「仲良くなんかしたくねえ」

・ノベルズ用に書き下ろしたにもかかわらず、当時の編集さんの計算違いで外されちゃったエピソード。次の雑誌に載せますからと言われるも出版社が潰れちゃって日の目を見ずにいた、『仲良きことは、』第5話。これを出す為に1~4話とお付き合い頂きました。さーいってみよーかあー。

「ここだけ劇場」へ戻る


 夜中の二時だってのに、家の電気が点いている。クソババアが起きてやがるな。
「顕(あきら)、帰ったのかい」
 玄関の鍵も開いていて、俺が中から錠を下ろす音を聞いたババアが玄関に出て来る。
「二時だぜ。とっとと寝ろよ」
「……あの娘さんが帰っちまってから、また夜遊びするようになったねえ」
「……うるせえな。その口引き裂くぞ」
 台所のテーブルに、俺のじゃねえタバコの箱が見えた。
「――なんだ。男が来てたのかよ」
「花井さんはお前を心配して待っててくれたんだよ」
 フン。高いタバコ吸いやがって。
「待ってて説教でもくれる気だったのかよ。聞いてなんかやらねえけどな」
 俺はテーブルの上のタバコを掴んで自分のポケットに突っ込んだ。拾ったもんは俺のもんだ。
「顕、賢一おじさんがねえ……」
「深見のおっさんの話なんか聞かねえぞ! あの説教じじい」
「ってお前、明日も稽古に行くんだろう? 母さん、見に行ってもいいかねえ」
「――冗談じゃねえ! 来んな! 絶対来んな! 来たらぶッ殺す!」
 あんなみっともねえとこ、見せられるかよ! おっさんにいいようにされっぱなしで……ちくしょう、それもこれも

 本間のヤローのせいだ!!



「顕、いい加減他の門下生と一緒に稽古を受ける気にならんか」
 なるかよ。クソったれ。
「お前一人の為に本来は閉めている時間に、こうして道場を開けている訳だからな」
「俺ァここの門下生じゃねえよ」
「だから入門せんか?」
「入門したくねえっつってんだ、頭悪ィな。みんな仲良く一緒にってか? お遊戯じゃねえんだよ」
「それにしちゃあお前のレベルはお遊戯から進まんなあ」
「……ッ!」
「そんなことじゃいつまで経っても聡一くんには勝てんなあ」
「るせえんだよ! おら、とっとと始めろよッ!」
 ったく、どいつもこいつもムカつくぜ! おっさんも、クソババアも、本間も! やっぱりどいつよりも本間だ。あいつに会うまでは、それなりに楽しくやってたはずだ。仲間と騒いで、ケンカして勝って(勝つから面白えんだケンカは!)、美人とよろしくやってりゃよかったんだからよ。仲間でモメたりよその奴とやり合っても、大して頭に来てた訳じゃねえ。ひっくり返る程気持ちよくもねえかわりに、腹わたが煮えくり返ることもなかったんだ。
 あのやろう、本間に会うまでは!
「集中力が足らんぞ、顕!」
 るせえよクソジジイ。腹が立って集中なんざできるか。本間だと思って打ち込んで来いつったのはてめえだろうが。
「大振りするな、無駄な動きだ!」
 ちくしょう、本間め。てめえをぶちのめしてやるまでは、剣道はやめねえぞ。すかしたてめえの面に、一撃くれてやるまでは!
「てっ!」
 おっさんに一撃食らったのは俺だった。ちくしょう、ちくしょう。
「どうした顕、おしまいか?」
「……んな訳あるか!」
 そうだ、あいつがいなければ、舞箏(まこと)は俺のもんだったんだ。舞箏が最初に、学校サボってふらついてた俺を誘ったんだ。自販機の横でタバコ吸ってた俺の顔を、舞箏はいきなり覗き込んだ。すげえ美人だと思った。
(今すぐそのタバコやめてくれるなら、つき合ってもいいけど?)
 俺はつけたばかりのタバコを、舞箏の顔を見ながら指でつぶした。
 ちくしょう。
 本間が、舞箏の学校にいやがったんだ。生徒会長だか学級長だかの本間が、よろしくやってた俺と舞箏を邪魔しに来やがった。……思い出してもムカつく! あの野郎が棒きれで俺を突き飛ばしやがって、ちくしょう、舞箏が本間に惚れちまった!
「集中せんか!」
 おっさんに面を食らってしまった。
「い……ってえな! てめえ本気で打ち込んだろ!」
 面をつけてたって痛えもんは痛え。しかもおっさんのマジ打ちは並じゃねえ。
「雑念を散らしてやったんだ! さあ十分経ったぞ。約束通り、俺に一本も打ち込めなかったからには、今日もみっちり基礎をやるんだな」
「……わかったよ」
 くそ。本間のせいで今日も基礎だ。竹刀を放り投げて面を外そうとすると、「道具を大事にせんか!」とまたおっさんに竹刀で頭をぶたれた。
「てえな、バシバシバシバシ、いちいち殴んじゃねえよ」
「お前は痛い目見んと覚えんだろう。聡一くんぐらいに頭が良ければ、一度言えばわかってくれるが」
 ……ムカつく!
 防具を外して道場の隅に置く。おふくろが覗いているのが見えた。
「――クソババア!」
 ドアを思い切り開く。覗いていたおふくろはびっくりして飛び上がった。
「や、姉さん」
「来んなつっただろが! 何見てやがんだ、見てたのかよ?!」
「ご、ごめんよ、お前が頑張ってるところをどうしても見たくて……」
「るせえクソババア! てめえなんざ家で男連れ込んでりゃいいんだよ!」
 ムカつく! ムカつく! やってられっか!! 弱っちい不良なんざ、カッコ悪くてしょうがねえ。
「お前が嫌なら再婚なんかしないよ。あ……顕、ごめんよ」
「こら顕! 基礎は欠かしちゃいかん!」
 クソババアもおっさんも知るか。俺は袴をはいたまんまで外へ出た。ちくしょう、こんなだせえ格好でいたかねえが今道場に戻る気もねえ。これも全部本間のせいだ。
 ……本間。
 俺の足は本間の学校に向いた。



 ケンカを売るには手振らだということに学校に着く頃気が付いたが、何構やしねえ。素手で殴り倒したっていいんだ。……ちっと、おっさんに剣道教わってる意味がねえけどよ。
 校舎についてるでかい時計はもうじき四時を差す。本間は部活の最中だろう。グランドに入って行くと、野球部の連中が俺を見るなり逃げた。俺も顔が知れたもんだぜ。手近にいた奴を捕まえると、そいつは情けねえ声を出した。……ああ、見たことあるぜ。そういやこいつの腕を折ったっけな。
「おい、本間聡一を呼べ」
「ははははい……は放して……」
 ちびりそうなぐらいにびびってやがる。こういう奴はもうちょっと苛めてやりたくなるってもんだ。
「おめえ、俺に腕折られたんだったな。もうくっついたのかよ? おんなじとこ折れたら、治りはどうなんだろうなあ。ちっと試したくなったぜ。結果教えろよ」
「うっうわあ」
「よせ!」
「キャ……キャプテえン……」
「うちの一年を放せ!」
 泣き出す寸前の一年坊主はもうちょっと放してやらねえ。精一杯つっぱってるがキャプテンさんよ、もうちょっと近付いて来たらどうだ。
「なんだ。てめえが代わりに折られんのか? 折れるのは痛いぜ、なあ一年坊主」
「い、痛いです……」
 お、泣いたな。よし放してやろう。
「おい一年、本間連れて来い」
 突き放すと一年は見事にすっ転んだ。そいつが立ち上がる前に、キャプテンの奴が俺に言う。
「本間くんから言われてるんだ。君が来たら格技館に連れて来るように」
「……あ?」
 格技館? 何のつもりだ本間の奴。
「こんな風に他の生徒を巻き込むのを避ける為だ。俺が案内する。来てくれ」
「……何で俺が出向かなきゃならねえんだ」
「学校(ここ)まで出向いてるんだ、そう変わらないだろう」
 ……この野郎もムカつくな。
「キャプテン危険です、危ないです!」
 やっと立ち上がった一年がわめく。
「大丈夫だ。守備練習の続きをしててくれ」
 決めた。こいつも無事じゃあ帰さねえ。
「言っておくが、うちの生徒に何かしたら、本間くんが黙っていないぞ。うちの会長はそういう人だ」
「……」
 本間が恐い訳じゃねえぞ。あんな奴恐かねえんだからな。
 グランドを突っ切って、校舎の裏を回って行く。
「あそこが格技館だ」
「……そーかよ」
 あそこに本間がいるのか。格技館に入る前にこいつを殴って、と思ったら、てめえいきなり走り出すんじゃねえ、身の危険を感じたな。
「剣道部、野球部の大田だけど、本間くんは」
 格技館のドアを開けるなり中に叫んでやがる。早いとこ俺を引き渡したいって訳かよ。
「えっ……ああ、そうか」
 何を言われたか知らねえが、奴め、こっちを困ったように振り向いた。
「なんだよ」
「……とにかく中に入ってくれ。じゃあ」
「あっおい、てめえ」
 やろう、逃げ足の速え奴だ。野球部で球から逃げる練習ばっかしてんじゃねえのか。しょうがねえ、目的は本間なんだ。俺は開いてるドアから格技館に入った。
 ……が、本間のムカつく姿がねえ。
 じろりと中を眺め回したが、本間以外の剣道部の連中が、練習を止めて俺の方を見ているだけだ。逃げ出さねえってのも、ムカつくな。
「……本間はどこだ」
「主将は生徒会役員会の最中だ」
「……ああ?」
 答えた奴を睨む。
「役員会だあ?」
「俺は副主将の水津(みずつ)だ。こういう事態の指示は受けてないが、主将に用なら待ってもらう他ないな」
「……呼んで来いよ」
「会長が生徒会を放り出して君の相手をする訳にいくもんか。待てないなら帰ってくれ」
 ……剣道部ってのはムカつく奴しかいねえのか?
「練習再開だ。打ち合い始め」
 副主将のヤローの声で一斉に竹刀の音が鳴り出す。……面白くねえな。
「……帰ってもいいけどよ。つまらねえから目についた奴がどうなるかは保証できねえぜ」
 何人かが打ち合うのを止めた。
「集中しないか!」
 副主将がおっさんみてえなことを言ったが、あんまり効いてねえ。やっぱり下っ端の奴らはびびってんじゃねえか。フン。
「……じゃあ待たせてもらっかな。誰か相手してくれよ。おいそこのチビ」
「えっぼボク」
 手前にいた一番チビの奴を呼ぶ。
「びびんなよ。話だ話。俺ヒマでさみしいからさあ、話し相手になってくんねえかなあ」
「よせ、話なら俺が聞く」
「てめえじゃねえんだよ、二番。なんだ逃んなよ、何もしねえって、な」
 チビ助に肩を組んで壁際に連れて行く。
「おい!」
「マジで何もしねえよ。てめえらは竹刀振ってろ」
 すっかりびびって逃げ腰になってるチビの肩を組んだまま押さえるように一緒に座る。びびり具合からしてこいつも一年坊主だな。顔を近付けると目を瞑って逃げようとする。歯まで食いしばってるぜ。
「……本間ってのはどんな奴だ」
「……え?」
「本間だよ」
 チビは目を開けてポカンとした。話だってのに、信じてなかったな。ま、ムリねえが。
「本間……主将ですか」
「話してくれりゃいいんだよ。何でもいいからよ」
 何でもいいと言われて、チビは目をきょろきょろさせた。
「剣道部の、主将ですけど」
「んなこたわかってんだよ」
 ヤキ入れたろかこのガキ。
「南丘高の生徒会長で、二年四組の学級長で……」
(……ん?)
 びびってたチビの顔が、にぱっと笑った。
「それで、すごく強いんです」
 ……思ったよりいい度胸じゃねえかこのガキ。
「強いけど弱いもの苛めなんか絶対しなくて、生徒(ぼくら)を守ってくれるんです」
 このガキ俺にケンカ売ってんのか。
「頭も良くて……冷たそうだけど、ほんとはやさしい人なんです。ボク知ってます。一人で残ってなくちゃいけないことがあって心細かったけど、本間先輩がそれとなく残ってくれてて。すごくうれしかった。あ、中学の時の話ですけど」
(……このチビ本間に惚れてんのか?)
 もうびびってる様子なんかどこにもねえ。
「本間先輩は中学でも生徒会長でした。だって頭もいいし人望もあるんだから、当然ですよね。人気もあって。でもあの通り恐そうな人だから騒ぐ人はいなくて。……ええと、別にだからどうとかじゃなくて……」
「崎野(さきの)、お前の番だ。代わるから稽古に戻れ」
「あ……す、すみません」
 チビは真っ赤になって俺の横から逃げた。目でチビを追いながら俺は言った。
「てめえより今のチビのが可愛かったのにな」
「……崎野は主将に憧れて南丘(ここ)の剣道部まで追っかけて来た奴だから、いい話しか聞けなくて残念だったな」
 副主将の奴は笑ってるようだ。さっきみてえな険はねえ。
「可愛くない俺でよければ話を続けるけど」
「あ?」
「本間主将のことだろう。『敵を知る』ということか? でもあまりケンカに役立つ情報は出せそうにないな。主将があんまり強いとわかって、君のやる気がなくなるくらいだ」
「……奴が強えのはわかってんだよ」
 ケンカで負けたことのねえ俺が、勝てねえんだ。だからムカつきながらも、剣道なんぞを始めたんじゃねえか。
「その格好は、ここに来るつもりでしてきたのか?」
 自分のだせえ格好を思い出した。
「るせえよ。話を聞くのは俺だ」
 奴はムッとしたらしい。構わず俺は話を戻す。
「本間は剣道始めて長えのか」
 おっさんの道場には学生はもちろん大人も通ってる。そこで師範代するくらいの奴だ。始めたばかりの訳がねえ。
「詳しくは知らないが……確か主将のお兄さんが剣道をやっていたはずだ。その影響で始めたと聞いたことがある」
 ……本間の兄貴か。あの、いかにも人の良さそうな面の、か。
「俺が剣道を始めた中一の年には主将はもう中学ナンバーワンだったから、もっと早く始めているはずだ。同じ年でこんなに強い奴がいるのかと、あの時はびっくりして感激した。今よりずっと小さくて華奢な体をしていたんだ。どこからあんな強烈な一撃が出て来るのかと思ったよ」
 ……剣道部(ここ)は本間のハーレムか?
 ムッとしていたはずの奴が、昔の本間を思い出してうれしそうににやついてやがる。こいつもさっきのチビ同様、本間のおっかけで同じ高校入ったんじゃねえのか。
「武道の上級者の動きは機能的できれいになる。鍛錬されて無駄がないから、主将は強いし動きもきれいだ。同じ高校に入ってわかったけど、主将は誰より練習熱心なんだ。もともとの素質に甘えたりしないで、自分を鍛え続けてる。強くなるのは当たり前さ。ほら、主将とやる気なんか、なくなっただろ?」
「なくなるか、間抜け」
 間抜けと言われて、また奴はムッとした。本間が強いのはこちとら重々承知してるんだ。本間がいつ剣道を始めたかと聞いただけなのに、てめえののろけ話なんざ聞かせやがって。……まあ、本間はキレイな面はしてやがるが。
(……う)
 本間の野郎が熱で倒れてた時のことを思い出しちまった。
 奴だと気付かないくらいキレイな顔して寝てやがって、熱で熱くて、無防備で……
(――ちくしょう、何で勃つかな)
「どうした?」
「……るせえな。てめえののろけ話聞かされてうんざりしたんだよ」
「の、のろけ?」
「本間が美人でうっとりしたって話だろが」
「な……」
 馬鹿みてえに大口開けて、おっかけ二号は黙り込んだ。俺を睨んで怒鳴り出す。
「な、何を聞いてるんだ! 誰がそんな話をした!」
「ムキになんなよ。本間は黙って目ぇ瞑ってりゃ美人なんだから」
「何が……まさかお前、主将をそんな目で見て……」
「俺の好みは違ぇよ。おめえの好みは本間か?」
「……下品な奴め!」
 そうかよ、てめえや本間は上品だよな。
 ちっと下半身が反抗するが、いくら美人でも本間は願い下げだぜ。俺の好みは、やっぱ……
「あっ主将!」
 さっきのチビが叫んだ。見ると、開いていたドアんところに本間がいる。何だか意外そうな顔で俺を見やがって、こう言った。
「……ほう、大人しく待っていたのか」
「えっなに、あれっ顕じゃん」
 舞箏!
 俺の好み、俺の舞箏が、本間にくっついて現れた。
「……ってめえ、女連れで役員会行ってやがったのか?!」
「? 伊部くんは役員ではないが」
「顕、俺男」
 ムカつく、めちゃくちゃムカつく! すかした顔しやがって、てめえその口で舞箏は自分のだつったよな?!
「主将、こんな下品な奴の言うことなんか相手にすることはありません!」
 頭に来てるらしい副主将がわめく。ちくしょう、俺だって<き>てんだよ。こんな野郎、何で一遍でも犯りてえと思ったんだか!
「なに、顕入部したの」
「……伊部(いべ)くん、どうして他校の生徒が入部できるんだ」
「じゃ、また本間くんに負けに来たの」
 ……そりゃねえだろう、舞箏。
「……わかった。相手をしよう」
 本間は持ってたカバンを床に置いた。
「いつもの得物はどうした」
「……素手で十分なんだよ」
 笑いやがったな、本間め!
「木刀という訳にはいかんが、竹刀なら貸すぞ。練習着がさまになってきたじゃないか」
「……ムカつく野郎だな、てめえは!」
 本間はその場で裸足になった。
「これ以上待たせるのは申し訳ないからな。俺はこのまま相手をするが、防具を着けるかね?」
「剣道の稽古じゃねえ!」
「……ああ、そうか」
 なにが「ああ、そうか」だ、俺はけんかしに来てんだぞ!
「すまんが暫く部活の邪魔をする。離れたところで稽古を続けてくれて一向に構わんからな」
 部員にそう言うと、本間は学ランを脱いで竹刀を取った。一本俺に渡す。
 ……剣道じゃねえんだからな。
 本間から受け取るなり、俺は竹刀で本間に殴りかかった。
「ッ卑怯だ!」
 チビが叫ぶ。
「ケンカだつったろ!」
 本間は身を引いて一撃を竹刀で受けると、下げた足で俺の足を払った。
「わっ!」
 バタッと床に倒れた俺に本間が言う。
「ケンカなんだろう?」
「……てんめえ」
 周りのギャラリーがポカンとする中、本間は竹刀をすいと構えた。
 ちくしょう。こいつが構えちまったら崩せねえ。本間のテンポにはまっちまった。くそ、やっぱり剣道するしかねえのかよ。
「……」
 立ち上がって俺も竹刀を構える。
「だああ!」
 上段から打ち込むが、本間は軽く竹刀で弾いた。
「脇が甘い」
「んだと!」
 深見のおっさんみてえなこと言いやがって、師範にでもなったつもりかよ!
「だあッ!」
「脇だ」
 打ち込んだ俺の脇に本間の竹刀が当たる。しかも軽く、だ。
「ってめえどういうつもりだ!」
「攻撃に気が行きすぎている。だから簡単に胴がとれる」
「師範かてめえは?!」
「いや。師範代ではあるが」
 ムカつく! ムカつく!! おっさんの代わりだとでも言うのかよ?! ああそうかよ、てめえは偉えよな!
「……ちくしょう、やってられっか!!」
 俺は竹刀を投げつけた。
「竹刀を投げるな」
「うるせえ!」
 ちくしょう、どいつもこいつも!
「舞箏、ムカついてんだ、つき合え」
「やだ」
 ……即答しやがったな?
「本間くん、俺ちゃんと断ったからね」
 なに本間に報告してやがんだ!
 ……そうだこいつら、あれからどうなったんだ? 舞箏が家出するまでは、<まだ>だったみてえだが……そういやあれから二人揃ってんのを見るのは初めてだ。特に舞箏が泣いてる様子もねえ。
「……おい本間、つき合え」
 舞箏と本間がこっちを見る。
「稽古なら構わんが」
 すかした顔(ツラ)で転がってる竹刀を指す本間に、俺はげんなりした。ちくしょう、やっぱり稽古のつもりでいやがった。
「そうじゃねえ。話があんだよ」
「話?」
「聞くことありません主将!」
 あっ……こいつ。割って入った副主将は、俺をクソだとでも思ってるような顔をした。
「どうせ下品な話です!」
「るせえな、本間がアイドルだってのはよくわかったから、てめえは勝手に心配してろ!」
「アイドル……?」
 わからなそうな本間に説明してやる。
「こいつはおめえのケツの心配してんだよ。俺ァ好みが違うつったんだけどな」
 全員が青ざめる。副主将は何だかバタバタした忙しい訳のわからねえ動きをしていた。
「……君は水津くんと何の話をしたんだ?」
「てめえが剣道部のアイドルだって話だよ。水津はおめえのおっかけだ」
「ち、違う! 違います主将!」
「違うかよ」
「違う!」
 本間は頭でも痛そうな顔をして、力(リキ)入れて否定する副主将に言った。
「……いい、水津くん、気にするな。俺は少し外で話して来るが、水津くんに後を頼む」
 副主将の奴はまだ少し何か言いたそうだが、本間にああ言われると何も言えねえんだろう。
「あっ本間くん、俺は?」
 舞箏が本間の腕を捕まえる。ちくしょう、目の前でじゃれるんじゃねえ。
「君は帰って踊りの稽古をしろ」
 踊り?
「ええー、せっかく役員会終わるの待ってたのに。本間くんの貞操が心配だから俺もついてく」
「……何でそういう話になるんだ?」
 本間の呆れた声に続けて俺も言う。
「舞箏。俺ァ本間よりよっぽどおめえがいいぞ」
 本間は俺を睨んで、舞箏は俺にベロを出した。ちっ、その舌吸ってやろうか。
「しょうがない。顕、本間くんに手ぇ出したら許さないよ」
 ……キスしたつったら殺されそうだな。
(いや、あれは熱で倒れた本間に、口移しで薬を)
 ……飲ませる前にも、やっちまってたか……
 本間は脱いだ学ランを着て、もう格技館を出るところだ。舞箏もくつを履いて、ぽつりと言った。
「つまんないから、野原くんの邪魔しに行こうかな。柔道部って校舎の四階だったよね」
「大人しく帰りたまえ!」
「あはは、本間くんコワーイ」
 舞箏は本間より先に格技館を走り出た。
「……全く」
 困ったもんだ、てな顔をして本間も外に出た。俺もくつを履く。後ろから部員の声がした。
「伊部くんといい、最近主将の周りに変わった人増えたよな」
 振り向いてみたが、どいつが喋ったかはわからなかった。別にケチをつける気もねえが、少しムッとした。
「……邪魔したな」
 俺もドアを出る。そりゃあ俺と本間は全然違うし、きっと舞箏と本間も違うんだろう。きっと本間(こいつ)は、俺とは全然違う育ち方をしたんだ。そうに違えねえ。
 前を歩く本間の背中を見て思う。……ぴんと、背筋が伸びている。きっと、こんな風に育ったんだ。
「このあたりで話すので構わんか?」
 グランドに出る前の校舎の裏で本間は止まった。
「……ああ」
「聞こう」
 さて、俺は何を本間に尋こうと思ったんだったかな。そうだ、舞箏と、……ナニをしたかだ。
「……おめえ、舞箏とやったのか?」
「……」
「舞箏と寝たのかよ」
「……答える必要があるのか?」
 本間の目付きが凶悪になる。何だか知らねえが、睨まれて俺はほっとした。兄弟子(あにでし)面して稽古つけられてた時は、はっきり言って気分が悪かった。舞箏にふられて、奴にズタボロに負けた時よりだ。
「話がそれだけなら俺は戻る」
「おい」
 格技館に引き返そうとする本間を呼ぶ。
「踊りってな、何だ」
「……伊部くんのことか?」
 本間は振り向いた。俺がうなずく。
「帰って踊りの稽古しろっつってたろ。何だ?」
 本間は一つ大きく呼吸した。それから俺に向き直る。
「日本舞踊だ。伊部くんは有名な宗家の跡取りで、子供の頃から鍛えられているらしい」
「へえ……」
 すげえじゃねえか。男が着物着て踊るなんて気持ち悪ィと思ってたが、舞箏なら似合うんだろうな。
「見てみてえな」
 俺はつい笑っちまってた。
「……俺は稽古を見せてもらったが、なかなかのものだったぞ」
 ……ちょっとムカついたぞ。そうかよ、てめえは見たのかよ。どうせ舞箏は俺じゃなくて本間が好きなんだ。くそ、舞箏はもうやったのかよ? やってねえならまだ舞箏は俺のもんだ。ざま見ろ、てめえの知らねえ舞箏を俺は知ってるぞ。てめえがプッツンくる程好きな舞箏を俺はやったんだ。わかってるぞ。評判聞く限りじゃ、プッツンでもしねえ限りてめえが人を半殺しにするこたあねえ。俺に舞箏をとられて、てめえはキレたんだ。
 舞箏が俺に犯られてどんなだったか話してやろうか?
 それとも熱で倒れたてめえに俺が何をしたか、教えてやろうか―――
(―――……)
 俺は本間にムカついてんだぞ。なのに何で勃つ?
 俺はその場にしゃがんで腰を下ろした。袴でよかったぜ、ズボンよりは目立たねえ。
(……いや、今のは舞箏で勃ったんだ。本間の寝顔を思い出したからじゃねえ)
 何のつもりか、本間もそこに座り込んだ。
「……何座ってんだ」
「? 目の高さが違えば話し辛いだろう」
 ……こいつほんとに俺と話しにここへ来たのか。
 本間が俺を見ている。真っ直に、ケンカを売りに来たはずの俺の話を聞く為に、俺と一緒に座って、キレイな面で見ている。
 俺ぁもうこいつに話なんてないんだ。舞箏とやったかどうか、それが気になっただけなんだからよ。だからてめえがそうして話を待ってたって、なんもねえんだ。だから、いつまでもそんなふうに見てるんじゃねえ。
 そうだ、本間は目を開けて俺を見てる。目を瞑った、あの嘘みてえな寝顔じゃねえ。
(なのに、なんでこんな)
(本間の目は開いてんのに、)
 ちくしょう、俺ぁガンつけで負けたことなんか―――
(俺の好みじゃ、ねえってのに)
 ……キレイな面しやがって。
 あさっての方を向いて俺は言った。
「兄貴がいるんだって」
「……伊部くんは一人っ子だが」
「――てめえのことだ、てめえの!」
 意外とボケかますじゃねえか、この野郎。
「……また随分話が飛んだな」
「……飛んでねえよ」
 怒鳴った拍子に本間の顔を見た。本間は俺をじっと見て、どういう話か考えてるみてえだった。
「……舞箏は、昔っから踊りやってんだろ。おめえは兄貴のせいで剣道始めたって聞いたんだよ」
「誰からだ?」
「水津って奴だ。てめえのおっかけの」
 セリフの後半は無視したらしい。平気な顔して「そうか」と言った。
「剣道は二番目の兄の影響で始めた。年が離れているから、暫くの間はいい師匠だった」
 そのうちてめえが追い抜いたってか。
「何人いんだ?」
「三人兄弟で二人兄がいる。武道は主に次兄の影響を受けたな」
 本間の兄貴か……
「どんな奴だ」
「次兄か? お祭り好きだな」
「……似てねえんじゃねえか? てめえと」
 倒れた本間を車で迎えに来た奴は、お祭り好きって感じじゃなかったな。じゃああいつは長男か。本間と違っていかにも人が良さそうだった。
「兄弟三人とも似てねえのか」
「……よくわかったな」
 げっやべえ……これは秘密だ。俺が本間を助けたなんて、こいつにだけは知られたくねえ。俺のプライドが許さねえ。
「そ、そうだろうが。てめえみてえにムカつくのがそうそういるかよ」
「……悪かったな。俺は祖父似だそうだから、祖父が生きていたらムカついたかもしれんぞ。他の家族とは、誰とも似ていないから安心しろ」
「……てめえの家族となんか、会いたくもねえよ」
 しかし、誰とも似てねえか。俺は死んだ親父そっくりだって言われてたが……ぐれちまってから、誰もんなこと言わなくなったな。いや……深見のおっさんがちらっと言ったか。
「……似てねえのもつまんねえな」
「そうか? 似たり寄ったりばかりの方が、つまらんと思うが」
「そうかよ。じゃあてめえの家族は面白いんだろうよ」
「君は誰似なんだ?」
「……俺は親父似<だった>」
「……」
 本間は突っ込んで来なかった。
「深見師範とは似てないな。血縁者だとは思わなかった」
「……あの説教じじい、似ててたまるかよ」
「似て損はない、立派な師範だと思うが」
「けっ、じゃあてめえが似やがれ」
「そうしよう」
「……似てたらつまらねえんじゃねえのかよ」
「尊敬すべき美点は見倣うべきだろう」
「ああそうかよ、さすがあんたさまは言うことが違うな」
 いきなり上から声が降って来て、俺と本間は同時に見上げた。
「おお、何だ、お前ら仲良くしとるじゃないか」
 校舎の窓から、そうだあいつは俺にホースで水をぶっかけた先公だ。何にやにや笑ってやがる!
「誤解です」
「ふざけんな、どこに目ェつけてやがんだ!」
 本間と俺が叫ぶ。本間はすぐに俺を見て言った。
「先生に対して何という口のきき方だ、訂正したまえ」
「ああ?!」
 胸クソ悪い、やっぱりこいつはイイ子ちゃんだ! 似るまでもねえ、今のままで十分深見のおっさんに似てるぜ! 本間のじいさんが死んでてよかったぜ。こんなのが三人じゃかなわねえ。……別に生きてても、本間のじいさんに会う訳じゃねえけどよ。
 「けっ」と俺は立ち上がった。本間を振り返らずに立ち去る。
「話は済んだのか?」
 本間の声がしたが、無視してやった。



 奴はきっと、年の離れた人のいい兄貴と、お祭り好きの面白い兄貴に構われて育ったんだ。他の家族にも大事にされたに違いねえ。
(お祭り好きの兄貴ってどんなんだ……)
 そいつのせいで本間はバカ強くなった訳だな。ちくしょう、余計なことしやがって。
(ケンカ売って、途中で引っ込めたことになんだな)
 しょうがねえ、本間が悪ぃんだ。興ざめなことしやがって。俺ァてめえの生徒じゃねえぞ。こんなカッコで行ったからか? 場所が場所だったからか。
(……いや、あいつ『ケンカなんだろ?』つって、俺に足かけやがったぞ)
 思い出したらムカつく。あいつが足かけやがったことも、その後師匠面しやがったことも。
(俺が、あいつにバクバクしたことも!)
 くそ、こんなカッコ……

「何だあ? 顕、その格好はァ?」
「るせえ。いいからなんか服貸せ。んなダサいカッコでいられっかよ」
 一番近い仲間んちに辿り着くまでだって情けなかったぜ。袴で街歩ってるなんてよ。
「カッコイイぜ顕。赤ドースズノスケみてえ」
「んだそりゃ?」
「昔のケンドーマンガだよ」
「……」
 ちくしょう。
「ゲーセンのTシャツでいいか?」
「Tシャツ一枚かよ?」
「外に出る時ジャンパー貸してやるよ」
「……んだよ、だせえTシャツだな」
 赤根のジーパンはだぶだぶだった。
「おい、おめえ少しやせろ」
「うっせえよ。ベルトで締めときゃはけんだろ。袋いるか」
「あ?」
「持って帰んだろ」
 くしゃくしゃに脱ぎ捨てた着物と袴を見る。
「……しゃーねえだろうな」
 赤根のくれた袋に着物と袴を突っ込んだ。
「吸うか?」
 赤根が手マネをしてみせた。
「『マイルド・ライト』ならいらねえぞ」
「相変わらず『スーパー・ナイン』派かよ。肺ガンになっぞ」
 吸えば同じだバーカ。
 赤根は自分だけ、超軽と宣伝のタバコを吸い出した。超軽でも煙は出る。……吸いてえな……途中で買うか『スーパー・ナイン』。おいおい赤根、そんなスピードで吸ってちゃ軽くても一緒だぜ。もう部屋の空気が濁ってきた。狭い部屋だけどよ。……練習着にタバコの臭いがついたら、深見のおっさん怒るかな。
(――本間は間違いなく怒るな)
「よこせ」
「んだよ、結局吸うんじゃん」
 俺は『マイルド・ライト』を一本取ると、口にくわえて火をつけた。一息深く吸う。
「……やっぱまずいな」
 赤根がバカヤロウ、とののしった。
「もうじき、中橋が女連れて来んだよ」
 煙を吐き出してから訊く。
「中橋の女か?」
「違う違う。中橋の女のダチ……ボインの女紹介してくれって頼んどいたんだ。へへ、バスト九十だってよ」
「牛じゃねーのか」
「んだよ、おめーもボイン好きじゃねえか」
「最近の好みはスレンダーなんだよ」
 つーか好みが舞箏っつーか。……そういや本間もやせてやがるな。あいつが赤根のズボンはいたらもっとダブダブだろう。中学ん時はもっと細かったのか。で、やっぱり鬼みてえに強かったってか……
(だから何だってんだ)
 いくら強くても中坊の一年なら、俺にも勝てたかもしれねえな。中坊の本間をのして……どうなるんだよ。バカか俺は。のしてえのは今の本間だ。今の……
「ムチムチの女は遊びあきたってか? 言うねえ顕クンも」
 ……本間のことを考えてから赤根を見たら、何かひどくつまらねえ気がした。あんな愛想のねえ、ムカつく野郎だってのに。
「ん? どした顕」
 ……本間の方が面白え。
 俺は灰皿代わりの空カンにタバコを入れると、立ち上がった。
「ボイン見てかねえのか」
「やっぱ自分の服のがいいからよ。取りに行くぜ」
「おめえ何しに来たんだよ」
「ここのが近かったんだよ。服借りるぜ」
「いいぜ別に。やるよ」
「いらねえよ。合わねーもんもらってどうすんだバカ」
「借りといて言うか」
 袴の入った袋を提げて、俺は赤根の部屋を出た。

 いくら深見のおっさんでも待ってる訳はねえと思ったが、道場の鍵は開いていた。
「……いるのかよ、おっさん?」
 返事はねえ。事務所も覗いて見ようとしたが、こっちは鍵がかかってる。いねえのか?
「おいおい、無用心だな……」
 もう一遍道場に戻ってみると、床に白いもんが落ちている。近寄ってみると、おっさんの書き置きだった。
『顕、お前の服は姉さんが持って帰ったからな。裏に鍵を貼っておくから、道場を閉めて帰りなさい』
(……何時まで待ってやがったんだ?)
 紙をめくると、裏にセロハンテープで鍵が貼ってあった。
「……なんでえちくしょう。結局家までこの服かよ」
 床に座って、書き置きと鍵を睨んでいた。余計なことしやがって。おせっかいなんだよ。
(……おせっかいといや、舞箏を連れに来た奴……)
 本間のコートを着て、家出した舞箏を迎えに来やがったあいつ……絶対、舞箏に惚れてやがる。舞箏の奴は本間のコートしか目に入ってねえ感じだったから、わかってねえんだろうな。
 ……ちくしょう、コート一枚で舞箏を連れて行きやがって。
(ああ、舞箏やりてえ)
(……本間くん)
 もう一度手に入るかと思った舞箏は、何もないところを見て、本間を呼んだ。
 ――ちくしょう!
 絶対本間をぶちのめしてやる!
 絶対だ! 絶対!
 俺は持ってきた袋の中身をぶちまけた。
「……どっちもダセえなあ」
 赤根に借りて着ている服と、床に広がった着物と袴。
(……どっちかっつーと、こっちのがマシか)
 俺は練習着に着替え直して、赤根の服を袋に突っ込んだ。裸足でぺたぺた床を歩いて、竹刀を掴む。
(主将は誰より練習熱心なんだ。もともとの素質に甘えたりしないで、自分を鍛え続けてる)
 頭の中で本間のおっかけが喋った。
 ああそうかよ。それじゃ本間も練習しなきゃ弱いってこったな。見てやがれ。そのうち俺が、絶対本間を倒してやる。
「だアッ!」
 竹刀を振ったら、今度は本間の声がした。
(脇が甘い)
 うるせえ。
「――ムカつく!」
 俺は目茶苦茶に竹刀を振った。





「本間くん!」
 野原くんの邪魔をしに行くと言っていた伊部くんが、再び格技館に戻って来た。格技館の入口で、靴を脱ぐのが面倒なのか、体を倒し床に手を着いて呼びかける。上がり込んで来て稽古の邪魔をされるよりはいいので、すぐに「何だ」と応えてやった。野原くんら柔道部員は、さぞ迷惑を被ったことだろう。
「顕、帰ったの?」
「ああ」
「何の話だった?」
 伊部くんは少し不安気な顔をして尋いている。気になって戻って来たのか。
「……君が日本舞踊をやっていると聞いて驚いていた。見てみたいそうだ」
「……それだけ?」
「……いや他にもあるが」
 どれも他愛もない話ばかりだ。余計なお世話な質問も一部あったが。
 伊部くんは、ほっとした顔をして言った。
「……じゃ、本間くんのバックは無事だね」
 鞄がどうした?
「……野原くんの邪魔をして来たんだろう。何と言っていた」
「うん、何か歓迎されちゃった」
「歓迎?」
「座布団出してもらっちゃったよ」
 ……わからん、柔道部。何故邪魔しに行った者を歓迎するのだ?
「野原くんがか?」
「座布団出してくれたのは一年生。『こんな埃っぽいとこにようこそ』とか言って。野原くんはいつもだけど、にこにこしてうれしそうだった」
「……」
 わからん。柔道部は皆、野原くんのように人が良いのか?
「ねえ、今日何時までやるの。一緒に帰ろう」
「……もうじき終わるが、君は帰って自分の稽古をしたまえ」
「俺は家だから夜でもできるもん。……あ! 夜も本間くんと一緒なら、もっとうれしいけど!」
「帰れ馬鹿者!」
 馬鹿者はありもしない着物の袖で、涙を拭う真似をした。
「……本間くん冷たい……他人じゃないのに」
「赤の他人だ!」
「だって本間くん、ごほうびに拳骨くれるんだもん、約束したのにー!」
「やかましい!」
 ええい、上がり込まんでも邪魔になる!
「あっやだ」
 わめく伊部くんの腕をむんずと掴むと、
「やだやだやだ!」
 格技館の外に引きずり出し、ドアを閉めて施錠した。
「やーん、開けてえ、入れてえ」
 ……全く、子供のお仕置きではないのだぞ。
「本間くんてばあー」
「気にするな。稽古を続けるぞ」
 外から見たら何事かと思うだろうな。……後十五分の平穏の為だ。気にすまい。
「……何だ、水津くん」
「いえ……」
 水津くんが何やら言いたそうな顔をして見ていたが。
「あっあっ塚本センセー」
 格技館の外を、どうやら塚本先生が通りかかったらしい。
「本間くんたらひどいんですう」
 俺は手を額に当てた。
「こら本間、開けんか」
 案の定、先生が呼びかける。応えん訳にはいくまい。俺がドアを開けると、伊部くんは先生の後ろにいた。
「何やっとるんだ、本間」
「……先生、申し訳ありませんが、十五分間伊部くんの身柄を預かってもらえませんか。部活終了後に、必ず引き取りに行きますので」
「? ああ……」
 先生は後ろの伊部くんを見、そうか、と呟いた。
「うん、まあ、わかった。稽古に励め」
「有難うございます」
 頭を下げて、俺は再びドアを閉めた。ドアの向こうで、塚本先生と伊部くんの声が遠ざかる。先生がわがまま者を連れて行ってくれたおかげで、格技館はようやく静かになった。……後十五分ではあるが。
「主将……」
「何だ、水津くん」
「……俺は、主将を尊敬してますから……!」
「? ああ……有難いな」
 水津くんは何やら苦悶の表情で力説した。入口から中央に戻って行くと、他の部員達も次々に寄って来る。
「俺も!」
「主将、俺も」
「尊敬してます主将!」
 口々に言う部員達は、皆一様に耐える表情をしている。崎野などは涙ぐんでいる。
(何だ?……)
「た、たとえどんなことがあったって、主将の剣道は日本一です……!」
 ……十五分が、十分になったな。十分後には、あの大馬鹿者を迎えに行かねばならない。





 家の電気は点いていて、クソババアが起きているとわかる。……また、男を連れ込んでやがんのか。玄関には男物のくつがあった。ち、やっぱりか。鉢合わせるのもめんどくせえ。音を立てねえように、早いとこ自分の部屋に行っちまおう。今度は鍵をかけねえで、玄関を上がる。ドロボーが入ったって、大して盗るもんもねえしな。
 台所の柱時計が鳴った。……なんだ十二時か。俺にしちゃ早えじゃねえか。
「……また夜遊びするようになってしまって……」
 おふくろの声だ。やっぱ台所にいやがる。ドアを開けときゃ、帰って来た俺を見つけやすいからな。花井って男も、一緒にいやがんのか。
「よその娘さんが一週間も来てた時はどうしたらいいのかと思ったけど、あの娘さんがいた時は、夜遊びもしないで、学校に試験もちゃんと受けに行ったんだよ。本気で、好きだったのかねえ」
 ち、余計な話してやがる。
「まあ、ああ見えて顕は、思ったら一途なところがあるからね。なんたって敏三さんの息子だ」
 ふ、深見のおっさん?! 台所にいるのは深見のおっさんか?!
「その娘さんに関しては、いろいろ顕も悩んだと思うんだよ。結局、顕の片想いだったようだしね」
 ……終わらせんな! まだ終わってねえ!
「まあ姉さんも、もう少し顕を信用してあげなさい。剣道もなかなかどうして、頑張っているんだ」
 ……今まで道場で竹刀振ってたつったら、深見のおっさんを喜ばせちまうな。ちくしょう、赤根の服で帰って来るんだった。
「……でもね。あの子はあたしが嫌いだから……」
「……花井さんはいい方だと思うよ姉さん。お受けするべきだ」
「顕が反対なんだよ」
「何、あいつは父親は敏三さん以外は誰も認めんよ。顕の父親になってもらう必要はないさ。理解者でさえあればね」
 ……勝手なこと言ってやがる。花井って奴も、一人じゃいられねえおふくろが引っ張り込んだ、何人目かの男ってだけだろが。誰が認めるかそんな奴。親父は一人で十分だ。
「ほんとにそうなら……いいけどねえ……」
 虫のいいこと言ってんじゃねえぞクソババア。くわえ込んだ何人目かの男に騙されて、借金抱えたことも忘れてやがる。おっさんもおっさんだ。何で止めさせねえんだよ。その女は、男運がねえんだぞ。なにせ唯一の当たりだった最初の男が、死んじまってんだ。
「なに、姉さん」
 深見のおっさんは、明るい声で喋りやがる。陰気なおふくろと姉弟(きょうだい)だとは思えねえ。……こいつも、似てねえ兄弟か。
(親父が生きてた時は、おふくろもよく笑ってた気もするんだが……)
「顕もいつまでも子供じゃないんだし」
 悪かったな。俺ァ子供(ガキ)だよ。
「それに最近<良い友達>が出来たようだ。心配いらないよ」
「あの子に、良い友達?」
 ……おい。
「さっきの娘さんのことなんかでちょっとごたついているようだが、顕と同い年の、気持ちの良い少年でね」
 まさか。
「うちの道場で師範代を務める程の剣豪なんだが、結構な男前だよ」
 ひょっとして、本間のことじゃあるめえな?!
「まあ……」
「きっと顕の、良い相談相手になる」
「――ふざけんなよオッサン!!」
 俺は怒鳴って台所に乗り込んだ。
「おや、顕」
「顕……お前いつからいたんだい」
 ムカつきがてっぺんに来ている俺は、とにかく怒鳴りまくった。
「誰が、誰の『良い友達』だァ?! 冗談じゃねーぞ! 俺ァ本間を、ぶッ殺してやりてえんだからな! 本間は俺を、ぶッ殺しかけたんだぞ! ぶッ殺し返してやらなきゃ気が済まねえ! すかした気に入らねえ本間のヤローをぶッ殺して、俺が舞箏を手に入れんだよ!」
 血管が切れそうな勢いでわめいて、俺は肩で息をした。
「……そうそう、舞箏さんていうんだね」
 おふくろが、うなずきながら喋り出した。
「きれいな娘さんだったねえ。お前、母さんがこんなだから、昔から当てつけで女の子を家に連れて来てたけど、今度はそんなんじゃないんだろう? 母さんわかったよ、お前本気で舞箏さんを好きなんだね? 母さん応援するよ! その、本間くんて友達と舞箏さんを取り合ってるのかい? その友達に勝ちたくて剣道始めたんだね? えらいじゃないか顕! 母さん感激したよ、お前がそんなに一生懸命になってるの見るの、何年ぶりだろうねえ……」
「顕、もしかして道場で頑張ってたのか? そうだなあ、聡一くんに追いつき追い越す為には、聡一くんより稽古せんとなあ」
「賢一、その顕の友達はそんなに強いのかい?」
「強いもなにも姉さん、高校チャンプですよ。聡一くんがうちの道場に修業させてくれと言って来た時も驚いたが、いやまさか、顕と一人の少女を取り合う仲とはなあ」
「そうかい、そんなに強いのかい顕の友達は」
「……友達じゃねえっつってんだろ!」
 勝手に盛り上がりやがって! 俺を見て、深見のおっさんが真面目な顔で言いやがる。
「顕、聡一くんとは仲良くしたがいいぞ」
「――仲良くなんかしたくねえッ!!」
 怒りのあまり呼吸困難を起こしそうな俺に、おっさんは道場への入門を勧めた。おふくろは何年か前に戻ったみてえな生き生きとした顔をして、俺とおっさんに舞箏と本間のことをきいている。……ちくしょう。
 いくらおっ勃つほどの美人でも、本間は願い下げだ。
 たとえ本間が頭を下げて頼んで来ても。
「顕、良い友達は大事にせんといかんぞ」
 絶対に!
「違うつってんだろがッ!!――」

 仲良くなんざ、してやらねえ――!




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