ポンちゃんはまったく顔色を変えずにそう言ったが、サイトウという議員は見る間に顔が真っ赤になった。垂れ下がった喉の肉が揺れているのがわかった。あいつ怒ったな、堀井が楽しそうに言った。 (本文より) 久しぶりの村上龍作品。『69』などのお気に入り作品は最近も読み返しましたが、未読の作品を読むのは何年かぶりです。さてさて、この作品は刊行時に結構話題になって、というか確か当時は村上龍さんが報道・討論番組みたいなものに頻繁に出演されていた時期で、著者の露出が多かったのでそう感じてるだけかもしれませんが…、まあなにはともあれ。 「この国には何でもある。本当にいろんなものがあります。だが、希望だけがない」というわけで(どうゆうわけだ??)、日本中の大多数の中学生が一斉に学校に行くのをやめて色々おっぱじめちゃう、というストーリーです。主な舞台は作品発表から2,3年先の未来2002年、2003年あたり(まさに「現在」ですね。)なので、今はなき「大蔵大臣」などというフレーズが登場するなど、色々端的に不自然なところが多いです。まあ、しょうがないと言えばしょうがないんですけど……。 この作品に登場する中学生達は、ドストエフスキー『罪と罰』のラスコーリニコフ君的対社会違和を抱きつつも、実に淡々と行動しているのが印象的でした。彼らは中学生ですが、ある意味においては、ラスコーリニコフよりもかなり老成している。そこがこの作品の、そして現実の、哀しいところだと思います。 大人というのは気持ちの悪いしゃべりかたをするものなのだという感じ(違和感、不快感、無力感)は、まともな子供時代を生きてきた人間なら、誰しも少なからず抱く気持ちだと思う。皆さんもそう思ったことってありますよね(え?僕だけ…)。 僕なんかいまだにそれが拭いきれずにいる青二才です。そして、拭えないのと同時に、拭いたくない、とも強く思う今日この頃です。ピース! 追伸: でもこの話、今の中学生はどう読むのでしょうね? 彼らの感じ方って、今の中学生ではなくって、僕らの世代の(10年くらい前の世代)の感覚のような気がしました。今の中学生はもっと違うことを考えているんじゃないかなあ。う〜ん、どんなもんなんでしょうね。
以前、新撰組を副長・土方歳三を通して描いた『燃えよ剣』や坂本竜馬の人生を綴った大メジャー小説『竜馬がゆく』を読んで、歴史上のさまざまな人物たちを、びっくりするくらい魅力的に、まさに旧知の親友のように親しみ深く物語る司馬遼太郎の小説世界に、すっかり魅了されてしまいました。 本作『坂の上の雲』は、軍人の秋山兄弟と俳人・正岡子規を中心にすえて、新撰組や坂本竜馬の活躍からちょっとあとの日本を描いた作品(らしい)です。まだ全8巻のうちの1巻目、物語は、まさに助走をつけて回転しはじめたばかり。時間をかけてゆっくり楽しみたいと思います。 なお、この作品については、最終巻を読了するのがはたしていつになるのやら見当もつかないので、1巻ずつ感想を書いて生きたいと思います。よろしくお付き合いください。 追伸: 夏の間に読了できるかなあ……(汗)。 |