指先の感情論

 

いつだって、痛むのは指先から。

* * * * * * * * * *

「「「「「お誕生日おめでとう、パステル!!!!!」」」」」

 パンパンパンパンッと続けてクラッカーが鳴る。わたしはその音にちょっとだけ首をすくめて、笑った。
「ありがとう、みんな!」
 今日はわたしの誕生日。猪鹿亭でみんながお祝いしてくれてるんだ。……みんな、っていうのは、実はちょっと間違ってるんだけど。

「はーい、今日は皆に一品ずつおごりだからね!」
 そう言って、リタがリズミカルにテーブルの上にお皿を並べる。わたしだけにちょっとウインクした。
「パステルには、ケーキもあるけど」
 真っ赤な果実のジュースをグラスについでくれる。
「リタも、ありがとう!」
 グラスに手を伸ばし、わたしはにっこり笑った。と、

「まったく、どこに行ったんだろうなトラップのやつ。」

 クレイがグラスに口をつけながら、ちらりと入り口を気にして言った。
 不意に、冷たいグラスに触れた指先がキンと痛む。
 そう、トラップだけは今、ここにはいない。今日の昼過ぎに出かけたきり、夕方になっても帰ってこないのだ。

 ……クレイが言うには、今日はわたしの誕生日パーティを猪鹿亭でやるって、ちゃんと言っておいたらしいのに。

「トラップのことですからねえ。パステルの誕生日だってことを忘れて、デートでもしに行ってるんじゃないですかぁ?」
 馬鹿でかい声で笑いながらキットンが言った。
「まさか。いくらあいつだってそれはないだろ。なあ、パステル?」
 苦笑しながらクレイが同意を求めてくる。わたしはちょっとだけこわばっていた顔に、ぎこちなく笑みを浮かべた。

 「それはない」? 本当にそうなのかな。ふっと、よみがえってくるビジョン。
 ズボンのポケットに手を突っ込んで、女の子と楽しそうに笑うトラップの姿……。

 わたしはそれを振り払うように小さく首を振って、手に持ったグラスの中身を一気に喉に流しこんだ。
 胸が、冷える。

「ああ、ルーミィ眠っちゃったか」
 椅子の上でこくり、こくり、と頭を揺らしているルーミィを見て、クレイが言った。
「クレイ、おれが背負っていく」
 ノルがそう言ってくれたので、ルーミィはノルに任せることにした。リタにお礼を言って、みんなで猪鹿亭を後にする。

「パステルおねぇしゃん、どうしたんデシか?」
 ちょこちょこと歩きながら、シロちゃんがつぶらな黒い瞳でわたしを見上げた。わたしはちょっとだけ笑って首を振る。
「ううん、なんでもないのよ」
「本当に?」
 背中にかけられた優しい声にどきりとした。クレイが、ちょっとだけ困ったように笑ってわたしの隣にやってくる。

「なんか、今日は元気がないみたいだったからさ。誕生日だっていうのに、上の空っていうか」
 冴えた空を見上げて、クレイはそう言った。
 やっぱり……気づかれちゃってた、のか。
 せっかく皆が誕生日を祝ってくれてるのに、寂しい気持ちになってしまうのは贅沢だって。そう言い聞かせて、おいしいものもたくさん食べて、忘れてたつもりだったけれど。

 つんと、棘が指先を刺す。

「……ごめんね」
「そんな、謝ることじゃないよ。トラップと、何かあった?」
 そう言って、優しい瞳を向けてくれた。そのあたたかさに、泣きたいような気分になってしまう。そのまま、口を開いた。
「ちょっと、ね。……見ちゃったんだぁ」
 なんだか指先がおかしくて、片方の手の指先をもう片方の手で掴んだりさすったりしながら。
 わたしは、ぽつりぽつり、と言葉を繋いでいった。

* * * * * * * * * *

 今日のお昼をちょっと過ぎた辺りのこと。みすず旅館のおかみさんに頼まれて、わたしは買い物に出かけたんだ。
 頼まれたものは買ったし、風は冷たいし。わたしは急いで帰ろうと、前かがみの姿勢になりながら小走りで旅館へ向かっていた。

 と、そのとき。

「悪ぃな、いつも」
「いいっていいって。どしたの? 今日は」
 聞きなれたトラップの声と、知らない女の子の声が耳に飛び込んできた。

 なんだかドキッとして、わたしはとっさに物陰に隠れてしまった。あ、怪しい。けど、一旦隠れてしまうとそこから慌ててもう一度出るわけにも行かず。首だけをそっと出して、通りの向こうに視線を向ける。
 小さなかわいらしい雑貨屋さんの前で、トラップと女の子が何か話しているところだった。見たことのない子だ。明るい色のショートカットの髪の、活発そうな雰囲気の女の子。

 でも、すごく親しげな様子で。それを見ているうちに、わたしはなんだか胸に冷たい塊を押し込まれたような気分になった。心臓が縮んで、送り出した血が指先に一瞬溜まる。つんと突っ張ったような感触、引いたと同時に鈍い痛みが指先から広がる。

 どうしたんだろ? トラップがああやって女の子と仲良くしてるのなんて、珍しいことじゃないじゃない。
 それなのに。
 わたしはそのままくるりと方向をかえて。二人から逃げるようにして旅館まで走った。

 そして。

 トラップは結局、帰ってこなかったんだ。――今日がわたしの誕生日だってことも忘れて。

* * * * * * * * * *

「なんだか良く分からないんだけどね、なんとなくショックだったんだと思う」

 トラップって薄情だよね、とわたしは続けた。ずっとパーティとして一緒にいて、誕生日とかもお祝いし合ってきたのに。今日は黙ってどこかに行っちゃったまま帰ってこないんだもん。多分、デートなんだろうけど。
 別に、無理矢理祝ってくれなくったっていいけれど、でも、忘れられるのはものすごく辛い。
 デートならデートだって言ってくれれば良かったのに。黙っていられると、すごく寂しい気分になってしまう。わたしの我が侭ってわかっていても。
 ……なんだか、余計に悲しい。
 クレイはそんなわたしをしばらく黙って見つめた後、ゆっくりと口を開いた。

「でもさぁ、あいつ。パステルの誕生日忘れたりなんかしてないよ」
「え?」
 わたしが訊き返すと、クレイはふっと視線を前に戻してから続けた。
「あいつも大概、いい加減なヤツだけどさ。でも、あいつがパステルの誕生日を忘れることだけは絶対にない。これだけは言いきれるよ。パステルだって、わかってるだろ?」
 頷こうとして、けれどわたしは視線を地面に落としたまま固まってしまった。

 わかってる、のかな。 わかってるというよりも。

「……信じたい、のかも」
 呟きが、地面にころりと転がり落ちる。拾い上げたクレイは、小さく微笑んだ。
「大丈夫だよ」
 今までパーティを組んできて、お互いに大切な日なんだと分かっているから。だから大丈夫だ、って、クレイはそう言った。

 飾らないその言葉が、すごく胸に沁みて。わたしは涙が零れそうになるのをぐっと堪えた。
 理由のわからない痛みが妙につらい。指先の棘。
 そうだ、本当に、トラップのそんな様子は珍しいことじゃないのに。

 ただ。

 込み上げてくる涙は、その痛みのせいではなく。側にあるぬくもりがあまりに優しかったせいだということだけは、わかっていた。

 ルーミィに布団をかけなおしてあげて、わたしは部屋の窓から外を見た。
 もう夜も遅い時間だっていうのに、トラップはまだ帰ってきていない。わたしは小さく息を吐き出すと、そのままベッドに倒れ込んだ。

 もう少しで、今日が終わってしまう。新しい日がやってくる。

 普段は気にもとめない、そんな些細なことが棘のように突き刺さった。ずきずきと、疼くように痛む。
 眠ってしまえば気にならないだろうに、こんなときに限って目が冴えてしまうのはお約束で。わたしは薄い闇をまとった天井を、しばらくぼんやりと見上げていた。
 手のひらを、開いて天井に伸ばす。

 自分の心臓の音が聞こえてきそうな静かな夜。
 この指先が、どうしてこんなに痛いのだろう?
 何を、伝える信号なんだろう。

 どれくらい、そうしていたんだったか。
 いろんな気持ちが渦巻いては消えて、いい加減疲れてきたころだった。ドアの向こうで、妙な物音がした。

 一瞬、どきりとする。トラップ、なのかな? でもトラップだとしたらこんな時間に物音をたてるような歩き方はしないだろう。一応、盗賊なんだから。
 心臓が嫌な勢いで早鐘を打ち始めた。もしかして泥棒とかだったらどうしよう?
 何度か深呼吸して、息を整えようと試みる。けれど意識しようとすればするほど、呼吸の回数が増えていくのがわかった。うるさいほど、心臓の音が頭に響いている。
 そっとドアに近づく。わたしはもう一度大きく息を吸い込むと、一気にそのドアを開けた。

「わわっ!」

 やっぱり誰かいた!

 こっちも悲鳴を上げそうになったのを、ひんやりとした手のひらが止めた。
「む、もごっ!」
 口を押さえられてしまったせいで声が声にならない。必死でその手をふりほどこうとしていると、耳元で知っている人物の声がした。

「バカ、おれだよ、おれっ!」
「ふぇ?」
 体をよじって、その顔を見ると。なんと、それはトラップだった。

 わたしが落ちついたのを見て、トラップはその手を離してくれた。瞬き三回。わたしは大きく息をついて改めて向き直る。

「……お帰り。遅かったね」
 やっとのことでそれだけ言うと、わたしはトラップから視線をそらした。なんだろう。言いたい言葉が見つからない。
 トラップもしばらく黙っていた。外の冴えた夜空がそのまま、部屋を満たしているような気がする。

「……悪かったな。少し遅くなったけど、誕生日おめでとう」
 トラップがゆっくりとそう言った瞬間、何かがパチンと弾けたように口が開いた。

「少し遅くなったけど、じゃないよ。デート、してたんでしょ? だったらそう言ってくれればいいじゃない」
「は? おい、ちょっと待て……」
「わたしの誕生日なんて気にしてなかったんでしょ? ついでみたいにお祝いしてくれなくったっていいよ。どうせトラップは――」
「だから待てっつってんだろ!?」

 ぐっと肩を掴まれて、わたしはその勢いに言葉を止めた。冷たい視線が、わたしを縫いとめて動けなくする。
 ぐうっと、指先が縮むように痛んだ。

「デートなんて、してねーよ」
「……嘘」
「嘘じゃない」
「だって! わたし、見たんだから……」

 また浮かんできたビジョンに、泣きたくなるのを必死で抑えながらわたしは言った。トラップはそんなわたしを見つめて、ちょっとだけ苦笑したようだった。
「ああ……見てたのか」

 ズキッと、痛みが指先から肩を駆けぬける。トラップはこわばったわたしの肩から手を離すと、胸ポケットに軽く手をやった。

「デートとか、そんなんじゃねーよ。ただ……あー、くそっ!」
 トラップはいらだったように前髪をかきむしって、それからわたしの目を真っ直ぐに見つめた。

「あいつは、ただ単に店員」
「は?」
 なんの脈絡もなく突然言われた言葉の意味を取り損ねて、わたしは思いっきり間抜けな顔で首を傾げた。

「だから、おめーが勘違いしてるそのデートの相手のこと。あれは、店員なの。別に付き合ってるとか、それどころかデートしてたわけでもないの!」
「えぇっ、ぇぇぇ!?」
 わたしは驚いて大声を出して、それからルーミィたちが眠っていたことを思い出して慌てて口をふさいだ。……よかった、ルーミィたちは起きなかったみたい。

 トラップはちょっと笑って、続けた。

「ちょくちょく行ってたんだよな、その店に。で、今日ちょっと買いたいものがあったんだけど。その相談に乗ってもらおうとしたんだよ。そんときだろ、おめーが見たのは」
 そうだったんだ……。なんだか、急に気が抜けてしまった。というか、ほっとしてしまった。
 あれ? どうしてほっとするんだろ?

 棘が抜けた指先に、柔らかな芽が触れる。

「それじゃ、どうして帰りが遅かったの?」
「それは……」
 その問いに、トラップは少し言いよどんだ。ちょっとだけ視線をさまよわせて、それから観念したように息を吐き出す。

「タイミング、分からなかったからさ」

「タイミング?」

「そう。どーやってプレゼント渡せばいいのか、ずっと悩んでた。けど、今決めた」
 胸ポケットから、トラップは何かを取り出した、ようだった。暗くてよく見えない。首に手を回されて、そのひんやりした感触に一つどきりとする。

「お誕生日、おめでとう」

 もう一度、トラップはそう言って。首に回した手を離した。わたしの首には小さな天使の羽をかたどったペンダントが残る。

「トラップ、これ……?」
「誕生日プレゼント。散々悩んだんだぜ? それで相談に乗ってもらってたのに、本人にはデートしてたんだと勘違いされるしよぉ」
 トラップはぶちぶちと文句を言ったけれど。でもわたしはなんだか妙におかしくなってしまって、笑い出してしまった。
「けっ、いい気なもんだよなあ」
 トラップは、はぁっと息を吐いた。

「じゃあ、さっきの物音は?」
「ああ、あれか? おめーが寝てるかどうか確かめようとして、派手にどじっちまったの」
 憮然としたトラップの答えに、また笑いが込み上げてくる。苦笑したトラップが、ぐっとわたしを引き寄せた。そのままわたしは、その腕の中におさまってしまう。

 甘やかで柔らかな痛みが、指先から身体に回る。

 ドキッとして、わたしは思わず胸元のペンダントを握り締めた。ダメだ、顔が熱くほてってきてる。これじゃまともにトラップの顔を見れない。
 ぎゅっと目をつぶったわたしを見て、トラップはちょっとだけ笑ったようだった。そして額に、柔らかな感触。

とって食おうってわけじゃねーんだから(笑)

「ハッピー・バースディ」

 何度目かの、わたしに贈られた言葉。
 トラップは、ぎゅっとわたしを抱きしめた。

「……遅いよ」
 わたしは小さく呟く。だって、もう少しでわたしの誕生日は終わっちゃうんだよ?

 だけど。

「……ありがとう」
 抱きしめられたまま、わたしは小さく微笑んだ。

 痛みに麻痺してしまったように。

* * * * * * * * * *

いつだってその痛みは、感情を転がしてる。

 〜END〜

 

 恐らく…2000年頃の作品でしょうか。
 一度、パステルの誕生日記念創作としてこのHP上に隠し扱いでUPされ、その後下ろしたまま日の目を見ていなかった作品です。
 当時のタイトルは「優しさに包まれたなら」。覚えている方がいらっしゃったら相当なマニアだと思われます(笑)

 うちにある創作をずらーっと見ていただければわかりますがYURIの中では激アマイ子(←「激甘」と「迷子」をかけてあるのだ!(滅))に分類されるもので、書いていた本人も甘さ加減に身悶えした(悪い意味でね!)覚えがあります。
 タイトルも苦し紛れでつけたもので、うーんうーんと思ってお蔵入りになっていたものをHP関連ファイル上辺整理(総整理ではない)の中で見つけ、ちょこっと最近のYURI度合いをふりかけてレンジでチンしてみるとあら不思議、そう変わってない(滅)
 というわけで、この度再び上げることが出来ました。
 大筋はまーったく、変わっていません。小手先のメスを使っただけ、切り口がちょっと変わっただけです。

 ラストシーンのイラストは、お分かりかもしれませんがアキホ嬢からのプレゼントイラストでございます。
 当時、ラストシーンをどうするか決めかねていたときにアキホ嬢にイラストをプレゼントしていただきまして(*^^*)
「よっしゃ、これっきゃないやろっ!!!!」
 と思ってあっさりとラストを決定してしまいました(笑) それにしても……アキホ嬢のプレゼントがなかったらこの作品は本当に本当にお蔵入りだったかも……;;
 5年の月日を経てこんな風に再びUPされるとは思っていなかっただろうアキホ嬢。すまんっ!(爆) そしてステキなイラストありがとう! YURIは一生貴女を応援し続けます!!!!!

 ちょっと気取り気味、浮き気味なタイトルは、実は「しもやけ」と迷いました(笑爆) 意味としてはおんなじです。
 が、この作品には合わない雰囲気だなーと思って変更。「指先の感情論」も雰囲気に合ってるかは謎ですが。「しもやけ」はいつかどこかで使うでしょう。もうちょっとキッチュな作品に!(どんなだ)

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