その他、写真など

 

★深夜叢書 「タヌさん」
★ナッチャコパック最終回、その日 「M子さん」
★年賀状・パンフ 「SUOMIさん」
★掲載許可ハガキ・安蔵の手紙下書き・記念品(旧タイプ)・金パ大賞トロフィー 「明がらすの安蔵さん」
★薔薇座支持会証・黒い二月の会会員証・記念品 「笠原久司さん」
★水曜パック挨拶状・ほたる新聞・週刊パック 「岐阜の野中辰彦君」
★林美雄さんサイン 「MICさん」
★パックインミュージック腕時計 「BIONICさん」
★新星堂ポスター 「馬入次郎さん」
★盆踊りうちわ 「   さん」
★ヤングスタジオ-ラブ・パック祭り・パック展 「町田の傘張り浪人さん」

みなさんに協力いただきました、どうもありがとう!

 


 

ヤングスタジオ・ラブ06-12-23

1971-3 ヤングスタジオ・ラブ

たしか、月曜から金曜にかけての毎晩、赤坂のTBSラジオのスタジオで、夜の7時ころから1時間くらい放送していた聴取者参加型の公開放送だったと思います。司会進行役が日替わりのローテーションで交替していましたが、そのうちの一組がナチ・チャコのお二人でした。スタジオの中央に一段高い簡単なステージがあり、その周りの床に参加者はじかに座って番組に参加していました。早い時間に終了したので、余裕をもって町田まで帰れたことを覚えています。毛糸のチューリップハットをかぶっているのは、山本コータローさん。当夜のゲストだったのか、お二人と一緒に司会をしていたのかは忘れてしまいました。1971年3月撮影です。。(解説-町田の傘張り浪人)

パック祭り06-12-23

1971-12-24赤坂TBSホール

当時はパック主催の盆踊りとこのパック祭りが定期的に行われていたような記憶があります(両イベントの詳細については同封の「YaYa」をご覧下さい)。パック祭りはTBSホールで行われたパックのパーソナリティ全員出席の大型公開放送。1週間くらいぶっ通しで行われ、毎回、担当曜日ごとのコンビが日替わりで司会進行していました。ナッチャンとツーショットで写っている愛川欽也さんの若いこと。着物姿のチャコさまの凛々しさが印象的です。この写真は一緒に言った友人が撮影したものです。1971年12月24日撮影。。(解説-町田の傘張り浪人)

パック展06-12-23

1972-6-17 新宿三越デパート 「パック展」

深夜放送のパーソナリティを集めた企業のイベントも盛んに催されました。それまではデビュー直後の新人アイドル歌手などが中心だったデパート屋上の客寄せイベントが、深夜放送のパーソナリティをメインキャラクターとして催されるようになったのです。事実、パーソナリティの何人かはその後、テレビなどマスメディアの世界に活動の場所を広げていくことになります。この写真は、「闇の文化」と鬼っ子扱いされていた深夜放送が、次第に大衆化、一般化していく過程を端的に表わした、社会史的にも風俗史的にも貴重な資料ではないでしょうか(ちょっとオーバーか)。1972年6月17日に新宿三越の屋上で行われたイベントには、愛川欽也さんを中心に、昼の「キンキン・ケンケン歌謡曲」で一緒だった見城美枝子さん、平野レミさん、欽也さんのパックの第二部のパーソナリティだった滝良子さん、それにわれらがチャコさまがゲストで登場しました。パック祭りと同じ友人が撮影しました。。(解説-町田の傘張り浪人)

 

 

パック大盆踊り大会うちわ&番組表06-12-23

上大岡新星堂ファンの集い手書きポスター06-12-23

那智チャコパック最終回の放送も終わり、なんとも気の抜けていた時に上大岡新星堂でファンの集いをやることになり、その時の手書きのポスターです、集いの後喫茶店で店長含むファンの人々と金パの夜を偲び話をしたとの事。

パックインミュージック腕時計(TIMEX社製)06-12-20

この腕時計はパックインミュージック各曜日それぞれに数量限定でプレゼントされたもののようです、プレゼントの応募期間は2週間かそれ以上あったかもしれません、応募にハズレた人にも希望すれば通販で購入できたようです。ベルトは紺色のエナメル風のものが付いていた。

美雄さんサイン06-12-20

林美雄さんのサイン77年の日付があります、名前やメッセージも書き込んであり、ファンを大事にしていたことがわかります、暖かさを感じるサインですね、MICさんの宝物です。

水曜パック(若山・八木組)の番組終了の挨拶状05-12-02

69年(だっけか)パックの大型改変の時に声優の若山源三 音楽評論家の八木誠と言う異色の組み合わせで始まる。福田一郎の火曜パックと同様、音楽主体の番組だった。

「ほたる新聞」年賀状昭和45年05-12-02

大学生のリスナーが作った同人誌的な物で、ガリ版刷り、希望者には無償提供、今で言うオフミーティングのホタル祭りと言うイベントも企画した。

「週刊パック」からのや暑中見舞い(1970年)05-12-02

高校生二人で作った同人誌的な物で、これもガリ版刷り、無償配布、スタジオ見学の際の写真の配布などもしていた。

金曜パック大賞トロフィー(1978年)

これが噂の金パ大賞トロフィーです、このトロフィーは、キンキンパックの店子大賞用に準備された物らしいのですが、キンキンがパックを降板したため、急遽、金パ大賞の賞品になったようです。それまで、金パ大賞に、賞品は無かったそうなので、栄えある第一号の賞品になるみたいです。ちなみに授与式は無く、発表から2ヶ月後に届いたようです。

記念品(旧タイプ)

これが噂の記念品ですが、以前笠原さんに提供してもらった物とずいぶん違います、こちらはより古いもので、茶色の布地にTBSのロゴが織り込んであります、質感はこちらの方が良いようです、ちなみにTBSラジオの周波数が950キロヘルツから、954キロヘルツに変わった時に、下の白地の物に変わったようです。

記念品

これが噂の記念品です、箱に入ってのし紙がまいて有ります、シンプルなデザインで良いですね、ナッチャコパックに限らず、TBSラジオの記念品はこれだったのだろうか?

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黒い二月の会会員証

あの有名な黒い二月の会の会員証です、持ってる人結構いるんじゃないかな?

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劇団薔薇座支持会

こんなのが発行されていたとは知りませんでした。

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手紙掲載許可願ハガキ(ブロンズ社発行)

もう一つの別の広場と言えば、パックに寄せられた手紙を、一つの本にまとめたもので、このコーナーの「広場シリーズ」に、その表紙の写真が載せてある、その広場シリーズに手紙を掲載するにあたり、ブロンズ社より掲載許可願いのハガキが出されていた、この写真は13年目の物だ。

bronzecards.jpg (1595 バイト)

総州無宿 明がらすの安蔵の手紙下書き

総州無宿 明がらすの安蔵から、パックに送った手紙の下書きが届きました、常連と呼ばれた明がらすの安蔵は、どんなふうに手紙を書いていたのか?写真のように、ざっと鉛筆で書き進めて、書き上がったら、一字一句、辞書を見ながら、清書をするスタイルで、完成までに4.5日かかったそうです。

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1970年元旦、TBSから送られた年賀状

30年も前の年賀状がよく残ってました、サインは野沢那智さん、白石冬美さん、そして二部担当の「純情パック」ヤッ子こと遠藤泰子さんです、遠藤さんは現在も永六輔さんとラジオやっていらっしゃいますね、ハガキの真ん中のイラストはイタズラな妖精”PUCK”かな?

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TBSラジオ発行のパックのパンフレット(1970年6月16日発行)

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深夜叢書 (創刊号)(1982年9月20日 増刊号発行)

編集局     ラブパック連合深夜叢書編集局
編集人    横山進
発行所    ラブパック連合
発行人     秋山龍己
(新聞きり抜きは1982年7月2日読売新聞・夕刊)

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ナッチャコパック最終回、その日 (1982年7月30日)

タヌさんのお友達M子さんより頂きました、あの日の写真です。