前回ほりだしものと言い切った古代日本ファンタジー。
富士見ファンタジア文庫刊行、舞阪 洸著「火魅子伝 4」
でも水着同然のかっこでうろつきまわったり、チャイナドレスやらセーラー服を出す
大卑怯な技をつかってくる。反則。
とはいえ、敵の兵士を眠らせるのに芸人を装って接近し、睡眠薬(やや苦みあり)を飲ませるために
ストリップをやって気をぞぐ、ってのはある意味戦法のひとつ・・・かなぁ?(苦笑)
酒で酔わせてその隙をつく、というのはヤマトタケルの時代からの由緒正しき(?)方法ですがね。
話そのものは前にも書いたけれども、意外と(と言っては失礼かもしれんが)本格的な
戦術もの。・・・戦略レベルまではいかないだろう
イラストがかなりキているので損してる部分もあるかもしれない。
ライトノベルには間違いないので、気楽によめることには間違いないし、だから、
架空戦記みたいなものを想像してもらっても困るんだけどね。
ちょいと間があきましたな。今日・明日と連続して更新する予定。
つまり、読みためておいたもの(苦笑)
ファミ通文庫刊行、荻野目 悠樹著「大地物語 逃亡血路」
ファンタジー風なのだが、いきなりSFじみた設定が垣間見えた。
しかも、そこの部分で陰謀劇が。いいねぇ。こーゆーの。
魔法は奇跡のレベルでしかなく、使ってたりするとびっくり仰天、という世界。科学水準は中世なみ。
そんな世界で侵略を受けた辺境の小国が、侵略の原因とされている「奇跡の力を起こせる王女」を逃がすため、
主人公である戦士に護衛を命令したことから、物語は始まる。
同時に彼らこの世界の住人を「乗客」とよび、世界を「大地」とよぶ存在もあった。
特殊能力者である某存在の発生を監視・排除することで「大地」を管理している彼らはしかし、互いの思惑から暴走・謀略を進めていた。
無論。この特殊能力者が主人公の戦士であり、ヒロインである王女なのだけれども、王女の能力は他者にはない
「奇跡の力」・・・要は治癒(ヒーリング)なわけだが。
主人公の能力がいまだ不明。ちなみに観察している「存在」にもよくわかってないらしい。
介入を最小限に収めている「存在」なわけだけれども、中には積極的に介入をしようとする存在もあって
そこに謀略がすすむ余地があったりする。つまり、互いの主義主張の差がくる諍い、という奴だ。
ちなみに、「存在」による「介入」は「大地」の「乗客」からみれば神の業にも等しいそうな。
つまり、話そのものがふたつ、進んでいるわけで、ベテランの作家であれば
(それがライトノベルばかり書いている人であろうとも)安心して読めるのだけれども、
あいにく、私はこの作家を知らない。
これが不安要素といえば不安。
一風変わった所といえば、主人公が国に仕える身であり、そう教育された生っ粋の戦士
である。ということ。
中途半端な正義感というものをすっぱり切り落として戦いに勝つ為にはどんな手でもとる、という信念を持っているところか。
そのくせ忠義の厚く、王家(国)に忠義を尽くすだけの価値があるかどうかを疑問に思ってたりする。
禄を食む以上、国が求める事(それは「闘う事」に限定されるべきだが)には従う、という事らしい。
っていうか、言うこと聞くからメシのたねくれ、って言ってるようなもんで。
ライトファンタジー系の戦士とかって(特に主人公になると)結構キレイごと言う場合が多くて、
まぁ、それでも許される部分ってのは確かにあるのだけれども(何しろ本来の対象読者が
影響の受けやすい年代でもあるし)、
ここまで言い切った例というのはあまりみなかったりする。
ううむ。Earthdawnのウォーリアーだねぇ。ディシプリンの鏡だよ。まったく。
この内容を見て思い起こされるのは、作者不明・出版社不明・タイトル不明のSF。ちょびっとだけ記憶がある。
実験室の中で宇宙空間の作成に成功した友人を訪ねた科学者。(友人も当然だが科学者)。
宇宙空間の中には恒星があり、惑星があり、生命が息づいていた(星雲があったかどうかは不明)。
たとえば、惑星を海洋で埋め尽くされた惑星。そこに芽生えた水棲の知的生命体。
その惑星に実験室から熱線を浴びせるとどうなるか。
惑星上の水はたちまち干上がって、そこに住んでいた生命体は絶命の危機に。
結果、宇宙船をつくり、宇宙への大脱出をおこなった。
実験室でのリアルタイムではあっという間。
しかし、多分、当の水棲生命体のタイムスケールは何百年の単位だろうと推測される。
最後にはなぜだかわすれたけれども、友人をその宇宙に突き落とした(結果どうなったかは?)
主人公
の行く末は・・・どうなったんだろ?
てな話を思い出した。・・・・なんだろ?これ。
集英社スーパーダッシュ文庫刊行、倉田 英之著「R.O.D」
何がスーパーダッシュなんかよくわからんが、集英社の新シリーズである。アニメ系みたい。
タイトルのRODってのはRead Or Dieの略だそうで、まぁ、読んで字のごとし。
紙を操り、銃弾をとめたりブーメランみたく飛ばしたり、
あげくのはてには紙製のビルまで建ててしまう特殊能力をもった主人公(ヒロイン)、読子・リードマンの話。
ふざけた名前である。だからなんだろうけど、印象にのこってた。
なんかごく最近、漫画かなにかでみた記憶あるんだけどな?この主人公の名前。
話は、この話では愛書狂(ビブリオマニア)なんだけれども、いきすぎた愛情ははた迷惑。
という話だったような気がする・・・大筋間違ってないはず(苦笑)
まぁ、何事もほどほどに、ということかなぁ。
私自身は愛読家であるという自負はあるけど、愛書狂かというと絶対、断固、問答無用に否定するけどね。
愛書狂となると本は、たとえ週間雑誌といえども、捨てられないそうだから。(苦笑)
角川スニーカー刊行、もりたけし著、原案GONZO「ヴァンドレッド1」
アニメの原作ノベルだそうで。ちなみにアニメはTV放映予定(地上波か衛星かは不明)
で制作中とか。
男だけの惑星と女だけの惑星とで争いのある世界、ちなみに地球からの移民が分裂したらしい。
主人公はたまたま新造戦艦に潜り込んだところ、女たちの海賊に襲撃、囚われる。
原因不明の空間跳躍のあげく、謎の異星人に襲撃された時、
主人公が乗っていた男側制作のロボット(ヴァンガード)と女側制作のロボット(ドレッド)が合体
合体ロボ「ヴァンドレッド」が誕生し、謎の異星人の攻撃を退けた。
おおまかにいってそんな感じ。
なんかこれで全て、という気がしないでもないけど。
主人公にはちゃんと謎があるし、Boy Meets Girlをも満たしているし、ロボットも出てくる
ヒロインいっぱい、といいとこどり。
話がカスでなければいいけどね。
中身薄そうだけど、まぁ、アニメである以上しかたないか。
って、ここはある意味偏見。
TV放映かどうかにかかわらずアニメーションや映画ってのは娯楽作品であるべきだ、という考えを私自身もっているので。
反論もあろうけどね。
主題をこめて、思考させるようなものは映像と音とで見るがわを引っ張る類のものにさせちゃいけない、と思っているだけ。
ほら、自分のペースで意味をかみ砕きながら進めることできないじゃん。ペースを作り手にまかせる以上、思考は出来ない、とかんがえなきゃ。
ま、主題をこめ、訴えかけるようなものを作るな、とはいわんけど。
1000年たって残る、文学作品のようなものが出来るかどうかは疑わしいと考えている。
つまり、アニメーションや映画が芸術の域に達するにはまだまだ時間がかかるだろう、ということ。
私自身はその必要性すら認めていない。
つまり、偏見。
ああ、固い話するつもりはなかったのだけれどもなぁ・・・
とりあえず、地上波放送ならチェック入れとくか。
3作目。なんだかんだいいながら気に入ったのか?
電撃文庫刊、中村 恵里加著「ダブル・ブリッド3」
ただ、今回は小品的な所があって、なんだか前2作は趣が異なっている気がした。
気がしただけかもしれんが。
中国からやってきた人型兵器のナタク(漢字が出ん)零番。
大戦時代から開発が続けられ、ようやく実験にこぎつけたそれは当時の開発者のしかけた
論理爆弾のせいもあり、決戦兵器ならぬ欠陥兵器であった。
いや、一応主人公たちと交差するし、関わりもありはするんですが、なんかこう薄味というか。
印象がない、というか。
なんか裏で色々やってる大人たちの陰謀のほうがよっぽど興味ひかれてたりしますがね。
現実に近しい部隊で、アヤカシという魔物だけが出てくる世界だとおもっていたのが、
ここに来て等身大・人間と見分けがつかない人型兵器というSFギミックがでてきて、
それが趣が違うのでないかと感じた原因かもしれない。
大型ロボットでないぶんましかもしれないけども、やはりこう・・・似合わない
実の所、ずいぶんと前に読んだ本。某ゲームをやり込み中だったため、更新していなかったもの。
角川スニーカー文庫発刊、三雲岳斗著「アース・リバース」
溶岩に覆われた世界、人々は浮遊都市に住み、溶岩世界の貴重なエネルギー発生点を領土
とすべく争いと牽制を繰り返す。
そんな中、「世界の果て」につながるという天国の扉を探しに少年と少女は飛び立った。
まぁ、Boy Meets Girl な話
飛び立つ手段というのが飛行可能なロボットだったり、主人公の機体にだけ試作品の新装備
があったりするのはお約束。
主人公が「最強」なパイロットでないぶんましか。
世界は球形で、世界の果てなぞ存在しない、というのはこの世界の常識とかかれていて、
溶岩に覆われた地球、てのを想像してたんだけど、ああいうでんぐり返しがあるとは。
うん。確かに何も描写はなかったし・・・・でもなんか詐欺(苦笑)
昔昔。20年近く前。朝日ソノラマ文庫に「フルムーン伝説」という話があった。
メインのタイトルは忘れてしまって、
おそらくは「フルムーン伝説」はシリーズタイトルだとはおもうのだけれども、それすらあやふやな記憶。
似たような話なんだ。これが。
閉鎖された世界とその解放、という意味あいではね。
尤も、「フルムーン伝説」のほうはインド神話を下敷きにしている所があって、
この作品ほどアニメアニメしてなかったと思うのだけれども。
昨日に続いて富士見ファンタジア文庫刊行。著者は賀東 招二。
「フルメタル・パニック! 同情できない四面楚歌?」
わずか一編の書き下ろしのため「だけ」に買ったようなもんである。
月刊誌ドラゴンマガジン誌上にて連載された短編のかき集め。
シリアスな長編とは異なり、ギャグ一辺倒である。この作者はシリアスよりもこっちのほうが向いてるのかな?
前にも書いたような気がするが、日常生活にまぎれこんだ性格異端者の話である。
ぶっちゃけた話。
またそのギャップが面白いのではあるが。
シリアス長編を読んでいてもそ「ギャップ」というものが出てきていて、その実それが重要なファクターになっている。
ギャグが得意、というよりも、その「現実」と「虚構」のギャップを物語の中にもちこむ。
その手法がうまい作者なのかもしれない。
ギャップが脅威となればそれは恐怖となるし、ギャップがチグハグさを生めばそれがある意味ギャグとなる。
つまりはそんなところだろうか。
富士見ファンタジア文庫刊行。庄司 卓著。
「それゆけ!宇宙戦艦ヤマモトヨーコ12 純白のディスティニー」
これまた長い話である。
第一巻をみた時はそのネーミングセンスにくらくらきたものだが。
長編と短編とがあって、それが違いにリンクしあっている。短編の出来事や登場人物が長編に出てきている、という読者泣かせの構造。
さすがにそれでも短編までは手が出せなくなった。
なにしろ惰性で読んでいる本だからなぁ・・・。
とはいえ、ここまできた以上、なんとなく最後まで見ないとすっきりしない、というものあって。
何でも最終章に突入したとかで。
最低でも3冊、とかいっているが・・・3冊で終わるのか?という危惧が(苦笑)