2002年11・12月の読んだ本。



2002年11月の読んだ本。
(小説5冊、その他1冊、合計6冊)

  • 宮部みゆき 『人質カノン』  ★★★☆☆
 ビルやマンションの階数は、案外、外側からは数えにくいものだ。(本文より)

 宮部みゆきさんの「現代短篇小説集」の一冊。え〜と、宮部作品は時代小説やら超能力ものやら色々なので、現代短篇小説と書いたのですが、そういう表現が果たして存在するのか、僕は知らずに使っていたりします。しようもない話ですが、はい…。というわけで、「それを言うなら○○小説だってば!」というのをご存知でしたら、どうぞ教えてやって下さいませ。

 はじめて読んだ宮部作品が、あの大作『模倣犯』だったのも大きいのか、こういった短篇集を読むと、「ああ、これらの作品の要素が、のちの大作へと受け継がれていったのだな」と思うこともしばしばです。小説家にもさまざまなタイプの方がおられるでしょうが、例えば宮部みゆきという小説家の場合、数々の短篇で積み重ねていったものを、大作長篇で一気に爆発させる、そうゆうタイプなのかもしれません。とか偉そうなことを言っても、実は宮部作品のほんの一握しか読んでいない僕だったりするので、ほとんど信憑性なんてないのですが……(汗)。



  • 宮部みゆき 『初ものがたり』  ★★★☆☆
 舞台は江戸下町、岡っ引きの茂七親分と愉快な仲間達のお話。さすがの宮部みゆき作品だけあって、下手なTV時代劇を見るくらいなら、この本を読むことをオススメします。(…と、書きましたが、調べてみたらこの作品TVドラマ化されているそうです。宮部作品は映画・ドラマ化が多いですね。ちなみにアーヴィングと違って、宮部さんは映像のほうには全くのノータッチだそうです。)

 短篇集ではありますが、連作短篇の形をとっているので物語には継続性があります。この一冊だけでは明かされない(=つまり僕もまだ知らない)秘密もあったりするので、ちょっと注意が必要。(続編も近日刊行されるとのことです。)また、渋い挿し絵も良い塩梅です。




  • ティム・オブライエン 『カチアートを追跡して』  ★★★★☆
 ある日突然、戦場からカチアートが消えた。8600マイル彼方のパリを目指して脱走したという。第三分隊は、追跡指令を受け、一路西へと進むが、神出鬼没のカチアートに翻弄されるばかり。蜃気楼のようなカチアートに幻惑されながら、彼らが旅路の果てに見出したものは…。(あらすじより)

 ティム・オブライエンといったらベトナム戦争。そう定義してしまっても過言ではなく、もはや著者の一部にすらなっているであろうベトナム。この作品でもそれは同じで、当然の如く舞台はベトナム戦争であり、実際にベトナム戦を戦ったオブライエンにとっての、その呪縛の深さを思いつつ読み進めた僕でした。
 
 (※以下ねたばれあり)物語はカチアートを追跡する部隊に所属する新米兵士、ポール・バーリンの目線で回想され、展開していきます。当初、白痴扱いされているカチアートに対して、のちに彼の持つある種の英雄性を皆が認めていくことになります。登場人物達も、そして僕ら読者も――。それに反比例し、純情な新米兵士であり読者の感情移入の対象のポール・バーリンに徐々に違和感を覚えて行きます。特に彼の最後の選択(あれが選択と言えるのなら、ですが)には正直気が滅入りました。他の誰でもなく、あのポール・バーリンにあのような選択をさせた著者を、へなちょこ野郎の僕は「ひどく呪ってやらねばなるまい」とすら思いました。

 えー、読後の僕なんて、それこそほとんど絶望的な気分で「ああ神よ、友よ、私はどう生きたらよいのか!」と口走る始末でした。もはや「神様にすがるしかない」ってなもんですよ。何しろ参っちゃってる自分自身に対して、本当に参っちゃってるという、「お前は勝手に本読んで、何一人で落ちこんでるんだ」という、救いようも無いオバカな情況におちいってしまったのですから。

 今後読まれる方は、こころして挑戦して下さい。そして既に読まれた方、「ポール・バーリンの選択をどう思ったか? あれは選択だったのか?」ぜひご意見お待ちしております。伝言板等に書き込みして頂けたらうれしいです。

 そして、今僕が思うこと。今現在の僕の脳みそでは、「この作品は『オウエンのために祈りを』に似ているかもしれない」という衝撃的な展開に! どちらも物語の根底にベトナム戦争があるのはもちろん、『カチアートを追跡して』におけるポールとカチアート、『オウエンのために祈りを』におけるジョンとオウエンの関係性に共通するものがあるのではないか、と僕は思うわけです。(え?「そんなこと思わない」ですって…) つまり、英雄(オウエン)の導きに従い現在にいたるジョンに対し、ポールは英雄(カチアート)の導きを拒絶した、という図式が成り立つのではないかということです。そこに、戦場を実際に体験したオブライエンと、ベトナムへ行くことはなかったアーヴィングとの決定的な差があるのではないかと思うのですよ。もちろん絶対的な親友であったオウエンとジョンの関係と、ポールとカチアートの関係は厳密には違いますが、「ヒーローとそれを回想する平凡な青年」という点では、びっくりする位似ていると思いませんか?(え?「ちっとも似てない」って…。「はいはい、分かりましたよ」…涙)

追伸: 僕はいつまでも『オウエンのために祈りを』のほうが好きな僕のままでいられたら、と思います。




  • 吉田春生 『村上春樹とアメリカ』  ★★★☆☆
 図書館から借りてきた、いわゆる「春樹解説本」です。タイトルの通り、村上春樹作品とアメリカとの関わりあいについて書かれた本で、主にアメリカの作家(の作品)から村上春樹さんはどのような影響を受けた(と考えられるか)について論じられています。伝言板で「評論本・批評本の類いは殆ど読まないし、あまり好きでない」とか言ってるくせに、しっかり読んでんじゃん。「この嘘吐き、卑劣漢、犬畜生め!」という声がまさに聞こえてくるかのようですが(涙)、そのことについては「まったく気付かなかった」ということで、どうぞよろしくお願い致します…(汗)。

 というわけで(どうゆうわけだか)、もちろんアーヴィングについての記述もあるわけです。実を言うと、それが読みたくて借りてきたのです。その「記号としての暴力性」と題された章を、簡単に説明するなら、「村上春樹がアーヴィング作品の暴力に見たもの〈記号としての暴力〉って、ちょっと違うんでないの」と、そういうことらしいです。興味のあるかたはぜひ一度。

追伸: ’02.11現在開設中の『海辺のカフカ』サイトにて、読者メールの「暴力シーンは読んでて辛いし、悲しい」という意見に対して春樹さんは、「でも我々の生活は、実際に暴力にみちあふれている」と答えている。これと全く同じ言葉を、過去に春樹さんはアーヴィングから受けている。少なくとも今現在の春樹さんは、小説における暴力を単なる〈記号としての暴力性〉だとは思っていないといえるのではあるまいか。違うのか…。




  • 村上春樹 『中国行きのスロウ・ボート』(再読)  ★★★★★
 台風や集中豪雨がやってくるたびに動物園に足を運ぶという比較的奇妙な習慣を、十年このかた守りつづけている男がいる。僕の友人である。(本文より)

 きっぱりと断言しよう。僕はこの本が好きだと。ちょっと照れ臭いが、この本が僕が最も愛する短篇小説集であると今ここに告白する。もちろん今後何冊の短篇集を読むのかなんて自分でもわからないわけだけれど、今まで生きてきた過程で僕が読んだすべての短篇小説集の中で一冊を選ぶとしたら、それは紛れもない、この村上春樹著『中国行きのスロウ・ボート』なのである。

 一つ一つの作品を好きなのは言うまでもないし、この本の(今、僕の手には文庫版が握られている。)たたずまいが、僕にとってはまさにパーフェクトなのである。

 安西水丸画伯の洋梨の絵、ゴシック体のタイトル文字、バーコードの下の誰が書いたのかよくわからない文章、本の厚さ、行と行の間の空間、それらのすべてが僕をどうしようもなく惹きつけるのだ。今はまだ僕の一方的な片想いだが、いつの日にか、きっと両想いになれるだろうと信じている。(ストーカーではない。)




  • 宮部みゆき 『魔術はささやく』  ★★★★☆
「あたしのこと、正気だと信じてくれる? あたし、今まで嘘ばかりついてきたわ。それを信じてもらってきたわ。それなのに、今ようやく本当のことを話したら、誰も信じてくれないような気がするの」(本文より)

 太宰治『斜陽』をほうふつさせる上の文章に、ちょっとでも心揺さぶられるものを感じたあなたには、きっと楽しめる小説です。同時に、上の言葉に冷静かつ単純明快に「あほか、お前」と言いきれる格好の良い人には、つまらない小説かもしれないという予感がほんのりです。

 さて、宮部みゆきさんのファンはとても多いらしいです。僕の地元のこぢんまりとした市立図書館でも殆どの作品を蔵書しており、なおかつ(中には数十冊も蔵書しているのにもかかわらず)ほぼ全てが常に貸し出し中の状態なのだから驚かずにはいられません。悪名高い(?)リサイクル書店でさえ、100円コーナーに宮部みゆきを見かけるのは極々まれなこと。定価の半額で皆売れてしまうからに違いありません。

 そんな宮部みゆきさんの作品は、驚くほど幅広く、そして華麗に、展開する。(僕はまだ本の一部しか読んでいないけれど)ミステリー・サスペンス・時代小説・ファンタジー・ジュブナイル等果てしない著者のキャパシティーはもはや、すごいとしか言いようがない。そうですよね? そして、それらは皆、面白い小説に分野の壁など関係無いということを証明してくれるうれしい作品ばかりなのだから、もはや僕には楽しく読ませてもらう以外の選択肢は残されていない。だから宮部みゆきさんはえらいのだ。







2002年12月の読んだ本。
(小説6冊、エッセイ1冊、合計7冊)


  • 宮部みゆき 『鳩笛草/燔祭/朽ちゆくまで』  ★★★☆☆
「あたしは平気よ、おばさん」 自分でもおかしいくらい快活な声を出して、智子は言った。「そんな話、信じていないもの」   (本文より)

 本書巻末の解説の人曰く、宮部みゆきという作家は「ふつうの人々」を物語る作家なのだという。僕は「え、ふつうの人々というのは、あんなにも弱いものか」という気分にもなるし、同時に「あんなにも強いものか」とも感じる。たぶん、たぶんだが、そこらへんに宮部作品の面白さの秘密があるのではないかと思う。




  • 大槻ケンヂ 『オーケンののほほん日記ソリッド』  ★★★★☆
「そうですね……生きていく上であまり必要のない、どうでもいい知識を吸収している時、僕は安定しています」と応えると、医師は「じゃ、やりなさい、それを」と言った。
 (本文より)

(※注)本感想は、日本全国のだめ男子(年齢不問)の皆様に向けて書かれています。該当の方以外は決して読まれませんよう、お気をつけ下さい。


 恐らく皆さんは、日々の生活において、「もうだめだ。おれはサイテーの人間だし、何をやってもパッパラパーのへなちょこだ。とほほ……」という情況に、月に一度は陥っていることと思います。

 でも、もう大丈夫です。そんなときは、まずしっかりと頬を濡らす涙をぬぐって、あたたかいお風呂に浸かり、そしてオーケンさんのエッセイを読んで眠るのです。

 しかし、次に目覚めた時には、「あら不思議! 昨日までのあなたとは全く違う自分に気付くでしょう」などということはありません。世の中そんなに甘くないですから、そんな都合の良い現象は決しておきやしません。

 あ、そんなに御自分を責めないで下さい。立派なダメ男子のあなたのことですから、「もしかしたら、書かれた通りにすれば、まるで魔法のように、自分が立派な男子に生まれ変わっているかもしんない」などと阿呆な夢想をしてしまうのも、やむを得ないことなのです。でも大丈夫です。書いてる僕もダメ男子ですから。(一体何が、大丈夫なのだ??)

 ところで、「大槻ケンヂの本なんて読んでいるのを、人に知られたら恥ずかしい」などと、今思った、大バカ野郎のスットコドッコイのダメ男子(年齢不問)の皆さん。あなたがたも心配無用です。そうなのです。知られたくなかったら、隠れてこっそり読めば良いのです。仮に見つかったとしても安心してください。我々は江戸時代の隠れキリシタンとは違い、オーケンさんのひび割れ顔写真を踏みつけることを、誰かに要求されたりしないのですから。

 というわけで(どーゆーわけだ??)オーケンさんのエッセイを読んでも、魔法のような都合の良い奇跡は起きません。当たり前の一般常識です。でも、あくる朝、あなたの目の前に広がる世界を、ほんの少しだけ愉快に眺めているあなたが、そこにいるはずです。

(え〜と、僕は大丈夫でしょうか……汗)



  • 宮部みゆき 『我らが隣人の犯罪』  ★★★★☆
「やあ、おはよう」威厳をもって挨拶を返すと、中田氏は周平を振り向いた。サーカスのゾウのような悲しげな目をして。   (本文より)

 宮部さんは手品師のような小説家です。しかもその手品にかかると、読者はただ客席に腰をおろし、舞台で繰り広げられるものを眺めているだけで、何故か幸せな気分になっているのだから不思議で、本物の手品師はこちらなのかもしれない、とすら思います。手のひらのなかのスプーンが、どんなに異形に曲がろうとも、人はこうゆう気分にはなれない。(ような気がしませんか?)

読まれた方への追伸:話は変わりますが、「気分は自殺願望」の中田氏のしゃべり方が、村上春樹『海辺のカフカ』のナカタさんのそれと、だぶってしまいませんでしたか? 僕は二人が重なってしまい変な気分でした。今後ナカタという性の人に、無条件で好印象を抱いてしまいそうな自分が恐いです(笑)。




  • カート・ヴォネガット 『スローターハウス5』(再読) ★★★★☆
 そうゆうものだ。    (本文より)

 もう何回も読んでいるので、今回あらためて特筆するようなことはないのですが、あえてひとつ挙げるとするなら、ヴォネガットは「自分が体験した」ドレスデンの爆撃のほうが、広島・長崎の原爆よりも「より悲惨なのだ」と主張しているという点です。

 ヴォネガットという人は、少々小憎らしいくらい冷静なまなざしで物事を捉えている人です。そうでなければ、こういった作品は書けるわけないのです。たぶん。そんな彼ですら、上記のような有り様なのですから、戦争は絶対体験するものではないと思います。体験せずにすめば良いのだけれど……。




  • 宮部みゆき 『淋しい狩人』  ★★★★☆
 喇叭(らっぱ)は、ひがな一日歌い続けました。
「戦争は終わった。新しい町、楽しい町、平和な町をつくろうよ」  (本文より)


 東京の下町にある、小さな古本屋「田辺書店」の店主イワさんと、孫の稔少年を中心に展開する連作短篇集。上の引用文は作中作の絵本である『うそつき喇叭』の一節です。シンプルでいて、ひどく悲しいお話で、心にずしっとくるものがあります。うそつき喇叭が、したり顔で闊歩するような世の中だけはご免な僕です。

 『うそつき喇叭』のお話は文庫版で4,5ページ程度のものですので、立ち読みでも読んでみて欲しいと思うのですがどうでしょう。『うそつき喇叭』を読んだら、結局全部読みたくなってしまうという噂もありますが(笑)。




  • 宮部みゆき 『スナーク狩り』  ★★★★★
「俺は生まれ変わったような気分だ」兄さんはそう言った。そのとおりだった。生まれ変わって、人間であることをやめたのだ。   (本文より)

 チャーラー♪という「火曜サスペンス劇場」(って今でもありましたっけ?)のテーマが聞こえてきそうな、いわゆる「なんたらかんたら殺人事件」タイプの作品です。そして面白い小説です。

 僕は常日頃「小説もマンガも映画もどれも貴賎無く楽しいと思うし、好きである」と言っているし、自分でも「自分がそのように思っている」と思っている。だけども冷静に客観的に僕という人間の嗜好を見てみると、例えば「〜殺人事件」的なものだったら、それこそ「火サス」で充分だと。「人生ってのは、時間に限りがあることだし」ってなふうなことを、少なからず考えているスットコドッコイなわけですよ。格好悪いですね…。情けないですね…。(涙)

 この本は、そんな僕自身の未熟さを、誰にも気づかれることなくこっそりと、しかも確実に、教えてくれたのです…(涙)。はっきりいいまして、犯人憎しで、はらはらどきどきです。そして、滅法面白いです。おすすめです。



  • 佐伯一麦 『ア・ルース・ボーイ』  ★★☆☆☆
 louse [lu:s] @緩んだ Aずさんな Bだらしのない …… D自由な ――英語教師が押した烙印は、むしろ少年に勇気を与えた。 (あらすじより)

 この小説は、「ぼくは十七、いま、坂道の途中に立っている。」という一行からはじまる。彼は十七で、坂の途中だそうだ。「おいおい、おれだって既に20代だが、坂の途中だよ」と僕は思う。たぶん皆さんも、そう思うのではないか。

 ところで僕らは、いつの日にか、その坂の頂に立つ日はくるのだろうか? そもそも、この坂道にピリオドは存在するのだろうか? よくわからない。

 そんな僕がただひとつ確信をもって感じているのは、坂の下を見下ろす人間にだけはなるまい、ということ。

 この小説が終わるとき、彼は一八になるのだという。

 たぶん坂の途中だ。


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