・第十一回(最終回)
(……気が付いたんだ。ヴァーン)
声に顔を上げると、クレイは荷も持たぬ身軽な姿で、少し離れた所に立っている。
怪我も血糊もない。魔物と戦っていたと思ったのは、夢か。
(あ?)
(俺が年を取らないのは、向こうで父に会った時に、すぐに気付いてもらえるようにさ)
(はあ? 何言って……こら、笑ってんじゃねえぞ。待て、どこ行く、――)
伸ばした腕は、空を掴んだ。体がずきずき痛む。気を失っていたのは、ほんの短い間らしい。
崩壊したのは王宮では済まなかったのだと、ヴァーンは仰向けに寝ころんだまま首を巡らせて知った。
景色の果てに河が見える。山側には少し家が残っているようだ。少なくとも王宮を含む町は丸潰れだ。王宮のあった場所には瓦礫すら無い。
凄まじい圧力が掛かったのだ。それでも見える所に大臣達がまともな人の姿で倒れているのは、ヴァーンの結界が効いたのだろう。彼らの生死は確認出来ないが、側に倒れているチキには、呼吸も脈も感じられた。
「チキ……おい」
返事は無い。ヴァーンよりうんと規模が小さいとは言え、チキも体内で魔物の尻尾と剣とが飽和限界を起こして暴れたのだ。ヴァーンより頑丈で無い分、チキには随分堪えたはずだ。治療魔法を、と思ったが、力がすっからかんになっているのが自分でわかった。剣を持つ力も無い。というか剣も無い。今魔物が現れたら、さすがにどうしようもない。
……クレイの姿が無い。
魔物と一緒に、消し飛んだのだろうか。
いや、この姿勢では見えないだけだ。ヴァーンは苦労して寝返りを打った。
「ク……」
クレイだ。自分の頭の方向に、クレイは倒れている。少なくとも、潰れていない。周囲に流れ出る血が、夥しくとも。
痛む体を引き摺って、ヴァーンは這い出した。クレイ、と呼んだ。じりじりと這い、近付く程に、嫌な確信も近付いて来る。
「……クレイ、おい、……くそ爺い!」
生命の気配が、ない。
ヴァーンは這うのを止め、指を立てた。
「天のガラシア地の……アルシナ……」
言葉が詰まる。消えた命を呼び戻す魔法など。
「天地神……」
ふるふると震えた。
「っ、聞こえるかっ! そりゃあ、こいつはあんたらの使徒じゃないかもしれないが……!」
ヴァーンは俯く。地に伏して途方に暮れる。
クレイの望んだようになったのだ。良かったじゃないか。
悪戯けるな。俺は望んじゃいなかった。
……きっと今囁かれたら、ヴァーンは伸べられた手を取っていただろう。魔物の手を握るのは、何時だって非力な人間だ。
ひた、ひた、と足音が、ヴァーンを追い越して行った。
顔を上げる。チキが、真っ直に頭を上げて、クレイの方へと歩いて行く所だった。
チキはクレイの傍らに跪き、クレイの頭を持ち上げ自分の膝に乗せた。その表情は、普段のチキではない。
「チキ……?」
問い掛けた途端、チキは座ったまま意識を無くした。
さあっと――
チキの体とクレイの上に、光が降った……いや、立ち昇った。空から、地面から、白い、明るく浄い光が現れたのだ。
ヴァーンは目を見開く。
光の中に、乙女がいる。
天から降りて来たのは金の髪豊かな、透き通る肌の、風のような薄絹を纏った乙女。
地から現れたのは漆黒の髪艶やかな、やはり白い肌の、綿の花の如く軽やかで温もりあり気な布に包まれた乙女。
天の乙女は愛しそうにクレイの頭を抱き、額に口付けた。
地の乙女はクレイの右手を両手で捧げ持ち、恭しく接吻した。
美しい、二人の乙女。
――天のガラシア、地のアルシナ。
(天地神降臨――)
『あなたの声は殊の外良く聞こえますよ、ヴァーン』
微笑んだのは、ガラシア。
『良く兄の為に力を注いでくれました。感謝します』
泣きそうな笑顔で瞬いたのは、アルシナ。
どんな宗教画も裸足で逃げ出す神々しさで、姉妹神はヴァーンの目の前に在った。ヴァーンは礼を取るのも忘れ、腹這いに倒れたまま、ぽかんと眺めている。世の画家はこの希代の一幅の絵を見損ねた事を嘆くだろう。二人の女神と覡(かんなぎ)の少女、そして……
……待て。
――兄?
ガラシアがにこりと笑む。
『私ガラシア、妹アルシナの敬愛なるお兄様……父、最高神ダラーシャの息子ですよ』
クレイが、
「――ナークレイ……」
あ、いや、一寸待って下さいよ、とヴァーンは手のひらを向ける。
「俺の知ってる話じゃ、そいつは確かに人間で……人に交じった兄神の末裔ではあるらしいが……らしいんですが」
『その通りです』
アルシナは目を閉じる。
『父神から世界を分け与えられた時に、天と地の狭間で兄は人の身を選択したのです。人となり、人に交じり、時は流れました。しかし兄は再び私達家族に会う為に、神に戻る約束をしていたのです……』
『血脈が途切れる時、それが約束でした』
「……」
ガラシアは透き通る手で、クレイの髪に触れる。
『覚醒する前にその身に魔を宿してしまい、神世の記憶を失くしていらっしゃるけれど、かつて自ら選ばれたその使命は違えることがなかった……お兄様。人の世のナークレイお兄様をただ見守るのが、どんなにか辛かった事でしょう』
ガラシアの目に、真珠のような涙が光る。
『……泣くものではなくてよ、ガラシア』
アルシナの方が泣きそうな顔立ちをしていたが、涙脆いのはガラシアの方らしい。
ヴァーンは口をひん曲げた。神様相手に文句を付ける。何だか酷く怒りが沸いた。
「本当にクレイが兄神なら、なんで今まで放っといた? 見守ってたってんなら知ってるだろう。そいつは何百年もずっと一人で苦しんでたんだぞ。忘れてるってんなら、さっさと思い出させて連れて行けば良かったんじゃねえのか」
アルシナは瞬き、ガラシアは涙を拭く。そして二人で微笑んだ。
『兄はとても頑固なのです』
「……はあ?」
『頑固なのはお父様譲りね』
『ええ本当に』
姉妹神は頷き合う。
『だから見守るしか出来なかったのですわ』
ヴァーンには説明が足りない。承知しているように、ガラシアは続けた。
『美しくて優しくて頑固なお兄様は、天と地の生命がきちんと巡るようにする以上の手助けは好みませんでしたもの。例え人の身の自分がどうなろうと、決して神の手を加えてはいけないと……』
ヴァーンには納得が行かない。
「――だから死んでから迎えに来たのか」
声に険が出た。
『……そうです』
肯定するアルシナの声は穏やかだ。理屈はわかった。だが解りたくない。解りたくないのがどの部分なのかを考えるのも嫌だ。ヴァーンは俯き、唇を噛んだ。
『……まあアルシナ、悋気(りんき)など起こすものではなくてよ』
窘めるガラシアは微笑んでいる。
『けれどガラシア、ほんの少しくらい意地悪したくなるというものだわ』
『ええ、それはそうだけれど』
『そうでしょう』
くすくすと笑い合う姉妹神を、ヴァーンはきょとんと見守る。
『お聞きなさい、ヴァーン、白き魔法使い』
女神は揃って笑いかける。
『……神界と負界の間に在って、常に不安定な虚界に人の世は在ります。住み分けた世界を飛び越えて人の世を荒らす魔物に、人だけで立ち向かうのは難しい……とは言え神の手を簡単に差し延べるのは、人の為になりません。だから兄神ナークレイは、人となったのです。それは頑固な方でしたから』
『……だから、人の身であるお兄様を、私達はお助け出来ないのですわ。ヴァーン、どうか頼まれて下さいね』
ヴァーンは瞬き、二人の女神を交互に見る。
「……言ってる事が、良く……」
『念じ続けられた仕事を終えられて、今この時に思い出して下さっているなら、このままお連れするつもりだったのだけれど』
ガラシアはアルシナに微笑む。
『時は幾らでもありますもの、私達はお兄様がご自分で思い出して会いに来て下さるように祈っていますわ』
アルシナは泣きそうな笑顔で頷く。
『ほんの少し、淋しいのだけれど』
『泣いては駄目よ、アルシナ』
目元を拭ったのはガラシアだ。アルシナはそれを微笑んで見詰める。
『ええ、ガラシア。さあ、戻りましょう。お兄様を迎えに来たのがお父様に知れたら、叱られてしまうわ』
『御存知だと思うわよ。最高神ですもの』
『頑固ですものね』
『ええ本当に』
姉妹神は揃ってヴァーンを向いて、
『頑固な兄ですけれど、よろしくお願いします』
深々と、頭を垂れた。
「いっえっ……あ、いや、……どうも」
さすがのヴァーンも、地面に額をぶつける勢いで頭を下げる。そもそもが腹這いの姿勢だったので、実際にぶつけた。
『ああそう』
顔を上げると、姉妹神の姿がうっすらと消えて行く所だ。女神の微笑みがチキを向いている。
『なかなかに清浄(きれい)な子ですね。呼ばれれば、この子に降りて参ります』
では、と白い光の中に女神は溶けて、やがて光も消え失せた。
(……神降ろしの修業、要らねえかも……)
チキは変わらず座った姿勢で動かない。ヴァーンは這って、チキの膝に乗るクレイの頭に、顔を近付けた。
「……おい……生きてるのかよ……?」
顔を寄せると、幽かな呼吸を感じた。首に触れると、ごく弱いが脈もある。
口元が綻ぶ。悪態が口を突いた。
「……長生きしろよ、くそ爺い――」
少し離れた所に突然現れた一団は、見慣れた天地神教の僧服を着ていた。
町が吹っ飛ぶ爆煙の様子を遠くに、または玉で見て、査察にやって来たのだろう。驚いた顔で辺りをきょろきょろと見回している連中の中に、マンタと叔父の姿を見付けて、おーいここだ、とヴァーンは手を振った。
スイレーン王都の消滅が、バルダ国がスイレーン国に仕掛けた悪意ではないかという疑念が立った。消滅した町に残ったのも一番に駆け付けたのもバルダの者で、生き残ったスイレーン大臣達の意見も、バルダ側が宗教干渉の末、宰相や大臣、果ては王も亡き者にしようと企んだのだと言う者と、あれは強大な魔物が仕組んだ事だったに違いない、とせめて戦争は避けようとする者の二つに分かれて紛糾したのだから仕方がない。一命を取り留めたスイレーンの王は、あれは魔物だ、全部魔物だ、と怯えてクレイの事も魔物扱いしていたが、お蔭で魔物を遣ったバルダの侵略、という疑惑は残ったものの、二国間で開戦という結果は避けられそうだった。
そういう次第で、ごたごたが鎮まる間、ヴァーンとクレイとチキは治療と養生も兼ねて寺院に身を寄せろと命じられた。
ヴァーンのお目付役にはディーン叔父が当てられた。他の仕事を疎かにする訳にも行かないので、ヴァーン達がチャルダ寺院に連れて行かれる事になる。
ライ大司祭の前でヴァーンが顛末を説明させられた時には、ディーンは何度血管を切りそうになったか知れたものではない。止めが天地神降臨の下りだ。
「天地神に悪態をついたーっ?!」
クレイが兄神で姉妹神が降臨した、と聞いた時には忙しなく手を握っていた叔父が、真っ赤になり、ぶるぶると震えて怒鳴った。
「こっこの罰当たりめがー! お前という奴は、お前は……ヴァーンっ!」
ヴァーンは小指で耳の穴を掘りながら、腹が立ったんだからしょうがねえ、と小声で主張した。ライ大司祭は、黙って両手をぎゅっぎゅっと握っていた。
やれやれ、と怒鳴られ引っ張られしてじんじんする耳を摩り摩り、ヴァーンは廊下を歩く。宛てがわれている部屋へ戻る前に、クレイの部屋を訪ねた。ドアは開いている。
「よー……っと、楽しそうだな?」
腹に包帯を巻き白い着物を着せられたクレイはベッドに身を起こしていて、入って来たヴァーンに視線をくれた。ベッドの横の椅子にはチキが座っていて、くすくすと身を折って笑っているのだ。
「……凄い声で叱られてたね」
「……」
叔父の怒鳴るのが聞こえたらしい。
どっかとヴァーンはクレイのベッドの足元の端に腰掛けて、不公平だ、とぶうたれた。
「そりゃあ事の最中も済んでからも、俺が一番ぴんぴんしてたんだから、俺だけが質問攻めにあうのは筋なんだろうぜ」
ご苦労様です、とチキは笑いながら労う。
「まあ、どの道お前ら、天地神を降ろした覡と兄神様だ。じき下にも置かない扱いに変わると思うぜ」
「……それだが」
クレイが口を開く。うん? とヴァーンは片眉を上げた。
「チキは神降ろしの間の事は、何となく憶えているそうだ」
「……ああ、お前は憶えてる口か」
覡の中でも、神が降りている間の事を憶えている者とそうでない者がいる。チキはヴァーンに見られて、赤らんで俯いた。
「……?」
「え、あっと、ほら、神様のした事が自分のした事みたいで……」
ああ。姉妹神がクレイに口付けたことを言っているのだ。成る程。きっとそれはクレイには内緒なのだ。
「わかったわかった。で?」
ヴァーンはクレイを促す。
「俺が兄神なのだと言われても、実感がない」
こちらを見る綺麗な顔を眺めながら、ヴァーンは一寸した疑問を解決していた。
呪文でパイプを作る必要はないはずだ。中に神様が坐すんだから。
目が覚めて、最初にクレイは、死に損ねたか、と呟いた。ベッドの側に付いていたヴァーンは、生憎だったな、と応えたのだが、それにクレイは全くだ、と返しただけだった。ヴァーンは密かにクレイの自殺を警戒していたのだが、どうやらその気配はない。年の割りには柔軟な爺さんだ、とヴァーンは思う。
それとも、少なくとも二人泣くぞ、と脅したのが効いたのだろうか。だとしたら、それはそれで少し嬉しい。
「……そっか」
ヴァーンはにっと笑う。
「ま、それは取り敢えずいいか」
「いいの?」
瞬いたのはチキである。
「本人憶えがねえってんだから、いいだろ」
「兄神様で、生き神様だよ?」
「そうなんだろうが、こんなんじゃ拝み甲斐だってねえだろ。有難いお言葉を頂戴しようにもなあ。叔父貴達が気の毒だ」
「うん……確かに、クレイが何か変わったって感じはしないけど」
クレイは他人事のような顔で聞いている。チキとヴァーンに見られて、「俺の事か?」と尋ねる。
「……いいみたいだね」
チキは呆れて苦笑する。
ヴァーンにとっては、魔でも神でも同じ事だ。チキにとっても同じだろう。ヴァーンが叱られる声を聞いて、兄神の前で笑い転げる少女なのだ。
「で? これからどうする? まあもう暫くは大人しくしといてやるとして」
ヴァーンは二人を交互に見る。
「クレイはもう少し養生したいだろうが、奉られたくもねえだろ」
瞬き、そうだな、とクレイは同意した。
「……生き神様扱いされても困る。他に出来る事はないからな。今まで通り、魔物を捕まえて剣売りをしよう」
きっとその選択は、ナークレイの望む所なのだろう。人に交じって、魔物を従え、人を守ろうとした兄神。
姉妹神が挙って、頑固だと評した。
控え目に戸を叩く音がした。振り返ると、マンタが腰低く立っている。
「おう……何だ?」
マンタはヴァーンを手招きする。うん? と立って近付くと、明後日ハンナがやって来る旨の速報せを教えてくれた。
「チキ、明後日ハンナが来るそうだ。会いたいだろ? 行くのはそれからにしようぜ」
振り返って伝えるヴァーンに、チキは瞬いて尋ねた。
「……おいらも? いいの?」
「あ?」
「……一緒に行っても」
ヴァーンは笑い飛ばした。
「当たり前だ。お前は俺の一の弟子だしな。つっても一人しかいねえが」
村に帰る時はついてってやるよ、と請け合うヴァーンに、チキははにかんで頷き、マンタはおい、と聞き咎めた。
「行くって、まさかヴァーン」
「おっと」
ヴァーンは手で自分の口を塞ぐ。
「そうそう大人しくしてはいないだろうとは思ってたが、お前、昨日の今日で」
「落ち着け、何も今出てくって訳じゃ」
クレイ、とヴァーンは助けを求めた。
「お前が頼め。一番効果的だ」
「そうなのか?」
「そうだよ」
『聖なる跡』の替わりに祀られたくねえだろ? と言うと、半信半疑ながらといった顔で、クレイは「マンタ」と呼び掛けた。
「頼みがあるんだが」
ヴァーンに詰め寄っていたマンタはさーっと体に緊張を走らせて、その場に膝を付くなりクレイを向いて兄神への礼を捧げた。
「なんなりと……!」
額ずくマンタは、耳まで真っ赤になっている。クレイもチキも、ヴァーンもぽかんとそれを眺めた。
「……マンタ、兄神は覚醒してねえから、改宗しても魔法はきっと使えねえぞ」
そういうことじゃないだろう! と叱られた。
「そっか……これが普通なんだね」
チキは、目から鱗が落ちたという顔をしている。
「おいら、天地神が入ったせいか、すごくクレイを近くに感じて……拝む気持ちにならなかったけど」
「それでいいんだろ? クレイ(こいつ)はクレイ(こいつ)なんだし」
ヴァーンが頭をぽりぽりと掻きながら言うと、マンタは眩しそうに僅かに顔を上げ、お前が羨ましいよ、と呟いた。
「……弱ったな」
クレイが口を開いた。
「実は酷く困ってるんだが、普通にしてくれないか?」
クレイに悩まし気に言われて困ったのはマンタの方だ。顔を上げたり下げたり、は、とか、いえ、だの散々逡巡した挙げ句、苦笑したヴァーンに腕を捕まえられて、漸くクレイの前に立った。
そうしてマンタは、泣く泣く、三日後にヴァーン達がこっそり寺院から逃げ出す手伝いを承諾させられたのである。
「何故一緒に来るんだ」
クレイが問うたのは、寺院を出て、チャルダから街道に入った辺り。
「俺は姉妹神に頼まれてんだよ」
ヴァーンはチキに歩調を合わせながら……勿論クレイもゆっくりと歩いている……でかい剣も欲しいしな、と付け足す。
「おいらはヴァーンの弟子だもん」
そういうこった、とヴァーンはチキの頭とクレイの背中をぱんと叩いた。
頭は止めてよ、とチキは訴えた。
歩く度、チキの頭で昨日ハンナにもらった黄色い花の髪飾りが揺れる。健康になったチキを喜んで、ハンナは綺麗に編むにはまだ少し短いチキの髪を何とか編んで、沢山持って来たプレゼントの内の一番似合う髪飾りで止めてくれた。チキはまだ自分で髪を編めないから、なるべく長く解けないで欲しいな、と思っている。
ああ悪い、と謝るヴァーンに、クレイはぽつりと尋ねた。
「……死ぬまで来る気か?」
クレイの視線に、ヴァーンは口の端で笑って見せる。
「さあて、どっちが先におっ死ぬか」
クレイはこの先、年を取るのかどうかもわからない。どちらにせよ何が起こるかわからない旅の中では、寿命など余り意味がない。
「ま、爺さんの死に水は取ってやるつもりだけどな」
実際どちらがどちらを見送るか、なんてのは、まーまたその時の問題だろ、とヴァーンは軽く言ってのける。
「寺院にいる間に、村の爺さんに手紙を書いたんだ」
まだ途中なんだけど、もう少し書いたら送るよ、とチキは鞄の蓋を捲って、結構な紙の束を出して見せた。
「ほー。随分な大作だな。……おい、俺の事はいい男って書いたろうな?」
チキは瞬いて、首を傾げた。
「……うーん」
何だそれは! とヴァーンは手を伸べる。
「貸せ! 『ヴァーン』の名前の前に全部『凄くとってもいい男の』って書き足してやる!」
「え、駄目だよ!」
「なんで駄目だっ!」
紙の束を抱えて駆け出すチキを追ってヴァーンも走る。捕まった拍子に、紙が一枚はらりと飛んだ。クレイは、足元に落ちた紙を拾い上げ眺めた。読んでいるのか、やがて拳を口元に当て、くっと吹いた。
「あ、笑った」
つい読むクレイを見守っていたヴァーンとチキは、それぞれに手を伸ばす。
「何て書いてあるんだ、貸せ!」
「駄目ー! 手紙だってばー!」
悪かった、とクレイは笑ってチキに紙を返す。チキは真っ赤になって手紙を鞄にしまった。
俺にも見せろ、と訴えるヴァーンに、見せたら『凄くとってもいい男の』って書き足すだろ、とチキは却下した。
*
「爺さん、村のみんなも、お元気ですか。おいらはとても元気になりました。まずは、おいらを旅に出してくれた事にお礼を言います。ありがとう。お蔭で、とっても素敵でいい人達に出会えて、そうそう、神様にも会ったんだけど、これはまた後で書くね。とにかくおいらは健康になって、もう誰が見ても女の子だよ。今だってスカートを着ているんだよ、凄いだろ? もう、うんと凄い事が一杯で、今も、とっても綺麗な神様と、世界一の魔法使いと一緒にいます。きっとこの手紙は、うんと長くなると思うから、一回目の手紙は途中まで書く事にします。じゃあ、爺さんがおいらに兄神様の祝福を与えてくれて、おいらが村を出た所から――……」
終