自然考庵
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自己の探求
仏教とは仏教実践道般若心経
仏教とは、なんだろう。


今から、2500年程むかしのインドの北ルンビニー地方のサクヤ族の村で生まれた
ゴータマ・シッダールタ(お釈迦様)は、29才で意を決して出家し、菩薩となりました。

6年間の修行を経て、ゴータマ(お釈迦様)はブッダとなるべく菩提樹の下で悟りを開きました。

ブッダは、真実の釈迦牟尼佛になるため、自己を見失わないように生きるには
どのように生きるべきかを、多くの人々に長い旅の中で教化していきました。

長い旅路の果てに、ゴータマ・シッダールタの行き着いた処は、クシナガラで死を迎えるという
永遠の涅槃の世界への旅立ちでありました。

その後の釈迦牟尼佛(ゴータマ・シッダールタ)のおしえ仏教は、
多くの弟子たちによって、ゴータマ・シッダールタが菩薩になってから、死の直前までの
釈迦牟尼佛の語られた内容が大いに論議され、多くの教えや、教典が生まれていきました。

やがて、中国大陸をへて、ここ日本にまで仏教がたどりつきました。
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ルンビニー地方のサクヤ族
お釈迦様は、現在のネパールにあるカピラバッスツ地方の釈迦族の父:シュッドーダナ、母:マーヤーの長男として生まれました。
4月8日(一説に2月8日)にルンビニー園のサーラ樹の下で生誕したと伝えられています。生母は7日後亡くなっていると伝えられています。
ゴータマ・シッダールタにとって、生母マーヤーの死は、生きることの意味を問いただす大きな要因の1つであったと考えられます。


菩薩
釈迦族の首長(太子)の権利と愛する妻子を振り捨てて、自分が生きている本当の意味を追い求めている修行者。般若心経に登場する 観音菩薩は、ゴータマ・ブッダそのものであり、人の悩み苦しみの原因を探し求め何をすべきか修行を続けている求道者。 ブッダの死後、大乗仏教においては我々衆生を救って、真理の探究をしているすべての者の代名詞となりました。


菩提樹の下で悟り
長く厳しい苦行の末、苦行を捨てて、ブッダガヤーの菩提(ピッパラ)樹の下で、禅定に入り、悟りの境地を得ます。 悟りの境地は、あらゆる煩悩を制御して、とらわれのない、こころの静けさであり真理そのものです。 ブッダは、魔の軍勢(煩悩)を討ち滅ぼし、宿命通(過去世の生存を知る力)を得、天眼通(優れた透視力) を清めた後、縁起の理法を観察しました。このような瞑想を、ブッダは七日間単位で七回繰り返して、四十九日間、 解脱の境地を得て、涅槃に入り続けました。その悟りの内容は、一言では表現できませんが、一般には 十二の縁起の系列(無明→行→識→名色・・・老死)を順逆に観じて、一切諸法(宇宙)の真理を深く理解すること。 と言われています。これは単なる思索ではなく、ブッダが根本的無知(無明)を発見し、その絶滅を身において実現し、 あらゆる苦悩から解脱し、それによって悟りを開いたということであり、単なる理論ではない体感、実感です。(ブッダは究極の現実主義者)


どのように生きるべきか
いわゆる御釈迦さまの説法です。ブッダは最初、その教えが深甚(難解)なため、世俗への説法を躊躇しました。 しかし、天上界の神、梵天がブッダに、この世が絶望と落胆のため滅亡しないよう教法を説くようすすめ促したと伝えられています。 最初の説法は、バラーナシー郊外にあるサールナート(鹿野苑)で5人の出家修行者に中道説を説き、四諦(苦集滅道)の理論を用いた方法として八正道を説きました。 又、五蘊(色[肉体]、受[感受]、想[表象]、行[意志]、識[認識])、無我の説を述べたとも伝えられています。
深甚な教え:悟った真理は、静謐で深遠で難解です。思考の次元を超越し、絶妙で微妙ですから、修行を究めた 者にしか理解できません。自分の欲望と執着にとらわれて、貪りふけり追いかけている人々にはとても伝わらない。


長い旅
バラーナシー郊外にあるサールナート(鹿野苑)に始まったブッダの説法は、ラージャグリハ(王舎城)の竹林精舎(最初の仏教寺院)、 シュラバスティー(舎衛城)の祗園精舎、ラージギール(王舎城)の霊鷲山など、 ガンジス川中流域(ラージャグリハ・ヴァイシャーリー・カピラバッスツ・シュラバスティー)での長い旅を続け、布教活動を行っておりました。 中でも祗園精舎での説法が一番多いようです。 長い旅での御釈迦さまの教えの数は、八万四千の法門(対機説法による教えの説き方)とも言われ、多くの方の心に染み渡っていきました。
「ラージャグリハ」と「ラージギール」は同じ地名です。王舎城はマガダ国の首都、舎衛城はコーサラ国の首都です。


涅槃
煩悩の炎が吹き消された状態の安らぎです。ゴータマ・シッダールタの入滅は、特に般涅槃(ハツネハン)といい、 死によって、再びこの六道の世界に戻ることのない永遠の解脱に入ったことを意味し、とても重要な意味があります。 ブッダは、ふるさとへの旅の途中のクシナガラで、2本のサーラ樹(沙羅双樹)の木の間に横たわり、アーナンダに 次のような言葉を残して、入滅しました。「お前たちの為に私が説いた教えと私の制した戒律とが、私の死後 お前たちの師となるのである。それら(法)を良くたもち、実践し清浄な行いが長く続くようにめざせ。 そのことが、多くの人々の利益・幸福のためになるのである。諸々の事象は過ぎ去るものである。 たゆまず、怠らず、わたしが説いた教法を実践し、修行に励みなさい。」
煩悩とは、貪欲(むさぼり)、瞋恚(いかり)、愚痴(ぐち)を根本煩悩とします。 六道とは、仏教では一般に、地獄、餓鬼、修羅、畜生、人間、天上の世界をいいます。 教法とは、四念処(四種の観想法)、四正勤(四種の正しい努力)、四神足(自在力を得るための四つの根拠)、 五根(解脱に至るための五つの能力)、五力(五つの優れたはたらき)、七覚支(悟りを得るための七つのことがら)、 八聖道(理想の境地に達するための八つの道)、であるとブッダは臨終の少し前に説いています。


多くの弟子
ブッダは、教えを書き残していないので、ブッダが入滅するとその教えが誤って伝えられるのを恐れて マハーカーシャパ(摩訶迦葉)は、すぐにブッダの教えをまとめる会議を開くことを決意しました。 会議には悟りを開いた弟子を参加させなければなりません。ブッダの説法を聞いたお弟子さんが500人集まり、 戒律については、ウパーリが中心になり、教えについてはアーナンダが中心となって会議が開かれました。 会議の中で特に問題となったのが、「戒律のあり方は柔軟性があって良い」というブッダの言葉でありました。 会議の結論は、「細かい戒律までも厳守しなければならない」と言う結論となりましたが後に、この戒律のあり方に ついて、教団が分裂するまでの原因となりました。

御釈迦さまの十大弟子
シャーリプトラ特にブッダから信頼の高かった智慧第一の舎利子、ブッダに代わって説法もしました。
マウドガリヤーヤナ神通力(超能力)では、誰より勝っていた目蓮が、自分の前世の業を切り捨てるため
神通力を捨てて、入滅しました。
この二人のお弟子さんは、ブッダより早く死を迎えているようです。

マハーカーシャパ頭陀行第一で、清らかな精神を追い求め、ブッダの教えをまとめた後継者。
アニルッダ釈迦の説法の最中居眠りをして、釈迦に注意されたのをきっかけに失明して、天眼通力を得た阿那律。
スブーティーブッダの教えである「空」を良く理解していて、決して言い争いをしなかった須菩提。
プールナブッダをうならせた程、説法に関心をもって、ブッダの許しを得て、布教活動をした富楼那
カーティヤーヤナブッダの教えをわかりやすく説くことに、たけていた迦旃延は、苦労して異国の地で布教をします。
ウパーリ下級の身分(奴隷)でありながら、素直で一途な信仰をし、戒律に精通していた優婆離。
ラーフラブッダの一人息子である羅ご羅は、規律(戒律)を良く守りました。
アーナンダ常にブッダの側にいた阿難陀は、教典の会議が決まったのと同時に悟りを開くことが出来て会議に参加しました。

教典の為の会議(第一結集)から約100年後には、戒律の問題や自己の悟りに専念する出家信者への反発が起き 教団は内部から分裂が始まり、上座部(保守派)、大衆部(革新派)に分裂し、さらに分裂を繰り返していきます。 仏教は、大いに拡大し、多くの教典や論書が生まれていくことになります。ブッダ入滅後約500年頃になると、 大衆部系から生じた大乗仏教が般若経(空の思想)、華厳経(釈迦の悟り)、維摩経(不二の法門)、 法華経(統一的真理・永遠の仏)、浄土経(他力思想)などの教典を成立していきました。 その後も「阿毘達磨大毘婆沙論」、馬鳴菩薩の「仏所行讃」や竜樹菩薩の「中論」などの論書も生まれました。


中国仏教
ブッダの教えはさらに広まっていきます。中国では、多くの教典を訳す僧が生まれ漢字への翻訳が始まりました。
竺法護教典を訳した僧侶、重要な大小乗の教典を訳し、法華経の漢訳は最初のものとして有名です。
鳩摩羅什東アジアの仏教を基本的に性格づけ方向づけした訳経僧。クマラジュウ
天台の智禅の修行に専念して、中国仏教をまとめ整え、天台教義を樹立した僧侶
特に「法華文句」、「法華玄義」や「摩訶止観」を著したことで有名。法華経の全体宇宙像を一念三千論で著しました。
玄奘玄奘自身が著した「大唐西域記(西遊記)」で有名な三蔵法師です。玄奘は、遠くインドまで
行って仏教を学び、般若経や唯識論などを、忠実に多く訳したことで有名です。
達磨座禅で有名なダルマさん。拳法の発祥の地、崇山少林寺で面壁九年の修行をしました。
天台智の師である慧思との約束により、日本に来日し聖徳太子(慧思の再来)と和歌を贈答したとも伝えられています。



日本仏教
漢字に翻訳された仏教教典は、朝鮮半島をわたり日本へたどりつき、最初の憲法の中に仏教が盛り込まれました。
聖徳太子十七条の憲法を制定し、官僚の心得を説き、また、「法華経」「勝鬘経」「維摩経」の
注釈書(解説書)を作った日本仏教の教主です。「世間は虚仮にして、唯仏のみ是れ真なり。」
行基民衆への仏教布教に尽力し、行基菩薩と呼ばれた。 また、東大寺建立につくし、日本初の大僧正となる。
鑑真中国人、日本律宗の祖。東大寺に戒壇院を建て受戒の根本道場とし、
また、唐招提寺を設け戒律を教え導きました。
最澄日本において天台宗を初めて開いた僧侶。比叡山に入山し、禅を修して天台に転向しました。
比叡山は後に天台宗の総本山、延暦寺となり仏教を教え伝える最初の場となりました。
比叡山は、平安から鎌倉時代には僧侶を育成する場となり、多くの出家者が入山しています。
空海弘法大師・空海で良く知られている。真言宗(密教)を開いた最初の僧侶。
中国に渡り恵果より密教の秘法を授かり、日本で真言密教を広めた。文化、教育、社会事業と
幅広く活動をしました。高野山には今も空海が生き続け衆生を救済し続けていると言われています。
空也諸国を巡り、民衆に念仏「南無阿弥陀仏」を唱える事をすすめ、民間に初めて念仏仏教を広めた僧。
法然、親鸞法然:既成仏教の方法論を破棄し、新しい救済論に基づきすべての人々が救済される
仏教を求め、念仏「ナムアミダブツ」を唱えることにより誰でもが救済されるという浄土宗を開きました。
親鸞:法然の他力念仏を深化させて、絶対他力である新しい概念を開いた浄土真宗の開祖。
道元中国に渡って如浄に禅を学び、日本で曹洞宗を開いた僧侶。
言葉では表せない「不立文字」「教外別伝」の禅の神髄を表そうと「正法眼蔵」を書き残しました。
日蓮天台法華教学を習得して、改めて独自の法華経観により新しい仏教体系を樹立しました。
「南無妙法蓮華経」の題目、大曼陀羅が知られています。


大いなる悟りを開かれ、我々の幸せの為になされたブッダの行為に感謝するとともに、
我々人間が苦しみから逃れられ、
幸せに生きていけることを強く願いたいですね。

本の紹介



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