アクシーズの手には使えないと言っていたショートソードがあった。その足元にはゴブリンがギアの腹に向けて繰り出した剣が落ちている。
「いやあ、剣の練習を見学してたのがこんなところで役に立つなんてね」
にっこりと笑いかけてから、剣を落とされて一瞬呆然としていたゴブリンに向かってショートソードを振りかぶる。 はっきり言って、彼の剣さばきは見られたものではなかった。
剣の持ち方から言ってめちゃくちゃだ。下手に大きな動作をするものだから、見ているこちらがどきりとするほどにすきだらけ。
やみくもに剣を振り回している……いや、剣に振り回されていると言った方が近いような、そんな戦い方。
おそらく、「剣が使えない」と言ったのは正しいに違いない。基礎すらも習っていないだろう。
ギアはそのあまりにへたくそな戦いぶりにはらはらさせられっぱなしだった。とはいえ、身体はまだ動いてくれない。それどころか奇妙な痛みまで手首と足首に走り始めた。
手から、剣が滑り落ちる。
「何してる!!」
背中から叱咤が飛んできた。ダンシング・シミターだ。
彼はそっちのゴブリンをすべて倒し、アクシーズの加勢に向かった。
もちろん、アクシーズの剣で倒せる数なんてたかが知れている。結局、ゴブリンのほとんどがダンシング・シミターひとりの手によって葬られることになった。
「どうしたんだ、一体」
ため息混じりの口調。うんざりした様子でダンシング・シミターはギアに訊ねた。
「……すまない」
ゴブリンたちの死骸を葬り、とりあえず少し移動してから再び焚き火を始めたところだった。
なんとか動けるようになったギアは、手首や足首をさすりながらしきりに首を傾げた。
「いきなり手足が動かなくなって。何かに、からめとられたような感じだった」
きりきりと痛む手足の感覚を思い出しながら、言い訳めいた口調で呟く。満身創痍、携帯していたらしい包帯やら何やらで自分の怪我の手当てをしていたアクシーズがその言葉に顔を上げた。
「何かにからめとられたような……? ギア、それって何か糸とか紐みたいな、そんなものの感触だった?」
問いにギアは頷いた。確かに、そんな感じのものだったような気がする。
アクシーズの手から包帯が滑り落ちた。巻かれていたそれは地面をころころと転がって白い道を作る。
「冗談、っ……まさか」
一瞬引きつった笑みを浮かべたアクシーズの顔が、すぐに深刻なものへと変わった。
「何か、心当たりでもあるのか?」
ダンシング・シミターが訊ねた。アクシーズは黙って頷く。唇を湿らせてからゆっくりと口を開いた。
「前に、ギアが『金の糸』で……『光のかけら』で縛られてるっていうのは話したよね。ギアの身体と精神が縛り付けられてる、って。
ただ、その影響はすごく小さなものだから、日常生活にあまり支障はない。そうだよね、ギア? 手足が重く感じてたそうだけど、体を動かせないほどになったのは今日が初めてだろう?」
ギアは黙って頷く。アクシーズは自分で確かめるように小さく頷き返し、続けた。
「だけど、徐々に徐々にその影響は大きくなっていくんだ。最初は重かっただけの手足が、次第に痺れたりするようになって最後には何かに絡めとられたように動かなくなる。
でもそれはすごくゆっくりとした変化のはずなんだよ。そうだな……最初に手足を重く感じるようになってから手足が動かなくなるまで、早くても一年はかかるはず。遅ければ五年以上かかるかな」
ギアは、顔がこわばるのを感じた。アクシーズは落ちた包帯を拾い上げ、ゆるく腕に巻きつけた。固定することもせず、だぼだぼとさせたままのその包帯の端を引っ張り、徐々に徐々にきつく腕に巻いていく。
「例えるなら、こういうこと。最初はゆるく縛っていた『金の糸』が徐々に本領発揮しだして身体をきつく縛り上げるようになるんだよね。
でも、どう考えたってギアの身体が動かなくなるのはあまりに早過ぎるんだ。何かのきっかけでもなければ、こんなに早く身体が動かなくなるなんてことはない」
きっかけ。
まさか、あの天使の映像が? 瞼の裏に、刻みついたあの笑顔。
ギアの身体中に、痺れに似た感覚が広がっていく。
「西に、行きたい」
アクシーズははっきりとした口調でそう言った。
「西? って言っても広いぞ?」
ダンシング・シミターが軽く眉をひそめた。しかしアクシーズはまっすぐな視線を向けてきっぱりと言った。
「西に手がかりが見える。僕にはその場所が分かる」
軽く、唇を噛み締めて。
「行かなくちゃならない。……ギアの心が壊れる前に」
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