駅のホームには、潮騒が風に乗って聞こえてきていた。やってきたときと同じように、線路脇の秋桜が揺れている。
仁巳は潮の香りを刻みつけるかのように大きく息を吸い込んだ。今日でこの香りともお別れだ。「ほんとにお祖父ちゃんも勝手よ。何も勘当することないじゃない」
潮風に軽く前髪を揺らした玲が後ろで不満げに呟いた。振りかえり、仁巳はちょっとだけ苦笑する。
仁巳の実家、つまり玲の住む家で起きたある事件がきっかけで、仁巳は祖父の長一郎から勘当を言い渡されてしまった。二度とこの家の敷居をまたぐなと言われ、追い出されるような形で秩父へ帰ることになったのだ。それが玲には気に入らないらしい。
「僕はかえって気が楽になりましたよ。財産も家も継がなくてすみますし、僕が人とは少し違うということでお祖父さんや玲さんたちを危険な目に遭わせる心配もなくなりましたからね」
肩の荷が降りた、というように笑う仁巳を、玲は複雑な気持ちで見つめた。
「……あんたは、それでいいの?」
「ええ。もともと財産相続はお断りするつもりでしたし」
「そうじゃなくて! 人とちょっと違うからって、それだけで勘当なんてされて納得できるのかってこと!」
玲の思いがけない激しい口調に驚いて、仁巳は軽くまばたきした。玲はぐっと唇を噛む。
「だって……あんたがいたから、あんたがいろいろ手を尽くしてくれたから、お母さんもお祖父ちゃんも無事だったんじゃない。お祖父ちゃんなんか式神だとかいうのからあんたに助けてもらったのよ? それなのに、そんな理由で勘当するなんて……」
溢れそうになる思いを必死でこらえるかのように玲はうつむいたまま肩を震わせた。仁巳はそんな玲の肩に軽く手を置き、小さく微笑んだ。
「……玲さんは、優しいですね」
「そんなんじゃないわよ。ただあたしは……おかしいって思っただけ。もともと、うちは式神ってやつを操れるくらいの特殊な力を持った家系だったんでしょ? それだって充分人と違ってるじゃない。あんたと全然変わりないわ。それなのに勘当するなんておかしい、って思ったのよ」
真っ赤になって玲はそう言った。自分のことのように怒りを感じてくれる玲になんだかうれしくなって、仁巳はそっと玲の髪をなでた。手を振り払われるかと思ったが、意外にも玲はそのまま黙ってうつむいていた。
「お祖父さんは、僕が人と違うことが気に入らないというだけで勘当したんじゃないと思いますよ」
静かに、仁巳は言った。玲が驚いたように顔を上げる。
「どういうこと?」
「よく分かりませんけれど。でも、なんとなくそんな気がするんです。というより、そう信じたいのかもしれませんね」
にっこりと微笑んで、仁巳。玲は納得いかないというように軽く首を傾げた。仁巳はそんな玲に続ける。
「だから、僕のことは気にしないで下さい。大丈夫ですから。
それにね、本当に良かったって思ってるんです。僕は体質のせいもあって幾度となく今回みたいなことに遭遇していますけど、玲さんたちをできるだけそういったことに巻き込みたくはありませんからね」
今回は怪我人もほとんどいなかったが、こういった事件ばかりだとは限らないのだ。勘当されれば、実家の者たちを巻き込む危険は減る。
だが、玲は笑顔でそう言いきる仁巳の態度が悲しかった。
悔しさと、悲しさと、そういったものがすべて混ざり合って、気づくと玲は仁巳に向かって怒鳴っていた。
「そんな風に納得しちゃわないでよ! 一人でなにもかもを背負ってるみたいに言わないで! あたしだって……あたしだって……!」
――あんたの力になりたい――
それは声にはならなくて、玲は仁巳の服をつかんだまま胸の中で泣き出してしまった。泣きたくなんかないと思っているのに涙は正直だ。ぽろぽろと次から次へ溢れ出してくる。
仁巳はちょっとだけ戸惑って、泣きじゃくる玲をそっと抱きしめた。
「泣かないで下さい、玲さん」
玲は泣き止まない。自分を想ってくれる気持ちがその涙から伝わってきた。温かくて、そしてうれしい。
仁巳は玲を優しく見つめ、涙のつたうその頬に軽く唇をあてた。
「――――――!」
驚きからか、玲の涙はぴたりと止まった。右手で唇の触れた場所を押さえ、真っ赤な顔で仁巳を見上げた。
「な、なにするのよ!」
仁巳を睨みつけて玲は叫んだ。顔が熱い。心臓がすごい勢いで体中に血を送り出している。
だけど。どうしてだろう? それが怒りのせいなのか、それとも別の理由なのか、自分でもよく分からなかった。自分の気持ちに戸惑いながら、玲はキッと仁巳を睨みつけた。
「……信じられない人間ね!」
「よく言われます」
にっこり笑った仁巳に玲はため息をつく。犬にでもなめられたのだと思えば諦めもつくだろう。そんなことを考えると、不意に笑みがこぼれてきた。
「ねえ」
「なんです?」
訊ねた仁巳に、玲はぐっと顔を寄せた。
「あたしが呼んだら、絶対に来てくれるのよね?」
「はい、もちろん」
仁巳がすぐに答えると、玲はにっこりと微笑んだ。
「それじゃ、行ってよし!」
とんっ、と体を押して、玲は仁巳から離れる。ちょうどそのタイミングで、ホームに電車が滑り込んできた。
「元気でね」
手を振る玲に、仁巳もにっこり笑って手を振り返す。そのまま電車に乗り込んだ仁巳を玲は一歩も動かないままで見つめていた。
扉が閉まり、電車がゆっくりと動き出す。玲は追いかけることもせず、ただ黙って手を振り続けていた。
先に乗っていたらしい蔵人と西荻を見つけ、仁巳はその隣に腰掛けた。窓の外を海が流れてゆく。
「結局、砂浜ををゆっくりと散歩するようなゆとりはなかったな」
太陽の光を跳ね返す水面を見つめながら、蔵人がそう呟いた。
「そうですね」
小さく笑って仁巳は応えた。考えてみれば、海辺の町にいたのにも関わらず海を実際に見に行くことはなかった気がする。
「今度来たとき、玲さんに案内を頼んでみようかな」
玲はちょっとだけ不満げな顔をして、でもきっと景色のきれいな場所へ案内してくれるだろう。
仁巳はなんとなくおかしくなって、それがすごく楽しみになった。
遠ざかって行く電車を見つめ、玲は小さく笑った。
仁巳の体を押して離れてから、一歩も動かないで玲は手を振り続けていた。それは玲のちょっとした、でも譲れない意地だった。
「追いかけてるようじゃ、あんたの力にはなれないもんね」
ぽつりと呟く。
ほんの少しでも、強くなりたい。いつか、あいつの力になれるくらいに。
「さあ、頑張ってみようかな」
大きく伸びをして、玲は空を見上げた。指の隙間からこぼれてくる太陽の光が眩しい。
秋の空は限りなく高くて、簡単には手が届かない。まるであたしにとってのあいつみたいだ、と玲は感じた。
でもね。と玲は思う。
「届かなくっても必死に背伸びする努力、あんたは認めてくれる?」
無理せず、急がず。ほんの少しでも近づきたいから……。
〜END〜
|