身体よもやま情報(2)
野口みずき選手と筋トレ
アテネオリンピックの女子マラソンで金メダルをとった、野口みずき選手は、身長150センチ、体重40キロの小さな体でよくがんばりました。ラストの走りなんかほんと、すごかったです。なんか、久しぶりにいいもの見せてもらったなあとおもいました。眠い目をこすりながら見てたかいがありました。野口選手の走法は、ストライド走法といって、歩幅が広い走りなんですね、この走りかたは普通は、背の高い選手がよくやる走法なんですが、野口選手は、足の筋肉を強化することによって、背が低いにもかかわらず、歩幅の広いストライド走法ができるんですね。そのために、野口選手はずいぶん筋トレにはげんだようです。なけなしのお金をトレーニング仲間と出し合って、バーベルセットを買ったりしたようです。下半身だけでなく、上半身の筋トレにもはげんだようで、ベンチプレスも32.5キロぐらいあげるようです。体重40キロの女性としたら、相当強いですね。普通マラソン選手に筋トレはあまり必要ないような気がしますが、いがいとそうじゃないんですね。歩幅の狭いピッチ走法の選手はあまり強く地面を蹴りませんが、歩幅の広いストライド走法の選手は、強く地面を蹴りながら走りますので、それなりに強い筋肉が必要ですし、レース途中で一気にスピードアップして相手をひきはなしたり、ゴール直前の競り合いに勝つためには、やはり強い筋力が必要です。野口選手もアテネオリンピックの時ケニアのヌデレバ選手とゴール直前で競り合いになりましたが、負けなかったのは、日ごろの筋トレのおかげなのかもしれません。ちなみに、マラソン選手がバーベルスクワットを行うときは、深くしゃがむフルスクワットよりは、半分だけしゃがむハーフスクワットが多いようです。
アテネオリンピックで日本人(アジア人としても)初の、ハンマー投げ、金メダリストになった。室伏広治選手は、身体能力がもう、ずばぬけてますね。身長187センチ、体重97キロ(ほとんど脂肪なし)ベンチプレス170キロ、フルスクワット250キロですよ。(フルスクワットとは、めいっぱい深くしゃがむスクワットの事です。)とんでもないパワーですね。しかも、当然ですが、筋肉増強剤(ステロイドその他)なんか使ってないわけですから、これはすごいです。ベンチプレスやスクワットの専門家である、ボディビルダーやパワーリフターでも、これだけの重量を上げられる人は、そんなにいません、さらにもっと驚くのは、室伏選手は100メートルを10秒台で走るらしいんですね。100キロ近い体重でですよ、信じられないような身体能力ですね。俳優の照英さんが先日テレビでいってたのですが、照英さんは、以前は、やり投げの選手で、しかも、日本ではトップクラスの選手だったんですね。そして、室伏選手とはすごく仲良しだったそうです。ある日、照英さんが、やり投げの大会にでていたら、そこに、ひょっこり、室伏選手がやってきたらしいんです。それで、照英さんが、「おまえ何しにきたんだ。」と聞いたら、室伏選手が「ちょっと、やり投げをしにきた。」と言って、その大会に出たらしいんです。そして、その大会で優勝しちゃったんですね。室伏選手は、ヤリを使っての練習なんかはぜんぜんしてなかったそうです。ちょっと石を投げたりはしたようですが、照英さんは、ガックリ落ち込んだそうです。これはもう、とんでもない身体能力ですね。これだけの身体能力をハンマー投げだけに使うのは、ちょっとおしい気がしますね。格闘技ファンの私としては、ぜひ、プライドやKー1などの格闘技に挑戦してほしいですね。室伏選手の顔つき、体つき、そして、ずばぬけた身体能力をもってすれば、きっと格闘技の世界でもスーパースターになれるとおもうんですけどねえ。
江戸時代までほとんどの日本人は走れなかった。
これは、古武術家の甲野善紀さんが、その著書の中や講演などでよく、お話になられている事です。「日本人のほとんどの人が明治時代になるまで走る事ができなかった」と言われたら、ほとんどのかたは、「そんなバカな、走るなんて、かんたんじゃん、それは、絶対ウソだろう」と思いますよね。甲野さんの説明によると、江戸時代まで日本人は、歩く時、ナンバ歩き(右足が前に出る時右手も前に出る歩き方)だったそうです。現代の歩き方とは、手の動きが逆でして、このナンバのスタイルで走ろうとしても、うまく走れないんですね。日本人が今のような、歩き方や走り方をするようになったのは、明治になって西洋から今のスタイルの歩き方や走り方が入ってきてかららしいですね。明治になって、学校や軍隊などに西洋風の歩き方、走り方が採用されて、それから、日本中に広まったという事らしいです。江戸時代にも、飛脚や忍者や山伏など、ごく少数の人達は、走る事ができたようですが、その走るスタイルは、今の走り方とはちがって、ナンバの動きを改良したような物ではなかったかとの事です。昔は、一日で200キロ走るような人もいたそうです。宮本武蔵の五輪書の中にも、一日で150キロ走る人物の話が記されていますので、あながち、ウソでもなさそうですね。(昔、仙台藩の源兵衛と言うサムライは、江戸から仙台までの350キロぐらいの距離を、なんと、一日で走ったという話ものこっています。)マラソン選手などは、ナンバ走りを研究されたら、あんがい、自己記録の更新につながるかもしれませんね。
子供時代のイチロー選手
メジャーリーグで262安打の世界記録を達成したイチロー選手は、小学生のころからプロ野球の選手になるときめていて、作文にもそう書いてあるんですね。普通の人でも小学生のころプロ野球の選手になりたいと思うことは、よくある事ですが、だいたい、途中で別の物に興味が移ったり、挫折したりして、その夢からはなれていくものですが、イチロー選手は、そのてん、まったくまよいがないようにみえます。自分は絶対プロ野球の選手になるんだ、自分の仕事はプロ野球選手以外にはないんだという強い信念が子供のころからあるようにおもいます。信念だけではなくて、いろいろ努力もしたようです。動体視力をきたえるために走っている車のナンバーを見る訓練なんかもしていたようですし、毎日のようにバッティングセンターにかよっていたというのは、有名なはなしです。あと、高校生の時、イチロー選手達がいつも練習しているグラウンドに幽霊が出るといううわさがたったそうです。グラウンドのすぐ横に墓場があったらしくて、その墓場の幽霊が夜中グラウンドにやってきて、バットで素振りをやってるらしいという、うわさだったようでして、そこである日、誰かが夜中その幽霊を見に行ってみたら、イチロー選手が無心でバットをふってたというんですから、もう驚きですよねえ。イチロー選手は、やはり、野球が大好きなんでしょうね。そうでなければ、ここまでの努力はちょっとできないと思います。昔、ライト兄弟が、飛行機の研究をしている時、食事の時間がおしいので缶詰をたくさん買ってきて、それを食べながら日夜研究をしたという話を聞いた事がありますが、何かそれと似てるような気がしますね。他の人から見れば、イチロー選手やライト兄弟のやってる事は、すごく苦しくて辛い事のように見えますが、きっとやってる本人たちは、楽しくてしょうがないんではないでしょうか?やはり、天才と凡人では、精神構造もちょっと違うということでしょうか・・・・・・・?これは、余談ですが、イチロー選手の大好物は、炊き立てのゴハンだそうです。野菜は、ちょっと苦手みたいです・・・・・・。
痛風予防
痛風という病気があります。体内の尿酸が原因でおこる病気で、とにかく痛いようでして、文字どうり風が吹いても痛いようです。こんな病気には絶対なりたくないですよねえ。そのためには、体をアルカリ性にたもつ必要があります。ミルク、バナナ、野菜などを多くとるようにするといいみたいです。あと、水分を多く取って、尿を多く出すようにするといいようです。水分を多くと言っても、とうぜんですが、アルコールはだめですね。
運動と脳細胞
今まで、ずっと、脳細胞の数と言うのは、生まれた時に決まっていて、徐々にその数は減っていって、けっして増える事はないと思われれておりましたが、どうやらそれはまちがいみたいでして、脳細胞の数は、増やす事ができるようです。その方法とは、ズバリ、運動する事です。そんなに激しい運動でなくてもいいようでして、一日30分程度のウォーキング(散歩)でも十分効果はあるようです。ちなみに、恋愛する事も、脳細胞の数を増やす効果があるようです。
キムチとインフルエンザ
キムチに含まれる、キムチ乳酸菌と言うのが、インフルエンザに効くらしい。(韓国の科学者が実験したらしい)
記憶
夜、勉強した時は、その後、テレビを見たり、誰かと会話したりしないで、すぐ寝たほうが、勉強した事がしっかり頭の中にインプット(記憶)されるようです。あと、勉強する時は、何時間も休みなくするよりは、30分や一時間ごとに、休憩を取った方が勉強内容がしっかり頭にインプット(記憶)されるようです。
日焼け
日焼けした皮膚を回復させるには、ビタミンA,C,E,を取るといいようです。食品で言えば、バター、カボチャ、緑茶、玄米、などがいいようです。
変わったアームレスリング(^−^)
え〜とですね、この写真は、アメリカのサイトを見てて発見したものなんですが・・・・・。何か変な器具を使ってアームレスリングをやってますなあ・・・・。これだと「つり手」や「かみ手」などの、アームレスリングのテクニックはちょっと使えそうにありませんから・・・う〜ん単純に「パワー対決」になるんですかねえ ? それとも何かそれなりのテクニックがあるんでしょうか・・・?
放射能から身を守る食事
昭和20年8月9日、長崎に原爆が落とされ、多くの人が亡くなられました・・・・・・・
その時、爆心地から1.4キロの距離で、被爆したにもかかわらず。放射能の被害にもあわず生きのびた70名の人々がいました・・・。その方々はある病院のスタッフと入院患者さん達でした。
その病院には秋月辰一郎さんという医師がおりまして、この秋月医師の食事指導によって、70名の方々は命をすくわれました。
秋月医師が指導した食事法とは・・・・・「玄米」「天然味噌」「天然塩」を食べる。「砂糖」は摂らないというものだったそうです。
この食事法は現代の人にも役に立つかもしれませんね、原発の放射能漏れから身を守るために・・・・・
え〜と、この食事法で注意するべき点は、玄米は「無農薬」、味噌と塩は食品添加物の使用されていない「無添加」のモノを摂るという事ですね。
尚、この件に関してもっとくわしい事が知りたいという方は「放射能汚染から命を守る最強の知恵」(株式会社コスモ21)という本が出版されておりますので、そちらをお読みになられるといいと思います(^^)