雨はまだ、やまない。 あまりに強く傘を打つ雨だれに閉口して、おれは右手で傘の柄を持ち直した。こんなに強く、長引くなんて思わなかったなと考えて、急がなくちゃ、と足を速める。 なかなか帰らない彼女が気になった。ひょっとして、大荷物にこの雨で困っているんじゃないか。そう思ったらやっぱり、放っておくことは出来なくて。 前にやっぱり彼女の家にお世話になったときに教わった彼女御用達の店には、彼女はいなかった。 彼女はいつも、大丈夫だからと笑って見せるから。 ザンッ、と、雨が傘を叩いた。 あのときも、彼女は、なんでもないように笑って見せた。 傘を持つ手を見つめる。マリーナの家に立てかけられていた、古ぼけた薄紫の傘。それを持っている手。 あのときも、おれが持っていたのは彼女の傘だった。 ザンッ、と、もう一度雨が傘を叩いた。 |
記憶の遠い遠い奥底から、あの空が浮かび上がる。 あの空が、初めてだったわけではない。 それでも、雨が強く落ちるこんな日には、 雨はいつか、止む。 |
「本当に、傘ありがとう。助かったよ」 「ううん、気にしないで。わたしいつも傘の予備持ってるから、また何かあったら……」 言いかけて、彼女は何か思ったらしい。「あ」という口の形をさせて、それから小さく笑った。 「もちろん、もう何もない方がいいんだけどね。でも、傘忘れたとか、そういうことがあったらまた貸せるから」 『何かある』ということが、おれがまた傘をなくすことにかかっていることに気付いたのだろう。おれもそれに思い至って同じように笑った。 学校からの帰り道。傘をなくしたおれと、おれに傘を貸してくれたマリーナ。おれの家の前で二人向き合っていた。 「折角、ついて来てもらったのにごめんな。やっぱり乾かしてからにするよ。こんな風にしてマリーナに傘返したなんて言ったら母さんにも怒られてしまいそうだ」 * 玄関に入り、丸めていたマリーナの傘を解いてもう一度雨粒を振り落とした。と、そこで、自分が左手に何かを握っていることに気付く。 確かあれは、家に着く少し前のこと。 とりあえずの雨粒が落ちたのを確かめてから、水が滴らないように気をつけて傘を自室に持ち込んだ。もちろん、傘袋も一緒に。 雨はまだ、強く降り続けている。庭に出来た水溜りにたくさんの大きな水玉が走る。屋根を、窓を叩く雨粒の音が遠い音響のように聞こえ続けていた。 * 「マリーナ、どうしたの?」 と、そのとき、ふと思い出したことがあった。 「マリーナ、これからちょっと、時間ある?」 * 街の中心から少し離れた原っぱに着いた頃には、雨は最後の力を出しているところだった。 確か、その前の日の理科の授業だった。 ふ、っと、雨が弱まった。 「「わ……」」 『こんな雨の日にはですね』 「綺麗……」 虹が架かる空を経由して、おれのところにまで声が届く。 マリーナのその笑顔は――おれの気のせいかもしれないけれど――この日初めて、何の引っ掛かりも感じない笑顔だったように思えて、おれはそれが少しだけ、嬉しかった。 |
何でもないかのように笑う。 雨は止むんだよ、と、言ってあげたかった。 雨が無くてもちゃんと笑えるんだから。 |
角を曲がったところの喫茶店で、窓の向こうに彼女の姿が見えた。 ああ、この喫茶店で雨宿りしていたんだ。 おれはスピードを少しだけ上げて、喫茶店のドアではなく、マリーナが座っている席の窓へと近づいた。 空には、ほら、虹。 雨は止むから。 〜FIN〜 |
「午後、虹」が「午後二時」のもじりだと言ったら……怒られますか(滅) でもそうなんです……ごめんなさいごめんなさい。学校から帰って来たのはきっと二時ぐらいだったんですよ!てそれじゃあまりに早いな。土曜日?だったら遅い。……ぐぐ……ごめんなさい(もう一度。) というわけで、第一章でトラップが見ていたあの事件、そして第二章のマリーナの行動のその後とは、こういうことになっていたわけでした。無理がある? まあ今更!(ヲイ。) |