ベッドの上の少女は眠りつづけていた。パステルはその様子にほっとして息を吐き出した。
一時はひどく浅く、耳を口元にあてなければ確認できなかったような呼吸がだんだん落ち着いてきた。紙のように白い顔色も少しずつ赤みを取り戻してきている。 あの後、倒れた少女をみすず旅館まで運び込み、とりあえずキットンが左腕を診た。マントを裂いたものでぐるぐる巻きにされた傷口からはまだ血がにじみ出ており、素人目にもそうとうひどい怪我だということが分かった。
「止血するつもりで巻いたんでしょうが……止血と呼べるほどのものにはなっていませんねえ。そういう知識がないということからも冒険者ではなさそうですが」
荷物を探り、身元の分かるものはないかと見ていたトラップも首を振った。
「入ってるのは食料、タオル……そんなとこだな。あ、あと小ぶりのナイフ。でも新品に近いぜ。これで刺したわけじゃなさそうだな」
とんとんと自分の左腕を指で叩いて言った。彼女の怪我は、何かで刺し貫かれたようなものだったのである。傷口の新しさから言って、まだやられて一日程度しか経っていないだろうとのことだった。
ともかくキットンが止血をしなおし薬草で処置をしたところ、なんとか持ちなおした。シロが「あまりひどいようだったらぼくの血を使ってくださいデシ」
と申し出てくれたが、今のところ使う必要もないようだ。
パステルは彼女の額に巻かれたままの青いバンダナを見つめた。
ベッドに寝かせようとしたときに邪魔になるだろうと外そうとしたのだが、気を失っているはずの彼女がその手をはっしとつかんだのである。そして、うわごとのように小さく呟いた。
「……はずさ……ないで……」
よっぽどの事情があるらしい。パステルはその気迫のようなものにおされ、彼女のバンダナを外さなかった。
そこまでバンダナを外したがらないのはなぜなのだろう。冒険者でもない彼女がここまでの怪我を負ったことと関係があるのだろうか?
「ん……」
小さな声がして、ベッドの上の彼女がゆっくりと目を開けた。しばらく焦点の定まらない瞳でぼんやりと天井を見ていたが、側にパステルの姿を見つけるとためらいがちに口を開いた。
「あの……ここ、は……?」
少女の瞳にあるのは怯えの光。パステルはにっこりと微笑み、答えた。
「わたしたちの泊まってる旅館。えっと、覚えてる? あなたいきなり倒れちゃって。それでここまで運んできたの。左腕の怪我は一応手当てしたんだけど、どう? まだ痛む?」
少女はゆっくりと首を振って、小さく笑った。それから身を起こしかけて顔をしかめる。
「あ、まだだめよ。ちゃんと寝てなきゃ」
「ううん、大丈夫」
まだ自由にならない左腕をかばいながら、彼女は右腕だけで半身を起こした。パステルを見つめ、頭を下げる。
「ごめんなさい、迷惑をかけてしまって。本当にありがとうございました」
かしこまった様子にパステルは胸の前で両手を振った。
「やだ、そんなにかしこまらないで。困ったときはお互い様でしょ?」
背中をドーンと叩こうとして相手が怪我人であることに気づき、あわてて手をひっこめたパステルの姿に少女は声をあげて笑った。パステルもつられて笑う。
「ねえ、お腹はすいてない? えっと……」
少女の名前が分からなくて言葉を途切れさせると、
「あたしは……リゼイラ」
「リゼイラ、か。わたしはね、パステル。パステル・G・キングっていうの。よろしくね」
手を差し出すとリゼイラはその手を握った。
「パステル、いろいろとありがとう。でも、あたし行かないと。迷惑かけちゃうから」
言って、そのままベッドから降りようとする。パステルはあわててそれを止めた。
「ちょっ、そんな怪我で行くなんて無茶よ。迷惑なんかじゃないし、もう少し、傷が癒えるまでここにいた方がいいって」
しかしリゼイラは首を振る。思いつめた表情で呟くように言った。
「そうじゃなくって……ダメなんだ。早く行かないと……」
「でも……そうだ、どこまで行くの? わたしたちこれでも冒険者なんだ。腕がもう少し治ったらわたしたちも一緒に出発する、っていうのはどう? そんな怪我をしてる子を一人で行かせられないもん」
パステルは必死で説得しようとそう提案した。
また首を振るかと思ったが、意外にもリゼイラは何も言わずじっとパステルを見つめていた。そこで初めて、パステルはリゼイラが緑色の瞳をしていることに気づいた。
森の緑をそのまま閉じ込めたような深い瞳に見つめられ、パステルはどきりとしてしまう。その緑の目が何かを思い出すようにゆっくりと細められた。
「パステル……あたしたち、前にどこかで会ったことない?」
「え?」
パステルは目をぱちぱちとさせた。そのまま記憶を探る。ない……はずだ。こんなにきれいな瞳をしていたら、ちゃんと覚えているはず。
「ないと思うけど……どうして?」
パステルが訊くと、リゼイラも首を傾げた。
「どうしてだろ? なんだか昔、会ったことがあるような気がして……」
それから、ふっと笑った。
「それが思い出せるまで、ここにいてもいい? ほんとに迷惑かけちゃうけど」
ほんの少し寂しげな瞳で彼女は訊ねた。パステルはそれを振り払うようににっこりと笑った。
「もちろん」
|