自然考庵
自己探求宇宙星座音楽音楽試聴生命起源サイト紹介ショップリンク旬の食材サイトマップ



自己の探求
仏教とは仏教実践道般若心経

現代語訳

摩訶般若波羅蜜多心經

このページの目的は、難しい般若心経の意味を自分なりに理解することにあります。
1999年8月からの毎月の表題を並べていますので、般若心経の世界を感じてみてください。
お釈迦様の説法の直接の記録(書物)は、存在しませんが、そのお弟子さんが集まってお釈迦様の
言葉をまとめた記録(お経)は、原始仏教教典「阿含経」がよく知られています。
ですから、般若心経はもともとお釈迦様が直接説法した教えではありませんが、釈尊滅後
自己の悟りに専念する出家信者への反発から、一般民衆の在家信者が主になり、万人成仏と
釈尊の本来の精神に帰ることを主目的に創作された大乗仏教の尊いお経だと思います。
そして、般若心経はブッダ等の悟り[般若の智恵]に至った人たち[導師]と三宝を敬うものであり、
すべての人が苦しみから逃れられるよう願いをこめて創作されたお経ではないかと思います。(10/06/22修正)

般若心経は、仏教の「」という立場を説明するために作られたお経のようです。
空の考え方は、とても難しく言葉で表したくはありませんが、あえて言葉で書いてみますと、
「縁起ゆえの五蘊には実体がないから、自分勝手な思いつきにより固定的に物事を決めつけてしまうことを戒める」
という意味が含まれ、般若心経が心の持ち方をどうすべきかを説いているように感じます。(追記日:2010年05月08日)

一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易

諸悪莫作[諸々の悪をなすことなかれ]、衆善奉行[もろもろの善を奉行せよ]。
自浄其意[自らその心を浄むるは]、  是諸仏教[是れ諸仏のみ教えなり]。

六道輪廻の観音様(大慈大悲救苦観世音菩薩)
地獄
餓鬼
畜生
阿修羅
人間
天上
聖観音千手千眼観音馬頭観音十一面観音准胝観音(不空羂索観音)如意輪観音

紹介リンク
般若心経の写経


まかはんにゃはらみつたしんぎょう

かんじーざいぼーさつ

ぎょうじんはんにゃーはーらーみーたーじー

しょうけんごーおんかいくう

どーいっさいくーやく

しゃーりーしー、しきふーいーくう

くうふーいーしき

しきそくぜーくう

くうそくぜーしき

じゅーそうぎょうしき、やくぶーにょうぜー

しゃーりーしー、ぜーしょーほうくうそう

ふーしょうふーめつ、ふーくーふーじょう、ふーぞうふーげん

ぜーこーくうちゅう、むーしきむーじゅーそうぎょうしき

むーげんにーびー、ぜつしんにー

むーしきしょうこうみーそくほう

むーげんかいないしー、むーいーしきかい

むーむーみょうやくむーむーみょうじん

ないしーむーらうしー、やくむーらうしーじん

むーくーしゅうめつどう、むーちーやくむーとく

いーむーしょーとくこー、ぼーだいさったー

えーはんにゃーはーらーみーたーこー

しんむーけーげー、むーけーげー、こーむー、うーくーふー

おんりーいっさいてんどうむーそう、くーきょうねーはん

さんぜーしょーぶつ、えーはんにゃはーらーみーたーこー

とくあーのくたーらーさんみゃくさんぼーだい

こーちーはんにゃはーらーみーたー、ぜーだいじんしゅー

ぜーだいみょうしゅー、ぜーむーじょうし、ぜーむーとうどうしゅー

のうじょーいつさいくー、しんじつ、ふーこー

こーせつ、はんにゃーはーらーみーたーしゅー、そくせつしゅーわつ

ぎゃーてい、ぎゃーてい、はーらーぎやーてい、はらそうぎゃーてい、ぼーじーそわかー

はんにゃしんぎょう


般若心経の現代語訳[14/01/08](2010/10/31修正)

全ての存在の根源であるところの直感的・総合的な智慧が完成された状態の心を記述

止むことなく熱心に世間の貪りと憂いを思慮し続けている求道者である観音菩薩(ゴータマ)は、 奥深い真実な智慧(般若)の完成をするために修業をしていた時、人間の苦しみの原因が何であるかを見極めるため、 肉体と精神を注意深く観察し続けていた。やがて全ての苦しみ禍を克服して肉体と精神が本来、空であると悟り、真実の本性に目覚められた。 目覚めた観音は言った。舎利子よ、全てはありのままに存在しているのである。現実存在を、この空(無自性)の智慧によって 正しく認識し行動することは、苦しみ禍のない世界を作ることが出来る。物質現象は我々の意識を超越した数の原因に よって発生している。長い年月を経て、気の遠くなるほど数多い原因や恩恵により相互の存在を作り上げている。 感覚、心の働き、意志、認識作用も同様に本来あるべき縁起の流転の瞬間、瞬間には、単独では実体と して成立しえない、全く無意味なものとなる。舎利子よこれにより、この世のあらゆるものは、我としての自性というものは存在しないのであり、 すべては原因があって初めて結果があるという縁起の理法により発生しているのです。 自分自身のためだけに、生じる・滅する、汚れる・清らか、増える・減るを心は発するが、それぞれの 現象としての区別はないのです。是れゆえに空の世界では、自身が認識する存在、感覚、観念、意志 認識は、人間の意識ではとうていつかみ切れない無に等しいものとなる。同様に、あるがままの縁起の世界では、 六根である目、耳、鼻、舌、身体、心も無意味なものとなる。同じく縁起の流転の瞬間では、 六根の対象である六境、物質、音、香り、味、感触、自然法則も無に等しいものである。すなわち、 感覚器官から客観世界そしてこれら十二の領域(十二処)をもとにして発生する主観世界 までの全ての十八の世界は、我々が認識するという処において、無に等しいということである、 さらに、十二縁起の根本である無明(自己や事物の真相に明らかでないこと)さえも無に等しく、また、 この無明が尽きるという真理も無意味であり、同じく、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死までも無であり、 これらが尽きるという真理も無意味なことである。 同様に空においては、苦集滅道の法でさえも無意味となる。全ての思索も知恵も無意味であり、又これらの思索や知恵に よって得られる真理もない。このように、一切の執われやこだわりの無いこころを持った求道者である 観音菩薩は、一瞬足りとも止まることなく変化し続けているこの深縁な現実世界を般若の智慧によって、 全ての世界を正しくあるがままの姿で認識できるので、こころにこだわりがなく、 自己と他(人間・動物・存在の全て)を区別することがないので、恐怖が無くなる。そして、真実を正しく見ることが 出来ない状態である自分自身にからみついた誤った考え方が全くないので、この上ないこころの状態を得ることができる。 現在・過去・未来のいつの世の中でも変わることなく現れる求道者(仏)も、自分のものは何一つとしてなく、全ては大自然(宇宙)からの あずかりものであると正しく理解しているので、一切の煩悩である見思惑と塵沙惑と無明惑から開放されて、平等円満な智慧を 得ることが出来るのです。

故に次のようなことを知ることが出来ます。お釈迦さまの悟りの内容とその完成された般若の智慧を 長く保持するため受け継がれた多くの教えがあります。それらは正しい悪(煩悩)をさえぎり、正しい善(仏法)を守るための祈りの言葉となるのです。 これらの言葉は、お釈迦様が実際にその当時お説きになられた真実の言葉であり、この上ない真言であり、自己(自然や宇宙)そのものにも通じる言葉なのです。 こころの覆い(煩悩)を脱ぎさり、真実の智慧に目覚めることは、一切の苦しみを取り除くことが出来るのです。ここに、「ハンニャーハーラーミータ」 の真言を説く。即ち、その真実の言葉とは「ガテーガテー・パーラガテー・パーラサンガテー・ボーディスヴァーハー」=「自覚・覚他・覚行円満」 :自己の執着を取り除き、他の執着を取り除くことによって、それぞれの心が現実を実際に見(観)て、真実の智識(慧)を得ることができるのですから、 その真実の智識(慧)を源として、やがて自他の行いや実践が成就され満たされて行くのです。

ここに、智慧の完成に関する記述を終了する。

【般若心経の実践=六波羅蜜】
般若心経は、三法印の一つ「諸法無我」を説いたお経ではないかと考えられます(2010/07/31)。

本の紹介 参考文献:般若心経入門・祥伝社般若心経の本・学研編集部


スタートページへ Copyright(C) 1999-2003 JinenKohan All Rights Reserved.