたしはちょっとびっくりした。
「わたし、どうかしたように見えますか?」
「んー、そうね。ちょっとだけ、笑顔に元気が無いように見えるわ」
わたしの頬をちょん、とつついて。茶目っ気たっぷりに彼女は言う。
「言いたくないなら、別に構わないわ。無理に笑えって言うつもりもないし」
「そんな」
わたしは、さっきのことを話してしまった。言ってしまってから、しまった、と思う。
「すみません……失礼な話でしたよね」
するとスティアさんは、可笑しそうにくすくすと肩を揺らして笑うのだ。
「やだ。ケインと一緒」
「え?」
「大丈夫よ。婚期を逃してもきっと、その彼がもらってくれるから」
「ええっ!?」
スティアさんに発言にびっくりして声をあげると、スティアさんは笑いながら続けた。
「ケインもね、何年か前にわたしが次代の花嫁をやったとき、そう言ってわたしをからかったのよ」
そのときのスティアさんの次代の花婿は、やはりケインさんだったらしい。
「うぬぼれかしらね」
スティアさんはそう言って、照れくさそうに、でも幸せそうに微笑んだ。
「それって、わたしがさっさと他の人と結婚しちゃわないように牽制したように思えるのよね。
だって、ケインのプロポーズって『婚期逃す前に俺がお前をもらってやってもいいんだけど』だったんだもの」
大切な秘密を打ち明けるかのように、そっと耳元にそんな言葉をくれたスティアさん。
式は優しく明るく進んでいく。
スティアさんの斜め後ろに立って、二人の誓いの言葉を聞きながら。わたしはヴェール越しに、同じようにケインさんの斜め後ろに立っているトラップをちらっと見遣る。
まさか、ね。
彼に限って、それはない。わたしは断言できる。
婚期を逃す逃さないのジンクスよりも、確かなことだって。
それでも、トラップがわたしの視線に気付いてこっちを向いて、また小憎たらしい顔で小さく笑ったのを見たとき。
なんだか知らないけれど、一番大きく、その誓いの言葉が聞こえてきたのだ。
――――わたしはあなたを永遠に愛し、慈しむことを誓います――――
〜END〜
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