「どうした?」
目を閉じ、考え込むような表情になったアクシーズにギアが声をかけた。
とりあえず街道へ出るために森を歩いている途中のこと。不意にアクシーズが立ち止まり、うつむいて目を閉じたのである。
そのままの状態で動かないため、苛立ったダンシング・シミターがギアに声をかけさせたのだった。アクシーズに良い印象を持っていないダンシング・シミターは決して自分から話し掛けようとしないのである。「いや、ちょっと気になることがあってね。大したものじゃないんだけど」
なんでもないように微笑んでアクシーズが答えると、
「大したものでもないことにいちいち立ち止まられたら迷惑なんだがな」
ダンシング・シミターは苛立ちを隠さずにそう言って、さっさと歩き出した。
「嫌われたなあ」
ぽつりと呟き、アクシーズは肩をすくめてギアを見た。
「どうしたの? 何か訊きたそうだね」
口元に笑みを浮かべたアクシーズの問いにギアは軽く瞬きした。それからふっと笑う。
「いくつか訊きたいことがあるんだが、答えてもらえるか?」
「内容によって、だね」
別段、気にした様子もなく答えるアクシーズ。ギアはその言葉に口を開いた。
「いやに『必然』にこだわっていたな。そこまで言うということはおれが夢を見たこと、君の言う『呪縛』とやらに縛られていること、それらすべてに必然性がある、ということなのか?
君はその『必然』が意味するものをすりかえただろう? 『なぜおれが夢を見たのか』から『なぜ愛しい人に似た天使が崩れて行くのを見たのか』に」
ギアの指摘に、アクシーズは軽く目を見開いた。
「へえ、よく気がついたね。あのとき君は僕が夢をのぞいたことにカッとなって結構感情的になってたはずなのに。
確かに、すりかえたよ。『夢を見た必然性』と『愛しい人に似た天使が崩れて行くを見なければならなかった必然性』は別のものだからね。『夢を見た必然性』から目をそらせようとしたんだけど、逆効果だったかな」
ギアは軽く眉をしかめた。アクシーズの言ったことが本当なら、あのとき『かつて愛した人が崩れて行くのを……』と言ったのは『夢を見た必然性』から目をそらさせるためだけでなくギアを感情的にさせて冷静さを失わせるためでもあったと考えられる。
本当に何を考えているのか分からない。下手なことをすれば逆に利用されるだけになりそうだ。
アクシーズはそんなギアの反応を楽しむように微笑んだ。
「それぞれの必然性は別のものだけど、すべてにおいて『必然』は存在する。でも、ギアにとって一番重要なのはどちらかというと『愛しい人に似た天使が崩れて行くのを見なければならなかった必然性』の方だよ。それが分からなければ『自分を縛るもの』の正体も分からないしね。
僕が言った、『間違えやすい』っていうのはそこのところなんだ」
一瞬、ギアは何のことなのか分からなかった。少しだけ記憶をたどり……そして、アクシーズが「天使なんて信じないか」と訊いたときのセリフだと思い出した。「何もかもが偶然なだけなのか」、と言ったときのセリフ。
「偶然と必然の境界ほどあいまいなものはないからね。
偶然はどこまでいっても偶然とも言える。逆に、何もかもは必然の積み重ねだとも言える。都合のいいときだけ必然を強調して、都合が悪くなると偶然だと言い張ったりすることもある。物事の本質は、そんなにあいまいに作られたものでもないっていうのに」
「……だとしても、本質を見ぬくことだって簡単じゃない。間違えることがいけないとも思わないが?」
ひとつ頷く、アクシーズ。
「そうだね。だから面白い。現に、『君が夢を見たこと』には必然性があるけれどそれが『君でなくてはならない』必然性はどこにもないんだ。そしてそれもひとつの間違いかもしれないんだからね」
そう言って、意味深な視線を送ってみせた。
その言葉の意味するところは、ギアには分からなかった。
「もうひとつ訊きたいんだが」
ダンシング・シミターの背を追うようにして歩くアクシーズの横顔に、ギアは再び訊ねた。
「何?」
「『天使は呪縛。その身、光より生まれ光のみを生み出す。その光、人をとらえ赤により闇へと還る』」
呪文でも唱えるかのように、前にアクシーズが呟いた言葉を口にしたギアをアクシーズは振り返って見つめた。ギアは黙ってその視線を受け止める。
「違和感があったんだ。『光、闇へと還る』という部分。その後に言い伝えとしてこうも言っていただろう。
『赤、光を求め光によってのみ天へと還る』」
アクシーズは黙って歩き出す。ギアもその隣で歩きながら続けた。
「『闇』と『天』が同じ意味なのか、それとも違うのか。『赤』と『光』が還る場所は同じなのか別なのか。
一番分からないのは……闇に還るのは光でとらえた『人』なのか、それとも人をとらえた『光』なのか」
しばらく無言で歩いていたアクシーズだったが、ギアの方を向くこともせずに不意に口を開いた。
「問一・別の意味。問二・同じであり別である。問三・両方」
手短にそれだけ答えてからアクシーズはギアに顔を向けた。
「他には?」
「答えになってない」
「答えじゃないか」
「人が理解できないようなことを返すのは答えとは言わない」
「答えだよ。理解できるできないは受け取った人によるだろう? 一から十まで教えられなきゃ理解できない方が悪い。こっちはきちんと事実を述べているまでだ」
「だから答えじゃないんだ。事実を聞いても真実には届かないこともある。『答え』は『事実』というよりも『真実』に近い意味を持つと思うが?」
穏やかに切り返され、アクシーズは言葉に詰まった。息を吐いてから前を見つめるようにしてゆっくりと話し出す。
「ギア、これを知ることが君にとってのプラスになるとは限らない。知っているがゆえにギアにとっての害を生み出す可能性だってある。それでも、聞きたいと思うか?」
オレンジの瞳はギアを映し、ギアは映し出された自分に向かって頷いた。
アクシーズは少し哀しげに笑った。
「すまない、本当に」
かすかな呟きは、風の中に散ってギアには届かなかった。アクシーズは聞こえようが聞こえまいが気にすることもなく、そのまま本題に入った。
「さっきも言ったけど、『闇』と『天』は違う意味だよ。それがどういう意味なのかというと……二つ目の質問にかかってくるかな。
『赤』は光を求めているし、光によってしか天には還れないんだけれど、光があれば確実に天に還ることができるっていうわけでもないんだ。
では『光』と同じ『闇』に還るのかっていうとそうでもない。……う〜ん、説明しにくいんだけど」
考え込むように頭をかき、しばらく黙り込んでから
「赤の意識、みたいなものがあるんだ。赤の本体と意識は別のところにある。だからこの二つは一緒の場所に還ることはできない、ってこと。
光は『本体』の方を求めて『闇』に還ろうとする。『意識』の方は光を求めて、その光によって『天』に還ろうとする。
だけどその二つともが叶えられるわけじゃないから、ほとんどの場合はどちらか一つしか叶えられないから、えっと……まあ、ややこしいことになるってわけ」
自分でも少し首を傾げるようにしながらそう言った。
説明している本人にもしっかりとは分かっていないのだから、ギアにも漠然としたものとしてしか理解できなかった。だがそれでも、さっきの一言だけの答えよりははっきりとしている。
「そもそも『赤』っていうのが何か、っていうとその『意識』も『本体』も含めて『赤の呪い』の大本なんだ。一番底にあるもの。ただ、これを還すってことが呪いをとくことでもないんだけど。
『赤』は巡り巡るもの。それを巡らせているのが『光』なんだよ。『赤』の『意識』は天に還りたいと願っているけれど、『本体』を求める『光』がそれを許さない。『光』は『闇』に還されたがってるわけだからね。それでも『赤』の『意識』は『光』を求めてしまう……」
それの繰り返し。『赤』はいつまでたってもその望みを叶えることができない。
「『赤』は血の色だろ? 血は体を巡り、心を知る。たまに聞いたりしないか? 人形が血の涙を流した、とかそんな話。
血っていうのには心がしみついてるんだ。『赤』はその血にしみついた心を感知する。すると『赤』を巡らせている『光』はその心の在り処……限りなく『闇』に近いその場所へ、『赤』を運ぶ。そして『赤』は……呪いを運ぶ。
『赤』は運んだ呪いがとかれるまでの間、その場所にとどまり続ける。呪いをとくってことは、この『赤』を『光』によって再び巡らせてやることなんだ」
『赤』は巡りつづけ、呪いを運びつづける。哀しむ者の声を聞き、憎む者への憎悪をかきたて、望む相手に呪いを与える。自らの願いを叶えられない代わりとでもいうように。
「そして、三つ目の質問。両方、って言ったよね。これはほんとにそのままだよ。
ただ、光でとらえられた『人』が『闇』に還るのは本当にまれだけどね」
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