(最遊記パロ。高峰あいみにプレゼントしたモノ)
雨天潤怨
去年(2000年)の夏のこと、高峰あいみがおいらにバースデーカードをくれたお返しに贈ったもの……のはず。たしか(笑)。八戒と清一色がでてくるものを、と書いたのですが、三蔵と悟空が自分としては気に入ってます。
――ワタシガ イカセテアゲタコトヲ、オワスレデスカ? チョゴノウ。――
目を見開いた。――闇。
「どした? 八戒」
「……いえ」
鋭く息を吸ったのはほんの小さな動きであったはずなのに、後部座席の悟空は、目聡く八戒に問いかけた。悟浄の赤い髪をぐいと引き、座席に大人しく収まってなどいなかった癖に。
「運転中にトリップか? 感心せんな」
正面を見たまま面白くもなさそうに助手席の三蔵が呟く。八戒は苦笑して、すみません、と謝った。
放せクソ猿、と隣の悟空に毒突きながら、悟浄はニヤリと運転席を笑い見る。
「まー、こうガタガタ揺れる道じゃあなあ。夕べのきれーなオネエサンを思い出しても無理ないんじゃない?」
酒場の娘と暫くどこかへ消えていたのは、勿論悟浄だ。八戒は気安く笑い飛ばす。
「あははは、悟浄じゃあるまいし」
悟空は後ろから運転席にしがみ付く。
「腹減ったんだよな! 八戒!」
「そりゃ、お前だろう?」
「んだよ! ぜーったい、食いもん隠し持ってるんだ! 匂いがするもん! 出せよ! 悟浄!」
「やんねーよー」
「せんせえー! 悟浄くんがあー!」
「はいはい、わかりましたよ、もうじき村があるはずですから」
後ろの騒ぎを宥めておいて、八戒はアクセルを踏み込む。加速するジープのエンジン音に混じって、三蔵のぼそりとした声が尋ねた。
「まだ過ぎたことを考えているのか」
出せよ悟浄、ここか?! ここか?!
へへーん、猿、猿、さーる。
八戒は、気安く、笑い飛ばそうとした。
「あははは、三蔵じゃあ……」
助手席の気配が剣呑になる。
ここか?! さては、ズボンのポケットだな?!
あっ、こら、止めろ猿!
へっへっへ、脱がしちゃえー!
バカ猿! わっ、よせ、
「……あ、あの、三蔵、今のは……」
失言でした、と謝るのも失言だと思う間もなく。
「――五月蠅いンだ、お前らはッ!!」
「いっっっっ……」
てえええー!! と叫ぶのは悟空。悟浄と二人、頭頂部を抱え。
ふん、と鼻息を鳴らして、三蔵はハリセンを仕舞い、再び助手席に落ち着いた。
「何すんだよおー、三蔵ー!」
当代の高層は、きっぱりと明言する。
「憂さ晴らしだ。お前らもたまには役に立て」
「……んだよそりゃあー?!」
クソクソ坊主ー! 暴力坊主ー!!
悟空の罵声に眉を顰め、うるせえから飛ばせ八戒、と三蔵は呟いた。
はい、と返事をしておいて、八戒はこっそりと頭の中で、後ろの二人に謝った。
このところ、目を開けていても同じ夢を見る。
「はあ、食った食った!」
宿屋の食材を半分がた平らげて、悟空は満足そうにベッドに寝転び、腹を摩っている。
「三仏神のカードに心から感謝する一瞬だよなー」
八戒は小さく吹き出す。三蔵は椅子に腰かけて、食後の一服を口に銜える。
「……悟浄はどうした」
「まだ女の子と飲んでる」
「……じゃあ欠席裁判だな。俺はベッド、八戒はそこの長椅子、悟空はこの椅子、悟浄は床だ」
部屋が一部屋しか取れなかったので、寝床をどうするか、という話だ。
ふうーと紫煙を吐き出す三蔵に、途端に悟空は抗議する。
「待てよ三蔵! 何で俺が椅子なんだよ?! ていうか、三蔵がベッドって、誰が決めたんだ!」
「俺だ」
「まあまあ、悟浄は女の子の部屋に行く可能性もありますから、僕が床で寝ますよ。悟空は、長椅子で寝て下さい」
「ええー……うーん、でもそれじゃ八戒が……」
「だ、そうだ。猿を甘やかすな、八戒」
「三蔵がゆーな!」
「でも僕は床で」
「ベッドは譲らんがな。お前は長椅子で寝ろ。運転中に夢を見られるのは迷惑だ」
「―――……」
良くは見えない、この眼のせいだろうか。
ふっと、眼の前が、昏くなる。何かにはっとして、目を見開く、その一瞬に。
「何? 八戒、夢見んの?」
「え……ええ、まあ……」
「何、何、どんな?」
わくわくと尋ねてくる悟空に、八戒は苦笑する。
「すみません。内容は、覚えてないんです」
ちぇ、なーんだ。悟空は途端にがっかりとする。嘘を吐いた。だが騙されたのは、悟空だけのようだ。
「おら、どけ猿」
ベッドの上の悟空をつまんで降ろす。それでもよじ登ってくる悟空を足蹴にして、三蔵はベッドにどかりと腰かけた。懐からぴっと取り出すのは、三仏神のクレジットカード。
「夜食買ってこい。煙草と酒も忘れるな」
カードを奪い取る悟空の素早いこと。
「いってきまーす!」
ドップラー効果を伴い、悟空は部屋を飛び出して行った。
「……扱い易いな。猿だ」
「……あははは」
「声でも聞こえるのか」
話す為に悟空を追い出したのだと、八戒はとうに気付いていた。悟空にごまかした八戒の行為を無駄にしない、三蔵らしいといえばらしい、らしくないといえばらしくない分かり易い優しさに、八戒は、今度は正直に話す。
「……ええ。声だけが」
イカレてるのは眼じゃなかったのか、と三蔵は煙草を銜えたまま呟いた。
「ええ、その、眼の方も、ちょっと」
「あ?」
「声が聞こえて、ぎょっとすると、眼の前が暗くなるんですよねえー。貧血気味なんでしょうか」
「それで解決するならレバーを食え」
「そうします」
「……」
「……」
矢庭に銃を取り出す三蔵に、八戒は慌てて両手の平を向ける。
「あっ、いえ、だからですね」
ずい、と自分に銃口を向ける三蔵を宥めにかかる。
「食事療法もやってみます、ということですからね……っ三蔵?!」
三蔵は発砲した。ドン! という破裂音は耳を掠め、背後の窓をガシャン! と砕く。弾丸が肉に当たる音を微かに聞いて、八戒ははっと振り返った。
既に破れた窓の外、ガラスが散る先に、得物を手にした妖怪が、仰向けに転がっていた。
「……刺客?」
「鈍っているな。八戒、そいつは何を食えば治るんだ?」
八戒は眉を顰め、すみません、と三蔵に頭を下げた。
三仏神のカードを握り締め、悟空は夜の町を軽やかに駆けている。肩の白竜に、楽しげに語りかける。
「なあ、白竜! 白竜は何食べたい?」
小さな龍の姿に戻った白竜が、嬉しげにピーピーと鳴く。
「夜食って言ったけど、朝飯までに腹へってもいけないし、あ、昼飯までにもきっと腹へるよなー……」
ピ? と白竜が鳴いた。ん? とばかり悟空もつられて空を見る。
ぽつり、ぽつり、と落ちてくる。道行く人々も気付き始める。歩みが忙しなくなっていく。
「雨だ……」
音に驚いてやって来た宿屋の主人が、割れた窓の請求をした。
「そう怒鳴らんでも弁償……ち、カードは悟空か。明日、宿代と一緒に払う。計算しておけ」
不信そうに出て行く主人を見送る三蔵は不機嫌だ。すみません、と八戒が謝ると、「ほう、これはお前の仕業か?」と叱られた。
「撃ったのは俺だ。もっと言えば俺に撃たせたのは間抜けな刺客だ。間抜けな刺客を寄越したのは牛魔王の手下だろう。請求は、牛魔王のところにさせてもいいくらいだ」
「はあ……でもそれじゃ、宿屋のご主人が、お気の毒ですねえ」
だから、明日、俺が払うと言っただろう。三蔵に睨まれて、すみません、と八戒はまた謝るのだ。
再び叱られる前に、八戒は話を戻した。
「声の主は、多分、清一色です」
ま、そんなところだろう、と三蔵は驚きもしない。
「で? 奴の何が、お前に未練を持たせてるんだ?」
「……そんな、未練だなんて、やだなあ」
「未練だろう。罰されたがりのお前が、あの変態麻雀士を気に入ってるんだ。今度は何を気に入った?」
手厳しいですねえ、八戒は苦笑しながらも、認めるしかない。
――ワタシハ アナタノ 千人目。――
「……命?」
ええ、と八戒は頷く。
――ホウッテオケバ シヌハズダッタ アナタニ、血ヲ与エテ生カシタノハ、――
「今の、この僕の命は、……」
――コノワタシナンデスヨ、チョゴノウ。ダカラ、――
「一体、誰にもらったものなのだろう、……なんて」
――アナタハ、ワタシノモノナンデス。……猪悟能。――
三蔵は、下らない、とばかりに溜め息を吐く。
「千人の妖怪の命の上にお前がある、ということは、先刻承知済だと思ってたがな」
「ええ。それは、そうなんですが」
「悟能が八戒と名を変えたところで、お前はお前だということも、当然認識しているな」
「はい。……あはは、三仏神さま、ごめんなさい、って感じですねえ」
馬鹿か、と三蔵は吐き捨てる。坊主の説法みたいで、気に入らないがな、と眉を寄せる。
「……悟浄の生まれは知ってるな」
「え……はい」
「人間と妖怪の合いの子だ。禁忌の子、なんて呼ばれ方もする。俺はどこかの誰かが川に流した赤ん坊だった。誰からもらった命かなんて、そんなもんは知らん。それを言うなら、悟空には決定的に親がない。太陽と月の精を集めた大地が生み出した、またとない生き物……同じ眷族は、この世のどこを捜したっていやしないってなシロモノだ。だが、それがどうした」
三蔵は、すうと息を吸った。
「俺の命は、俺のものに決まってるだろうが」
――アナタノ命ハ、誰ノモノデショウネエ?――
「……ええ、それは、わかってるんですけどねえ」
「……なんだ。わかっているのか。ならもう言うことはない」
三蔵は座り直し、残り一本の煙草を銜えて、空箱を握り潰す。
「まだ麻雀野郎がイイなら、ついて来なくていいぞ」
「うわ、やべえ、ひどくなってきた、白竜、急ごうぜ!」
雨足が激しくなる道を、悟空は大荷物を抱え、水を蹴立てて駆け戻る。
八戒は、ぷっ、と吹き出し、肩を揺すった。
「……なんだ。何がおかしい?」
煙草に火を点け、三蔵が睨む。「いえ、その」八戒は口を覆って、だが笑いは手の隙間から漏れる。
「……珍しく、三蔵が優しいもので……僕、ちょっとよろめきそうです」
ぷくく、と笑いを堪える八戒を、ぎろりと三蔵は睨(ね)め付ける。
「だって、まさか『川流れ』の話までしてくれるなんて……どうしたんです、三蔵、……くく」
「……笑うのをヤメロ。でないとコロス」
八戒は片手を上げて、「ごめんなさい」の意志を示す。ち、と三蔵は舌打ちをし、窓の外を指差した。
「……雨だ」
八戒は、それで外の天気に気が付いたのだ。
「……ああ、雨が降ってたんですねえ」
「気付いてなかったのか? ……やれやれだ」
平気になったつもりの心の傷を、雨は知らず思い起こさせる。
苦手な雨音に気付かなかったのは、聞こえる、誰の声のせいだろう。
「……ん?」
ガサガサ、バサッ、ガサッ、バサンバサッ、と、外から聞こえてくるのは、いつしか雨音ばかりではなくなっている。その雨音も、パラン、パラン、ボタッ、バラン、と、何かに当たるような音が混じる。
「何だ?」
立ち上がり、窓の外を覗いた三蔵は、徐にあんぐりと口を開く。
「何ですか?」
並んで外を眺めると、八戒は、すぐにその訳を理解した。
「あっ、三蔵ー、八戒ー。も、ちょっと待ってー」
外では、ずぶ濡れになった悟空が、大きな布を広げ、傘を広げ……大量の、傘、傘、傘。何枚もの布。三蔵たちの部屋を中心に、宿屋の上に幾つもの傘をさす。
「……何を、やってるんだ? 悟空」
三蔵は、ふるふると震えているのだ。なのに悟空は、嬉しそうに、得意げに話すのだ。
「ここだけでもさ、雨じゃなきゃいいな、って思ってさ! へへっ、町中の傘、買ってきたんだぜ! な、白竜!」
ピー、と鳴いて、白竜が八戒の手に飛んでくる。その眼は、(止めたの……止めたのだけど)と訴えるようだ。
悟空は宿屋の屋根と周りの木をロープで繋ぎ、器用に行ったり来たり、布を張る。傘をさす。自分は雨に、濡れるだけ濡れて。
三蔵と八戒が雨が苦手だと、
「……悟空に知られたのは、まずかったですかねえ」
八戒の呟きに答えず、三蔵は尋ねる。
「……で? 煙草と酒は買ってきたんだろうな」
悟空は叫ぶのだ。
「ああーっ! 夜食忘れたあーっ!!」
「このっ……」
三蔵のハリセンが宙を飛ぶ!
「っバカ猿があーッ!!」
下顎にハリセンを食らった悟空は、地面に落下し泥まみれになった。お風呂まだ使えるかどうか尋いてきますね、と廊下に出た八戒は、ガタガタうるさくてムードもへったくれもねえ! と女の部屋を追い出され、不機嫌になっている悟浄を見た。
――ワタシハ アナタノ 千人目。――
ええ、知っていますよ。
――ワタシガ 生カセテアゲタコトヲ、オワスレデスカ? チョゴノウ。――
とんでもない。忘れてなどいるものですか。
ただ、ね。
「……もらったからには、もう、僕のものですよね」
「ああ! 八戒、ずるーい!」
「うるせえぞ、クソ猿!」
「自分の分を先にさっさと食べちゃったのは、悟空ですよ。この肉まんは、僕のです」
「でもでもでもおー! 半分! ね、八戒、半分ちょうだい!」
「……もう、しょうがないですねえ」
「猿を甘やかすな、八戒!」
「やりいー! もーらった! もう返さねえもんねえーだ!」
夕べの雨は嘘のように明け方には上がった。
悟空が買った大量の傘は、宿屋に寄付と称して押し付けてきた。
――聞こえる声は、多分、消えない。見える闇も、なくならずとも。
「……ところで三蔵、三蔵の方がイイ、って言ったら、どんな答をくれるんですか?」
チャキ、と静かに銃口は八戒を向く。
「……あははは、やだなあ、冗談ですって」
安全の為、運転者に銃口を向けるのはご遠慮下さーい。
八戒の軽口と、三蔵のフン、と吐き捨てる息、半分の肉まんを取り合う悟空と悟浄の騒ぎを後ろに置き去りに。
ジープは軽快に、砂埃を蹴立てて走る。
終