「王子様の憂鬱」

・1000番をゲットしたかたせ氏のリクエストです。最遊記の紅孩児をネタに1本。
 ……気に入ってくれたかな?(笑)>かたせ
(※独角ジのジがなかったので、形の似た文字を当てています。ご容赦。)
(※基本的に「最遊記」を御存知の方向けに書いております。為に世界観や人物の描写は省いておりますので、悪しからず。)

「ここだけ劇場」へ戻る


「……にしても、ひでえ砂嵐だったな」
 それは竜巻と呼んでもいい程だったかもしれない。異常に気付き、逸早く飛竜でそれの進路から遠ざかったのでなければ、巻き上げられた一面の砂色に視界を奪われ、良くても道を失い、悪くすれば砂諸共に巻き上げられ叩き付けられ、この砂の海に埋もれたことを誰に知られることもなく、ただ干からび行くのを待つのみだったかもしれないのだ。
 独角兒(どくがくじ)は口の中の砂を吐き、彼の主君を振り向いた。紅孩児(こうがいじ)は、無理をさせた飛竜を労うように、飛竜の首を撫で、翼の根に嵌った砂を叩き取ってやっている。自分の砂まみれの姿には、まるで頓着していない。
 そうしながら、ちら、と砂の平原を眺めやった。独角に背を向けたまま。
「ああ。三蔵一行がこの辺りに来ていると聞いて来たが……もしや奴等も、今の嵐に巻き込まれたかもしれないな」
 その奴等を襲って、経文を奪い取ろうとしている男の口調ではない。明らかに敵であるはずの一行の安否を気遣っている言い方に、独角はぷっと吹いて、それを紅孩児に聞き咎められた。
「何だ。何がおかしい」
「……いいや、何でもねえよ、紅(コウ)」
 空惚ける独角の口笛に目を眇め、紅孩児はしかし追及を止めた。
「どうした? 紅、何見てやがる」
 紅孩児のするように、独角も砂の地平に目を凝らす。それは確かに、見慣れた影のようだった。
「……おいおい」
 独角は呆れたのだ。何せ、向こうから走ってくる連中は、こちらを認めて、嬉しそうに手を振っているのだから。
「―――おおおーい、こーがいじいー。」
 中の一匹が、跳ねるように駆けて来る。
「ええっと、どっかくだっけえー? いやほー!」
 見ると、紅孩児もやはりがっくりしている。先頭切って走ってくるのは、猿……もとい孫悟空。その後に、どくがくじさんですよー、悟空ー、と猪八戒、少し遅れて、あー下僕(げぼく)で十分だ下僕で、と面倒臭そうに沙悟浄が続く。
 気が付いた。三蔵法師がいない。
「あは! お前ら、砂嵐に巻き込まれたろ? よく無事だったな!」
 間近まで駆け寄り、にぱっと笑う石猿に、紅孩児は不審に尋ねた。
「おい。三蔵はどうした」
 途端に、悟空の表情が曇る。悔しそうに顔を歪め、俯いた。追い付いた八戒も悟浄も、それぞればつが悪そうに、目を伏せる、斜(はす)を見る。
「……どうした?」
 紅孩児は再び尋ねる。ただ事ではない。これでは三蔵一行と呼べないではないか、いやそんなことでなく。
「……ちくしょう」
 悟空が呟いた。
「やっぱ、俺も肉まん買いに、ついてくんだった」
「……は?」
 紅孩児の声を無視して、連中は話し始める。
「腹へったよう!」
「そうだな。賭けに負けたからって、あいつが素直に買い出しに行くつった時に、おかしいと思って良かったんだ」
「そうですねえ。悟空、これはやっぱり、我が儘のお仕置きですね」
「ええ! 俺かよ?! だって俺ほんとに、余計には食ってないぜ!」
「ああくそ、あいつのカードがなけりゃ、俺たち一文なしだもんなあ」
「余計じゃなくても、悟空は普通より食べるんですから」
「そんなこと言ったって!」
「……おいちょっと待て」
 口を挟んだ紅孩児を、悟空はぱっと振り向いて。
「あ、そうだ紅孩児、お前、三蔵見てない?」
「み、……見てない」
 三蔵はどうした、と尋いた相手に、間抜けな質問だ、という感想は、暫く経ってから浮かぶことになる。
「そっかー。……じゃあさ、俺たち、あっちの村の宿屋にいるからさ、もし三蔵見かけたら、教えてよ。じゃあな!」
 悟空が指差した方向へ、お騒がせしました、とお辞儀をして、んじゃあねえん、とウインクを寄越して、それぞれが駆け去っていく。ゆっくり歩いていられる水も食料もないのだろう。半ば唖然と見送って、紅孩児は口を開いた。
「……敵に居場所を教えておくというのは、どうなんだろうな?」
「ううん、まあ……」
 独角とて、他に感想がない訳ではない。敵を目の前にして、一戦も交えずにこやかに去るに任せたことについては、きっと「三蔵の経文がなくては、争う理由がない」と紅孩児は言うに決まっているのだ。
 本当の心中は知れたものではないが、紅孩児は溜め息を吐くと、「行くぞ」と独角を促して、飛竜の背に乗ろうとし……
「ん?」
 飛竜の足の下に、黄色い着物の袂を見付けた。
「紅?」
「今の嵐で、誰かが埋まったようだ」
 答えながらも、飛竜を退かせた紅孩児は膝を着き、どんどんと砂を掘る。紅孩児に並んで手伝いながら、埋まっている人物の着物が半分露になったところで、独角はぎょっとした。横を見る。紅孩児も気付いている。
「……おい、紅」
「いいから掘れ」
 果たして、砂の中から現れたのは、気を失った玄奘三蔵、その人であった。
 つい先程まで足下だった場所を見ながら、思案する。
「……どうするよ。思い切り踏んじまったぞ」
「……そうだな」
 後が怖い。
 紅孩児はすくと立ち上がった。
「独角、八百鼡(やおね)を呼べ」
 彼らが薬師・八百鼡。踏んだ分の手当てはしておこう、ということらしい。

 そうして、紅孩児と独角の取った宿の部屋に、八百鼡とそれにくっついて李厘(りりん)がやって来た。
「怪我は大したことありません。砂にやられて、酸素不足で気を失ったんでしょう」
「そうか」
 ベッドに横たわる三蔵の肩に経文はない。砂まみれの着物と一緒に、李厘が外で叩いている。
「げほ、お兄ちゃん、埃、叩いて来たよー」
 咳き込みながらドアを開ける妹を、紅孩児は労う。
「すまんな」
「紅、あいつらに教えるのか?」
「……」
 独角は軽く吹き出す。
「何悩んでんだ。そのつもりでこっちの村に来たくせに」
 じゃ、あいつらの宿、捜してくるぜ、と紅孩児の肩を叩いた時に、
「ん……」
 三蔵が、目を開けた。
「!」
 紅孩児の気が瞬時にして、ぴんと張り詰める。戦って経文を取る、一番わかりやすい図式を紅孩児が選ぼうとしているのは、すぐに見て取れた。
 だが。
「あっ、気が付かれましたね」
 三蔵は、声をかけた八百鼡をゆっくりと振り向いて、眉を寄せた。しかしそこに攻撃の意志は見えない。
「わはっ、さ・ん・ぞー! 起きた?」
 ベッドに飛び付く李厘を不思議そうに見て、
「……さんぞう?」
 と怪訝に尋ねた日には、紅孩児も、独角も、目を見開いたものだ。当代の高僧は、普段の毒のかけらも見せず、上半身を起こし、静かにこなたを見回して。
「……あなた方は?」
「まっ……まさか……」
 紅孩児の呟きに被って、李厘が叫ぶ。
「ねえ、コレ! コレ、三蔵のだよ?!」
 李厘の差し出す着物と経文。
「俺の……? じゃあ俺は、僧侶なのか?」
 八百鼡は口に手を当てる。李厘は泣きそうに口をひしゃげる。独角は額に手を当て、紅孩児を見た。
「……なんてこった」
 冷静になれば、彼らが困る道理はどこにもないのだ。経文を頂いて、三蔵は捨てるなりしてさっさと立ち去ればいいだけのこと。だが紅孩児は、呟いてしまうのだ。この大事なはずの経文を、まるで自分のではないという顔で眺める敵将を前にして。


 悟空は、口を開いたまま、固まってしまった。八戒は、眉をハの字にして、困りましたねえ、と一言言ったきり。悟浄は三蔵を一頻りじいーっと睨んだ後、耳をポリポリと掻いて、三蔵以外の誰かをちらちらと交互に見ていた。
「……いつもの三蔵じゃなあい」
 とうとう悟空は泣き出した。八戒が慌てて悟空を宥め出す。
「ああ、泣かないで下さい。そりゃ、怖い気持ちはよくわかりますけど……」
「……で? おたくら、経文とってトンズラしようと思わなかったワケ?」
「騙すような手は気持ちが悪いと王子様は仰せでね」
「なある」
 苦笑する独角の答に、悟浄は納得を示す。独角に知らせを受けて到着した三人を、三蔵はしげしげと見ている。そのまるで邪気無さげな視線に悟浄は耐え切れず、あちこちと目線を彷徨わせているのだが。
「……なんつーか。ま、確かに、すっげーレアだけどね……ある意味、キビシイっつーか」
「いつもの三蔵じゃなあい」
「はいはい、泣かないで下さい」
 君たちが俺の仲間なのか、すまない、迷惑をかける。やって来た悟空たちに、軽く頭を下げ、三蔵はそう言っただけである。にも関わらずのその後の連中の反応を見るにつけ、三蔵は尋ねずにいられなくなったのだ。
「いつもの俺とはどんなだ?」
 涙ながらに語るのは悟空。
「そりゃあ、バカ猿、たばこ買ってこい、うるせえ、コロスぞ、つって、ハリセンでバンバンぶったたく!」
 微笑んで懐かしげに回想するのは八戒。
「そうですねえ。言っても言っても空き缶を灰皿にするし、寝たばこは止めないし、天上天下唯我独尊にオレサマって振り仮名つけてるお方ですねえ」
 頭を掻いてうざったそうに申告するのは悟浄。
「拳銃振り回すわ、ハリセンぶん投げるわ、人をパシリにこき使うわ、んもう、生臭くってしょうがねえってカンジ?」
 三蔵は眉を寄せ、隣の紅孩児を振り向いた。
「……俺は僧侶だという話だが?」
「僧侶だ」
 三蔵の見る目は不信だ。だが紅孩児に責任はない。
「……だから、俗に言う生臭坊主という奴だろう! 俺に言われても、だな……」
「三蔵とは、かなりの高僧という話ではなかったか? それが生臭なのか?」
「俺は知らん! おい独角!」
「いっ?! お、俺か?」
 紅孩児と独角が困っている間に、八百鼡は八戒の質問に答えている。
「ええ、多分、酸素が足りなくて。脳の神経が一部、おそらく接触部分が破損したか何かで、連絡がうまくいっていないんだと思います」
 すかさず悟空が割って入る。
「え? なに? なに?」
 八戒の答は、間違ってはいないのだが。
「だから、三蔵の頭が、ほんの少し、壊れちゃったんですよ」
 悟空は泣き声で、叫ぶのだ。
「えええーっっっ?! 三蔵、バカになっちゃったのおーっ?!」
「うーん、そうですねえ」
「な、治るの?! 治んないの?!」
「さあ、なんとも……」
 悟空は八戒にしがみつく。
「うわーん、三蔵、治してよおーっ! このまんまじゃ、俺、怖いよおーっ!」
「そうですねえ……本当なら、これで普通っていうのが、正しいんでしょうけどねえ」
「治さねえ方がいいんじゃねえかあ? マトモなお坊さんになったんだぜえ?」
 悟浄の意見に、悟空はぶんぶんぶんと横に首を振る。
 李厘は八百鼡にすがりつく。
「八百鼡ちゃあーん、さんぞー治してよーっ!」
「はい……でも、うまく行くかどうか……」
「えっ、治るのっ?!」
 全員がはっとして八百鼡を見た。
「要は、接触不良の部分を治してあげればいいんですから。破損した神経を復活させる薬を投与して、不足した酸素を補ってやれば……あとは、神経と情報が戻るに必要十分な刺激、ですね」
「酸素?! 酸素がいるのかっ?!」
 悟空は叫んで、飛び上がる。
「酸素って、空気だよな?!」
 八百鼡の説明で悟空が理解できたのは、そこだけなのだ。
「は、はい」と半ば圧されて実は正確ではない答に八百鼡がうなずく頃には、悟空は三蔵にぐっと掴みかかっていた。
「よしっ! 酸素だ! 三蔵、吸えッ!」
「えっ?!」
 叫んだ三蔵だけでなく、その場の全員が息を飲んだ。悟空の行動に、赤らんで、あるいは、青ざめて。
 ぶううううううううー! と音を立てて、悟空は三蔵の口に、自分の呼気を吹き込んだのだ。
 ひどい呪いにでもかけられたかのように、誰もがそれから目を逸らせないまま。紅孩児は八百鼡に尋く。
「投薬……したのか?」
「いえ……まだです……」
 もっともらしいが、やはりどこかずれているのだ、その質問は。
 肺停止している者にはそれは有効な人工呼吸ですが、意識のある者にはかえって危険、だから起きているんだから呼気を吹き込むより自分で吸った方がこの場合酸素の含有率は……そんな無意味な説明が、八百鼡の脳裏に過ったとか過らないとか。
 ぶうー、ぶうー、と繰り返し息を吹き込む悟空を、きっと誰もが、自分以外の誰かが止めてくれと願っていたに違いない。あんぐりと口を開く八戒より、吐きそうになっている悟浄より先に、動けるようになったのは三蔵だった。
 ぴくりと、三蔵の手が動く。気付いて「あっ」と言ったのは八戒だった。
 どこから出したものか、三蔵がその手に握っているものは!
「……何しやがる、このバカ猿があッ!!!」
 スパアアアアアンン!!!!!
「……ああっ、いけない悟空、殺されますよっ……て、言おうとしたんですが……」
 間に合いませんでしたねえ、と八戒は笑う。
「……三蔵っ?!」
 悟空は部屋の隅まで吹っ飛び、尻もちを着き、壁に背中をぶつけて叩かれた頭を抱えながら、それでも涙目で呼ぶ声は、明らかに嬉しげだ。
 三蔵は鬼のような形相で、つかつかと悟空に歩み寄る。ぶんっとハリセンを振り上げて、怒鳴りながら、幾度も幾度も、悟空を殴り付けた。
「……気色悪いことすんじゃねえッ! 何考えてやがんだこの猿がッ!! バカ猿ッ! バカ猿ッ!」
 ハリセンの音が響く中、ようよう呪縛の解けた独角が尋ねる。答えたのは悟浄。
「……おい、止めなくていいのか」
「必要ねんじゃねえ?」
 バカ猿、と殴られながら、悟空は「ああああ、さんぞーだあー!」と笑っている。
 八戒は微笑みながら、それでも止める方に賛成をした。
「そうですねえー。そろそろ止めないと、悟空がアブナイ方向へ目覚めかねませんしねえー」
「……そりゃお前と同じ趣味ってか?」
 ニヤリと笑った悟浄に返されたのは、八戒の無言の極上の笑み。悟浄はさっさと敗北の意思表示に、目を逸らせた。
「……連れて帰ってくれ」
 情けない声で哀願したのは紅孩児で、三蔵はその声にようやく悟空を殴るのを止めた。「……世話をかけたな」無表情でそう言うと、三蔵は悟空の襟首を掴んで持ち上げた。


 李厘は八百鼡と一緒に帰るのを、駄々をこねて嫌がった。
「いやだーっ! もうちょっと遊ぶー!」
 しがみ付くのが三蔵の着物なのだから、どうにも呆れた妹だ。
「三蔵! 俺が、治してやったんだからな!」
 李厘の反対側には、悟空がへばり付いている。おやつの約束を取り付けるまでは、離れないと主張していた。
 自分のポカだと、三蔵はわかっているのだろう。だから今一つ、李厘と悟空に強く出られない。バトルどころか、「世話をかけた」と言ったきり、紅孩児にも何も言わない。紅孩児にしたところで、恩を売る気にもなりはしない。
 結局、お子様のどちらも三蔵を放しそうにないので、八百鼡と李厘も途中まで三蔵一行と共に行くことにした。
 見送りながら、虚脱状態の紅孩児と独角兒。
「……何も言うなよ」
「言わねえよ。毒気抜かれたのは俺も同じだ」
「……李厘にも困ったものだ!」
 敵に塩を送るだけ送って行かせてしまったことを、妹のせいにしている。独角はぷ、と吹いて、紅孩児に睨まれた。
「何がおかしい」
「いや?」
 で、どうするよ、と紅孩児に問う。見送った今これから、まさか三蔵一行を捜して経文を奪い取る、というのも間抜け過ぎる。
 紅孩児は黙り込んで、ふいと独角に背を向けた。
「紅?」
「李厘に土産を買う。今回は、あまり遊ばせてもやれなかったからな」
「……」
「行くぞ!」
 掛け声だけは、三蔵殺害に向かう時と同じである。独角はふるふると震えながらついて行く。大笑いを堪えているのだと、彼の主君の為に、なるべく、とりあえずは、気付かれないように。
「……何がおかしい?!」
「……ぶわっははははははは!!」
 真っ赤な顔で振り向く主君に、独角は大笑いで返事した。




「ここだけ劇場」へ戻る